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自然と遊び、自然と生きる・・・私が思うこと

子育てと地域活動、そして松山での冒険遊び場活動を通して思うこと、感じることをそこはかとなく綴ります。


愚痴ってもしょうがないけど・・・ 明日は衆議院選挙です。 [2014年12月13日(Sat)]
明日は衆議院選挙

この前愛媛県知事選と松山市長選が終わったばかりなのに・・・

ニュースでも、ネットで入ってくる情報でも、暗く悲しいものばかり。虐待は減らなくて、ますます悲しい事件も増えてるし、信じられない若者の事件が毎日のように報道されてて、私の周りを見ても景気が良い話は聞こえてこない。

だから選挙をしても世の中がよくなるとは感じないけど・・・

それでも国民の義務として選挙には行かなくちゃいけない。

自分がこのブログに記事をアップする時、いつも考えるのが愚痴を書いて終わらないということ。
愚痴書いてたらキリがないほど世の中にはニュースが溢れかえっている。

家ではストレスを貯めないために愚痴は言うけど、でも最終的に前に進まなくては、結局、利己主義的発想で考え方がストップしてしまうような気がする。

だからいつも必死で自分なりに智恵を出す努力をすることにしている。

そうした問題が解決できる智恵が目の前にはなくても、トンネルの向こうに、かすかにでも見えるのであれば、その記事はポジティブな方向へと動き出すんじゃないかと思っている。

私が子育てしてきた23年余りのうちに、ものすごい勢いで世の中は変化してきた。そのことを考えると今後も一般人が予想だにつかない方向へ時代は流れるのではないかと思っている。

それなのに、目の前の問題や来年の景気動向を最重点に置いた政治をされたのでは困る。

将棋の場合、100手先を予想して試合に挑んでもなかなか名人には勝てない。名人はもっと先を読むことができるからだ。目の前のことしか見えてない人に勝ち目はない。だとすれば、日本の政治だって未来予想図がイメージできない議員ばかりでは他の国に負けてしまうことになる。

議会で相手の党を陥れることばかり考えて、有権者が関心をもつであろう目先のおいしい話ばかりを持ち出す議員はもういらない。本当に真剣に日本の未来について議論できる人が選挙で当選してほしいと思う。

それから日本の未来についてちゃんと話し合うことができる議会を見たい。相手の党の悪口ばかりに時間を取り、相手の党の実績を見ずに、問題を重箱の隅を突くように指摘する国会は見てて疲れるし、良いものではない。

待機児童や不登校問題、貧困問題だってまだまだ何も解決していない。でもこれからは一つ一つ解決して、その後にまた一つ一つ問題が見えてくるけど、それをまた考えていける組織であってほしい。どの問題も根深くて、保育園問題だって最初は「量」の解決だけど、それが落ちすけば当然「質」をみんなが求めることになる。それでいいと私は思っている。

前に進めば、きっと未来への明るい光が見えてくるから。


明日は未来予想図をイメージできて行動できる人に私も1票入れようと思う。

今年もお世話になりました(年賀) 〜子どもたちがそろったお正月♬〜 [2013年12月31日(Tue)]
今年も慌ただしく過ぎ去りました(-_-;)。

まだ今年の事業が完結してないのに助成金の報告書を作成したり、来年度の申請書のことを考えたり・・・ブログで書きたいことはいっぱいあるんだけど、なかなか頭の中でまとまらず・・・それから台所の換気扇掃除にガラス吹き、外回りのゴミの整理とあっという間に今年も終わりに近づいてしまいました。

それに加え、東京で保育士をしている長女と大学生の長男が帰郷し、毎日6人分の朝昼晩の食材を購入し、調理しています。料理は作っても作ってもどんどん消費され、お菓子もジュースもあっという間になくなってしまいます。

「そういえばちょっと前までこんな毎日過ごしてたな〜」とちょっと懐かしく思う反面、「私の時間が・・・な〜い(>_<)!!」と悲しくなるのであります。

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※出張プレーパークのためのジャングルジムを子どもたちに作ってもらいました。

それでも、子どもも主人も元気で、贅沢はできないけど、あったかい部屋であったかいご飯を頂ける今が我が家にとっては一番幸せな時なのかもしれないと思い、毎日大事に生活しようと思っています。

来年もどうかよろしくお願いします<(_ _)>
プレーパーク(冒険遊び場)の可能性 〜4人の子育てから感じたこと〜 [2013年12月08日(Sun)]

