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自然と遊び、自然と生きる・・・私が思うこと

子育てと地域活動、そして松山での冒険遊び場活動を通して思うこと、感じることをそこはかとなく綴ります。


理想の理想のまた理想・・・それでもやりたい保育の形 「いなほ保育園の12カ月」を読んで [2013年10月12日(Sat)]
「子どもの時間」というドキュメンタリー映画を始めてみたのは確か、10年以上前のことだったと思います。

まるで昭和初期に帰ったような子ども達の遊びっぷりに感動し、その頃中学2年生だった長女と、「こんな保育園がほしい!」と心の底から思ったことを今でも覚えています。

子どもの時間@.jpg

この映画の舞台は、埼玉県桶川市にある「いなほ保育園」。その園長である北原和子さんが初めて出したのがこの本なのですが・・・と言っても、北原さんの言葉を聞いて本を書いたのは塩野米松さんという方のようなんですが・・・

それで、この本の編集に携わっているのはなんと!「スタジオジブリ出版部」!

直感で「やっぱり!」て思ったんです。

さまざまなジブリ作品に、この「いなほ保育園」の中に出てくるような子どもたが出ていると感じていたし、いなほのようなのびのびとした子どもたちを描きたくて、宮崎駿監督は映画を作っているような気もしていて・・・。まぁこれは私の直感ですが・・・。

いなほ保育園の12カ月.jpg


いまどきどこの保育所も、何もかもが管理され、衛生的な保育環境の整った施設をもち、「安心・安全」をモットーにした保育が行われているわけですが、ここは真反対!!


この本の冒頭を少しだけ抜粋させてもらうと・・・

正直言って驚いた。通常考える園舎も門もそれらしき建物もないのである。子どもたちはたくさんいた。空き地で遊ぶ者、1人で木陰で土いじりをしている子、空き地に積まれた丸太によじ登っている子どもたち。子どもはいるが先生らしき姿はなかった。

背の高い生け垣の内側にある家屋へ向かった。生意気そうなガチョウが突っかかってくる。向こうではヤギが鳴いている。大きなイヌが放し飼いで、柵の向こうにはロバがいる。鼻水を垂らした子がしゃがみ込んでアリの列を追っていた。ガラス戸の向こう、布団を敷きつめられた部屋で子どもたちが昼寝をしていた。

訪ねたのは午後の日差しの3時半。テラスに置かれた籠からせんべいを持って行く子がいる。私たちに興味を持った子が走ってくる。裸足だ。「誰のお父さん?」遠慮も恥ずかしげもなく聞いてくる。・・・(省略)敷地内には大きな木や茂みがあり、山があり、凹んだところがあり、どこにも危険を避けるという配慮はない。

夏は暑く、冬は寒く、よく言えば自然を丸ごと受け入れた、野放しに見える風景だった。

2年にわたる「いなほ」通いと北原和子さんへのインタビューを続けていくうちにこの環境こそが「いなほ」にとって大事なもので、長い時間の積み重ねと試行錯誤の末に至ったものだとわかるのだが、これさえも変化の過程であり、終着などないのだと聞かされて、子どもに真剣に付き合うというのはそういうことなのだと心にしみ入った。


理想と現実はまだまだ遠いんだけど、どうせやるならこんな保育園やりたいってそれが私の夢なんです。

だって、自分がもし今小さな子どもだとしたら、絶対近くの保育所や幼稚園なんか行きたくないって思えるんです。のびのびと大人に隠れて遊びたいし、毎日毎日そのことで怒られたくない。ドキドキワクワクがいっぱいあるこの世界を十二分に体感できる子ども時代を謳歌したいって思うんです。

これってわがまま?って思う人もいるのかもしれないけど、そうやって子ども時代を過ごさないと良い人材って育たないんじゃないですかね〜!

