CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2015年12月 | Main | 2016年02月»
プロフィール

早川理恵子博士さんの画像
早川理恵子博士
プロフィール
ブログ
<< 2016年01月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
Google

Web全体
このブログの中
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
息子の死を願う親の心 [2016年01月31日(Sun)]
前回書いた伊根の話に昭和恐慌以降「330戸の伊根から120名の青年の戦死者が出た」という話を読んで、筒井清忠先生の下記講演内容が急に思い起こされた。
自分へのメモとして書いておきたい。
筒井先生の近現代史の視点で当方が好きなのが、戦争の責任を特定の政治指導者や軍隊に押し付ける傾向が強い中、筒井先生は顔の見えない「大衆」「民衆」そしてそれを煽るメディアの責任を問うている部分である。
ハンナ•アーレントの「全体主義の起源」を読みたくなった。


2014 年 5 月 22 日(木)17:00〜17:58
於:衆議院第二議員会館地下2階 民主党政調会議室
民主党オープンフォーラム「近現代史研究会」
講演 二・二六事件とその時代 ―危機的状況下の日本―
会議録より

「一つには、言うまでもないのですが、1929 年(昭和4年)の世界恐慌が日本を襲ってきて、不景気、デフレ、失業者が増加して、巨大な不況時代が起きたことです。これは末松太平という人の『私の昭和史』という、現在、中公文庫に上下2巻で入っている本に書いてありますが、実の父親が満州の前線にいる息子に、死んだら国からお金がおりるから、その金が欲しいから必ず死んで帰れ、と手紙を送ってくる。しばらくして小さい戦闘があると、その兵隊のみが死んでいる。またあちこちで戦死者の遺骨が帰ると、遺族たちが金欲しさにそれを営門の前で奪い合う。
こういうことで、全国の連隊では昭和維新の運動にシンパシーを感じる青年将校が増加してくるわけです。結局、こういう実家が悲惨な状況の部下に死んでくれという訓練や突撃の命令なんか出すことはできない、というのは青年将校のかなりの層の共通の悲願になってくるわけです。」


昭和恐慌は伊根も襲ったのではないだろうか?
120人の戦死者の遺骨は何戸の伊根の人々を救ったのであろうか?
筒井先生が引用した、上記の手紙は決して数通だったのではなかったのではないだろうか?
戦場の若い兵士は、自分が死ねば姉や妹が売られないで済む、そんな事を思ったのではないだろうか?
息子に必ず死んで帰って来い、と手紙を書いた父親はどんな気持ちで書いたのであろうか?
死を目の前にした貧しさ、というのは経験してみなければわからないのではないだろうか?

伊根の歴史に少し触れただけである。

『オキナワ論』ロバート・D・エルドリッヂ著 [2016年01月30日(Sat)]
ひさしぶりの沖縄訪問を控えロバート・D・エルドリッヂ博士の『オキナワ論』を読んだ。

2008年、ミクロネシアの海上保安事業を立ち上げ、本格的に太平洋の海洋安全保障を笹川太平洋島嶼国基金が、笹川平和財団がやる事になったが、財団として海洋問題を扱うのは初めての事であった。
羽生会長に海洋安全保障の研究会を開催する事を提案したのは自分である。
まずは財団が、自分が、海洋問題を、日米同盟を、学ばなければならない。
ミクロネシア諸国の安全保障となれば、米国、豪州の理解も得る必要があり、両国の安全保障関係者にも委員になっていただいた。米国沿岸警備隊もオブザーバー参加をした。

日本の委員で候補に上がったのがロバート・D・エルドリッヂ博士であった。しかし、2009年博士はちょうど米軍の職を得たところで、参加は難しいとの回答であった。
しかし、私はエルドリッヂ氏の博士論文『沖縄問題の起源―戦後日米関係における沖縄1945‐1952』を読む機会を得たのである。難しい本だが、ミクロネシアの安全保障を理解するのに最適の内容で一機に読み得た事を覚えている。

「天皇メッセージと『海上の道』」
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/463


ミクロネシアの安全保障と沖縄の安全保障は、戦後の米国の太平洋地域の政策として繋がっているのだ。
沖縄も、日本に返還されていなければ米国の信託統治を経て、自由連合協定を米国と締結し独立していた可能性がなきにしもあらず。しかし、日本からの補助金は得られず全く違った社会、即ち現在のミクロネシア諸国のように(米ドル、米国式の教育、etc.)なったかもしれない。

