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自然と遊び、自然と生きる・・・私が思うこと

子育てと地域活動、そして松山での冒険遊び場活動を通して思うこと、感じることをそこはかとなく綴ります。


感謝を忘れなければ・・・ [2016年01月21日(Thu)]
時給自足が当たり前の時代から、国内食料自給率40%の時代へ・・・

愛媛県で受け継がれてきた秋祭り、だんじり、亥の子というのは、自分たちが育てている食物と自然との関わりが密接に影響していた時代に、自然がおかしくなると、自分たちの生活に直接影響を及ぼしていたから、1年無事に過ごせたならば、感謝の思いを村全体で空の上の神、海にいる神、土の神、太陽に宿る神、すべての神様に必死で体で表現していたんだと思う。

そんな大人の姿を見て育った子どもたちは、神の存在を当たり前に受け入れて、日々無事に過ごせることを当たり前に感謝できる環境があったんだと思う。

でも、今の子どもたちにはそんな環境はない。

親が自然に対する感謝の気持ちをどう子どもに伝えるのかは、家庭ごとに違っている。

お父さんがサラリーマンであれば、必死に働いてくれている父親に感謝の言葉をいつもかけている母親のそばで育てば、「父親」に対する感謝の気持ちが育つ。

親が、山や海に連れて行ってくれて、その山の季節ごとの表情、その山の中で生きる村人との語らいの中で、その人々の様子から、自然に感謝する心が大切だということが伝わるかもしれない。

でも、どうだろうか?

1年を通じて「土」に触らず、「川」の流れを見ずに、「満点の星空」を眺めることもなく、ただ、テレビから流れる映像と、ネットの世界で生きたならば・・・どこで自然に対する感謝の心を育てることができるのか?

教育現場では今、「道徳」教育に力を入れているという。
机の上で、子どもたちは言葉を通じて感謝することの大切さを学んでいる。

中学校に行くと、部活動中の子どもたちが必ず「こんにちは」と声を掛けてくれる。小学校へ行くと、やはりみんな「こんにちは」とあいさつしてくれる。

でも、その言葉が私には「温かい言葉」とは感じないことが多くなっている。「言葉」と「心」というのは本当はツナガっていなくちゃいけないと思う。

社会に出れば社交辞令も必要にはなるし、要領も良くなくちゃ生きていけない。

それを学校でも学ばなきゃいけないことはよくわかるけど、「人を思いやる温かい言葉」も同時に学ぶべきではないだろうか?

温かい言葉というのは「ありがとう」「こんにちは」「すごいね」「だいすき」という肯定的な言葉だけではない。

誰かが苦しんでいたり、悩んでいる時に、一緒に考えて、先生に「これはおかしい!」と抗議をすることも「温かい言葉」の時もあるし、いじめっ子に「やめなよ!」と怒ることだって「温かい言葉」」だと思う。

平凡に過ぎゆく生温かい社会の流れに、疑問を感じても抗議しない若者が増えている。抗議すると平穏な日々がなくなることが恐いのだと思うけど、それでいいのか?

福島第一原発の爆発から、放射能の恐ろしさを肌で感じた市民が伊方原発の再稼働に反対する抗議をしている。これも「温かい言葉」であると私は感じている。

愛媛の未来を必死で守るための言葉であり、愛媛の自然に感謝しているから出る言葉だと思う。

自然を甘く見ると、本当に罰が当たる時が来る。石鎚山が松山から台風、寒波も守ってくれているからといって、すべてを守ってくれるわけではない。拝み宗教で安心感を得ても、神様にはお見通しだと思う。

子どもたちにそうした感謝の心の在り方をどう伝えていけばいいのか?難しい問題だ!

哲学・宗教学・心理学・天文学・・・学べば学ぶほどその神髄が見えてくる。

文部科学省もたぶん必死に考えて、あの道徳の教科書を作ったんだと思う。

だったら、私たちも協力しようじゃないか!

いろいろな人が子どもたちに関わって、人間として生きるってこと、そしてどうしたら幸せに生きれるのか!?悩みながら歩んできた大人たちがその軌跡を子どもたちに伝えたなたば、きっと子どもたちにも少しずつかもしれないけど、その道しるべとなるキーワードが見えてくるはず!

