CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2016年11月 | Main | 2017年01月»
プロフィール

早川理恵子博士さんの画像
早川理恵子博士
プロフィール
ブログ
<< 2016年12月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
Google

Web全体
このブログの中
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
ミクロネシアの移民問題 [2016年12月31日(Sat)]
imgres-1.jpg


この問題も、パラオの大統領選を追いながら気になっていて、FBにはあげていたがブログに書けなかった。2016年最後のブログ。

米国と自由連合協定を締結するミクロネシア3国から米国、特にグアム、ハワイ等への移民が問題となっており、改善されるどころか悪化の一途、というニュースである。


最初にミクロネシア地域で話題になったのが、グアムに移民していたミクロネシア連邦のチュック州出身者が強制送還された、というニュースである。今年の7月頃のニュースだ。

Migrant to be deported from Guam again   July 5, 2016
http://www.guampdn.com/story/news/2016/07/05/migrant-deported-guam-again/86695778/

重なる盗みの罪で米国連邦司法の判断が下され、二度と米国の地を踏む事ができなくなった、というニュース。確か、ミクロネシア連邦のクリスチャン大統領がグアムの対応に怒りを示していたのを記憶する。グアムの知事は、移民問題は連邦政府の管轄、と逃げるが、ミクロネシア連邦、特にチュック州からに移民にグアム政府は手を焼いている話は以前から聞いている。
ミクロネシア連邦としては、域内でのイメージが悪くなるだけでなく、凶悪犯を戻されたチュック州、若しくはミクロネシア連邦のどこかの州の負担が増える事になる。もしくは野放しにされて、市民への影響があるのかもしれない。パラオの例でわかるように小国の法執行機能には限界がある。


それから今日FBで回覧されていたMother Jonesというメディアの記事である。
こちらはハワイのミクロネシア移民、ホームレスの話である。


AMERICA'S REAL MIGRANT CRISIS IS THE ONE YOU'VE NEVER HEARD OF
An obscure 30-year-old treaty has landed thousands of Micronesians in poverty and homelessness in Hawaii. AARON WIENER DEC. 29, 2016 6:00 AM
http://www.motherjones.com/politics/2016/12/hawaii-micronesia-migration-homeless-climate-change

ミクロネシアから来た移民がアラモアナ公園などホームレスになっている話。これも数年前から話題に、ニュースになっていた。上の写真である。
人口1万人当たりのホームレスの数は,米国内でハワイが一位で49.3人。続いてニューヨーク、ネバダ州。米国の平均は18.5人だからハワイは3倍以上。
2003年には自由連合協定を締結するミクロネシア3国からハワイに移民している人口は7,297人であった。最新の統計では2万人に達しているであろう、とのこと。
もしかしたら連邦政府もハワイ州政府も統計をしていないのかもしれない。

大統領選でトランプ候補が移民問題をあげていたが、本当の移民の危機は米国本土から遠い西太平洋で起こっている、とのこ記事は訴える。
自由連合協定を締結するミクロネシアから米国への移民は自由だが、正式に移民した外国人が受けられるような社会保障制度は適用されない。しかし、自国での医療や教育の機会が限られており、仕方なくミクロネシアからハワイにやってくるのだ。

ハワイ州が、この自由連合協定締結国からの移民に支給する費用はうなぎ上りである。
2002年が32ミリオンドル、2008年101ミリオンドル、2014年163ミリオンドルだ。10年で5倍。

ネイティブハワイアンのホームレスは、ミクロネシアが米国から多くの支援をもらっている事を批判する。米国一般市民のミクロネシアへの印象は良いものではない。ビキニでの核実験の犠牲など、米国民はしらないのだ。即ち米国が負う、ミクロネシア諸国への責任を米国市民は認知していない。
そして、ハワイのホームレスの多くがミクロネシアの人々である、という一般に広まっている情報は噂でしかない、とこの記事は指摘する。

ミクロネシア移民の、またそのホームレスの問題だけではない。2023年に援助金が止まる自由連合協定自体についても、米国とミクロネシア諸国は真剣に協議する必要があるのだろうが、Esther Kia'aina内務省島嶼担当事務補佐官は次期トランプ政権は、投票権を持たないミクロネシアの、しかもハワイの一隅の問題に関心を示さないであろう、と悲観的コメントを述べている。



満州事変に対する欧米の認識の違い [2016年12月31日(Sat)]
Nimitz-JR-Lucky-Bag-1936-Page-317.jpg imgres-1.jpg

