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「遠く離れたところにいるわたしができることって何なんだろう?」

2011年3月11日に起こった東日本大震災を受けて、
誰もが何かを感じたり、考えたり、
時には行動したり、動けなかったりしたはずです。

このBlogでは、若者と呼ばれる私たちが震災を受けて、
「感じたこと」「考えたこと」を心の中にとどめずに発信していきます。
震災支援プロジェクトコーディネーターとして・・・ [2012年04月08日(Sun)]
私は昨年7月から今年3月まで(公財)京都市ユースサービス協会に勤め、特に震災に関わる取り組みに携わりました。

阪神・淡路大震災も、東日本大震災も、直接被災したわけではない私が、仕事をきっかけとし震災と向き合うことになり抱いた想いを、ここに書きたいと思います。

初めて東日本大震(津波)の映像をテレビで見た時、「これはきっと大変なことになるんだろうな」と、漠然とこれからのことを考えただけでした。

テレビやネットなどで震災のことを見聞きしながらも、京都で変わらない生活を送っていた時、協会で震災に関わる仕事に就くことになりました。

「何か特別な想いを持っているわけではない自分が関わっていいのか」・・・そんな不安を感じながら、現地に行ったり、京都のイベントに参加したり、事業に取り組むなかで、様々な人と出会いました。

京都に移って生活する若者、現地に行ってボランティア活動をする若者。そのほかにも色々な立場にある若者たち、そして家族や友人など、彼・彼女らと関わる人たち。一人の人間として、みなそれぞれに想いを持っていました。

その想いに触れ続けることで、私は震災と自分を関係づけて考えることができ、最初の不安も薄らいでいったように思います。

このブログの過去記事に、「向き合い方は人それぞれ」というような言葉がありました。

この9ヶ月間を経て、私は、「震災と向き合う」とは、「人の想いを知り、共有する」ことだと考えています。

しかし、いま協会を離れた私が、これからどう向き合っていくのか、自分にも分かりません。
ただ少なくとも、これまでに触れた人たちの、そして自分の抱いた想いを忘れずにいようと思います。

あの日から一年以上経ちました。
みなさんはどう向き合ってきましたか。
そして、これからどう向き合っていきますか。

(Z)
「3.11」に向けて・・・その2 [2012年02月17日(Fri)]

私は2008年6月14日,「岩手・宮城内陸地震」を体験した。

1週間後に迫った論文テーマ発表会の準備のため朝早くから大学の研究室に1人でいた私は,生まれて初めて,震度5クラスの揺れを体験した。研究室が高層階だったこともあり,実感としては震度以上に大きな横揺れだった。

080614_1043~0001.jpg

パソコンが倒れ,キャスター付のイスが本棚に激突し,水槽の水があふれ出した。机の下に身を隠すなどという咄嗟の対応もまったく取れないまま,揺れが収まるまでただただ固まっていたのを覚えている。

もし,京都に就職することなく,そのまま仙台に住み続けていたとしたら,震災後に私は何をしただろうか。あのとき無力だった自分が,あのときの地震を遥かに超える規模の震災を前に,「何もできない」という無力感を感じていた。でもそれ以上に感じていたのは,ある種の「後ろめたさ」だった。4年前の地震で机の下に潜り込むこともできずに固まっていたダメな私だが,ダメはダメなりに,未曽有の事態にがむしゃらに動き回ったはずだろう。

そんな想いから,何度もチャンスに恵まれながら,私は9月まで6か月間,仙台に行くことができなかった。でも逆にそんな私だからこそ,三者三様に即座に動いた若者たちの話に刺激を受けた一方で,私のように「動けなかった(または,動かなかった)」という選択をした人の背景や想いも同様に大切にしたいと思う。

それぞれにどんな「3.11」を迎え,「3.11」にどんな想いを馳せるのか。
それは多様であっていいし,それぞれなりに向き合うことができていればいいのだと思う。
それぞれの,「3.11」に向けて・・・

(N)
「3.11」に向けて・・・ [2012年02月11日(Sat)]
東日本大震災から,きょうでちょうど11か月。
毎日忙しく働いていると本当に「あっという間に」時間が過ぎていくのに,こと震災に関しては,「あっという間に」時間が経つという感覚とは程遠いものがある。それは,震災を通して思い起こすことがあまりにも多く,そしてあまりにも重たいからではないだろうかと思う。