それにしても、北原さんはやっぱり凄い!運動会にもプログラムはなくて、その子どもたちの状況をみて、その日に子どもの一番やりたいことをプログラムにする。これって本当に子どものことが分かっていないとできないし、それから豊富な経験がないと選択だって難しい。

それから、こんな自然の中で生活してるけど、舞台とか音楽は町中まで言って本物を見せる。本物の音楽を体感すると、感性が育ち、日頃の生活にも、もの凄く影響を受けてくる。

・・・・ん〜いいな〜(>_<)!!こんな保育所で育つ子どもたちは、絶対この地域の未来を支える人材に育つし、だから私たちも安泰!!ってみんな気づいてくれないかな〜(-_-;)

子どもの成長、そして地域のあり方に繋がる細胞の世界がみえたような!「生物と無生物のあいだ」を読んで [2013年08月26日(Mon)]
なんだかわけのわからない題名を付けてしまったが、地域と自然と子どもたちを繋ぐキーポイントとしての分子生物学にビビッ!!ときてしまった!!いままで神秘の世界だったけど、誰もが持っている細胞やDNAのことが自分が生きていることと密接に繋がっていると感じた1冊が「生物と無生物のあいだ」だった。雷

生物と無生物のあいだ

著者:福岡 伸一

生物と無生物のあいだ.jpg

人間や動物、植物この世の中のありとあらゆる生物には細胞があり、脈々とこの地球上で生き続けている。そのことだけでも神秘の塊なんだけど、その生物の構造を分子レベルまで小さくしたものを解明しようとしている科学者たちの物語・・・

「What is Life ?」 「生命とは何か」

このことを問い続けている人たちなのかもしれない。

本の内容を事細かに説明することは控えたい。もし興味がある人は読んでほしい。

この本を読んで、生物を分子レベルで考えることで、これほどまでに生きる意味が見えてくるとは思わなかった。生命は常に新陳代謝を繰り返しながら、変化している。分子レベルでは人間の体のすべての細胞は半年あるいは1年ですっかり入れ替わっている。しかし、表面的には同じ人間。生命を維持する為に食べたものは日々細胞の中に取り込まれる。でも、食べる量が少なくても、若くても年をとっていても、何らかの形で細胞は入れ替わるのだという。

秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない

分子レベルでの秩序はこの法則にのっとって成り立っているらしい。

矛盾しているようだけど、これが自然の法則なんじゃないだろうか?

安定した生活、健康な体、問題をおこさない子ども、楽な子育て、安心して暮らせる国

今日本の多くの人がそう願っている。
しかしなかなかそうはいかないのが現実だ!

今、「当たり前と思われているモラル」、「子育ての考え方」、「学校の教育の在り方」、「コミュニケーションの概念」・・・ありとあらゆるものが絶対ではなく、変化して当然なのではないかと思う。

時代もまた変化し続けてきた。

動物を殺して食料を獲ていた縄文時代、武士がちょんまげをしていた江戸時代、ITが進歩して便利になっていく現代・・・。人間は様々な時代にどう生きるべきかを考え、便利さを求め進化し続けている。それは子育てだって同じだったはず。

それなのに、「子育て」「子どもの環境」に関しては誰もが「昔は良かった」と言う。

変化する社会の中で、それを一番感じ取っているのは好奇心旺盛な「子ども達」だ。その子どもたちが、社会を変革しようと自らリーダ-となりチャレンジし、「社会の秩序を維持する」ために頑張る姿が増えることがこれからの日本には重要ではないかと思う。

しかし、ここまで話すと「モラルも、常識も、世の中の仕組みも、分からない子どもに任せておいたら大変なことになる!」とお怒りの言葉が聞こえそうである。
だけど、今の50代、60代だって社会のモラルを全く守らない人はたくさんいるし、年齢を重ねればちゃんとした大人になるというのも間違いのような気がする。


背が高く、顔が小さい子ども達の増加・・・子ども達の体格も食生活と社会の変化により変わってきている。だとすれば精神の部分でも「細胞」レベルで変化しているのかもしれない?
子ども時代に「善」の方向に導くのか、「悪」の方向に導くのか、「善」の関わりが多いのか、「悪」の関わりが多いのか、そんなことでも「細胞」レベルでは変化しているのかもしれない。

DNAを紐解き、細胞レベルでの生命の解明が進む中、それを営利なことに利用しようとする輩が増えることも事実だけど、それにより今まで直せなかった病気が治ることもある。この研究をどんどん進めていく必要性に関して、私には答えがないけれど、ただ、やはり人間は自然に感謝して人との関わりを大切にして、変化を恐れず希望を持って進んでいくことはやっぱり大切なんだと感じた。