私には23歳の長女、20歳の長男、14歳の次男、12歳の次女がいる。子育てには悩みがつきないもので、これまで一人一人違うことで悩まされてきた。

まず、長女は体が弱かったのと、泣いたらとまらないということ。就学前は一度私が怒ったら2時間泣き続けることもあった。

長男は反対に生まれた時からほとんど泣くことはなかった。しかし、危ない遊びが好きで毎年ケガには悩まされた。それから夜尿症。これも長かったように思う。

次男は食欲がすごいのと、運動が嫌い、アレルギー、小6からは学校へ行かないことに悩んでいる。

次女は登園拒否で悩んでいたのに、今は学校に行って友達と遊ぶことが大好きで、土日もほとんど家にいないことがちょっぴりさみしいことぐらいだけど、やはり日々の生活の中には悩みが尽きない。

悩みは尽きないけど、それをどうプラスへ転換するのか?!

この答えは一つではないし、各家庭によっても違う。子どもによっても違う。マニュアル的に言葉で断言することもできないが、あえて自分が感じたことを書かせてもらえば、やはり子どもの話を聞いて、一緒に考え、学び、その子のリズムでゆっくり待つことなんじゃないかと思っている。悪い事をしたからといっていきなり叱る、怒鳴る、叩くというのは効果がない事を十分知らされてきたし、親の理想を子どもに求めることは親子共に苦しめることが多いことも経験から感じてきた。結局は子どもの可能性をどう引き出してあげられるか。そこに尽きるんじゃないだろうか。

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↑次女5歳と「どろんこKID'S」のお友達

そして「子どもの可能性を引き出す」ということにおいて、プレーパークというのは、有効であるとも感じてきた。のびのびと遊ぶ子どもたちの姿には、今まで見えてこなかった内在している可能性が垣間見えることがよくある。遊びの内容の危険度、モラル感の是非など、大人からしてみたら納得できないことも多い子どもの遊びだが、子どもの発達段階ごとに通らなければちゃんとした大人に育たないというものもあることを知ってほしい。

ということで、後もう少し、私も子育てを楽しんでいこうと思う。

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↑平成25年11月24日のプレーパークの様子
アイガモ君をいただきました。 [2013年12月07日(Sat)]
動物の命をいただくということは、残酷で悲しい事ですが、でも私たちは毎日鶏肉や豚肉、牛肉をいろいろな形で料理していただいています。

でも今の子どもたちにはそういう感覚が薄いし、私たち世代も日常生活でそうした感覚をいだく機会は少ないように思います。

伊予郡松前町のときファームのアイガモ君に出会って今年で7年近くになるんですが、夏の間田んぼの草や虫たちを食べてくれたアイガモ君たちは生まれて1年で肉業者に売られるか、フィリッピンからの研修生たちが料理して食べていて、その姿を見て、私も一度やってみたいと思うようになりました。

動物を殺してその肉をいただく・・・このことを誰に話しても「かわいそう」とか「残酷」とか「恐い」などの言葉しか返ってこないけど、でもみんな人間が殺した肉を毎日食べていることは事実なんですが、その現実に向き合っていない。というか向き合いたくないんだと思うんです。

でも、これだけ地球環境を荒らしてきて、世界の森林を伐採し続けている人間はそもそも地球上のすべての生物からしてみたら「残酷な生き物」なんだと思うんです。

「弱肉強食」という自然界のサイクルの中で地球も動物も生きていて、人間も生きている。でも、今の多くの人間はその自然に感謝することを忘れてしまって、自分だけよければいいという感覚に陥っているように思います。

そしてこのブログを書いている私も他人から見たらそう思われていることもあると思います。自分では「自然に感謝しなくてはいけない」「食べ物を粗末にしてはいけない」って日々思って生活しているけど、それでも「簡単なもの」「便利なもの」「安いもの」そして「ちょっと贅沢な生活」に憧れがあるわけで、仏の心で日々暮らすということはなかなかできません。

だから全てのものに感謝する心を忘れない生活を日々送るために自分としてどうしたらいいのか、よく考えることがあります。

私が心掛けていることは、「簡単」だからって飛びつかない、生活を社会の流れと同じに便利にしていかない、安くても本当にこれで良いのか考える。ダメって決めたら生活が苦しくてもお腹がすいても買わない努力をする。(社会に流されない)

