CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2015年03月 | Main | 2015年05月»
プロフィール

早川理恵子博士さんの画像
早川理恵子博士
プロフィール
ブログ
<< 2015年04月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
Google

Web全体
このブログの中
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
ミクロネシアメイサーク台風災害と日本の支援 [2015年04月29日(Wed)]
2015年3月27日から4月2日にかけて、ミクロネシアのチューク州とヤップ州の離島を襲った台風メイサークの被害は日本で殆ど報道されていないと、聞いています。

大型サイクロンの被害を受けているバヌアツに比べ、出て来る情報が極めて少ないのですが、Facebookの方で少しずつ、継続して情報をアップしています。

ミクロネシア台風Maysak情報局
https://www.facebook.com/groups/355700391307393/




その中で気になったのが日本の支援。
浄水器55台 と ポリタンク870個

重要な支援とは思いますが、「地味」では?と余計な心配をしていました。
しかし、米国政府の支援物資が本格的に動く中で、それを運んでいるのが日本が供与した船であることを昨晩発見し、これは日本・ミクロネシア連邦の関係にとっても、また日米協力という視点からも重要なので,もっと大々的に広報してよいのではないかと思いこのブログにも書かせていただきます。

下記の写真は、在ミクロネシア連邦の米国大使館FBからです。
USAIDと書かれた支援物資の後ろに控えている船「Caroline Voyage 号」は1998年に日本のODA(約10億円)で供与されたものでした。

10933702_881705358567409_8699340566252443204_n.jpg


しかも、日本政府は供与しただけでなく、フォローアップもしています。
あまり書きたくありませんが、島嶼国では海外から供与された船舶のメンテが必ずしもしっかりできていません。だからこそ、日本財団が供与した監視艇は10年の燃料費とメンテ付きという画期的内容で、米豪に舌を巻かせました。

JICA donates over USD $500,000 in Materials to the FSM Government for the MS Caroline Voyager
http://www.fsmgov.org/press/pr10221a.htm



加えて、4月24日には、日本のODAで2隻目のミクロネシア連邦を結ぶ貨客船 MV Four Windsが寄贈され、ポナペでセレモニーが行われました。

Mariana Varietyにその記事があります。
坂井大使が「FSM憲法前文にある”人々を結びつける”という精神を、日本は、またこのMV Four Windsが支援したい。」と語っています。これは昨今のチューク州分離独立の動きを知っていると非常に意味の重いコメントです。

"Japan turns over sea vessel to FSM"
Mariana Variety 29 April 2015
http://www.mvariety.com/regional-news/76305-japan-turns-over-sea-vessel-to-fsm

11124558_10205611072810231_6738366481748710555_n.jpg
島と海のネット総会準備作業進む その2 [2015年04月28日(Tue)]
4月の国連防災会議に参加したキリバス共和国のトン大統領。
笹川会長に面談を申し込まれたのだそうだ。
それで、当方は羽生会長から緊急の指示をいただく羽目となった。

笹川会長とトン大統領の面談の内容は誰も教えてくれないので、キリバスの知り合いに聞いてみた。
「笹川会長の器の大きさにトン大統領始め一同感動しました。」
という返事をいただいた。笹川会長は何を話したのであろうか?
それにしても自分の親分が褒められるのを聞くのは、素直に嬉しい。


「島と海のネット総会」にはキリバス共和国大統領が参加される予定です。


それだけではない。バヌアツのレゲンバヌ大臣の参加も確実なった、と先日事務局から報告いただいた。

レゲンバヌ大臣、海底資源開発に関して太平洋島嶼国で始めての政策を策定している政治家である。しかも彼の父親は1988年の「太平洋島嶼会議」に教育大臣として参加したセシー・レゲンバヌ閣下。独立の志士の一人でもある。

笹川良一、笹川陽平両会長が作られてきた、太平洋島嶼国との絆を、繋ぎ、紡いでいく事が、当方の役割である事を、昨年笹川会長から言われ始めて気づいた。
なので、レゲンバヌ大臣とも連絡を継続し、昨年のサモアのSIDSでは寺島常務にご紹介させていただいたのだ。
改めて言うとパプアニューギニアの独立は笹川会長の支援なくては有り得なかったのである。(このことはソマレ閣下の自伝を読んで始めて知った。)