昨年末,縁あって,私は震災ボランティアとして活動する3人の若者たちを取材した。三者三様に即座に動いた若者たちの語りは,対照的に「動かない」あるいは「動けない」という状態が長かった私にとって,いろいろな響きを持った。

私は震災のちょうど1年前,2010年3月まで,仙台市で学生生活を送っていた。仙台は「杜の都」と呼ばれる通り,自然がとてもゆたかな街だった。
定禅寺通りの並木道,秋になると芋煮会の煙が揺れる広瀬川,大学の教室から見える青葉山など,好きな風景がたくさんあった。そして私は,仙台の海も大好きだった。特に,帰省や旅行などで仙台空港から飛行機に乗ると見られる,離着陸のときの風景。広大な太平洋と,どこまでも続きそうな白い砂浜,防砂のために植えられた美しい松林が眼下に広がる,とても雄大な景色。私はこの海の景色がとても好きで,飛行機に乗るときはできるだけ窓側の座席を選ぶようにしていた。

2011年3月11日。あの一直線に真っ直ぐと続く海岸線に,黒く渦巻く津波が押し寄せ,多くの人びとのいのちと暮らしを奪い去っていった。震災直後からテレビに映し出されていた仙台空港付近の映像は,私にとって震災が現実であることをリアルに感じさせる象徴だった。
そして,それからおよそ半年間,「被災地」となってしまった仙台には,私はどうしても足を運べないでいた。

定禅寺.jpg

(続く)

(財)京都市ユースサービス協会発行の機関誌『ユースサービス』第10号
「希望の年―震災ボランティアの若者3人が語る」
(pdfファイルが開きます)

(N)
『17年目の1.17〜余談〜』 [2012年01月31日(Tue)]
ここからは、個人的な思いで余談です。
17年前に神戸で暮らしていた、私のその後の話。

--
震災をきっかけに、自分の生き方は変わった。
それも最初は意識してなくて、10年くらい経ってからわかってきた。

1.17のつどいもテレビでは見たりしていたけど、ずっと行っていなかった。
早朝のその時間、5:46に起きれなかったこともある。
15年目、東遊園地に行こうかとも思ったけど、行かなかった。
行かなかったのか、行けなかったのか、今でもよくわからない。
16年目の昨年、初めて東遊園地に行き、つどいに参加した。
温かさとともに、改めて震災と向き合うことのしんどさを感じた。
「16年も経ったのに…」という思いもあった。
当時16歳だった自分は、それまで生きた年数と同じ年数を経てきていた。
この日に初めて『その街のこども』を神戸で見た。

そして、3月11日には東日本大震災が起こった。
最初は、現地には行かない(行けない)と思っていた。
京都にいながらできることをしていこうと思った。
けれど、気づいたら、震災支援に関わる仕事をしていて、
現地にも足を運ぶことになっていった。
不思議なものだと思う。
17年前できなかったことを今になってやっているのかもしれない。
そうして、ようやくしっかり向き合えたようにも感じる。
自分にとってのやり残した感が、その後の自分を作っている。
それが今の仕事にもつながっている。

「阪神淡路のときにできなかったことを、今やっている」
そういう人にも出会ってきた。
今の若い人にとって、東日本大震災はどう捉えられるんだろう。
悲惨な出来事だが、こういうときにこそ、本来持っている人の力が
表れるのだとも思う。そう思うと、この経験はこの先の何かにも
つながっていくんだろう。


あくまで、これは私個人の思いで、みなさんそれぞれなりの
思いを持っているのかと思います。

若者のみなさんの思いを「文字(+写真)を通して発信する」 このブログ
そして、思いを「動画に残して、発信する」 京都若者アーカイブ
同じ若者同士で「思いを語る」T-Cafe〜震災×自分〜

自分に合う手段で、「自分の思い」を出してみませんか?

(GC)
『17年目の1.17〜その街のこども 2 』 [2012年01月27日(Fri)]
前回、投稿した1.17のつどい。
それとともに、一昨年ドラマ放映され、昨年には映画上映された
『その街のこども』のこと、そしてその街のこどもだった自分が
感じたことを今回は書いていきます。

--
『その街のこども 劇場版』
http://sonomachi.com/

震災から15年目の1.17を迎える、ふたりの若者が、改めて震災に向き合い、
語れなかった当時の記憶、想いがあふれてくる。
そんなふたりが夜の街を歩く
ふたりの若者のそれぞれの想いの揺れがよく表れていて、
それが震災を経験した自分自身ともリンクする。
そんな映画。
印象的だったのは、キャッチコピーでもある