若き日のニミッツと東郷


『ニミッツの太平洋海戦史』(恒文社、昭和41年)に気になる記述があって、それを新渡戸と重ねてこの2日くらい考えている。

同書の一章は「日本の膨張期」というタイトルである。
その短い前文に書かれている事が新渡戸の亡くなる数年前の言動と重なるのである。
まずニミッツは日本の第二次世界大戦の道は1931年の満州事変に始まる、と認識している。
武力によってもたらされた(満州国の)承認を米国が拒否し条約を守ることを米国は日本に喚起したこと。
しかし欧州諸国が米国の立場を支持しなかったので日本が侵略を継続したこと。
日本のドイツとの防衛協定はソ連の脅威に対するものであったこと。(ここでニミッツは満州事変への理解を示しているように見える)


なぜ、欧州が、すなわちリットン卿が理解をしめした満州事変に米国は断固と拒否をしたのか?
これは新渡戸が指摘するように、宋美齢をはじめとする中国の米国におけるプロパガンダの成功、イエロージャーナリズム、レベルの低い米国人ミッショナリーの中国での暗躍(ミッショナリーではないがラティモアが目に浮かぶ)が背景にあるのか?
これも新渡戸の記述にあったことだが、国際連盟で日本の満州事変に理解を示した欧州と違って批難を明確に示したのが南米などの小国であったという。もしかしたら聯盟のメンバーでなかった米国の影響が、これら小国に及んでいたのかもしれない。

序文で、戦後は日米が連携し共産主義の脅威を防衛している、と書いたニミッツはアジア、中国における当時のソ連の脅威を書いている事も興味深い。コミンテルンや松本重治のお友達だったIPRの反日煽動家ラティモアは、中国を日本に渡す位であればソ連に任せたい、と思っていたのだ。

この米国のアジア、世界認識のいい加減さ!
プロパガンダに対する無防備な態度、弱者や小国に対する誤解、即ち帝国主義の単純な否定論者!
ここ数日、レーニンの政治的レトリックの餌食となった米国(そして日本も!)が垣間見えてきた。


『ニミッツの太平洋海戦史』、面白いのだが受験を間近に控え、どうも集中できない。
後一点だけ。
ニミッツは真珠湾攻撃以前のハワイでの防衛の弱さを指摘し、日本軍が旧式の戦艦を壊してくれたおかげで、新たな空母が建設できた事。それによって米海軍が強化された事を書いていて、これも興味深かった。やはり、真珠湾攻撃が世界最強の米軍を作ったのではないだろうか。
ニミッツ司令官が示した日米の和解 [2016年12月30日(Fri)]
15781220_1058587460934674_8030911211488408149_n.jpg


安倍総理のハワイ訪問。
真珠湾の慰霊は「和解」reconciliation という言葉に象徴されるようだ。

一昨日前、私は、ペリリュー戦を率いた米軍チェスター・ニミッツ司令官の"The Great Sea War"の和訳本『ニミッツの太平洋海戦史』(恒文社、昭和41年)を手にした。以前、なぜペリリューの戦いが行われたのかを軽く調べた事があり、英文にはない日本語版への序文が読みたかったからだ。

ペリリューの激戦 キングとニミッツの思惑
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/849


英文が出版されたのが1960年、日本語版にニミッツの序文が寄せられた日付が62年。即ちニミッツがこの本を書いたのは50年代後半であろう。序文を読むともうその時から日米の、少なくとの軍人による和解は開始されていたのである。

以下ニミッツの序文より
「(前略)日本は英国と同様に、その生存を輸入と輸出の能力に依存しているが、この能力は、物資輸送のために、また自国ならびに国際水準における正当な漁業のために、海上を妨害されないで自由に使用することができるかできないかにかかっている。」

マッカーサーがあの戦争は日本の自己防衛であった述べている、ということが正しいのであれば、その認識はニミッツにもあった。少なくとも米軍にはあった、ということであろう。

ニミッツは続ける。
「日本は、強力な海上力を持つことによって、あるいは、大きな海上力を有する強力な同盟国と手を堅く握ることによってのみ、その生存と繁栄を続けることができる。この冷厳な事実を、1941年12月8日に真珠湾で始まり、1945年9月2日に東京湾で終わった大海戦の結末から、日本人は力強い感銘をえたのである。」
そして日米は再び友人となり経済、軍事の両面で協力を強化している、と続く。
ニミッツは東郷平八郎を心底尊敬していたのである。東郷神社の再建を、戦後キャバレーとなった戦艦三笠を救ったのはニミッツ司令官である。