1988年、笹川平和財団主催の「太平洋島嶼会議」に参加した首脳の次世代が、今太平洋島嶼のリーダーとなりつつある。



IMG_0843-650x450.jpg


右がレゲンバヌ大臣、左がソマレ閣下のご令嬢でPacific Institute of Public Policyの副所長ドルシアナ・ソマレ女史。写真はPIPPから

島と海のネット総会準備作業進む [2015年04月27日(Mon)]
第7回太平洋島サミットのサイドイベントとして5月25-26日、東京大学伊藤国際謝恩ホールで「島と海のネット総会」が開催される。
昨年、サモアで開催されたSIDSで、姉妹組織だった海洋政策研究財団の事業をお手伝いした事がきっかけ。
この4月に当方が25年勤めさせていただいている笹川平和財団と海洋政策研究財団が統合した後の事業として、引き続き、お手伝いをさせていただく事になった。

詳細はコチラ
 https://blog.canpan.info/ionet-jpn/


日本政府主催の島サミットと笹川太平洋島嶼国基金の関係を改めて整理しておきたい。


<島サミットと笹川太平洋島嶼国基金>
そもそも1997年に日本政府が開催した島サミットの原型は1988年に笹川平和財団が開催した『太平洋島嶼会議』なのである。
戦後初の対太平洋島嶼政策「倉成ドクトリン」を受けて開催された会議で、倉成氏を議長にお迎えし、ソマレ閣下、カミセセ•マラ閣下、ツポウ皇太子(当時)等々、蒼々たる首脳が太平洋から集まった。しかも東京での会議の後これら首脳を北京にお連れしている。

1997年の島サミットの目玉支援事業USPNet。これも笹川太平洋島嶼国基金が仕込んだ案件である。1988年、マラ首相が笹川会長に衛星を打ち上げて欲しいと依頼したのがきっかけ。これが南太平洋大学のUSPNetになり、そして笹川会長の判断で日本のODA案件にした。

実はあまりパッとしなかった島サミットの流れを変えたのも笹川太平洋島嶼国基金なのである。
2000年の第2回島サミット控え、小渕総理から助言を求められた笹川会長が沖縄開催を提案。基金はメディアカバレッジの強化支援もした。

2003,2006,2009は島サミットの影の運営者である電事連が仕切ったというと怒られるであろうか?
この流れを変えたのが3.11の後の2012年の島サミットだ。
外務省大洋州課課長からの要請で、笹川会長、羽生会長、寺島常務、海野常務の了解を得て、海洋問題、米国の参加を提案した。
前回の島サミットではこれが全て入った。これでプルトニウム対策だった島サミットの流れが大きく変わったのである。

<第7回島サミットと海洋問題>
今回の島サミットでは、海洋問題がまた一歩踏み込んだ形で議案として取り上げられる。
この背景を作ってきたのも笹川太平洋島嶼国基金、そして日本財団なのである。
2008年から始まったミクロネシアの海上保安事業であり、もっと大きな視点からは、日本財団が過去40年に渡り行ってきた海上保安事業の国際的動きや、海洋基本法制定等々。
だから、今回笹川平和財団が海洋問題をテーマにしたサイドイベントを開催する事は、また一歩も二歩も日本政府の先を進める事になるのである。


以上、「島と海のネット」事業責任者の古川恵太博士に何度も説明しているのだが、どうも信用してもらえていなさそうなのでここに書かせていただきます。
で、どんな準備作業が進んでいるかは次回書きます。
もう一つタックスヘブンの話 [2015年04月25日(Sat)]
机の上に散らばったバヌアツのタックスヘブンに関する資料をファイルした後に色々考えて、やはり書いておくことにした。
即ち羽生会長に、そして多分このブログを読んでいただいている外務省の方々や関係者に伝えておくべきと思い、もう一つタックスヘブンの件を書きたい。