 「それでも、行かなだめなんです」

1.17のつどいに行きたいが、なかなか決心がつかない。
そんな自身の葛藤、想いの揺れが表れている言葉だと思う。

この1月に改めて『その街のこども』のDVDを見た。
神戸に住んでいたけど、自分が被災者だったかどうかはよくわからない。
けれど、確かにその街のこどもではあったのだろうと思う。
「この映画を、その街にかかわりのない人はどういうふうに見るんだろう」


そして、改めて震災から今までの自分をふりかえる。

阪神淡路も東日本も、震災は共通して悲惨なことではある。
けれど、そこから始まっているものも同時にあるのだと感じる。
思い返すこと・向き合うことは、しんどかったりもするけれど、
決して私はそれを忘れない。
--

本当に、それぞれにそれぞれなりの想いがある。私はそう思っています。
みなさんは、どういう想いを持っているでしょうか。

京都市ユースサービス協会では、京都の若者向けに、震災についての
想いを語る場 『T Cafe〜震災×自分〜』 も実施しています。
ふりかえったり、話してみたくなったら、ぜひこちらも。

(GC)

『17年目の1.17〜その街のこども 1 』 [2012年01月24日(Tue)]
1月17日は阪神淡路大震災から17年目。
『阪神淡路大震災1.17のつどい』に参加してきました。

このつどいは、神戸の東遊園地(公園)で震災で亡くなられた方の冥福を祈り、
震災から生まれた「きずな・支えあう心」を語り継ぐためのもの。

17年前のことではあるけれど、神戸出身の自分としては、震災のこと、
その前後のこと、自分と向き合いふりかえる。そんな日になっています。

--
早朝のため前泊し、1月17日の朝。
4時半過ぎに起床し準備する。外はまだ暗い。
防寒対策をしっかりして、東遊園地(公園)に向かう。
空を見上げるとまだ暗いが、今年は晴れている。
そして、去年より少し暖かい気がする。
外を歩く人はほとんどいないが、東遊園地に近づくにつれて、
同じ方向に向かう人が増えてきた。それがなんだか温かい。

東遊園地に着くと、すでに多くの人。
みんなちゃんと忘れてないんだなぁ。

1.17の字にあわせて竹燈籠にろうそくを浮かべ、そこに火が
灯されている。そして、火のついていないろうそくに火を灯す。


そして、5:46− 黙祷
多くの人たちがともに祈り、辺りが静寂に包まれる。
異なる空間にいるかのような、なんとも言えない空気感。

その後も、それぞれが思い思いに、ろうそくに灯をつけ、祈る。
小さな子どもから、高齢の方まで、いろんな年齢層の方々。
その中には集団で来ている高校生や大学生の姿も。
仲間にも再会し、それぞれの1.17を確認したりした。

そして、豚汁などの炊き出しが本当にやさしくて、温かい。
こういう場で食べる豚汁って、なんであんなにおいしいんやろう。
ボランティアや寄付金によって支えられていることが、
よく見えるつどいでもあったと思う。

同時に多くのマスコミがいて、自分も声をかけられたり…
落ち着いて、想いを馳せることができない場面もあるけれど、
関心がなくなっていない、忘れられていないとも感じる。
辛いことでもあるけれど、忘れたくない、忘れてほしくない。

東北、関東の方々にとっての東日本大震災は、神戸出身の私に
とっての阪神淡路大震災と違うところもあるのかもしれない。
それでも、それぞれにそれぞれなりの、1.17、3.11があるのかと思う。
その想いは大切にしていきたい。

続く…

(GC)
3.11から感じたこと、考えたことを伝えていきませんか?〜Blogライター募集〜 [2012年01月20日(Fri)]
2011年3月11日に起こった,東日本大震災

多くの人が,自分にできることをしようと,募金をしたり,現地で活動したり,状況を取材し発信したりしてきました。

その一方で,「何かしたいとは思っているけれど,何をしたらいいのかわからない」「被災地で活動してきたけれど,戻ってきて自分に何ができるかわからない」という声も聞きます。

それぞれに生きている,それぞれなりの「3.11」への想い。その想いを忘れないこと,シェアすること,伝えていくことも,私たちが担える大切な役割です。

このBlogを通して,私たちが「3.11」から感じたこと,復興への想いを,カタチにして発信してみませんか。これから進んでいく復興への長いあゆみのなかで,京都にいる私たちでもできること,若い私たちだからこそできること,一緒に始めましょう!