世の中の人が「めんどくさい」「やりたくない」という仕事にいどむ・・・「めんどくさい」ことほど自分を成長させることがあると考える。めんどくさくないように智恵を出し工夫をする。それでも心身ともに辛い時には「やめる」という選択肢は必ず持っているようにする。

「チャレンジし続ける」「あきらめない」・・・これもできる範囲でだけど、前に進むと必ず見えなかったものが見えてきて、探していたものが見つかてきたし、人生にとって絶対お得な生き方だってことが、この年になってやっとわかってきたから。

今回の「アイガモ君をいただく」ということもそうして自分のポリシーにのっとった行動でもありました。

アイガモをさばくフィリピン人は本当にうれしそうにアイガモをさばきます。フィリピンではすごく贅沢な食材だそうなんですが、さばくことも子どもの頃から見ているから抵抗感がない。だから、みんな心の底から感謝しながら動物の命をいただいているということが見ているとものすごく感じるのです。

今の日本の子どもたちは、毎日、から揚げとか焼き肉とか発展途上国からしてみたら贅沢なものを毎日食べているけどそれが当たり前だからうれしいということもない。今日はお腹いっぱいとかちょっと味が気に入らなかった平気でゴミ箱へ捨てたり、残したりする。

この日本の食生活で子どもに「感謝」の心を育てることはできるのか?

もしできるとするならば、親が子どもに感謝の心を教える智恵とそれから勇気が必要だと思うのです。

「勇気」ってどういうこと?っと思うでしょうが、子どもに教えるということは言葉で教えるのではないのです。親自身が自然に感謝する生き方を選択しなおす勇気が必要ということです。「今日だけ」とか「キャンプの時だけ」なんて効果はないと考えていいと思います。

毎日朝ご飯(味噌汁とご飯とお惣菜)、夜ご飯を作って家族でいただく。そんなに難しいことではないけど、それができていない家庭が今は多いと聞きます。

私も今努力の真最中です。簡単なもの便利なものとの戦いでもあります。うまく利用するところは利用するけど、手間をかけないといけないところは時間をかけ努力をする。去年までできなかったひと手間を今年はかけてみるとか・・・。


そんな思いをいだきつつアイガモ君をさばき、調理し、みんなで今日はおいしくいただきました(^_^)
アイガモを提供してくれた常盤さんに感謝!
アイガモに感謝!
そして自然に感謝!

                           

【アイガモ君の調理方法】
@アイガモ君の足を紐でくくってしっかり持った状態で開始。気絶させ、首の血管を切り血抜きをする。今日は5分ほど血抜きをしました。
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A70度〜80度ぐらいのお湯に40秒ぐらい付け、それから毛を抜く。毛の生えている方向にさからわないように抜くときれいに抜けます。アイガモは水鳥なので羽毛があり、これを抜くのが結構大変でした。抜けなかったところは毛抜きで一本一本抜いたほうが良いです。
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B首と脚を切り落とし、腕も切って別に料理する。
C肛門から胸骨のある辺りまで切り込みを入れ、丁寧に内臓を取り出す。砂肝、小腸、肝臓、心臓、食道の順に取れました。それから大腸も取りました。砂肝と肝臓、心臓は甘辛く調理しておいしくいただきました。

Dしょうゆ、ニンニクと玉ねぎのみじん切り、レモンを混ぜてこれをしっかり塗り込み、塩コショウもふり、いろいろ丸焼き開始!
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Eじっくり1時間ほど炭火で焼いて出来上がり。
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【反省】
アイガモ君は普通の鶏肉に比べ硬いのですが、うまみがあるのでとっても美味しくいただきました。ただ、肉の臭みがまだ残っていたので、調味料にもう少し工夫が必要だったと思います。小学校6年生の我が娘は見たくないので逃げて行ってしまいました(-_-;)。中学2年の息子と高校3年の遊び場繋がりの男の子は最後まで調理を手伝い、アイガモもいっぱい食べてくれました。彼らにはけっこう好評でした。来年もやろうかと思います。興味のある方は連絡くださいね(^_^)