場所はパラオである。登場人物はナカムラ大統領と、今度は日本人のパチンコ屋さんである。
このパチンコ屋さん。租税回避の動きをミクロネシアの至る所で耳にしている。名前も聞いているが、参照するFossen博士のペーパーにはないので、ここにも書きません。

下記は以前も取り上げたTony Van Fossen博士のペーパーから。
"Offshore Gambling in Pacific Islands Tax Havens", Vol 26, No 3/4 (2003) , Pacific Studies
https://ojs.lib.byu.edu/spc/index.php/PacificStudies/article/view/10270



2000年のナカムラ政権で、コミュニティからの強い反対を押し切る形でインターネットギャンブルを可能にする法案が通過した。日本のオンラインパチンコとの独占契約がされた。
同年10月には前大統領のトリビオン氏が副会長となっているインターネットロタリー(バージン諸島)の運営会社とも独占契約が締結された。

数年後、当初約束された億単位の政府への収入は実現しなかったようだ。

さらに2001年にはアンガウル州で外国人向けのギャンブル施設設置の案が持ち上がり、16州中15州知事の指示を受け、政治問題として浮上する。

2000年の総選挙では、オンショア、オフショアに限らずギャンブルに反対する多くの市民の投票がこの法案を廃棄させる結果となった。この市民の後押しを受けギャンブル反対のキャンペーンで当選したのがレメンゲサウ大統領である。

昨年のカジノ法案が下院を通過し、上院で否決、そして大統領がサインしなかったのはこのような背景もある、と考えてよいのではないだろうか?


外貨収入が見込めない小島嶼国にとってタックスヘブンや、緩い法規制を背景としたギャンブル運営による収入、というのは一つも選択かもしれない。
が、問題は運営母体の怪しさである。これはボブホーク首相の例を見てもわかる通り、犯罪者の巣窟もしは中国の汚職金の逃避場所になる可能性は十分ある。しかもそれを規制、取締る法執行能力は小島嶼国にはない。反対に、マネロンやギャンブル運営者は強力な法律家をつけて「罪深き行い」を「完璧な合法活動」にする可能性が高い。



話はバヌアツに飛ぶが、サイクロン被害のあったバヌアツでは、中国人に約1,200万円でパスポートを販売する支援スキームが検討されているという。

"Vanuatu govt defends post-Pam passport scheme"
http://www.radionz.co.nz/international/pacific-news/272189/vanuatu-govt-defends-post-pam-passport-scheme
これを最後にしたいバヌアツのタックスヘブン [2015年04月24日(Fri)]
バヌアツのサイクロンがあって、偶然大統領が日本にいて、急遽日本の支援が検討されなければ、バヌアツの太平洋のタックスヘブンについて再度資料を読んで、しかもこのブログに書こうと思わなかったであろう。
それほど、重々しい、オドロオドロしい内容なのだ。
だからこれを最後にしたい。できれば。。

他方、このタックスヘブンの仕組みを知ると、海洋保護区の仕組みもわかってくる。
形ばかりの、ペーパー自然保護区。目的は租税回避。
また寺島常務から「転んでもただでは起きませんねえ」と褒めてもらえそうである。

「海洋保護区は新型投資金融商品? 」
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/1139


前置きが長くなりました。本題に入ります。

<「主権ビジネス」研究>
前回はタックスヘブンの歴史、父ちゃん母ちゃん投資家からロシアマフィアのマネロン,将又、ケインズ先生が知ったらお墓から出て来そうな、ブレトンウッズ体制の意外な展開について書かれたGreg Rawlings博士のペーパーをまとめさせていただいた。
今回は「主権ビジネス」研究といえば世界にこの人しかいない!という位のTony Van Fossen博士のペーパーをご紹介したい。

"Offshore Gambling in Pacific Islands Tax Havens", Vol 26, No 3/4 (2003) , Pacific Studies
https://ojs.lib.byu.edu/spc/index.php/PacificStudies/article/view/10270

タックスヘブンの制度ができれば、ブレトンウッズ体制下で逃げたいお金だけでなく、犯罪マネーの温床になるであろう事は、70年代、バヌアツに同システムが形成される中で、オーストラリア政府が懸念していた事である。

