CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

自然と遊び、自然と生きる・・・私が思うこと

子育てと地域活動、そして松山での冒険遊び場活動を通して思うこと、感じることをそこはかとなく綴ります。


「いじめの構造」著者 内藤朝雄 [2012年07月31日(Tue)]
いじめの構造.jpg

この本は、大学生の息子が2年前私の誕生日に贈ってくれた本である。
なぜ、誕生日に「いじめ」????

困惑する私に対し、彼は多くは語らなかった。

というか、深く考えずこの本を選んだのかもしれないが・・・(−−〆)

当時、私は冒険遊び場内でも、日々繰り返される「死ね」「うざい」「きもい」などのひどい言葉を遊びながら日常的に友達同士で使い、「いじめ」的遊びが日常化していることに、危機感を感じていた。この現象は日本全国どこでも起きうることで、小学校生活の中ではすでに「非日常」ではなくなっていることが恐くもあり、また未来に対する危機感すら感じていた。

私が思うに、彼はこうした私の心を読み取っていたのと、自分が子ども時代にも「いじめ」に関する嫌な思いをしたことがあって、あえて読んでほしかったのではないだろうか?

ともあれ、この本は大人の「いじめ」に関しても、子どもの「いじめ」に関しても、明確に的をついた考えを示している。


この本を読んで、そして今までの活動の中で私が思うことではあるが、日本の社会の中には「いじめ」が起きる構造がすでに出来上がっているのではないかと思う。大人社会からして、「いじめ」とまではいかなくても、ママ友関係で悩んだり、会社の中のパワハラで悩んだりしたことのある人は多いだろうし、子ども会やPTAなどの普通に地域にある関わりの中でも、閉塞感、孤立感を感じたり、空気を読まないと陰で悪口を言われてしまう状況に陥ったことのある経験を持った人の話をよく耳にする。

学校の中で毎日同じ30人の友達と過ごす狭い空間の中で、大人社会を映した子ども社会があったとしたら!!

常にママ友と陰口を言いあって日頃のストレスを発散しているグループの子どもたちは学校でも同じことをするのは当然のことだし、毎日家の中で親に「ばか」「しね」「どじ」と罵られながら育てられた子どもが学校で他の子どもたちに同じことをすることは止められないことである。

なぜか・・・それはどんな親だって子どもはお母さんお父さんが基本的に大好きで、お父さんお母さんが絶対だからである。親が悪いことをするなんて思ってないし、他の子どもに同じことをすると、ほかの子ども達も自分のように奴隷のようにしたがってくれることがその子のストレス発散になってるところもあるんだと思う。

でも、小学校時代にそんな地域の子ども達の行動や言動を見守りながらどうしていけないのかとか、「いじめ」の現場で真剣に怒ってくれる大人がいてくれたらずいぶん状況も変わるんだと思う。

地域にそうした子どもを見守る「あったかいまなざし」がなければ、中学校になると、その行動が一層エスカレートすることになるんだと思う。

6年間の遊び場活動の中で、そうした現場にいろいろ関わってきた。その地域の子ども達によい影響を及ぼしているという明確なデーターがあるわけではないが、地域における「いじめの構造」を崩す手段として「毎日、地域に、お兄さん、お姉さん、おじちゃん、おばちゃん、おじいちゃん、おばんちゃん、が“あったかいまなざし”で子どもを見守りながらのびのびと遊ぶことのできる冒険遊び場はやっぱり重要なんだ!」と思っている。

この本をくれた彼も、「きっと私の活動を支援してくれている」と信じ、またこの本を読み返そうと思う。

コメント
プロフィール

山本良子さんの画像
リンク集
https://blog.canpan.info/yosiyosi/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/yosiyosi/index2_0.xml