自然に感謝!
親に感謝!
地域の人たちに感謝!
友人に感謝!
子どもに勉強を教えてくれる先生にも感謝!

でも、納得してない事、疑問に思うこと、分からないことは言葉で話そうよ!
言いたいことをがまんして、苦しくなって、あきらめて、世の中を悲観して、感謝することを忘れてしまってはいけませんよ!

まず相談!!信頼できる仲間を少しずつ増やして、楽しく生きよう!












津田中問題!! [2016年01月18日(Mon)]
娘が通う学校で、全国的なニュースになる体罰問題が起きたことについて、昨年からいろいろ考えていました。

このまま一人の先生が起訴されて、学校を去ったら問題は解決するのでしょうか?

あの先生だけの問題なのでしょうか?

保護者の中には早く静かになって普通の学校生活を子どもたちに送らせてあげたいという人と、このまま問題棚上げしていいの?と疑問を持っている人と意見が二つに分かれています。

学校の対応は私からすればひどい状態だと言うしかありません。緊急保護者会が開かれて、校長先生が謝って、後は何も説明がなく、その後も娘からは1枚も手紙がない状態です。

体罰ははたして林先生だけだったのか?
教育委員会として体罰の概念はどう判断されているのか?

それから、この問題と不登校生が増えていることとの関係性は?
不良が少ないこの学校ですが、以前は本当に多かった!それはスポーツなどの部活動の活性化によって減っているというけれど、その分指導が厳しくなって、その反発で裏でいじめや、先生に対する態度に反発的なことを起こす子どもが増えてきているのではないのか?

学校になじめない子、家庭環境に問題があって学校に行けない子などは本来ならば別の教室や保健室などでの登校の柔軟性を持たせることが求められているけれど、その雰囲気がどこまで子どもに寄り添う形で出来ているのか?

部活動で頑張っている子どもが増えれば、学校としては評価は高くなる。でも、それは学校という枠の中で得意分野がある一部の子どもたちにすぎない。中学校というのは義務教育です。すべての子どもたちが意欲を持って学べる環境を作るのが学校です。そのことが前提となった教育がなされてきたのか?

学校内部の状況は子どもたちから聞こえてくる声でしか判断することができない。でも、その声に「変だ!」と気づく親は意外にも少ないのです。

今回のように顔にあざを残す体罰、トイレの中に閉じ込めるという異常な行動でもなけば、「変だ!」と思わない親が多いように感じてきました。

そして今でも、愛をもって「体罰」をしてくれている先生に感謝をする親は多い気がします。

「ちょっとぐらい叩かないと、やんちゃな男の子たちは言うことを聞かない。クラスをまとめることなどできない。」と言い切る人もいます。

でも、私はやっぱりそうは思いません。
どんな理由があろうとも叩いて言うことを聞かせるというのは反対です。


私自身だけでも頭の中には聞きたいことがいっぱいだし、できることなら娘が通う学校が、楽しい雰囲気で、一人一人が助け合いながら、日々を暮らしてほしいと願っています。

その為のまず第1歩は話し合いです。山ほどのモンスターを前に学校は話し合いなど持てないと思うでしょうが、それでもすべてを受け止めて、みんなで学校を良くするために話し合いをやり続ける必要があると思っています。

とにかく良いことも悪い事もすべて出し切らないと、次のステップにはいけない状態まで来ていると思っています。

本音でブログ書きます!! [2016年01月18日(Mon)]
どういったらいいのだろうか?
記事を書きたいけれど、あまりにいろいろなことがあってまとまらない。

どうしたら住みよい社会になるのだろうか?
どうしたら安心して子どもを学校に任せることができるのか?


私はこのブログでは自分の本音をできる限りぶつけてきた。

でも、社会の中ではなぜか「建前」を前面に出し、本音がなかなか言えない。

と、いうか本音で学校にぶつかったら私は「モンスター」だと判断されて,おそらく上手に対応されて何も変わらない事を知っているから、本音が言えない。

でもどんな問題だって本音で真剣にぶつかることができなければ、結局同じことを繰り返すだけである。

それは分かっているのに・・・

社会が希薄化すればするほど、本音で話し合ってぶつかるメンドさをどこかで避けようとする傾向が強くなるのかもしれない。

それで生きていけるし、問題など何も起きないから・・・

でも、やっぱり本音で再度ブログを書きはじめようと思う。