そしてこの本の訳者あとがきで初めて知ったのだが、ニミッツ司令官はペリリューの戦いを指揮しただけでなく、真珠湾攻撃で責任を取らされた米国太平洋艦隊司令長官キンメル提督の後任者となったのである。
じゃあ、もしやPACOMは?と思ってwikiを見ると、1942年4月にPACOMの起源を辿ることができる。即ちPACOMは日本の真珠湾攻撃が作ったのである。それを率いたのが南西太平洋を担当したマッカーサーと太平洋を担当したニミッツだった。(素人見当です。間違っているかもしれません)


今回の安倍総理の真珠湾訪問に関して、戦後初の首相の訪問という報道が揺れた。
50年代に3人の首相が既に訪れていたのである。日米の和解は50年代から始まっていたのだ。
1951年 吉田茂元首相
1956年 鳩山一郎元首相
1957年 岸信介元首相

なぜ、この事実を外務省は認識していなかったのか?
私は経験として外務省のハワイ軽視を知っている。
笹川太平洋島嶼国基金は、冷戦終結後に事業が開始した。
ある意味、米国の関心が薄れた太平洋、即ちハワイ、グアム、ミクロネシア地域、そして米国が得意とするメディアやICTなど情報関連の事業の穴埋めをするような形で開始したのである。私はほぼ毎年のようにハワイに出張していた。ハワイ大学、ビショップ博物館などが助成先だったのだ。
ハワイは東西センター、PACOMがあり、米国の太平洋政策の基点である。しかし日本政府、外務省はほとんど関心がないよう見えた。

一度その事を明確に確認した経験がある。
渡辺昭夫先生の依頼で国際問題研究所内にあるPECC太平洋委員会のテコ入れをお手伝いしている時に、石川薫という外務省官僚から「ハワイなど重要ではない。」と明言されたのだ。私はハワイ大学とPECCを結びつける可能性を探っていたのだ。
ハワイが重要でないならば、太平洋島嶼国はなおさら重要ではないのであろう。少なくとも外務省にとっては。
20年前程の話である。


真珠湾における日米の和解は既に50年代、少なくとも3人の日本の首相と2人の米軍司令官には確認されていた。
しかし、それ以降は薄れ、多分80年代、90年代には忘れられていたのかもしれない。
だから今回の安倍総理の和解を象徴する訪問は重要だったのだと、絶版になっている『ニミッツの太平洋海戦史』を読みながら考えた。
『昭和の精神史』竹山道雄著作集1福武書店昭和58年 [2016年12月29日(Thu)]
imgres-1.jpg imgres-2.jpg

竹山道雄とBert Röling


FBFの方から教えていただいた竹山道雄の『昭和の精神史』
ここに平泉澄の皇国史観を批判的且つ戦後の平泉の一貫した態度を評価している事が書かれている、ということであったので手にしたがその事は書いておらず、戦争になった背景と、竹山と東京裁判のレーリング判事の交流が書かれていた。

前回読んだ伊藤隆著『近衛新体制』同様複雑な内容で理解しきれない、がこれも印象に残った部分だけメモしておきたい。


<天皇によって「天皇制」を仆す>
血盟団事件、2.26。。 青年将校がやろうとしたのは天皇によって天皇制を仆すことであった。
竹山は前者を統帥権的性格とし、後者を機関説的性格として、天皇の二重性を指摘する。
青年将校が倒したかったのが機関説的性格の天皇制に存在した元老・重臣・政党・財閥・官僚・軍閥であるという。しかし、古代の刀を吊るした青年将校は処罰され、財閥、軍閥は強化される。ここら辺が複雑で今ひとつ理解できていない。が、なんとなく、わかる。

<主観をもった主体>
竹山は青年将校の心の動きを、人間の主観と社会科学で議論しようとしている、のだと思う。
演繹と帰納の議論ではなかろうか?
ともあれ竹山は『大隈伯昔日譚』を引いてきて、維新がある抗しがたい時代思潮の力であったこと。維新改革の原動力が九州の端から奥羽の辺に至る天下各地の青年書生の頭脳に煥発し、時勢に養われた事を紹介。竹山は歴史認識に人間の心、主体性が重要だと説く。
近衛上奏文にあったコミンテルンの仕業、のような議論も否定している。

<軍人の団体精神>
そこで、軍人の心の動きに話が展開。
国体の本義を、不満を抱える青年将校が手中に納め、天皇機関説を退ける事によって伊藤隆氏のいう「復古革新」が可能になる。「神懸かりの古代の言葉」で軍人は天皇を崇拝した。
竹山はルネサンスが古代ギリシアを、フランス革命がローマ風を模した事を引用し、「自分の表現様式をもっていない動向は、みずからに形をあたえようと」すると解説する。(96頁)
名前は出て来ないがここら辺が平泉澄と関連して来るのだろう。