「死の淵を見た男」を読んで・・あの時、福島第一原発で起きたこと・・・ [2013年06月23日(Sun)]
死の淵を見た男.jpg

福島第一原発事故の現場で何がおこり、その状況の中で関係者がどう判断し、どう動いたのか。あの時、あの現場に遭遇された吉田所長以下、発電所現場の様々な人たちの行動、それを支えた使命感、その背景にあった考え、家族のことなど、胸が締め付けられる思いと悔しさと、そしてこれからは絶対こんな悲劇をおこしたくないという熱い涙を流しながらこの本を読んだ。

これからの日本を考えるうえで一読をお勧めしたい。
門田隆将著 株式会社 PHP研究所発行


この本の中で、吉田所長の想定していた「最悪の事態」 について語った部分が私にとっては衝撃的だった。

                                     
P356〜
「格納容器が爆発すると、放射能が飛散し、放射能レベルが近づけないものになってしまうんです。ほかの原子炉の冷却も、当然、継続できなくなります。つまり、人間がもうアプローチできなくなる。福島第二原発にも近づけなくなりますから全部でどれだけの炉心が溶けるかというと最大を考えれば、第一と第二で計十基の原子炉がやられますから、単純に考えても、"チェルノブイリ×10”という数字が出ます。私は、その事態を考えながら、あの中で対応していました。だからこそ、現場の部下たちの凄さを思うんですよ。それを防ぐために、最後まで部下たちが突入を繰り返してくれたこと、そして、命を顧みずに駆けつけてくれた自衛隊をはじめ、沢山の人たちの勇気を称えたいんです。本当に福島の人に大変な被害をもたらしてしまったあの事故で、それでもさらに最悪の事態を回避するために奮闘してくれた人たちに、私は単なる感謝という言葉では表せないものを感じています」

最悪の事態とは「チェルノブイリ事故×10」だった    吉田はそうしみじみと語った。

私が班目春樹・原子力安全委員長(当時)に吉田のこの話を伝えると、班目は、こう語った。

「吉田さんはそこまで言ったんですか。私も現場の人たちに、本当に頭が下がります。私は最悪の場合は、吉田さんの言う想定よりも、もっと大きくなった可能性があると思います。近くに別の原子力発電所がありますからね。福島第一が制御できなくなれば、福島第二だけでなく、茨城の東海第二発電所もアウトになったでしょう。そうなれば、日本は"三分割”されていたかもしれません。汚染によって住めなくなった地域と、それ以外の北海道や西日本の三つです。日本はあの時、三つに分かれるぎりぎりの状態だったかもしれないと、私は思っています」 

入れつづけた水が、最後の最後までついに原子炉の暴走を止めた    福島県とその周辺の人々に多大な被害をもたらしながら、現場の愚直なまでの活動が、最後にそれ以上の犠牲が払われることを回避させたのかもしれない。

多くの部下たちと共に未曾有の原発事故と真っ正面から向き合った吉田昌朗は、その大きな役割を終えて、今度は自らの病との闘いをつづけている。   

                                   

この本を読んで感じることは人それぞれだろうけど、私はやっぱり未来の子どもたちの為に、原発はすべて廃炉にしてほしいと思った。

この決断を最終的に下すのは政治家である。

そしてその政治家に1票入れるのは私たち国民である。

もうすぐ始まる参議院選挙・・・ぜひじっくり考えて投票してほしい。
教室内スクール(カースト) [2013年03月16日(Sat)]
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「スクールカースト」という言葉が注目を集めている。これは、主に中学・高校のクラス内で自然と生まれる「人気」や「地位」の度合いを、インドのカースト制になぞらえて表現したもの。特別な理由もないのに、特定のグループが教室を牛耳り、一方で発言すら許されないグループが存在するという光景は、誰でも覚えがあるのではないだろうか。

東京大学大学院教育学研究科の博士課程に在籍し、中高生の交友関係についての研究を行う鈴木翔さんの初の著書『教室内(スクール)カースト』は、この問題を初めて学術的に取り扱ったことで話題になっている。

「学生の人間関係についての調査では、いじめの問題を取り上げることが圧倒的に多かった。もちろんそれは重要な研究だと思います。しかし、自殺に結びついてしまうような、殴る蹴るといった事象ばかりを扱うのはあまりに極端なのではないかと疑問を持った。例えば『何となく見下されている気がする』といった、当人でもいじめかどうか判断の付きにくい些細なことは、自分の実体験としてもあるし、似たような苦い経験がある人は多い。最近では小説や漫画でも、『スクールカースト』を題材にした作品が増えていますよね。それでも研究の分野では見逃されていた。まずはその実態を解明することに意義があると考えたんです」