事実は全くその通りになってしまった。しかもオーストラリアの首相が主役の越境犯罪。
電話、ファックスで運営されていたタックスヘブンはインターネットの時代になって一機に加速し、未だ開発段階で障害は多くとも、誰もこの動きを止められないだろう、という事だ。



<オフショアギャンブル開始>

2012.03.03_BridgeSharif.jpg

太平洋、最初のオフショアギャンブルは1989年のバヌアツ。
前回ご紹介した「ドクトル・ジバコ」でおなじみの俳優オマール・シャリフを広告塔にして開始。シャリフさん、カード好きなのだそうだ。
ロッタリーで20MUSDが当たりますよ、という商品。客は米国と豪州。20ドルチケット6百万枚販売。
この賭けを運営した民営会社Great World Lotteryはバヌアツ政府に独占権を交渉したがうまく行かず、この太平洋初のオフィショアギャンブルも消滅しそうな気配であった。



<太平洋の犯罪組織と豪州首相>

この流れをドラマチックに変えたのが、太平洋で跋扈する犯者とその組織。そしてなんとボブ•ホーク豪州首相なのである。

images.jpeg


犯罪者その1 Tommy Carroll 豪州クイーンズランドでのみ屋を展開。1993年5月バヌアツ進出。
犯罪者その2 Christopher Chung タヒチ出身で売春其の他の犯罪暦。1993年8月バヌアツ進出。
犯罪者その3 Peter James Bartholomew 逮捕歴2回 VITAB設立。

この最後の犯罪者が設立したVITABとはVanuatu and Pacific Islands International Totalisator Agency Boardの事で、ボブホークが主要株主になっている。



<豪州のギャンブル事情>
話を進める前に、豪州のギャンブル事情を先に整理しておきたい。
といってもウィキで調べた程度です。
ギャンブル好きのオーストラリア人(当方の偏見カモ?)。競馬やラグビーが開催されると飲み屋で違法のみ屋が賭博をしていたらしい。
これを取締り、公営ギャンブルが始まったのが1960年代。
Totalisator Agency Boardが各州にでき、州政府の管轄、運営となった。
しかし、94年頃から民営化の動きも出てきた。バヌアツで展開されたオフショアギャンブルと同じ時期であるのは偶然か。。



<豪州のTABとバヌアツのTABが手を組んでオフショアギャンブル?マネロン?>
豪州の首都キャンベラ。Australian Capital Territory通称ACT。
元々他の州と比べ人口が少ないのに加え、住民は公務員や大学教授が多く、ギャンブル市場としては収入が見込めない。そこで、ボブホーク首相が人肌脱いで、キャンベラのTAB(ACTTAB)がVITABと契約しバヌアツでオフショアギャンブルを開始した。
顧客は豪州人ではなくアジア人をターゲットにしていますよ、と。即ち豪州に入るべきお金を外に逃がすのではなく、新たな顧客を得て収入を得ようとしているという合理性を強調していたらしい。
しかし、労働党ボブ・ホークの動きは自由党の攻撃によって、1994年には中止。
他方、ビクトリア州のTAB と組んでいた犯罪者その2がバヌアツで運営していたオフショアギャンブルは今度は労働党からの追求で’中止となった。リベンジか?

このオフショアギャンブルの中止によってACTTABはVITABに違約金3.3MAUDを払う事になったのであるが、この違約金を調査した弁護士が暴露したのが、このオフショアギャンブルで本当に儲っていた人々の存在である。
バヌアツ、バージン諸島のオフショア金融組織と、上記犯罪者3名である。そしてシラを切っているがボブホークもその一人であろう、と。
即ち、新たなアジアの顧客を、なんて真っ赤な嘘だったのだ。



<世界第二位のオフショアギャンブル国へ>
こんな取締も何の意味もないような展開を示す。
バヌアツのオフショアギャンブルは2000年には世界第二位まで上り詰める。年間の掛け金が525.6MAUDとなる。これは豪州最大のTABを持つニューサウスウェールズより大きい額だ。
ボブ•ホークも社名を変えたギャンブル会社の株主となって健在だ。

Fossen博士は、バヌアツのタックスヘブンと緩い法執行環境を背景に発展したオフショアギャンブルは、同国の大蔵大臣に大きな権限を与える事になった、と書いている。これが意味するところはタックスヘブに引き続き、オフショアギャンブルがバヌアツ政府の汚職体質を招いた、という事ではなかろうか?