『オキナワ論』はエルドッヂ博士の熱い思いが詰まっている。
委員にはなっていただけなかったが、同じような思いで日米同盟を考えていらした事を知った。
笹川平和財団が、民間財団が米国の安全保障管理下にあるミクロネシアの海上保安に乗り出した事を一番喜んだのは米国なのである。
米国は日本を、この広い太平洋で必要としているのだ。
豪州の努力は尊敬するが、彼等にはそのキャパシティがない。

『オキナワ論』には沖縄メディアの批判が書かれている。
笹川太平洋島嶼国基金は、宮古島八重山諸島のジャーナリストと太平洋島嶼国のジャーナリストの交流を行っていた。グアムの知事やミクロネシアの政治指導者にインタビューした際、喉から手が出るほど米軍に来て欲しい、戻ってきて欲しい、と述べていた事がショックだったようだ。
それほど、軍隊は悪者、というイメージが沖縄の人々には、イヤ日本人一般に浸透しているのではなかろうか?
私もそうであったし、安全保障の事業を8年やって、防衛関係者を知る機会を得た今でも軍人に対する抵抗感がある事は否定しない。他方年間数千人の米軍兵士が自殺しているという事実を知った時、周りの家族の様子を想像し感覚が変わった事も事実だ。


エルドリッヂ博士は元々はJETプログラムで来日したという。
日米関係は軍事的な側面だけでなく、多様な関係がある。
ミクロネシアの支援体制を日米協力で構築する、というのも一つのアイデアではなかろうか?
昨年末、米軍が1952年から継続しているクリスマスドロップ(下記の記事参照)に、初めて日豪が参加したようである。
このクリスマスプレゼントを投下する離島との短波通信を可能にしたのは笹川太平洋島嶼国基金なのだ。そう、笹川太平洋島嶼国基金は、そして担当者の私は25年間、太平洋島嶼国支援を日米同盟と結びつけて行ってきたのである。

「グアム・アンダーセン基地で第64回「クリスマス・ドロップ作戦」開始式」
http://www.yokota.af.mil/shared/media/document/AFD-151207-032.pdf


伊根へ ー 漁村改革と満州事変 [2016年01月29日(Fri)]
Ine in Snow.jpg


♪ し あ わせに なーるために、 私たち 誓った ♪

中山美穂さんの歌声と美しい伊根の舟屋の風景がテレビに映ると、財団に行く時間だった。
なのでNHK朝ドラの「ええにょぼ」のストーリーは全く知らないのだが、伊根の風景だけは音楽と共に記憶に焼き付いている。

一昨年、旧海洋政策研究財団(現笹川平和財団)の大塚さんの御紹介で、若狭湾に面する小浜を地元の西野ひかるさんの案内で訪ねる機会をいただいてから、日本海側のイメージががらりと変わり、いつか若狭の隣、丹後も訪ねたいと思っていた。


初めての丹後は吹雪だった。
一時間に一本のバスを利用しようか思ったが雪の中待つのはつらいと思い、橋立からレンタカーをした。

伊根への海岸線道路は山と海に挟まれた狭い土地に漁村が点在する。

今も漁業は盛んだそうだが、高齢化、少子化の問題も。漁師の高齢化の問題もある。
伊根の舟屋を宿泊施設にして一棟貸しで運営する家も増えているようだ。
遊覧船乗り場で見つけた下記の本で少し勉強した。
1989年初版で2005年には5版が出ているロングセラー。

「舟屋 むかしいま ー 丹後•伊根浦の漁業小史」 
和久田幹生著 あまのはしだて出版 2005年第5版

伊根は全国的にもめずらし、網元のいない漁村とのこと。

「「網元のいない村」「全員が資本家で労働者」「社会主義的な村」などと言われ、多くの識者の研究対象となりました。
 伊根浦には近世初期から「鰤株制」がはじまり、有株者は田畑をもち、鰤・鯨・江豚・鮪(まぐろ)などを獲る権利をもち、村の役につき、「百姓」「役儀者」と言われました。一方無株者は、田畑はなく、小魚をとることしか許されず村の役にも一切つけず、「水呑」といわれ差別され続けてきました。この社会的・身分的差別が解消されるには、長い苦悩にみちたたたかいがありました。」

(同書、まえがき から)