本書では、大学生や現役教師にインタビュー調査を実施。「スクールカースト」の存在を認めつつ、それをむしろ積極的に利用して上手くクラスを運営しようとする教師側の思惑や、消極的に受け入れざるを得ない生徒側の苦悩が、生の声として伝わってくる。

「インタビューでは、カーストの上位にいた人も下位にいた人も、皆が率先して話をしてくれました。また、『スクールカースト』の存在を否定する人が1人もいなかったことも印象的でした。誰にとっても興味のある話題だと改めて認識させられましたね」

本書の刊行で「スクールカースト」研究の端緒は開かれた。しかし「課題は山積み」と鈴木さんは語る。

                                  

このカースト制からいけば、運動が得意ではなく、教室の人気者にはなりたくなくて、できれば教室で一人で本を読んでいたくて、「おたく」系のs君は下の階層。
それから、踊りや歌が大好きで、みんなと遊ぶのが大好きで、ちょっと「おたく」のkちゃんは上の階層となる。

s君は不登校で、Kちゃんは毎日張り切って学校へ行っている。『スクールカースト」の考え方は我が家にはあたっている。

しかし、親としては腑に落ちない!!

学校で一人でいたっていいじゃないですか?
仲間と行動する必然性はどこにあるんですか?
運動が得意なことがそこまで重要なんですか?
「おたく」産業はもうすでにグローバル化してるのに、なんで学校では下にならないといけないんですか?

内田朝雄さんの「いじめの構造」の中でも出てきましたが、小学校、中学校の時のクラスの仲間は1年間一緒に同じ教室で勉強を共にするわけですが、もう少し違うクラスの子どもや異年齢の子ども、それから地域の大人が先生になるとか、いろいろな関わりを増やすことで、こうした問題が解決できるのではないかとこの本を読んで改めて感じました。

「教室内カースト」はまだまだ研究段階の内容でしたが、これからもいろいろな観点から掘り下げて研究を進めていってくれることを願います。

すべての子どもたちがのびのびと地域の学校で学ぶことができ、地域の仲間と遊ぶことができる社会環境をこれからも願っていきます。
「日本の難点」著者 宮台真司 「苦情」について・・・ [2012年09月30日(Sun)]
再び、苦情について考えてみた。

私が今回このようの状況になったことも関係すると思うのですが、さまざまな人から地域における苦情問題の情報が入ってくるようになった。
地域の人間関係が空洞化している日本では、さまざまなところで「苦情」の問題が出てくるのは仕方がないのかもしれない。それでも、そのことを解決しないと、なにも前に進まないような気がする。

日本に今、何が欠けているのか?

この本は、そんな日本の今をずばり書ききっています。
辛口社会学者の宮台氏の著書「日本の難点」パンチ
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私が気になっている「子どものネット環境について」「クレーマーやモンスター・ペアレンツについて」を本より抜粋してみました。

【子どものネット環境について】
子どもをネットにアクセスさせないとかケータイに触れさせないなども緊急避難的には「あり」ですが、こうした対症療法では問題の本質はむしろ手付かずのままになります。問題の本質とは、対面コミュニケーションがネットコミュニケーションよりも脆弱なままでいいのかということです。

社会学者のニクラス・ルーマンは「おかしなことは何もおこりません」という期待を「慣れ親しみ(安心)」と呼び、「いろいろあっても大丈夫です」という期待を「信頼」と呼びます。「安心」は脆弱ですが「信頼」は強靭です。対面コミュニケーションを「信頼」ベースにするべきです。

ネットやケイタイを禁じるにしても、脆弱な「安心コミュニケーション」を脅かすとの理由でなく----それでは脆弱でフラットなコミュニケーションが生き延びてしまいます。----あくまで強靭な「信頼コミュニケーション」を現実化するための手段として、施策を位置づける必要があるのでしょう。

【モンスターペアレンツやクレイマー対策とは】
〜 モンスターペアレンツも、クレイマーも、共通して「全体を顧みない理不尽さ」や「社会的期待に対する鈍感さ」や、そうした意味での「常識外れぶり」などが問題にされているわけです。

我々の日本社会が、そうした「常識」を支える共通前提と、それを支えてきた<生活世界>を、<システム>(役割&マニュアル的なもの)によって空洞化させてしまった以上、そうした成育環境で育ったがゆえに共通前提によって行動を少しも制約されない人たちが増えるのは、そもそも仕方がないのです。