<9.11とインターネットと鉱山産業と>
Fossen博士のペーパーはもっと複雑に話が展開されているのですが、なるべく簡素に簡単にまとめたいと思います。。

90年代後半、だと思います。金相場が暴落したらしい。同時にインターネットによる投資家マニアが誕生した。それで豪州の鉱山会社がスイスの銀行家Hans-Rudolf Moserと手を組んで、オンラインのアダルトショップとバヌアツでのオフショアギャンブル ー My Casino Ltd.に変身した、という話である。
My Casino Ltd. の顧客は豪州ではなく、アジアと北欧なんだそうであるが、これも証拠を掴むのは難しく、真相は闇の中。2000年の時点では世界で一番成功したオフショアギャンブルと言われた。
しかし、この状況を変えたのが9.11。金融界のレッセフェールを米国政府が、そして多分世界の先進国が規制し始めた。インターネットギャンブルと言えばクレジットカードなのだが、その決済ができなくなってしまったのだ。
加えて、2001年頃のバヌアツの情報通信環境は脆弱で、技術面からカード決済が不能となり、My Casinoは多くの損失を受けた。



<カジノ王、Crownのジェームス・パッカー登場>

images.jpeg

安倍総理も昨年ジェームス・パッカーに会っている。


バヌアツのMy Casinoは、フィジーのランブカ元首相が会長を務める、豪州のWaterhouseBetに売られたが、やはり9.11の影響で決済ができず廃業。
しかし、それでもバヌアツのオフィショアギャンブルは諦めない。
いよいよ、豪州のカジノ王、Crownのジェームス・パッカーが登場したのが2002年の1月。
インターネットを利用した新規サービスを試みたものの、営業は不振で翌年2003年には廃業する事となった。この背景には世界の法機関、銀行、クレジットカード会社、公務員等々がオフィショアギャンブルでのお金の流れを危険視した事が原因のようだ。



<まとめ、一番気をつけたいのはNGO>
バヌアツのタックスヘブンを巡る、オドロオドロしさが羽生会長に伝わったであろうか?
それでもギャンブルはまだ目に見えるからよいのだ。
バヌアツはタックスヘブンを巡る大小のあらゆる怪しい企業が跋扈している。
勿論日本の企業も進出している。
問題は、最近これらの企業がNGOを設立し、形ばかりの公共事業を行う事で隠れ蓑にしようとしている事だ。彼らが裏で動かす金額に比べれば、数十万円、数百万円程度の教育や医療、文化支援への寄付行為は安いものなのだ。しかもこの寄付行為は以前政治家への献金だったものがNGO活動という奇麗な形に変わっただけである、と知ればバヌアツ、いや太平洋島嶼国が一筋縄でない事がご理解いただけると思う。


パラオの海洋保護区案に対するPNAの回答 [2015年04月23日(Thu)]
パラオの海洋保護区案に対するPNAの回答。
かなり手厳しい内容だと思うが、ちょっと専門家の意見を伺ってからコメントしたいと思います。

が、
ポイントは全面商業漁業禁止にした場合、その収入はどうするのか?という問いに対し、今まで通りVDS(Vessels Day Scheme)を販売できる(実際はパラオEEZ外で操業)と説明していたが、PNAはそんな非論理的な事はありない、と書いてあるのだと思う。

11174644_482704085215029_6520189918892082800_o.jpg11154594_482772008541570_8722737109847088445_o.jpg11111049_482704208548350_4574059367479284435_o.jpg10390238_482704061881698_2254828292611878242_n.jpg
再びバヌアツのタックスヘブン [2015年04月22日(Wed)]
Unknown.jpeg


当方のボスの一人、羽生会長からバヌアツサイクロン被害に関わる情報を収集報告せよ、との指示をいただいてから、タックスヘブンの事を必ず報告せねば、と心に決めていた。
タックスヘブンを知らずに、バヌアツを、太平洋島嶼国を語ってはいけいないのである。