伊根が共同体となった原因が満州事変の前後である事が興味深い。
戦争が日本の小さな漁村の社会構成を改革させたのである。
330戸の伊根から120名の青年の戦死者が出たという。残った老人が漁に出て伊根を守らなければならない状況の中で1939年、当時の村長が動き、今の共同体、即ち「網元のいない村」「全員が資本家で労働者」「社会主義的な村」が誕生したのだ。(同書 75−76頁)

伊根の現状は詳しく勉強していない。
しかし、1930年ごろと同じ状況、即ち漁師の老齢化の問題は、伊根の人々の意識改革を呼び覚ましているのではないだろうか、と想像した。
その一つが「観光」なのだろうが、あの狭い伊根の町に観光客が入って来る事の弊害も想像した。
車一台がやっと通れる狭い道路を運転していると、玄関からおじいさんが顔をだし、ジロッと睨まれた、ような気がした。
今度は、春か秋に訪ねたい。
『昭和史講義 ー 最新研究で見る戦争への道』筒井清忠編(ちくま新書2015年) [2016年01月28日(Thu)]
ネットや本に溢れる、近現代史の研究。
その様子を明確に指摘されたのが筒井清忠氏ではないか、と思う。
当方は民主党の近現代史研究会で筒井清忠氏の講演を聞く機会が一昨年あったが、同氏が編集し昨年出版された『昭和史講義 ー 最新研究で見る戦争への道』を手に取った。
ここにも繰り返されている。

「すなわち、2000年に入る前後から歴史認識をめぐる問題がかまびすしくなり、昭和史に対する関心が非常に高まるのに相前後して不正確な一般向けの昭和史本が横行し始めたのである。
 それらでは新しい研究の成果など全く追っていないので、過去の間違いがそのまま踏襲されていたり、俗説や伝承の類いがチェックもなく横行していたりしている。自分らに都合のいい心地よい昭和史を実証的根拠もなくそれらはもっともらしく語っているのである。それは専門の研究者から見ると民俗学の対象のように見える世界である。」(同書 8−9頁)

たしかにネットに溢れる近現代史の言説は、語り手の立ち場が見えて来る。即ち「自分らに都合のいい心地よい」言説だ。語り手のバックグラウンドを調べる事は重要なのである。また語り手が自分のバックグラウンドを語る事も重要なのである。即ち、どのようなバイアスがかかっているか、自己評価と外部評価が必要だ。

歴史の客観性と主観性について、カーの歴史理論を引いて来て語る能力は当方にないが、認識論を多少学べば、イヤ日本人であれば学ばなくても、老荘思想や、芥川龍之介の『藪の中』に触れていれば「認識」するとは何か、ある程度わかっているハズだと思う。
ちなみに以前も書いたが世界に評価された映画『羅生門』のストーリーは『藪の中』が中心で、亡くなったスティーブ•ジョブスも引用していた「羅生門効果」とはこの『藪の中』のストーリーを参考に理論化されている。
これについては別項で書きたい。自分の博論でも方法論で議論したので材料は揃っている。


ところで、『昭和史講義 ー 最新研究で見る戦争への道』は15名の博士号を持つ研究者が執筆している。実証的研究に基づいているのだろうが、各執筆者の立ち場がわからない。当方は歴史研究者ではないのでその内容を鵜呑みにするしかない。
筒井先生が指摘する「不正確な一般向けの昭和史本」と内容は違っていても、15名の博士の論説も、一つの「認識」でしかない、というのが当方の「認識」である。

images.jpeg

認識論について以前チラッと書きました。
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/547

マーシャル諸島に女性大統領誕生! [2016年01月27日(Wed)]
44歳最年少の大統領が今月選ばれ、すぐに不信任案を突きつけられたマーシャル諸島。
25日の議会では不信任案は可決されてしまった。

マーシャル諸島最年少大統領誕生
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/1377

やはり、マーシャル諸島の無血革命は難しいのか、と考えていた。
ところが、昨日26日替わりに選ばれたのが女性のHilda Heine博士。文部大臣など教育畑を歩んで来た方である。
議会の33議席中、24票を獲得。

太平洋島嶼国では2004年にニューカレドニアで初の女性大統領が誕生している。

Hilda Heine elected Marshalls president
http://www.radionz.co.nz/international/pacific-news/295053/hilda-heine-elected-marshalls-president