問題は、クレーマー如きに振り回される社会の側にあります。僕は1995年から同じラジオ番組に関わっていますが、プロデューサーが僕の出演依頼に来た際に、僕が出した条件は「クレイマーが何を言ってきても僕は一切聞かないので、僕の耳に入れずにそちら側でさばいてください」でした。

なぜなら、クレーマーが何を言ってくるかを百も承知での上で、ワザと過激だったり刺激的だったりする発言をするのだから、過激さや刺激ぶりに反応するクレーマーの発言など僕にとっては犬の吠え声と同じだからです。そんなものに耳を傾けるくらいなら、はじめから発言などしていません。

そうした理由も説明したら、プロデューサーが----僕が今も一番尊敬している方です----「それでいいです。わたしが全部さばきます」と言ってくれたので、もう15年近くも番組を続けてきているわけです。その間にクレームは一度も伝えてもらったことがありません。感謝しています。

これに関係しますが二つの面白い話があります。一つは、番組開始から2年ほどはクレームの嵐だったのが、3年目に入るとパタッとやんだという話です。僕が思うに、「ミヤダイ=過激発言」というキャラクターが入口に鱠炙し、「ミヤダイか、仕方がないな」というふうになったのでしょう(苦笑)。

<一部削除>

クレーマーやモンスターペアレンツの言うことを真にうけて聞くメカニズムがあるから、彼らが生き残ってしまうのです。むろん、正当ではないクレームにもチャンスを与えることは「ガス抜き」として有効だから、チャンスはどんどん与えておきましょう。

でも、クレーマーの言い分を聞いてあげることと、言い分を真に受けることは、別の問題です。門前払いはマズイですが、クレーマーが主張する「部分的最適化」を上回る全体に関わる合理性があるならばそれを一通説明し、「なので、クレームはお受けできません」と言うしかありません。

ここから応用編の話になりますが、テレビやラジオのディレクターには、電話でのクレームや匿名掲示板での「実況」や「批判」を過剰に気にする人が、実にたくさんいます。彼らに対して僕は「クレームや実況や批判は、いわゆる世論とは何の関係もないことを肝に銘じよ」と言ってきています。

クレーマーにせよ匿名掲示板のディープユーザーにせよ、いわゆる世論=サイレント・マジョリティではなく、キーキー声が目立つだけの少数者=ラウド・マイノリティが大半だからです。ラウド・マイノリティの言うことを直ちに真に受けることは、マスメディアの自殺行為になります。

なぜなら、政治家からの圧力に屈することとクレーマーからの批判的発言にびくびくすることとは、反民主的、反平等的であるという構造において、同じだからです。何があったとしても、サイレント・マジョリティを、声なきがゆえに見殺しにするような振る舞いは、よほどのことがない限りは、回避しなければなりません。

「よほどのこと」とは何か。一般的にいえば、サイレント・マジョリティが、数にもの言わせてマイノリティを圧殺する可能性があることに注意するべきだということです。そうした場合には、マイノリティのラウドぶり(声の大きさ)や「悲鳴の大きさ」として聞く必要があるでしょう。

 あえて分かりやすく言えば、ラウド・マイノリティのクレームを、真に受ける(=我々の社会の問題を指摘するものだと解釈する)か聞き流す(=クレーマーの特殊な性格や実在によるものだと解釈する)かは、選択的にさばいていかなければいけない、という難しい話にならざるを得ないのです。

空手の極意(宇城賢治監修「古伝空手の発想」)とよく似ていますが、「何をするにも相手の反応を予測し、相手が反応する前に既に対処を終えている」ような構え(行為態度)こそが必要です。相手の反応に驚いているような時点で、(相手にというより自分に)既に「負け」ているわけです。

僕の個人的感覚ですが、どうも昨今の日本人にはこの意味で「負け」ている人が多いと思います。二つの要素があると思います。一つは、共通前提に鈍感であるだけでなく、共通前提を徹底的に観察する習慣がないこともあって、相手を「読む」ことができないところから来る戦略的な稚拙さです。


もう一つは、第1章の「若者のコミュニケーションはフラット化したか」で述べたように、自分が持つ関係性についての価値評価が低すぎるので----正確にはそうした中で育ってきている「尊厳」が脆弱なので----、自分の周囲にいる少数の人間たちから承認されているだけでは十分だと思えないということです。