<ローリング判事と竹山>
NHKで東京裁判のドラマをやっていた。ここで東京裁判の判事であったオランダのローリングと竹山の交流が描かれていたが、この『昭和の精神史』には本人の記述で、ドラマよりも詳細な、生々しい二人のやり取りが書かれている。
ローリング判事の意見書には竹山の言葉がそのまま引用されている、という。(123頁)
東京裁判を日本人は傍観していた訳ではないのだ。


戦後70年。スケープゴート探しはまだ続いているように思う。
コミンテルンの仕業、皇国史観の仕業、と片付けるとスッキリするが、そこで見失われるのは時勢の民衆や事件に関与した複雑な人間の心境であろうことを、此の本から学んだ。
柳田國男と国際聯盟委任統治委員会 [2016年12月28日(Wed)]
200px-Kunio_Yanagita.jpg


柳田國男が国際聯盟委任統治委員会委員であったことを昨年位に初めて知った。
しかも新渡戸のアレンジである。
しかも新渡戸とどうやら決裂したらしい。
柳田の郷土研究は新渡戸の地方(ヂカタ)の研究が基盤になっているのだ。
柳田は新渡戸の背中を見て歩いて来たのだ。


昨日年内最終日の図書館に駆け込んで柳田全集をめくってみた。
メモだけ。


まずは益田勝実氏編集の本にある「ジュネーブの思い出」だが、ここに多分益田氏の文章だと思うが前文が掲載されていて、柳田の国際聯盟行きが新渡戸の要望であった事が述べられている。この文章によるとジュネーブに入ったのが大正10年6月10日頃で、大正12年9月1日関東大地震の報をロンドンで聞いて帰国。そのまま戻らず。即ち柳田が国際聯盟に勤務したのが3年弱。

現代日本思想体系 29 柳田国男
編集 益田勝実、1967年 筑摩書房
353−360頁「ジュネーブの思い出 初期の委任統治委員会」
多分益田勝実氏による前文あり 
「貴族院書記官長を辞して、旅を続ける柳田へ、新しく創設された国際連盟の委任統治委員会委員就任の要請が届いた。聯盟事務次長新渡戸稲造のたっての願いだった。回想は1946年11月の『国際連合』創刊号掲載。」



次が最新版の全集だ。全集後半は年代ごとにまとめられている。25、26巻が柳田のジュネーブ時代のものである。目次のタイトルだけで関連しているであろう項目をリストアップした。

柳田國男全集 第25巻 大正5年〜大正10年 2000年 筑摩書房
First Meeting held on Tuesday, October 4th, 1921 at 10 am 495頁
Sixth Meeting held on October 7th 1921, at 10 am      496頁
Seventh Meeting held on October 7th, 1921, at 4 pm     496頁
柳田委任統治委員会委員ヨリ山川部長宛  497頁
委任統治委員会二関スル柳田委員ノ報告(大正10年12月15日午後二時より於大臣官邸) 500頁


柳田國男全集 第26巻 大正11年〜大正14年2000年 筑摩書房
大正11年3月
Dear Mr Rappard 11頁
国際聯盟の発達  13頁
将来のチョコレート 18頁
第35回同人小集記 21頁

大正11年8月
Second Meeting held on Tuesday, 1st, 1922, at 4 pm   31頁
Twelfth Meeting held on Tuesday, August, 8th, 1922, at 10:30 am 31頁
山川端夫様 私信 32頁

大正11年9月
9月20日午前ノ聯盟総会ニテ   44頁
此冬何方ニマイルニシテモ  48頁

大正12年7月
Second Meeting (Private) held at Geneva on Friday, July 20th, 1923, at 3.30pm 55頁
Sixth Meeting (Private) held at Geneva on Monday, Juy 23rd, 1923, at 3.30 pm 55頁
Seventh Meeting (Private) held at Geneva on Tuesday, July, 24th, 1923, at 10 am 56頁
Eighth Meeting (Private) held at Geneva on Tuesday, July, 24th, 1923, at 3.30 pm 57頁
Ninth Meeting (Private) held at Geneva on Wednesday, July, 25th, 1923, at 10 am 58頁
Tenth Meeting (Private) held at Geneva on Tuesday, July, 25th, 1923, at 3.30 pm 58頁
Eleventh Meeting (Private) held at Geneva on Thursday, July, 26th, 1923, at 10 am 59頁
Fourteens Meeting (Private) held at Geneva on Saturday, July, 28th, 1923, at 10 am 60頁
Sixteenth Meeting (Private) held at Geneva on Monday, July, 30th, 1923, at 10 am 60頁