マーシャル諸島も母系社会。
もともと女は強いのであるが、社会の前面に出て来たのは最近の傾向かもしれない。
太平洋島嶼国とハンセン病 [2016年01月27日(Wed)]
日本財団が主催する 「グローバル・アピール」 ―ハンセン病について― 
が昨日から開催されている。
私は、作家高山文彦さんに会いたくて昨日の講演会に申し込んだが、娘が熱を出し、冒頭の基調講演だけ聞いて失礼した。

太平洋島嶼国とハンセン病のニュースは、時々現地の新聞にも取り上げられる。
現状はどうなっているのであろうか?
下記、昨年10月にキリバスを訪ねたJUMBOさんのブログから引用させていただく。

「WHO(世界保健機関)が定める公衆衛生上の問題としての制圧目標(人口1万に1人未満となること)は人口100万人以上の国を対象としているため、現時点で制圧を達成していない国はブラジルのみとなっているものの、キリバスは有病率が1万人に1人以上の国でもある。(中略)
ホテルに到着しマニエバ(Maneaba)というこの国特有の深い屋根の集会場で、WHOと保健省のハンセン病担当者エレイ女史から説明があった。
エレイ女史によると、キリバスの人口10万人に対して毎年100〜200名の新規患者が発見され、10月の時点で121人が治療中だという。患者は貧困層に多く、南タラワに集中しているもののそのほかの地域では患者が少ないわけではなく、発見できていないだけだという。たった3人のハンセン病担当者で広大な範囲を持つキリバスを管轄しており、特に人口密度の多い南タラワとアウターアイランドと呼ばれるメインの島の周りにある島をいかにフォローすることが課題となっている。」
https://blog.canpan.info/jumbo/archive/50

太平洋島嶼国は、その人口規模が小さい事と、また離島への支援が行き届いていない事等から、人口の多い国や先進国とまた違う状況が生まれるようだ。
以前、オリヴァー・サックス著『色のない島へ』を紹介させていただいた。
色盲の人々が多く住む離島の話だ。

https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/219


ハンセン病と同じく、太平洋島嶼国の問題はその存在自体が、気付かれない、忘られる、無視される、その事が問題なのである、と基調講演を聴きながらふと思った。
今担当している太平洋島嶼国の海洋問題も同様である、と思った。


なお、この「グローバル・アピール」 ―ハンセン病について― 
は今週様々な行事が予定されています。
下記の笹川陽平会長のブログにスケジュール等の詳細があります。
https://blog.canpan.info/sasakawa/archive/5246
アイランドポリティクスをなめたらアカン!ーその2 [2016年01月26日(Tue)]
勘を頼りに書いて来たパラオのポリティクス。
何やらその勘が間違っていなさそうで、怖い。

検察と司法大臣兼副大統領のニュースを以前お伝えした。
起訴を自ら取り下げた検察側(即ちテキサス州出身の悪徳弁護士か?)の動きが怪しい、と書いたが怪しいと思ったのはパラオ議会も同様であった。

昨日マリアナバラエティのニュースにあった。
議会はこの問題、即ち検察の動きを追求する構えのようだ。
即ち、レメンゲサウ大統領の周辺にも煙が?ということかもしれない。
テキサス州出身の悪徳弁護士に2度目のチャンスを、パラオで与えたのはレメンゲサウ大統領である。

Palau Senate unhappy with interim special prosecutor
25 Jan 2016
http://www.mvariety.com/regional-news/83271-palau-senate-unhappy-with-interim-special-prosecutor

このマリアナバラエティのニュースで当方が気になった点。
検察がベルス副大統領を起訴した理由が個人の銀行口座情報を取得しようとしたから、とあったが、ニュースには "non-government agencies" とある。
民間企業か、NGOか。しかも複数形。。PEWも入っている”かも”?


実はこの手の事件は、太平洋島嶼国の至ところにある。
本当はあまり触れたくないし、このブログに書きたくもない。
国際的犯罪組織が関わっていて、命の危険もある、と思う。
しかし、ある方から「パラオの事はアンタが一番知っているんだからちゃんと書け。」と言っていただいたので今回は敢えて書く事にしました。

永井陽之助先生流に言えば「小国は国際社会に影響を与えないという立ち場によって影響を与える。」のだ。(永井先生は国際政治学者で、青学時代にゼミに参加させていただた)
小さな島々が、ウィルソンの「民族の自決」という誰も定義できない概念(後藤新平もウィルソンをフルボッコしている)で「国家主権」を持つ可能性が出て来た時から、このような問題は世界で蠢いているのだ。
伊根へ ー 沿岸管理、地方創成、日本の歴史探訪 [2016年01月24日(Sun)]
雪の降る、伊根に行って来ました。
この本読んだらブログにアップします。

「舟屋 むかしいま ー 丹後•伊根浦の漁業小史」 
和久田幹生著 あまのはしだて出版 2005年第5版


地方創成支援、沿岸管理視察、日本歴史探訪が目的です。
決して、蟹料理、温泉が目当てではありません!
丹後は古墳、遺跡が山ほどあり、考古学者の愚夫も満足のようでした!

