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自然と遊び、自然と生きる・・・私が思うこと

子育てと地域活動、そして松山での冒険遊び場活動を通して思うこと、感じることをそこはかとなく綴ります。


人間の基本 曽野綾子 [2012年06月25日(Mon)]
人間の基本ってなんだろう?
生きるってどんな事?
深く考えず、とりあえず本屋で手に取ったこの一冊・・・。
内容は極めて厳しいものだった。

恐るべきは、精神の貧困である。
人間の基本

戦争を潜り抜け、80年以上生きて、なおも精力的に執筆活動を続ける著者の厳しい言葉の一つ一つが身にしみる内容であった。

中でも子どもの社会環境、教育問題に関してはとても興味深いものがあった。

今の子どもたちが育つ環境は、甘ったるく、経験よりも机上での教育が重視され、問題が起きれば何でもルール決めをしてしまう。それでは人間の基本は育たない!!

どんな事でも自分からやってみること。失敗しても良い。そこから得られるものは大きい。そして今の教育で重視されている「個性」「認める」「自由に対する権利と義務」という考え方にもメスを入れている。

少しだけ本文を抜粋すると・・・

第2章 「乗り越える力」をつける教育より〜
アフリカや中近東、草原の遊牧民にとってナイフは人を刺すためではなく、布を裂いたり、薪になる木を作ったり、食料の肉をさばいたり、生きるための必需品です。私はアフリカに日本の若者を連れていくたびに、「男は常にナイフを持っているのが普通ですから、地上の旅がはじまったら必ず腰につけて下さい」と教えますが、日本の若者たちは軍用ナイフを、その時のために買わなくてはならないんです。砂漠の人たちが聞いたら、びっくりするでしょうね。ナイフをもたない男がいるのか、ということですから。

日本は、ナイフは喧嘩すると人を刺すから持ってはいけません、と教える社会です。小学生にナイフで鉛筆を削らせなくなり、校内で殺傷事件が起きてからますます厳しくなっている。けれど本当に誰かを殺そうと思ったら、突き落とすでも首を絞めるでも、ナイフなしでも殺せることでしょう。ナイフ一つ待たせられないのは、人間としての能力開発の欠如です。

私が考える教育とは、多少なりとも悪い情況を与えて、それを乗り越えていく能力をつけさせることですが、今は良い状況を与えるのが教育とされています。〜(中略)〜

悪い状況、もっと言えば修羅場を経験する意味というのは、肉体や筋肉と同じように精神に負担をかけることにもあるでしょう。そうでないと、人間として使いものになる強靭さが備わらないからです。それは政治の世界でも同じで、田中角栄がすばらしかったとはいいませんが、数々の修羅場と権力闘争をくぐり抜けてきた人と、単に成績優秀で政策に通じた人とでは、危機における能力が全く違ってきて当然だからです。

危機というのは、人間的なものもあれば物理的なものもあって本当にさまざまです。いずれにせよ何をどう乗り越え、あるいは回避していくのかは、感覚的につかむ必要があるのです。


興味のある人は是非一度読んでみて下さい(^o^)/
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