大正12年8月
Twentieth Meeting (Private) held at Geneva on Wednesday, August, 1st, 1923, at 3.30 pm 61頁
Twenty-First Meeting (Private) held at Geneva on Tuesday, August, 2nd, 1923, at 10 am 62頁
Twenty-Fourth Meeting (Private) held at Geneva on Tuesday, August, 24th, 1923, at 3.30 pm 62頁
Twenty-Eighth Meeting (Private) held at Geneva on Friday, August, 3rd, 1923, at 3.30 pm 63頁
Thirty-Second Meeting (Private) held at Geneva on Tuesday, August, 9th, 1923, at 3.30 pm 64頁
The Welfare and Development of the Natives in Mandated Territories 64頁
拝啓 委任統治常設委員会ハ  82頁

大正12年9月
土人の為めに正義を  86頁

大正13年9月
土人保護の事業  199頁


昭和38年以降の文章。即ち戦争に突入する直前。ここにジュネーブ時代の日記がある。新渡戸の名前が時々出て来る。日記を細かく見ていけば、新渡戸との関係が多少見えて来るかもしれない。
それよりも昭和17年、戦争開始後の柳田のニューギニア植民説が興味深い。これはコピーを取ってきたので、別の項目で紹介したい。柳田も植民主義者だった。そりゃそうかも。新渡戸門下だったのだ。

柳田國男全集 第34巻 昭和38年〜昭和62年 2014年 筑摩書房
昭和38年7月
端西日記 9頁
大正11年日記 196頁
太平洋民族学の開創 松岡静雄 
 昭和17年5月23日 水交社における故松岡静雄氏追悼座談会記録 399頁
(ニューギニア植民、第二の日本にする、という話。面白い)




WCPFC - 太平洋島嶼国は遠洋漁業を知らない [2016年12月27日(Tue)]
昨晩あげたWCPFCに関する2つのニュースに多くのアクセスがあったので、これも確認のために書いておきたい。

ミクロネシアの海上保安事業を通して、太平洋島嶼国の水産業を知る機会を得た。
そこで改めて認識したのが、太平洋島嶼国は水産業を、遠洋漁業を自らやった事はないし、できないのである。太平洋で遠洋漁業を開拓したのは、日本人、いや沖縄の移民である。日本統治時代の話だ。ソテツ地獄の苦しみから逃れてきたのだ。彼等のパワーはすごかったのであろう。

第一次世界大戦で手にしたミクロネシアの島々。
秋山真之が、重光葵が、軍事・政治的利用価値しかない、と認識したミクロネシアの島々の周辺の広大な海域を開拓したのは沖縄の漁師であった。これは矢内原の南洋群島研究に詳しい。

島嶼国が歴史的、伝統的に遠洋漁業を行った記録を当方はまだ見た事がない。
その小さな人口を養うには沿岸漁業で十分であったのであろう。EEZ制定後初めて遠洋漁業の優先権が沿岸国に与えられたがその機会を活用するキャパは残念ながら島嶼国にはない。もし国内にその市場やそれを支える技術やインフラがあれば可能であろう。日本が供与した水産業用の大型冷蔵庫は度重なる停電などで故障してしまうし、修理のノウハウもないのだ。

そのような状況で、遠洋漁業の科学的数値を太平洋島嶼国が自ら入手し分析できるわけない。遠洋漁業のデータを研究する所などどこにもない。データとその分析結果を先進国の政府、NGOからもらうだけでしかない。
ましてや、そんな遠洋漁業を知らない国のオブザーバーがまともな監視や、法執行機関がまともな機能を果たせる訳がない。馬鹿にしているのではなく、島嶼国の人口規模や、水産業への関与の実態がそうさせている、という事である。繰り返すが、もし島嶼国内にその市場やそれを支える技術やインフラがあれば、即ち十分な人口があれば可能であろう。

FFA, WCPFC, PNAなど、島嶼国が主導権を握る水産資源管理機関があるが、彼等は遠洋漁業を、法施行を知らないのである。しかし、その数の力と「弱者の恐喝」という小国特有の行動形式(永井陽之介先生の本に詳しい)で、水産資源管理を間違った方向に持っていく可能性もあるのだ。
WCPFC - オブザーバーの安全確保 [2016年12月26日(Mon)]
WCPFC総会のニュースになっていたもう一件が、オブザーバーの件である。
オブザーバーと言っても会議のオブザーバーではなく、漁船に同船する島嶼国が派遣した監視員の事である。彼等が亡くなったり、行方不明になったりしているので、安全対策をWCPFCで合意しようとしたらしい。これに日本が、国内法との関係で当初賛成しなかったのが、非難轟々、とかの記事が出回っている。しかしこの日本の記事の情報源が怪しい。

