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自然と遊び、自然と生きる・・・私が思うこと

子育てと地域活動、そして松山での冒険遊び場活動を通して思うこと、感じることをそこはかとなく綴ります。


笑顔の値段? [2010年05月26日(Wed)]
お店の若い子が笑顔で対応することが当たり前になってきて、笑顔のないお店はやっぱり繁盛していない気がするのは私だけ?

セブンスターやフジのレジ打ちはみんな笑顔でお客も気分が良い。でもちょっと高い!

かたや安いのが売りの某スーパーはやたら元気がない気がする。レジ打ちの年齢は様々だが、若くてぴちぴちの女の子はあんまり働いていない。

時給の差なのか会社の信用の問題なのかわからないが、勤務している層のこの偏りはいったいなに?

お客としては笑顔の可愛い店員がいる方がうれしい!でも、働く側の観点から考えると、若くて笑顔の可愛い人は雇ってもらいやすくて、高い時給で待遇もよく働かせてもらえるから、なおさら「笑顔」だって出せる。

でも、ある程度年配になった女性や男の人は若い子のような笑顔はどうしても出せない。まして、生活が苦しければ苦しいほど笑顔は出せなくなるものである。

こんな働く環境にも格差を感じてしまうのは私だけだろうか?

年配になればいろいろな所にガタがくるから少し楽な仕事じゃないと務まらなくなってくる。しかし、社会はそんなに甘くない。どんなに年をとっていても、お金に見合った仕事を要求される。それができなければ辞めるように仕向けてくる会社もある。

マンションやビルの掃除婦をするのは年配のおばちゃんで、携帯電話の販売や接客、事務などで雇われるのはやっぱい若い女の子が多い!

そう考えると、昔マクドナルド店頭に掲げられていた「スマイル 0円」というのは違っているのではないだらうかと、最近よく思うことがある。

笑顔は人を癒してくれるし、元気にしてくれる。せっかくお金を出して何かを買うのなら、そんなお店の方が良いに決まっている。

関係ないかもしれないけれど、アイドルのAKB48なんかは、「かわいい笑顔」だけでお金を稼いでいることにはならないだろうか?「嵐」だって、かっこいい上に「笑顔」が良い!これが錦野あきらだったら、なぜか癒されない。

一昔前は、物が対価の対象であったものが、今は情報やサービスなどの無形のものの方が、実を言うとお金を生んでいるように思う。

遊び場の私たちのボランティにはこの話がつながらないと思うかもしれないが、実を言うと今の社会現象的な「無関心」を作り上げた大きな要因がここにあるのではないかと思っている。

子どもの笑顔は、本当に面白かったり、楽しかったりする時に自然に出るものでもちろん無償。

かたや大人はみんなで井戸端会議して本音トークで盛り上がり、家族のこと学校の事子どものことで楽しく話す時には自然と笑顔がこぼれてくるが、そんな笑顔よりも、社交辞令や会社での対応等で「作る笑顔」がどんどん増えてくる。

家族円満の為には母親の笑顔が何よりも大切だし、地域の人たちと交わすあいさつもやっぱり笑顔の方がお互い気持が良い。でもそれはちょっと作った笑顔だったりする。

結局大人になると子どもに比べ本当の笑顔を見せることがどんどん少なくなってくるように思う。

その上、最近は地域の中でも、笑顔で対応しない人が増えてきたように思う。初めて会う人でも、あいさつされたら、笑顔であいさつするのが常識だと思っていたが、最近は不審な顔をされることが多くなった。何度か会っていて、私のことを知っていても、私や私の活動などに無関心の人は笑顔を見せてはくれない。

笑顔を見せてくれるということは、お互いが信頼しているあかしでもある。

お店の店員が笑顔で接待するのは「このお店はお客様のことを考えた商品を取り揃えていますので安心して買ってください。」ということなのだと思う。

だとすると、地域の中でみんなが笑顔であいさつを交わすということは「お世話になります。」「こちらこそお世話になります。」「これからもよろしくお願いします。」「お互い協力していきましょう。」みたいな空気がある地域なんじゃないかと思うんだけど、そんな空気がどんどんなくなってきている。

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