自分にとって大切な者たちが分かってくれていれば、それで十分じゃありませんか。それがあれば、「誰其(だれがし)がピーチクパーチク言っているけど、それがどうした」とやり過ごせるはずです。その意味で、僕は、クレーマー問題の背後に日本人の多くが抱えている「尊厳」値の低さを見出します。

                                          

〜共通前提に鈍感であるだけでなく、共通前提を徹底的に観察する習慣〜  やってるつもりでも、まだまだ足りなかったと反省する。「出る釘は打たれる」わけなので、「出すぎる釘に」になって誰にも打たれない存在になることでしか、今のこの状況では、夢は実現できないとわかっているのにできない。

うううううん(-_-メ)・・・くやしい。



「いじめの構造」著者 内藤朝雄 [2012年07月31日(Tue)]
いじめの構造.jpg

この本は、大学生の息子が2年前私の誕生日に贈ってくれた本である。
なぜ、誕生日に「いじめ」????

困惑する私に対し、彼は多くは語らなかった。

というか、深く考えずこの本を選んだのかもしれないが・・・(−−〆)

当時、私は冒険遊び場内でも、日々繰り返される「死ね」「うざい」「きもい」などのひどい言葉を遊びながら日常的に友達同士で使い、「いじめ」的遊びが日常化していることに、危機感を感じていた。この現象は日本全国どこでも起きうることで、小学校生活の中ではすでに「非日常」ではなくなっていることが恐くもあり、また未来に対する危機感すら感じていた。

私が思うに、彼はこうした私の心を読み取っていたのと、自分が子ども時代にも「いじめ」に関する嫌な思いをしたことがあって、あえて読んでほしかったのではないだろうか?

ともあれ、この本は大人の「いじめ」に関しても、子どもの「いじめ」に関しても、明確に的をついた考えを示している。


この本を読んで、そして今までの活動の中で私が思うことではあるが、日本の社会の中には「いじめ」が起きる構造がすでに出来上がっているのではないかと思う。大人社会からして、「いじめ」とまではいかなくても、ママ友関係で悩んだり、会社の中のパワハラで悩んだりしたことのある人は多いだろうし、子ども会やPTAなどの普通に地域にある関わりの中でも、閉塞感、孤立感を感じたり、空気を読まないと陰で悪口を言われてしまう状況に陥ったことのある経験を持った人の話をよく耳にする。

学校の中で毎日同じ30人の友達と過ごす狭い空間の中で、大人社会を映した子ども社会があったとしたら!!

常にママ友と陰口を言いあって日頃のストレスを発散しているグループの子どもたちは学校でも同じことをするのは当然のことだし、毎日家の中で親に「ばか」「しね」「どじ」と罵られながら育てられた子どもが学校で他の子どもたちに同じことをすることは止められないことである。

なぜか・・・それはどんな親だって子どもはお母さんお父さんが基本的に大好きで、お父さんお母さんが絶対だからである。親が悪いことをするなんて思ってないし、他の子どもに同じことをすると、ほかの子ども達も自分のように奴隷のようにしたがってくれることがその子のストレス発散になってるところもあるんだと思う。

でも、小学校時代にそんな地域の子ども達の行動や言動を見守りながらどうしていけないのかとか、「いじめ」の現場で真剣に怒ってくれる大人がいてくれたらずいぶん状況も変わるんだと思う。

地域にそうした子どもを見守る「あったかいまなざし」がなければ、中学校になると、その行動が一層エスカレートすることになるんだと思う。

6年間の遊び場活動の中で、そうした現場にいろいろ関わってきた。その地域の子ども達によい影響を及ぼしているという明確なデーターがあるわけではないが、地域における「いじめの構造」を崩す手段として「毎日、地域に、お兄さん、お姉さん、おじちゃん、おばちゃん、おじいちゃん、おばんちゃん、が“あったかいまなざし”で子どもを見守りながらのびのびと遊ぶことのできる冒険遊び場はやっぱり重要なんだ!」と思っている。

この本をくれた彼も、「きっと私の活動を支援してくれている」と信じ、またこの本を読み返そうと思う。

人間の基本 曽野綾子 [2012年06月25日(Mon)]
人間の基本ってなんだろう?
生きるってどんな事?
深く考えず、とりあえず本屋で手に取ったこの一冊・・・。
内容は極めて厳しいものだった。

恐るべきは、精神の貧困である。
人間の基本

戦争を潜り抜け、80年以上生きて、なおも精力的に執筆活動を続ける著者の厳しい言葉の一つ一つが身にしみる内容であった。

中でも子どもの社会環境、教育問題に関してはとても興味深いものがあった。

今の子どもたちが育つ環境は、甘ったるく、経験よりも机上での教育が重視され、問題が起きれば何でもルール決めをしてしまう。それでは人間の基本は育たない!!