会議に参加した真田康弘氏のツイッターは誰でも見れる。

真田康弘 ‏@Sanada_Yasuhiro Dec 12
WCPFCでクロマグロの件で風当り最悪なのに漁業監視員安全確保に関する決議案で「国内法と合わないから反対っす」と最後にちゃぶ台返しをしたことで「人命を何だと思ってる」と太平洋諸国をぶち切れさせ日本批判一色となったことに触れたNZ記事。
Complete failure of Fisheries Commission to save Pacific bluefin tuna
http://www.voxy.co.nz/business/5/270908


このツイッターに記された記事を読んだが日本が「最後にちゃぶ台返しをした」などとは一切書かれていない。最終的にテーブルの戻って合意した、とある。
当方の限られた知識では、船上の安全は旗国の責任かと思われるが、もしそうであれば国内法と照らし合わせるのは当然ではないだろうか?

それよりも、オブザーバーの安全を確保する事は当たり前だが、そのオブザーバー自身が監視能力、船上生活の規則を守れるのか、長期の船旅への健康管理ができるのか、の方が重要だと、当方は想像している。
私は、ミクロネシア連邦で展開された日本のカツオ漁船拿捕劇で、同国の外務大臣から1時間に渡って吊るし上げにあった経験があり、このオブザーバーの件に詳しくなった。
なぜか吊るし上げられたか?
空き缶を海洋投棄した、とオブザーバーが証言したことで同国の司法長官が日本漁船数隻を拿捕。何億円かの示談金を払わされた。この司法長官の暴行に同国政府は手を焼いていたのである。
それなのに、状況を正確に理解していなかった財団がこの司法長官を支援していた。何も知らされていなかった当方が実態を知る事になったのだ。
そして、この島嶼国から派遣される(と言っても、旅費から何からすべて日本の漁船会社もち)オブザーバーの実態を知る事となったのである。オブザーバーの中には見逃してやるから賄賂を渡せと言って来るのもいるそうだ。ここら辺は非公式な情報なので、情報源は書けません。


<参考ニュース記事>
Moves for better safety for fisheries observer run into trouble tuna commission
09 December 2016
http://www.solomonstarnews.com/news/business/11885-moves-for-better-safety-for-fisheries-observer-run-into-trouble-tuna-commission


PNA sees positive outcomes from WCPFC 13
Sunday, 11 December 2016
http://www.scoop.co.nz/stories/WO1612/S00068/pna-sees-positive-outcomes-from-wcpfc-13.htm

WCPFC - 違法漁船ベトナムのブルーボート [2016年12月26日(Mon)]
0c0fd3ce-b981-4197-a05f-3d9ab3037fe8.jpeg



12月5−9日、フィジーで開催されたWCPFC総会で議論され、ニュースに取り上げられていたのが、通称ブルーボートと呼ばれる、違法漁船である。
昨年、パラオ海洋警察が海上で爆破しニュースになった。(ニュースにしたのは以前紹介した英国人イエロージャーナリスト)

パラオ、ミクロネシア連邦だけでなく、パプアニューギニア、ニューカレドニアまで進出しているという。ソロモン諸島やバヌアツにも来ている可能性があるとFFAのMovick事務局長は指摘する。
ブルーボートはトランスポンダーも設置していないし、木製なのでレイダーにもかからない。監視が難しい漁船である。また拿捕しても島嶼国政府が違法操業者の面倒を見る必要があり費用負担が大きい。

会議に参加したベトナム代表は、違法操業を展開するブルーボートに関しては直接対応できないが、ホットラインを開設しする事を提案。島嶼国側は不満のようである。この問題が解決するまでベトナムのWCPFC加盟は棚上げ、との姿勢。


未登録の違法操業のブルーボート。これを燃やしても爆破しても、安い船なので、カエルの面になんとやら、の状況らしい。
そうか!これとは対称的なのが日本の登録してある漁船。
拿捕されたら、示談金としてすぐ億単位を出すし、漁師は自分たちの世話どころか、島嶼国の警察のご飯まで作ってあげるらしい。勿論日本の会社が直ぐに飛んできて対応する。
こうなると、一銭にもならない本当の違法操業は見逃して、金になって、しかも手間がかからない日本漁船が、空き缶一つ海に投捨てただけで狙われる、という話になるのだ。
これミクロネシア連邦で本当にあった話です。


