
エピローグ その2[2009年03月31日(Tue)]
今朝の夕張は、2センチほどの雪が積もり薄い雲がかかている。
昨日、夕張の仲間たちのところに行き、退職について挨拶
をしてきた。
日中、各作業所に行くためみんなが一同に会えるのは、朝の食事のときである。仲間たちは、普段と変わらずいつものように過ごしていた。
そして、朝の挨拶を交わしながら一人ひとりに会うが、仲間たちの幾人から私のことについて質問があった。
その大半が「辞めて、何をするの。」という質問である。
返答に困った。
どう応えていいんだろう。
返答できないでいる自分、なんていい加減で哀れなんだろうと自暴自棄。
ある女性からは、「仕事をしないと給料がもらえない。」と諭された。
最後の最後まで、仲間たちに心配をかけっぱなしでいる。
夕刻、私の師匠である大先輩の中鉢先生から電話を頂いた。
私の方からご挨拶に行かなくてはならないのにもかかわらず電話を頂いたこと感謝するとともに、大変恐縮した。
「ご苦労さん。よくやったね。」とねぎらいの言葉。
一つ 自分の「福祉の仕事」として区切りがついた瞬間でもあった。胸に熱いものが込み上げて来る。
28年の間、私にとって「福祉の仕事」とは何であったのか。
仲間たちのかかわりを通じて一言で言うなら「互いの人格形成」と感じている。
福祉の仕事をしているという視線の高さ、支援する側と支援される側という構図のなかにあった高慢な自分・・・・・・・・(本当に穴があったら入りたい)。
そんな私が、長い間仲間たちと過ごしていくうちに、悩んでいる自分がいた。いつも自問自答している自分がいた。言い知れぬ重い荷物を背負っている自分がいた。
しょうがい者という前に「ひと」としての「分かち合い」であった。
そして、再三 話していることで申し訳ないが今の自分をつくってくれたのは、やはり仲間たちである。彼らたちがいなければ、違った価値観を持っていただろう。
昨日、夕張の仲間たちのところに行き、退職について挨拶

日中、各作業所に行くためみんなが一同に会えるのは、朝の食事のときである。仲間たちは、普段と変わらずいつものように過ごしていた。
そして、朝の挨拶を交わしながら一人ひとりに会うが、仲間たちの幾人から私のことについて質問があった。
その大半が「辞めて、何をするの。」という質問である。
返答に困った。
どう応えていいんだろう。
返答できないでいる自分、なんていい加減で哀れなんだろうと自暴自棄。
ある女性からは、「仕事をしないと給料がもらえない。」と諭された。
最後の最後まで、仲間たちに心配をかけっぱなしでいる。
夕刻、私の師匠である大先輩の中鉢先生から電話を頂いた。
私の方からご挨拶に行かなくてはならないのにもかかわらず電話を頂いたこと感謝するとともに、大変恐縮した。
「ご苦労さん。よくやったね。」とねぎらいの言葉。
一つ 自分の「福祉の仕事」として区切りがついた瞬間でもあった。胸に熱いものが込み上げて来る。
28年の間、私にとって「福祉の仕事」とは何であったのか。
仲間たちのかかわりを通じて一言で言うなら「互いの人格形成」と感じている。
福祉の仕事をしているという視線の高さ、支援する側と支援される側という構図のなかにあった高慢な自分・・・・・・・・(本当に穴があったら入りたい)。
そんな私が、長い間仲間たちと過ごしていくうちに、悩んでいる自分がいた。いつも自問自答している自分がいた。言い知れぬ重い荷物を背負っている自分がいた。
しょうがい者という前に「ひと」としての「分かち合い」であった。
そして、再三 話していることで申し訳ないが今の自分をつくってくれたのは、やはり仲間たちである。彼らたちがいなければ、違った価値観を持っていただろう。