対象:京都市内に在住か、通学先・勤務先のある中学生〜30歳までの青少年

活動内容:震災を受けて、「感じたこと」「考えたこと」を発信していきます。また、同世代の若者による取り組みを中心に、震災支援に関する京都での動きや被災地での動きを取材し、伝えていきます。ブログの運営方針や記事の内容については、「編集ミーティング」で定期的に話し合います。

主催:(財)京都市ユースサービス協会


申し込み・問い合わせ:(財)京都市ユースサービス協会事務局
 Tel:075-213-3681
 Mail:spro@ys-kyoto.org
 *氏名、所属と年齢(学生の場合は学年)、連絡先を申込み時にお伝えください。


*2011年9月,石巻市にて。
いわてGINGA-NET報告会 [2011年11月25日(Fri)]
11月13日、いわてGINGA-NETプロジェクトの報告会に参加してきました!

いわてGINGA-NETプロジェクトというのは、岩手県内各地でのボランティア活動に若者が参加する仕組みを、ネットワークを組んで進めていこう!という取り組みです。夏休み中は、1週間ごとに大船渡市等で活動を行う学生ボランティアを派遣しました。

いわてGINGA-NETプロジェクト第1期〜9期(学生派遣は2〜8期)での参加者数は1,086人、報告会参加者数は約140人、現地コーディネーターをしていた岩手県立大学の学生もはるばる京都までかけつけてくれ、大規模な報告会になりました。

現在も自分が活動する団体等で活動する人もいれば、何もできていないという学生もいました。「何かしたい」と考える学生に、ユースサービス協会としても個人としても効果的に情報を届けていきたいと思います。

(A)


※報告会の様子はコチラより(いわてGINGA-NETのページに飛びます)
「ほっとスペース」による仮設住宅カフェ [2011年10月25日(Tue)]
このブログでもご紹介した、石巻市の「ほっとスペース」
そこに集う中学生たちが、無事に、仮設住宅での
「ほっとカフェ」を実施したようです。
地域のために何か自分たちにできることはないか、
中学生が「サポーター」の大学生と一緒に考えました。
かれらの想いが実現したことには、
とても大きな意味があると思います。
かれら自身にとっても、地域の大人たちにとっても、
復興の大きなエネルギーになったことでしょう。

仮設住宅カフェの様子はこちら

*「ほっとスペース」さんのブログにリンクします。
宮城県の若者による復興活動をリポート「復興TV」 [2011年10月14日(Fri)]
このブログは,「若者」をキーワードに,東日本大震災に関する情報をまとめ,復興のあり方を考えることを目的に開設しました。その背景には,関西に住む私たちから見て,「若者」に焦点を当てた報道や情報がこれまでなかなか見えてこなかったという事情がありました。
しかし,実際に宮城県を訪ねてみると,これまで私たちには見えていなかっただけで,若者による復興活動を若者が取材して発信する取り組みが動いていました。これには本当に驚き,感動しました。今回は,宮城県内で震災復興に携わる若者たちを取材している「復興TV」というYoutubeチャンネルをご紹介します。
「復興TV」を運営しているのは,宮城県内の大学に通う学生メンバーです。管理人は,代表の佐藤さんにお話を伺ってきました。震災後,「自分たち学生には何ができるだろうか」と考え,若者による復興活動を露出させることを目的に「復興TV」を立ち上げたそうです。それぞれの活動の様子が発信されることで,外部からのサポートを得られたり,連携先が見つかったり,そんな後方支援ができれば・・・とのことでした。
実際に管理人も,仙台市市民活動サポートセンターでいただいた資料「サポセンかわら版」で「復興TV」を知り,「復興TV」を見て石巻市の「ほっとスペース」に出逢うことができました。
また,代表の佐藤さんは,「被災地の正しい情報が県外の人に伝わっていない」と感じていたそうです。あまりにも予備知識や事前情報のないままに被災地入りしてしまう若者に多く出逢ったと言います。「いま被災地にどういう課題があって,それに対してどのような取り組みがされているのか,正しい情報を知ってほしい」と話していました。
「復興TV」は,被災地で活動している若者のナマの声を,表情を,動画で伝えてくれます。動画は,文字だけを読むよりも被災地の空気感が伝わりやすいツールです。これから被災地に行こうとする若者にも,ぜひ一度,「復興TV」を見てもらえればと思います。

「復興TV」のブログはこちら
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