<参照したニュース記事>

Blue boats – a new illegal fishing threat to Vanuatu
By Jonas Cullwick −
Denarau, Nadi, Fiji Dec 12, 2016
http://dailypost.vu/news/blue-boats-a-new-illegal-fishing-threat-to-vanuatu/article_51940ed4-79f9-589d-9a8f-e53a41682649.html


Blue boats a serious concern
LICE MOVONO
Thursday, December 08, 2016
http://www.fijitimes.com/story.aspx?id=381297


Illegal fishing by ‘blue boats’ criticized by PNA member at Tuna Commission
Denarau, Fiji 7 December 2016:
http://www.pnatuna.com/node/382


Vietnam Offers To Set Up Hotline To Address “Blue Boats” Fishing
December 8, 2016
Bernadette H. Carreon
http://www.pacificnote.com/single-post/2016/12/09/Vietnam-Offers-To-Set-Up-Hotline-To-Address-%E2%80%9CBlue-Boats%E2%80%9D-Fishing


Tuna Commission Urged To Address Influx of Vietnamese “Blue Boats”
December 6, 2016
Bernadette H. Carreon
http://www.pacificnote.com/single-post/2016/12/07/Tuna-Commission-Urged-To-Address-Influx-of-Vietnamese-%E2%80%9CBlue-Boats%E2%80%9D
『近衛新体制 ー 大政翼賛会への道』伊藤隆著 [2016年12月25日(Sun)]
私が近現代史を学ぼうと思ったのは、ミクロネシアと日本の関係を理解するには第一次世界大戦前後ははずせない、と今更のように反省した事と、2015年の天皇陛下のお言葉を知ったからである。

天皇陛下のご感想(新年に当たり)
「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。」

筒井清忠著『近衛文麿ー教養主義的ポピュリストの悲劇』は結構分量のある本だったが一気にのめり込んで読んだ。
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/1195

近衛が、新渡戸の一高の生徒であった事。近衛は新渡戸を尊敬し慕っていたようだが、新渡戸の近衛に対する評価はあまり高くなかった様子である事。逆に新渡戸の東大植民学の後継者となった矢内原を1937年に辞任に追いこんでいる事(矢内原事件)。さらに下記に再度引用するが鶴見俊輔氏の新渡戸評を知って、近衛文麿とその周辺の新渡戸門下が作り出した近現代史は興味があった。

「昭和時代の軍国主義の支配にたいして、かつて新渡戸門下であった官僚・政治家・実業家・教育者・学者たちのとった道は、偽装転向意識に支えられながら、なしくずしに軍国主義にたいしてゆずっていくという道をとった。偽装転向意識に支えられているということがかえってかれらの中に転向の自覚を生まず、この故に敗戦後におなじく転向意識なしになしくずしに民主主義に再転向することが可能となった。これら個人の転向・再転向は、日本の支配階級内部での強力な相互扶助、パースナルな親切のだしあいによって支えられてきた。」
参照 https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/1662

前置きが長くなったが『近衛新体制 ー 大政翼賛会への道』伊藤隆著(中公新書 昭和58年)を手に取ったのだが、全然わからない、理解できないまま、4日ほど持ち歩いた。
人物が沢山出て来て、彼等の詳細な言動が記され、一切頭に入らないのである。
それでも単細胞の当方の脳みそに焼き付いた点が3つだけある。これだけこのブログに書いておきたい。

ファシズムについて
伊藤氏は「ファシズム」という用語が 
1. 歴史分析のために必要な共通の最低限の定義づけをもっていないこと、
2.イデオロギーが絡み付いて歴史の新しい発見に役立たないこと、
3. 近年その内容は歴史的な現実から遊離して「悪」そのものとほとんど同義語と化していること
から用いないと断った上で(同書18頁)あとがきで(226頁)大政翼賛会を作った、近衛文麿、軍内の革新派、新官僚の多く、風見章、有馬頼寧、中野正剛、尾崎秀実、社会大衆党の多く、転向した共産党の多くがファシストのはずだが、多くの論者が彼等を必ずしも「ファシスト」とよんでいないのは一体どうしたわけであろう、と問いかけている。
笹川良一氏がこの翼賛選挙に反対して国会議員に当選した事はあまり語られていない。それなのにファシストと呼ばれている事と対象的だ。ここに上記の鶴見氏の新渡戸門下への批判が当てはまるように気が、する。