どんな事でも自分からやってみること。失敗しても良い。そこから得られるものは大きい。そして今の教育で重視されている「個性」「認める」「自由に対する権利と義務」という考え方にもメスを入れている。

少しだけ本文を抜粋すると・・・

第2章 「乗り越える力」をつける教育より〜
アフリカや中近東、草原の遊牧民にとってナイフは人を刺すためではなく、布を裂いたり、薪になる木を作ったり、食料の肉をさばいたり、生きるための必需品です。私はアフリカに日本の若者を連れていくたびに、「男は常にナイフを持っているのが普通ですから、地上の旅がはじまったら必ず腰につけて下さい」と教えますが、日本の若者たちは軍用ナイフを、その時のために買わなくてはならないんです。砂漠の人たちが聞いたら、びっくりするでしょうね。ナイフをもたない男がいるのか、ということですから。

日本は、ナイフは喧嘩すると人を刺すから持ってはいけません、と教える社会です。小学生にナイフで鉛筆を削らせなくなり、校内で殺傷事件が起きてからますます厳しくなっている。けれど本当に誰かを殺そうと思ったら、突き落とすでも首を絞めるでも、ナイフなしでも殺せることでしょう。ナイフ一つ待たせられないのは、人間としての能力開発の欠如です。

私が考える教育とは、多少なりとも悪い情況を与えて、それを乗り越えていく能力をつけさせることですが、今は良い状況を与えるのが教育とされています。〜(中略)〜

悪い状況、もっと言えば修羅場を経験する意味というのは、肉体や筋肉と同じように精神に負担をかけることにもあるでしょう。そうでないと、人間として使いものになる強靭さが備わらないからです。それは政治の世界でも同じで、田中角栄がすばらしかったとはいいませんが、数々の修羅場と権力闘争をくぐり抜けてきた人と、単に成績優秀で政策に通じた人とでは、危機における能力が全く違ってきて当然だからです。

危機というのは、人間的なものもあれば物理的なものもあって本当にさまざまです。いずれにせよ何をどう乗り越え、あるいは回避していくのかは、感覚的につかむ必要があるのです。


興味のある人は是非一度読んでみて下さい(^o^)/
マイケル・サンデンの白熱教室!! [2011年01月04日(Tue)]
ハーバード大学、マイケル・サンデン教授の白熱講義「正義について」をご存知の方も多いと思う。1000人を超える大教室で対話方式の講義を進めるサンデンの講義を1月1日、2日のNHKで放映されたものを見て今感動している!!(興味のある方は下記HPをご参照、BS放送で見ることが出来る)
http://www.nhk.or.jp/harvard/



こんな私がハーバード大学のの講義に興味を覚えるきっかけは、「14歳の社会学」で宮台真司を知ったことから始まる。(これは結構読みやすい!)

世の中で起きていることを、社会学が分析するとどうなるのか・・・読んで思わず「なるほど!」と感動!

そして「日本の難点」を読んで、宮台真司の講演会も聞くチャンスをもらえた。

そして社会学の話の中でマイケル・サンデンの話が出てきて興味をそそられたという訳。



今の日本やっぱり変??

若者はこれで大丈夫?

子育てしている私世代の母親もそれから若いお母さんたちの子ども感、社会観、人生観いろいろな感性がおかしくなっていて、社会全体が変になってきている気がするのは私だけ??

社会の流れは変化するもの!だから仕方がない????と悩み続けてきた私。

そんな私にひらめきのようなものを感じさせてくれたのが、宮台さんであり、サンデンの白熱教室である。

正義とはなにか!あらゆる観点から講義は進んでいく。

むずかしい言葉も多々あり、興味のない人にとっては面白い内容ではないかもしれないが、社会に疑問をいだいていた人にとっては、最高の講義となっていた。


それから「ハーバード大学白熱教室」で、ネット検索しているうちにこんなブログも発見!