「バヌアツのタックスヘブン」
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/1155


それで、以前読んだGreg Rawlings博士のペーパーをさらっと読みで、さらっと書いたところ、羽生会長の理解はなにやらさらっとしたものになってしまったようで「まずい」とここ数週間悩んでいた。

タックスヘブンを巡る話は、ハイポリティクス、テロ、金融マフィア、越境犯罪組織から小金持の父ちゃん、母ちゃん、兄ちゃん、姉ちゃんまで巻き込む魑魅魍魎の跋扈する、実はオドロオドロな話なのである。

そこで、下記のRawlings博士ペーパーを読み直した。
そのオドロオドロの部分に迫ってみたい。

Rawlings, Gregory (2004) “Laws, Liquidity and Eurobonds: The Making of the Vanuatu Tax Haven.” In The Journal of Pacific History, Vol. 39, No.3: 325-341.



<オドロオドロな父ちゃん母ちゃんのタックスヘブン>
Rawlings博士のペーパーはバヌアツのタックスヘブンを利用した"mum-and-dad 投資家" ー「父ちゃん母ちゃん投資家」の話から始まる。

ニュージーランドでビジネスに成功したDoreen, Barry Beazley夫妻。そのビジネスを売却しオーストラリアのクイーンズランドに移り住んだ。これが70年代。バヌアツのタックスヘブンが始まった頃である。
1999年、オーストラリア連邦裁判所は同夫妻がスイスの銀行に13ミリオン豪ドルを預金をしてたが20年間税金を一切払わなかった事を追求。その預金はバヌアツのTrusteeが運営していた。
オーストラリア国家犯罪当局は1989-/90から1995/96の6年間同夫妻に$A4,322,968の収入があり,A$1,080,742の税金を払わなかった事を申し立てたが、夫妻はバヌアツのTrusteeに貸したお金が戻って、それを使っているだけだ、と抗弁。
裁判所の判断は「完璧に合法」だが「罪深き行い」 "entirely legal" - "a guilty mind" とのこと。

Beazley夫妻、お構いなし、となったのである。


<オドロオドロなロシアマフィアのタックスヘブン>
同じ年、1999年にはロシアマフィアが107ビリオン豪州ドルを、ナウルにある400のオフショア銀行を利用してマネーロンダリングを行った、とのニュースは余りにも有名。
このお金がバヌアツ始め、世界の金融センターをグルグル回っている可能性はある。

同じ時期、ナウル政府は、南アメリカの薬品カルテルのために金融センターをナウルに設置したパナマの法律事務所との契約を否定。
2003年にはオーストラリア税務署の調査では295ミリオン豪州ドルがオーストラリアからバヌアツに送金され、その中の60ケースが租税回避を目的としている、と指摘。

オドロオドロなタックスヘブンの話はキリがない。


<オドロオドロなタックスヘブンの歴史>
インターネットのおかげで、タックスヘブンはますます盛んになったが、タックスヘブンの歴史は1930年に遡る。場所はカリブ。バハマが舞台。
しかし、バヌアツがタックスヘブンを導入した70年代、バハマは独立を手にしたと同時に政治的信用を国際社会から失ってしまったのである。
バヌアツが格好のターゲットになった。バハマのタックスヘブンのお金が大量に流れ込んだのだ。


<オドロオドロなケインズとホワイトの抗争>
Rawlings博士のペーパーの主点は70−80年代のバヌアツのタックスヘブン形成の動きだ。
その背景にあるのがブレトンウッズ体制。下記に詳しく書かれているらしい、米国のホワイトと英国のケインズの抗争は時間のある時にゆっくり読んでみたい。

『ブレトンウッズの闘い ケインズ、ホワイトと新世界秩序の創造 』



要は、ケインズが米国のホワイトに負けて、米ドルが世界の基軸通貨になったという話だと思いますが、話はそんなに簡単ではない。このブレトンウッズ体制で、ケインズは資本が海外に逃げないような規制を作る事を主張していたが、無視された。皮肉な結果に、世界金融を管理するはずのブレトンウッズ体制は、米国に集まったお金をレッセフェールの下、自由に逃がす機会を作ったのである。
さらに皮肉な事に、NYに集まったUSドルは、ケインズの英国を始めとするヨーロッパに集まったのだ。

1946年に亡くなったケインズ先生が生きていたら、この結果をどのように評価するであろうか?