Ine.jpg
『中国と私』ラティモア(1992年 みすず書房) [2016年01月23日(Sat)]
IPR-太平洋問題調査会 が戦前反日に大きく振れた。
その要因の一人がオーウェン•ラティモアである。

images.jpg

ラティモアと蒋介石


評論家の江崎道郎氏から長尾龍一先生の本を紹介いただき、このブログに書いたが、ラティモアの晩年に磯野富士子という日本女性の存在があった事をウェッブで知り、彼女が『中国と私』というラティモアの自伝を編集している事を知った。
軽く読み流すつもりであったが、この1週間、後藤新平を放っておいて、没頭してしまった。

長尾先生の研究書と違い、本人の回想録である同書は一次資料として、またラティモアの人間形成を理解する上で非常に興味深い。
しかし読み進める内に、中国の事がわかっていないと全く理解できない事がわかって、悔しい思いをした。
それでも、近現代史を知る上で重要な本だと思う。


1.反日はどこから来るのか?
欧米諸国の「あの」徹底した反日は、パンダハンガーはどこから来るのか?
1933年(新渡戸がカナダで客死した年)IPRの編集長となったラティモアは徹底的な反日プロパガンダを展開する。この本にも自分で反日である、と明言している。
しかし興味深い事にその理由を、日本研究を全くしていない様子。
彼が根拠とするのは中国少数民族に対する対応が、日本軍よりソ連の方がすぐれている、という点だけだ。

そしてさらに興味深いのが彼の人格形成の過程である。
貧しく学歴もない両親は優秀な弟を大事にしたようだ。
ラティモアもそれなりに優秀だったようだが、奨学金が得られずオックスフォードに行けない。即ち学歴がない。(多分高校以前も卒業していないようである)。
米国人であるが生まれてすぐ中国に渡り、米国の習慣が身に付いていない。
中国ではラティモアはエリートの白人達に批判的で、その批判精神が向かったのは中国の人々、特に少数民族だ。当時中国語もモンゴル語も一切知らない白人知的エリートに反発し、ラティモアは僻地に出かけ、中国後、モンゴル語、そしてロシア語もマスターする。

それから理論を重視する学者を否定する。学歴なき野人の研究者は大学教授の職を得ているが理論には関心を示さなかったようだ。
同書の第二章のタイトルは「理論よりも事実」でIPRの活動を中心に書かれている。

この本だけを読むと、ラティモアの反日の起源は彼を生まれた時から取り囲んだ「差別」(金銭、学歴、出自etc.)。家族からも、米国からも、英国からも、そして中国の白人社会からものけ者にされた状況。
その反発として、白人知的エリートには理解できない即ち中国の少数民族を理解できるのは自分しかいない、と思い込み、その中国の少数民族を帝国主義的、軍事国家日本の「侵略」から守り、スターリンの協力を得る事が、少数民族の希望なのだ、と思ったようである。


2.IPRの反日プロパガンダに加担した日本人 ー 松本重治、松方三郎、浦松佐美太郎
IPRを反日一色したラティモアが日本の「三銃士」と讃えた日本人の名前が明記されている。
松本重治、松方三郎、浦松佐美太郎。 (同書42−43頁)
近衞ブレーンのメンバーでもある。
この本の中で忘れられない場面がある。ラティモア、近衞、岸の三者会談だ。アレンジをしたのはラティモアは松方であろう、と言っている。
その三者面談で、岸は北京と満州の間に鉄道を強化する必要がある事を述べ、それはわざわざラティモアに通訳される。そして近衛は岸の前でラティモアの意見を求める。ラティモアは以下のように述べる。

「そのためには、線路を引いたり新しい道路を建設する必要があり、多数の中国人労働者を徴用してシャベルやつるはしで作業に使うことになるでしょう。これは大東亜共栄圏を拡大する替わりに、日本の存在は共栄のためではなく帝国主義的目的のためだ、という中国人の感情を強化するでしょう。」(82−83頁)

これは明らかにやらせである。ラティモアをわざわざ日本に呼んだのもこの三銃士だったのではないか?