歴史叙述の視点
伊藤氏はファシズムという用語は使用しない代わりに、進歩(欧化)<ー>復古(反動)とう横軸に革新(破壊)<ー>漸進(現状維持) という縦軸を重ねる事を提案している。後者の軸は大正中期以降を説明する際に必要となる、と。そして大正中期以降に復古革新が膨張したとする。大正中期とは新渡戸がジュネーブで国際連盟設立に奔走していた時期、即ち日本不在中である。(同書17頁)

昭和研究会
近衛新体制が作られる背景に昭和研究会の事が取り上げられているのだが、創設者の名前に新渡戸が出て来る。しかも新渡戸の(できの悪い)生徒の後藤隆之介などと並べて、しかも新渡戸が亡くなった昭和8年の事として書かれている。(31頁)
これは新渡戸ファンとしては受け入れ難い記述である。伊藤隆先生を存じ上げませんがここだけは訂正していただきたい。新渡戸を知らない人が読めば、新渡戸が近衛新体制を支援した昭和研究会創設に関わっているように勘違いされるではないか。
確かに関わっているようなのだが、それは昭和研究会の前身である農村問題研究会である。

参考 昭和研究会の起源
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/1535


この本を読みながら、昔寝っころがって飛ばし読みした伊藤隆先生の笹川良一研究シリーズが読みたくなった。当時はチンプンカンプンだった。何も頭に残っていない。
笹川良一がなぜ国政に出る事になったのか。翼賛選挙をどのように批判し、当選後、この近衛新体制とどのように向き合ったのか。等々。
「悪」のイデオロギーが絡み付いた「ファシスト」と呼ばれるべき近衛を始めとする新渡戸門下生の一部がそう呼ばれずに、笹川良一がそのように呼ばれる事になった背景もわかるかもしれない。
アマルティア・センの学会に参加してー松浦氏からの回答 [2016年12月23日(Fri)]
今年9月に参加したアマルティア・センの学会で経験した事を下記に書いたところ、お名前をあげさせていただいた松蔭大学 松浦広明氏から下記のコメントいただいた。

アマルティア・センの学会に参加して
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/1666

「あっ、本人です。その節はすいません。「ケイパビリティ原理主義」は、どちらかと言うと、あの時、査読をしていたレビュアーのうち数人に対して言った言葉で、早川さんを指していた訳ではないのですが、確かにこういう事があったと神林さんに言ってしまったかもしれません。不快な思いをさせてすいません。

iPadが使える事それ自体がケイパビリティの拡大に結び付くかは、僕はやはりYesだと思います。ケイパビリティにもいろんな定義があるので、僕の知らないもっと狭い定義があるのかもしれませんが、一番、直感的な説明は、iPadの使用それ自体が直接、効用改善に結び付いている場合でしょうか。「ツールだからそれがケイパビリティの拡大に結びつかない」という状況を仮に作ってしまうと、効用は改善するけれどもケイパビリティは拡大しないという状況が出来てしまいます。そのような状況は、ケイパビリティにとってあまり望ましいPropertyではないのではないと言う説明なのですが、いかがでしょうか?」


この場をお借りしてコメントをいただきた事を、まずは感謝申し上げたい。その上で松浦氏の明らかな誤解を再度指摘させていただく。

当方が発表者に質問したのはiPadが使える事と、Capabilityがどのような関連があるのか?であった。これはICT4Dが陥る一番の落とし穴、即ち方法自体がが目的なってしまう例であるからだ。残念な事に発表者からは回答がなかった。しかし、発表者はモロッコの学生達は新しい学問を望んでいる、というような事をちらっと言っていた。iPadを使用する事で「新しい学問」にアクセスできるのであればそこにケイパビリティの議論の可能性があるだろう。どのような教育がされていて、それに生徒がどのような不満等を持っていて、何を勉強したいのか?等々。しかし発表者はその部分を議論しなかった。
当方は「ツールだからそれがケイパビリティの拡大に結びつかない」とは一言も言っていない。これは松浦氏の誤解でしかない。ICTというツールの使用をケイパビリティに結びつけることを当方が否定した事はない。当方の修論も博論もICTに関してである。松浦氏に参考のために書いておくと、当方はICT4D事業を学者としてではなく、実務者として20年以上担当してきた。そこで感じて来た事がICTそれ自体が開発の目的ではない、という事だ。しかし同時にICTの使用拡大自体が目的なってしまう例を山ほど見て来たのである。これは外山健太郎氏、沖縄憲章を草稿した外務省の冨田浩司氏、David Souterなどが強調している事でもある。

松浦氏からコメントをいただいた事を再度感謝すると共に、今一度センの議論に戻る事をご提案したい。




| 次へ