[2013年11月11日(Mon)]
生きるってこと、なんだか苦しいと思うこともあるけど、そうじゃないんだって思う。

娘の友達の母親が最近亡くなった。
毎週のようにメールを交わしていた相手が・・・。

もうメール帰ってこないってことが信じられない。

なんでって??って思う。

それは相手がいないからだってことは分かるんだけど、それでも、毎日メールを確認してしまう。

もしかしたら、連絡あるかもしれないって思うから。


私の父は今、名古屋で寝たきりになっている。

でも、それもなんでって思う。

父はしんどいから長い間早く死にたいって思っていた。

それでも病院でいろいろ機械付けられながら生きるのなんて嫌いだし、注射も嫌いだから
自宅で静かに死ぬために何にせずに薬も飲まずに頑張ってきた。

でも死ねなかった。

それで救急車で運ばれて、いっぱい治療されて、今は何も食べられなけど点滴で生きている。

ただ生きている。

反抗もせずに生きている。

嫌な時はめちゃくちゃなことをする人だったのに、何にもできない。

それも見ていて、私は悔しくて悲しい。

なんで・・・・・・

これから子どもの未来を考えてどんな事があって生きていきたかった彼女が死んで、どうして父が生きているのか・・・

父が死んでしまうことはやっぱり娘としてさみしい・・・

でも、父は長い間、死と向き合い、覚悟を決めてきている。だからいつかあの世へ行っても何となく受け止まられる気がする。

でも彼女は・・・・・・

「千の風になって」を聞いて、また涙が出てきた。

彼女はきっと、そうきっと子どもたちをいつまでもいつまでも見守っているに違いないと・・・

子どものことを第一に考えてきた彼女が死に切れるわけがない!!

私はこれから何をすればいいのか・・・

今まだだっていろいろしてきたじゃない!!って心で思うんだけど・・・

でも、生きてるからできることなんだって思う。

涙が止まることはないけど、前え進もうと思う。
息子と二人で漢検3級にチャレンジ(^_-)-☆ [2013年10月28日(Mon)]
10月27日(日)に行われた漢検3級に中2の息子と一緒にチャレンジしてきました。
漢検3級は中学校卒業程度の漢字ができていれば合格と言うことで、学校に行っていない息子もこれに合格すれば中3の漢字の実力があるわけなんですが・・・どうだったでしょうか?

私はと言うと、結局まったく勉強できない状態でチャレンジしてしまいました!!

でも、結構できたんです(^O^)/

もしかして合格?!・・・

勉強しなかったいいわけとしては・・・

勉強しなくても、いろいろな本を読み、いろいろな経験をしたことが実を言うと漢字の実力にも繋がっているのではないかと思ったわけですが・・・(^_^;)

とにかく、中学へ行かない選択をした息子の可能性を引き出す方法を模索しつつこれからもいろいろなことにチャレンジしていこうと思っています。
地区運動会に敬老会、バザーに秋祭り・・・ 子ども会役員は忙しい(^_^;)でも・・・ [2013年09月16日(Mon)]
一番下の子が小学校6年生なので、今年で我が家も小学校の関わりは終わりになる。

かれこれ16年間いろいろな小学校(愛知、静岡、高知、愛媛)に関われせていただいて思うことは・・・

松山は地域行事が多い!!だからお母さんが忙しい!!

ということだ。

だったら役員とか子ども会とかに関わらなかったらいいんだけど、それほど嫌いでもないから今までいろいろな役をさせてもらった。よそ者がその地域の仲間と打ち解けることはかなり難しいけど、こうした役を引き受けると、少しは自分のことが理解してもらえるし、どこかで会った時もあいさつしてもらえるのはやっぱりうれしい。

それでも、中には地域に打ち解けることができず、地域内で母子孤立してしまうケースも増えてきている。そして母はヒステリックになったり、虐待に走ったり、うつ病を発症したりというケースも見てきた。

だからと言って、地域との交流がちゃんとできるからうつにならないというわけでもない。地域の人と仲良く関わっているようで、めちゃくちゃ気を使っている母親も多い。KY(空気読めない)人は裏で陰口を言われることがある。そうならない為に、そしてその仲間とずっといたい為に、自分が思っていることを我慢し相手に合わせる。そのストレスが見えない形で増幅すると、何らかの症状があらわれてくる。

自分自身が生きる意味、子育てに対するポリシーを持って、誰に何を言われようとドシ〜ンと構えて家庭と子どもたちを守る肝っ玉母ちゃん的母親は少なくなってきている。

元モーニング娘の辻ちゃんやモデル出身で子育て頑張っている女性が最近はよくテレビや雑誌に出てきているが、そうした子育てを目指している女性が増えてきているようにも思う。

服も爪も髪の毛もすべてバッチリ決めて、その上ヒールをはいて公園で子どもと遊ぶ母親??