岸が帰った後、(当時総理である)近衛はラティモアに「どうもありがとう!」と言った、とある。


3.グラハム•ベルがラティモアと中国をつないだ。
実はこの本を開いて最初の2頁で、もう充分だと思った件がある。
ラティモアを中国に導いたのは、あの、電話の発明者グラハム•ベルなのである。
ベルの事はこのブログにも、自分の博論でも充分調べて書いたので、このたった2頁の記述から背景がグッと見えて、大きな衝撃を受けた。

「アレクサンダー・グラハム・ベルとろう教育」
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/115

ラティモアの父の姉が、ベルの聾唖教育の生徒で、中国の僻地に聾啞教育指導者として派遣されていたのだ。貧しく学校も卒業できなかったとあるから、姉の中国派遣もその費用は聾唖教育支援活動としてベルが、AT&T が出していた可能性がある。
わざわざ僻地に派遣された、ということは中国での電話ビジネスの可能性を背景としていたのかもしれない。
中国の少数民族を支援するラティモアのはずだが、この父親の姉の中国僻地での聾唖教育については一切触れられていないのも変である。


4.まとめ
話がとっ散らかってしまったが、このラティモアの自伝は中国の専門家が、近現代史の専門家が読めばもっと面白いのはないだろうか?
書評を探したが見つからない。長尾龍一先生が何か書いてるかもと期待したのだが、なさそうである。
少なくともラティモアの反日が、彼が日本を全く知らない、という事と、彼を取り巻く西洋社会の矛盾が原動になっている、という事は現代社会の反日を理解するのに参考になる、のではないだろうか?
茶道とアイルランド問題の一考察 [2016年01月22日(Fri)]
12373261_842121145911330_5433524921141950417_n.jpg


年末、親中と見られている豪州ターンブル首相は、中国より先に日本を訪ねた。
アボット前首相の来日の様子が未だ記憶に焼き付いており、ターンブル新首相を安倍総理はどのようにお迎えするのか興味津々だった。

FBやツイッターで流れたのは上記のお茶席の事である。
お招きしたのは市ヶ谷の裏千家。家のご近所だった。
安倍総理は「お茶席を共にするというのは特別な意味がある。」というなコメントをどこかでしていた。
そうなのだ。茶道というのは単にお茶を飲むだけではなく、李登輝氏が、新渡戸の『武士道』にあると指摘している様に「規範と政治的行為」「日常と非日常の美的世界の構築」と言った次元の行為である。いや、行為にしたのである。

矢内原忠雄のアイルランドの論文を読んでから、アイルランド問題に詳しくなってしまった。矢内原の論文は小論だが、そこに書いてある歴史を、西洋人はあまり知らない。アイルランド革命家、ロード•エドワード•フィッツジェラルドを祖先に持つ愚夫も知らなかった!

西洋人から「日本人は仰々しく、(たかが)お茶を飲む儀式があるんですねえ。」
というような発言に出くわすことがある。
茶道も素人だが、一見解として下記のような考察を披露している。
「みなさん。英国に茶道があればアイルランド問題はなかったかもしれないんですよ。
なぜアイルランドはイギリスに侵略され、差別され、搾取、奴隷化されたのでしょうか?
理由の一つに、欧州で繰り広げられる戦争の兵士を得るため、イギリス王が諸公に割り当てる土地が必要だったんですね。
日本にも戦国の時代がありました。日本も土地が狭い。諸公に割り当てる土地も限られている。
それで、織田信長というサムライの頭が茶道に価値を生みだしました。この茶碗は誰それの作、家宝にせよ。と土地の代わりに与えるものを創造したんです。(ここら辺は小室直樹さんの本を参考にしました。)」
これを英語でやるのだが、結構身を乗り出して聞いてもらえるのだ。


「茶道」が特別な世界である事は、日本に生まれたならなんとなくわかる。
何百年も続く歴史、家系にその価値観は支えられている。
「茶道」に一生を、命をかける生き方がある。
知日派のミラー豪州大使はご存知だろうがターンブル首相に伝わったであろうか?
| 次へ