母の人生から見えてきたこと
[2014年05月29日(Thu)]
最近ショックなことがあった。
名古屋に住む母が長年患っている手足のしびれと不眠の原因が自立神経失調症だということに・・・。
「まさか、私の母が!?」という思いと、「やっぱりそうだったんだ!」という交わらない二つの思いが重なった。
健康の為、毎日電動自転車で2kmほど離れたスーパー銭湯へ行き2時間お風呂に入る。そこで友人とコミュニケーションを取りストレス発散。家に帰れば、野菜中心のヘルシー食を心掛け、夕食は5時頃に済ませる。煙草も吸わないし、お酒もたしなむ程度。父が亡くなり、ちょっとさみしい生活にはなっただろうけど、それでも見た目は74歳には見えない。友人とも姉妹ともいつも元気にしゃべる様子に精神疾患を思わせるところはどこにもない。
そんな母が体調を崩して早10年近くになろうとしている。どの病院に行っても、針、灸、整体師など様々な所へ通っても、原因がつかめなかった。
最近になって、良い整形外科があると友人に教えてもらい早速通院すると「自律神経失調症」と病名が告げられた。まさかと思いつつ「安定剤」をもらい、寝る前には「睡眠薬」を処方してもらうと、症状が改善したとのこと。
どうして母が精神疾患になったのか、考えていると思い当たることが長い母との関わりの中から見えてきた。
私の母は3男6女の下から2番目として戦中戦後食べるものもなく、そして実の母父に愛される経験もほとんどなく必死で生きてきた。実の父がしていた宗教の為に、父亡きあとは長男と長女と実母が御勤めを始め、家族を養うのは中学も出ていない二人の姉。その後私の母が就職し、4人の姉が嫁に出る時の豪華な嫁入り道具(名古屋の嫁入りは豪華なので)を買うために、母のお給料はすべて持って行かれた。残ったお金もすべてお布施としてなくなる日々。そんな生活から逃れるために、母はひとり大阪へ行き、父と出会い一銭のお金もなく、財産もない父と結婚。私を育てるために、小さなお店で飯屋を始め、それをうどん屋にして、それでもなかなか食べていけないから必死で仕事をして生きてきた人である。私が子どもの頃は外食はほとんどしたことがなく、服は全て母が端切れの布で作ってくれた。贅沢をしたことがないから贅沢の仕方を知らない。我慢ばかりしてきたから、いつでも我慢してしまう。腹が立つような悔しい思いもすべて押し殺して生きてきた。
「言いたいことがあったらちゃんと相手に話せばストレス貯めずに済むんじゃないの!」
「付き合ってて腹が立つようなことばかり言う人とは付き合わなかったらいいのに!」
「今は少し余裕があるから、買いたいもの買って、食べたいもの食べてのんびり過ごせばいいんじゃないの。」といろいろ言うけれど、母の体に染み込んだ人生のしがらみを私がどうこうできるわけもなく。
結局、母の今までの苦悩の日々の物語を、子どもの頃から聞かされてきて、そして今も実家に帰るたびに聞いているのだけれど、母の心の闇はまだまだ深いのだと感じている。
生きている間にもう少しこの闇が晴れることを信じ、母の幸せを祈っていこうと思ってる。
でも、そんな母の人生から見えてくるものもあるのだと最近感じている。
それは幼少期の経験が人生に大きな影響を及ぼしているということである。
子どもの頃のつらい経験を脱する為に、必死で生きてきたにも関わらず、今も苦しんでいる母を見ていると、やはり幼少期の親の愛、信頼する大人との関わりが人生に及ぼす影響の大きさを感じずにはいられない。元気そうに見えても長い人生ずっと苦しんできたんだと思う。
今の子どもたちが少しでもそうした辛い経験をせずに、未来に希望を持って生きて行ってくれることをこれからも願っていこうと思う。
名古屋に住む母が長年患っている手足のしびれと不眠の原因が自立神経失調症だということに・・・。
「まさか、私の母が!?」という思いと、「やっぱりそうだったんだ!」という交わらない二つの思いが重なった。
健康の為、毎日電動自転車で2kmほど離れたスーパー銭湯へ行き2時間お風呂に入る。そこで友人とコミュニケーションを取りストレス発散。家に帰れば、野菜中心のヘルシー食を心掛け、夕食は5時頃に済ませる。煙草も吸わないし、お酒もたしなむ程度。父が亡くなり、ちょっとさみしい生活にはなっただろうけど、それでも見た目は74歳には見えない。友人とも姉妹ともいつも元気にしゃべる様子に精神疾患を思わせるところはどこにもない。
そんな母が体調を崩して早10年近くになろうとしている。どの病院に行っても、針、灸、整体師など様々な所へ通っても、原因がつかめなかった。
最近になって、良い整形外科があると友人に教えてもらい早速通院すると「自律神経失調症」と病名が告げられた。まさかと思いつつ「安定剤」をもらい、寝る前には「睡眠薬」を処方してもらうと、症状が改善したとのこと。
どうして母が精神疾患になったのか、考えていると思い当たることが長い母との関わりの中から見えてきた。
私の母は3男6女の下から2番目として戦中戦後食べるものもなく、そして実の母父に愛される経験もほとんどなく必死で生きてきた。実の父がしていた宗教の為に、父亡きあとは長男と長女と実母が御勤めを始め、家族を養うのは中学も出ていない二人の姉。その後私の母が就職し、4人の姉が嫁に出る時の豪華な嫁入り道具(名古屋の嫁入りは豪華なので)を買うために、母のお給料はすべて持って行かれた。残ったお金もすべてお布施としてなくなる日々。そんな生活から逃れるために、母はひとり大阪へ行き、父と出会い一銭のお金もなく、財産もない父と結婚。私を育てるために、小さなお店で飯屋を始め、それをうどん屋にして、それでもなかなか食べていけないから必死で仕事をして生きてきた人である。私が子どもの頃は外食はほとんどしたことがなく、服は全て母が端切れの布で作ってくれた。贅沢をしたことがないから贅沢の仕方を知らない。我慢ばかりしてきたから、いつでも我慢してしまう。腹が立つような悔しい思いもすべて押し殺して生きてきた。
「言いたいことがあったらちゃんと相手に話せばストレス貯めずに済むんじゃないの!」
「付き合ってて腹が立つようなことばかり言う人とは付き合わなかったらいいのに!」
「今は少し余裕があるから、買いたいもの買って、食べたいもの食べてのんびり過ごせばいいんじゃないの。」といろいろ言うけれど、母の体に染み込んだ人生のしがらみを私がどうこうできるわけもなく。
結局、母の今までの苦悩の日々の物語を、子どもの頃から聞かされてきて、そして今も実家に帰るたびに聞いているのだけれど、母の心の闇はまだまだ深いのだと感じている。
生きている間にもう少しこの闇が晴れることを信じ、母の幸せを祈っていこうと思ってる。
でも、そんな母の人生から見えてくるものもあるのだと最近感じている。
それは幼少期の経験が人生に大きな影響を及ぼしているということである。
子どもの頃のつらい経験を脱する為に、必死で生きてきたにも関わらず、今も苦しんでいる母を見ていると、やはり幼少期の親の愛、信頼する大人との関わりが人生に及ぼす影響の大きさを感じずにはいられない。元気そうに見えても長い人生ずっと苦しんできたんだと思う。
今の子どもたちが少しでもそうした辛い経験をせずに、未来に希望を持って生きて行ってくれることをこれからも願っていこうと思う。
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