時代と言えば時代だけど、なんだか変?私はいつもそう思ってしまう。


で、結局何が言いたいかと言うと、そんな恰好してても、変わった考え持っててもいいんだけど、それから地域に行事がいっぱいあったって私は良いと思ってるんだけど、とにかく楽しく元気に地域で子育てしたいわけなんです!!

「やらされてる!」とか「あの人が悪い!」とか「学校が何にもしない!」とか「行政はこうだからダメ!」って思うことはあるけど、自分が今できること、目の前の子どもたちがどうしたら元気になって、この地域が明るくなるのか!!

たぶん一歩一歩良くなると思うんですよね(^O^)/

ガンジーもこう言ってます。
善きことは カタツムリの速度で動く。


焦りは禁物!!

これからもじっくり行きまっしょい(^O^)/


娘に「良子さんって「リアジュウ」だね!」って言われたんですが・・・ [2013年06月17日(Mon)]
娘に「良子さんって「リアジュウ」だね!」って言われたんですが・・・

皆さんはこの意味分かりますか?

私は最初全く意味がわからなくて、怪獣の名前かな?って思ったんですが、違うみたいで、どういう意味なのか、娘に聞いてみたんですが・・・

「リア充」=リアル世界(現実世界)で人生が充実している人のことだそうです。

ネットで調べたら(ニコニコ大百科にて)
リア充とは、リアル(現実の世界)が充実している状態、またはその様な人物を指す2ちゃんねる発祥のネット用語である。近年のニコニコ動画内ではもっぱら恋人が居る者を指すことが多い。
2ちゃんねるの「大学生活板」が発祥。当初は、インターネット上のコミュニティに入り浸っている人々が、現実生活が充実していないことを自虐的に表現する為に使われていた。
しかし、従来のネット文化に触れていない、携帯電話を介したネット利用者の流入につれ、彼らの恋愛や仕事の充実ぶりに対する妬みとして使われることが多くなった。



私たちの世代からしてみたら、現実世界で幸せになるって普通のことでしょ!それ以外のどこに幸せを求めるのか?って思ったわけなんですが、今の若者たちは空想世界(ネット世界)で満足している人(しかたがなくってことかな?)が多いということみたいです。

現に自分の娘も息子もそんな気配があるし、今の子どもたちは多かれ少なかれそうした世界で幸せ感じるような遊びをしているわけだから仕方がないのかも?

良いこととは思えないけど、これほどまでにネットやゲーム、映像技術が発達してきていて、それに触れずに子育てするのはまず不可能だし、反対に子どもたちを完全隔離して子育てすることが良いとも思えないし・・・。

子育てがますます難しくなってきているような気がする(>_<)

どうしたらいいのか私にはわからないけど、でもやっぱり「ネット充」は心がさみしくなると思うから、「リア充」を求めて生きる方ほうがいいんだよ!ということを子どもたちに伝えていこうと思う。
神奈川県鎌倉市で自主保育なかよし会の創始者相川さんのお話を聞いてきました。 [2013年03月18日(Mon)]
今から28年前・・・

1985年神奈川県鎌倉市

子どもたち、親たちの仲間づくりをしよう、豊かな鎌倉の自然のなかで思いっきり遊ばせようという趣旨のもと始まった会が青空自主保育なかよし会です。

鎌倉中央公園を含む山崎の谷戸を中心に野外で活動しています。潮の香り、土の匂いを全身で感じながら、いきいきと遊ぶ子どもたちと一緒に鎌倉の四季を楽しんでいるそうです。
青空自主保育なかよし会の一日.gif

1歳でも自分のことは自分で、友達のことを思いやる心を自然に兼ね備え、お母さんが恋しいあまりに涙を流しながらも仲間に負けまいとしながら必死でがんばる子どもたちの姿に感銘を受け・・・

こんな子どもたちを守り育てている保育者ってどんな人なんだろう?
おのずと好奇心がわき・・・

自分だって子どもを4人育て、保育所をやって、それから冒険遊び場を通じて地域のいろいろな子どもたちと関わり続けてきたけれど、それでも悩みが尽きないのはなぜと思い・・・

今回上映された映画「さぁのはらへいこう」で保育士をし、自主保育なかよし会の創始者でもある相川明子さんにお話しを聞く機会をいただき、そんな悩みの一つ一つを答えていただけたような気がした。