授業そのものに興味を覚えたものの、その講義に参加している学生と、議論に参加する学生の国籍にも驚いた。アジア系学生も多いが、日本人を探すのは至難の技だ。勿論、近々ハーバード大学は日本の学生を呼び込む目的もあって、「白熱講義」を東大で実演されたそうだ。それ程海外の学生(顧客)を求めて有名大学自らマーケティングするのだ!

ハーバードの学長によれば、同大学の学部、大学院を合わせた国別留学生の数を1999-2000年度と、2009-2010年度で比較すると中国人が227人から463人、韓国人は183人から314人に急増したが、日本人は151人から101人(しかも学部はわずか5人)に減少したという。

かつて、ハーバード、MITなど、著名大学へ日本からの留学生は数多く、一方、中国や韓国からの留学生は少なかった。何故、日本の青少年は内向き思考に陥ったのか?大企業に就職する新入社員も海外勤務を希望する人が少ないという。又、外務省に入省する若手も海外に行きたがらないとのこと。

青少年のみが内向き思考に陥っているわけではない。何時頃からか、日本社会全体が内向きになってしまったというべきかも知れない。¨失われた10年、いや20年¨の間に、とりあえず、豊かな日本で満足し、未来に夢を求めなくなったのかも知れない。

学生時代に海外旅行をする人も減少しているようだ。海外旅行は定年後、ゆっくり時間が出来てからすればよいとでも考えているのだろうか?内向き加減な日本の将来に危惧を感じ得ない。世界はこの間、大きくグローバル化し、都市間競争も激化してきている。

ダーウィンの法則によれば、環境に順応せず、生存競争に参加しない¨種¨は時間をかけ、気が付かない間に、静かに消滅する。ゆっくり温められ、気が付かない間に死んでいく¨ゆで蛙¨は、その間は意外に気持ちの良いものなのかも知れないが・・・


これも納得!!
もしも、野球部のマネージャーがドラッカーの「マネージメント」を読んだら [2010年09月14日(Tue)]
最近、車を運転することが多くなったせいで、ラジオを聞くことが多くなった。

今日も、NHKラジオビタミン「ときめきインタビュー」を何気なく聞いていると、「おもしろい!読んでみたい!」という本の紹介をしていた。

題名は“もしも、野球部のマネージャーがドラッカーの「マネージメント」を読んだら”



著者の名前は岩崎 夏海さん。

てっきり女性かと思いきや、男性で、親に聞いても、なぜこの名前を付けたのか、ハッキリしないという話から始まり、大学は建築関係を卒業しているのに、最近までAKB48のプロジュースも手掛けて、秋元廉さんの下で働いていたという。


小説の内容は、ふとしたことから高校野球部の新人マネージャーになってしまった少女が、偶然出会ったドラッカーの経営書『マネジメント』を武器に仲間たちと野球部の強化に乗り出し、やがて甲子園を目指すというもの。

そんな青春小説が、この夏100万部を突破というすごい快挙を成し遂げている。

岩崎さん自身もオンラインゲームに熱中していた時にドラッカーと出会い「青春小説」のアイデアが浮かんだとのこと。

なんだか面白そうだし、“マネージメントの父”といわれるピーター・ドラッカーにも、前々から興味があったので、同時に読んでみようと思う笑顔

思考の整理学 外山滋比古 [2010年06月01日(Tue)]
高校生になる息子の本棚になぜか、並べられていたのが、この本。

息子いわく、「サンタさんがいつも本を持ってきてくれるから、これもサンタさんからのプレゼントだと思っていた!」プレゼント>

いや違う!と私だけが知っている困った?!

それはともあれ、この本は誰が買ったのかわからない、世にも不思議な本なのです。

でも内容は、深い!!

自分の頭の中を整理する時、ひらめきを自分のものにする時、などなど・・・自分の活動について悩みが多い今の自分には最高の参考書となっています。

そして、「遊び場」とも「子育て」とも全く関わりのない本のようであるが、実を言うととっても関係があることが書かれている。

追記の中に本の一節を書いたが、子育てのグライダー化は予想以上に深刻なのだと思っている。

そして、子育て支援に携わる人も、さまざまな書物に触れることは、これからの子育て支援のヒントになるのではないだろうか。


本の最初の部分の一節・・・

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