• もっと見る

自然と遊び、自然と生きる・・・私が思うこと

子育てと地域活動、そして松山での冒険遊び場活動を通して思うこと、感じることをそこはかとなく綴ります。


大王製紙の乱3 「叱られるのが嫌だった」 [2012年08月02日(Thu)]
日経新聞 H24.8.2

「ギャンブルに使ったとは父には言えませんでした」。7月18日、東京地裁104号法廷。大王製紙グループ7社から106億円を引き出した前会長の井川意高(48)は、会社法違反(特別背任)罪に問われた裁判で、絞り出すような声で話した。

 借金の事実が、父であり大王元顧問の井川高雄(74)に知れた2011年3月、意高は「外国為替証拠金(FX)取引や株で失敗した」と嘘をついた。叱られるのが嫌だったからだ。

意高は高雄の自慢の息子だった。愛媛で暮らした子ども時代は飛行機で東京の塾に通われ、そのかいあって東大に合格。卒業後、大王製紙に入り、26歳で常務、33歳で副社長、42歳で社長になった。米プロダクター・アンド・ギャンブル(P&G)から大人用オムツ「アテント」を買収するなど大きな決断も下した。

「一緒に会社を変えようと語り合ったのに・・・」。部下として意高と9年間一緒に働いた大王専務の阿達にとって意高は、世間に言われる「ダメ御曹司」ではなかった。

 意高は社員のボトムアップで物事を決める「普通の会社」を目指していた。気に入らなければ灰皿を投げ付けるワンマンの父親とは、正反対のやり方を目指したのだ。だが、結果が伴わない。意高が社長を務めた07年から11年、大王の業績は振るわず、リーマン・ショック後の10年度には182億円の最終赤字を計上。そのもどかしさから、ギャンブルにのめり込んだのかもしれない。

10年5月以降、意高はグループ会社から資金を引き出すようになった。国内で負けが続くとシンガポールやマカオに飛んだ。1年9カ月の間にカジノ目当てで65回も渡航した。もはや仕事どころではなかった。

それでも井川家の威光を背負う意高は社内で特別な存在だった。「これで会社にいられなくなるかもしれない」。粘着紙のグループ会社、エリエールテクセル(岐阜県可児市)の経理担当役員は11年9月、家族に漏らした。意高から求められるままに5億円以上を振り込んできたが、さすがにまずいと考え「次は断ろう」と決めた。それは退職と引き換えの覚悟だった。

大王のガバナンスはゆがんでいた。そのことに早くから気づいていたのは意高自身だ。社長時代、近しい人物にこう語っている。「井川家出身の社長は自分が最後。その後は再編に巻き込まれるでしょう」。父を超えられなかったプリンセスは、自らの愚かな行為で創業家の退出を早めてしまった。
コメント
プロフィール

山本良子さんの画像
リンク集
https://blog.canpan.info/yosiyosi/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/yosiyosi/index2_0.xml