答えといっても、こんな保育があったらいいな〜という領域はおそらく超えていて、やはりこれは実際に体験しながら悩み、工夫し、その場その場の対応能力を身につけながらもやはり大きな壁を乗り越えられない自分自身に対するヒントだったのかもしれない。

いつになっても子どもとの関わりには悩みは尽きないのかもしれないし、自然という過酷な現場での保育には想像を絶する問題はおのずと出てきて当然なんだけど、それでも昔の人はそれに対する様々な能力を身につけ子育てしていたんだと最近つくづく感心させられる。

戦後のバブル期に育った私たちはそんな子ども時代(自然の中で育つ)をおくった経験を持つ人が少ないせいかもしれないが、そんなノウハウが体に染みついていないから、「危ない」ことは「禁止事項」というもので子どもを守るようになってきたのかもしれない。

しかし、自然と共存しながらしか生きられない人間という生物の危機的時代が今、とうとうやってきている予感的なものを感じるから若者が動き出しているのではないだろうか?

まぁ〜いろいろ考えるわけですが・・・答えはないけど、相川さんはやっぱり凄いと思う。

今回、このイベントを主催してくれた「みまき自然の学校」の主催者黒川君に感謝です(#^.^#)

宇和島市津島でこんなすごい人物が活動始めていることだけでも愛媛はこれからすごくなる予感がしますね〜(#^.^#)

応援していますグッド(上向き矢印)!!



「泣くな、はらちゃん」に出てくる「私の世界」という歌 [2013年02月15日(Fri)]
日本テレビ系で毎週土曜夜9時に放送されている「泣くな、はらちゃん」の中に出てくる歌、「私の世界」に久々にはまってしまった。

歌の歌詞は・・・

                      

世界中の敵に降参さ、戦う意思はない
世界中の人の幸せを 祈ります

世界中の誰の邪魔もしません 静かにしてます
世界中の小さな場所だけ あればいい

おかしいですか 人はそれぞれ
違うのでしょ でしょ でしょ?

だからお願い かかわらないで
そっとしといてくださいな

だからお願い かかわらないで
私のことは、ほっといて

泣くな、はらちゃん.jpg
                        

「マイナス思考の歌だよな〜」と思うんだけど、ついつい口ずさんでしまう。
そんな私を見て娘が一言・・・
「良子さん戦ってるやん!」

確かになんだか日々戦ってるような自分の生活ぶりとは裏腹の歌に共感している自分がおかしかったりする。

それでも、心に突き刺さるものがあるから歌ってしまうんだとも思う。

人間ってそんなに強いものじゃない。
それにやっぱり戦うのはしんどいし、私自身好きで戦ってるわけでもない気がする。

「いつでも降参します。」という意思はあるし、誰かがやってくれるんだったらそれで私は文句はないのだけれど・・・。

ほっといてほしいと思うこともあるし、静かに本を読んで過ごしたい時だってある。

ただやっぱりそうはいかない。
「なんとかしないと!」ってことが、私のまわりで起きていて、日本中で起きていて、世界中で起きている。無視したらいいのだろうけど、みんなが無視してたら世の中ますます悪くなることは間違いないわけで・・・。

それでも、ほっといたら、私自身の気持ちはもっと楽になりそうなんだけど、結構苦しい自分がいたりする。

人間は「がんばる」面と「がんばらない」面が誰にだってあるんだと思う。
「がんばる」ことばっかりしていても人生息詰まてしまうだろうし、「がんばらない」ばかりだとなんで生きてるのかわからなくなってくるんじゃないだろうか。

やっぱり、バランスが大切なのかもしれない。
人それぞれ「がんばれる」バロメーターは違うだろうから、それは人にとやかく言われて決めるのではなく、自分自身で判断できることが良いんじゃないかと思う。

自分の「がんばれる」のバロメーター機能を正常に保ちながら生きるためには、人生経験がやっぱり大切なのかもしれない。

子どもの頃からのさまざまな経験、それからちょっと背伸びして頑張る経験をいろいろな分野でチャレンジしていくことで、基準となる「がんばれる」の値が高くなっていくのかもしれない。

そして、「がんばらない」自分もそれと同時に認めていくことは大切なんじゃないだろうか。

今日の夜も「泣くな、はらちゃん」をがんばらないで見るとするか(^_-)-☆



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