<オドロオドロな英国金融界>
英国、ヨーロッパに逃げた米ドルは半端な金額ではなかった。何兆円、何十兆円という世界。
しかし、英国内にはしっかりした金融規制があるためレッセフェールとはいかない。
そこで英国は50−70年代、植民地の島や飛び地を次々に独立させオフィショア金融センターを設置したのである。その代表例が、ケイマン、バミューダ、香港、ジブラルタル、そしてニューヘブリデス、現在のバヌアツ共和国である。

同盟国であるはずの英米が世界金融の動きを巡って戦う図式が生まれた。
また、巨大な資金と関係のないフランスやオーストラリアは、英国が進めるタックスヘブンの動きを阻止しようとした。一度その制度ができれば、冒頭に紹介したような「父ちゃん母ちゃん投資家」や犯罪組織の温床になる事確実だからである。


以上、Rawlings博士のペーパーをまとめてましたが、当方金融問題もチンプンカンプンですので、英語が苦でなく、多少のお時間がある方が原文を読まれる事をお薦めします。ついでに当方の記述に間違いがあれば指摘していただけると嬉しいです。



さて、オドロオドロなタックスヘブン、まだ続きます。
次回がオドロオドロなインターネットギャンブル。
登場人物だけ先にご紹介。

images.jpeg2012.03.03_BridgeSharif.jpg
バヌアツサイクロン被害とインドネシア [2015年04月20日(Mon)]
images.pngimages-1.jpegimages.jpegimages-2.jpeg

写真はスカルノ、ケネディ、リニ ー インドネシア、米国、バヌアツを結ぶ西パプア問題


<バヌアツを巡るハイポリティックス>
たまたま、超大型サイクロンがバヌアツを襲っていた時、同国の大統領が日本で開催されていた国連防災世界会議に参加していた事もあり、本件は日本でも大きく取り上げられた。
そして、羽生会長からもある特殊事情があった関係で、引き続き情報収集をするようご指示をいただいているので、このブログもここ数週間はバヌアツを中心にメラネシアに傾いている。

このサイクロン被害でロシアと中国政府がチャーター便を飛ばし支援した背景、ハイポリティクスについては既に書いた。

「メラネシアン社会主義」
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/1158

もう一カ国、チャーター便を飛ばして2億円近い支援物資を運んだ国がある。
インドネシア、である。


<西パプア問題>
インドネシアの支援が発表された時、バヌアツFB等では支援を受け入れていいのか?という声が多く上がった。また、西パプアでバヌアツサイクロン募金活動をしていや現地人に対し、インドネシア警官が発砲したとの記事もあった。

Indonesian police shoot Papuans fundraising for Vanuatu after Cyclone Pam
http://freewestpapua.org/2015/03/21/indonesian-police-shoot-papuans-fundraising-for-vanuatu-after-cyclone-pam/


西パプア問題、これも以前書いた。

「西パプア問題 」
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/498

世界が、見過ごす、見放す、この西パプア問題を一貫して支持、支援しているのがバヌアツ共和国、なのである。
その背景には他のメラネシア諸国より茨の道を歩んで手にした独立の経験から、それが得られなかったニューカレドニアと西パプアのメラネシア同胞への強固な同情がある、のかもしれない。

西パプアの独立運動や、サブリジョナル機関ーメラネシアスピアヘッドへの加盟支援など、バヌアツ政府は積極的に動いている。
これに対し、インドネシアはメラネシア諸国全体に対しさまざまな懐柔策を取って、足並みを乱そうとしているようにも見える。

だから、今回のサイクロン被害で、インドネシアから支援を受けていいのか?という声が出て来たのだ。


<あれはあれ、これはこれ>
このような声に対し、バヌアツのキルマン外相は明確に「あれはあれ、これはこれ」と、即ち援助は受け入れるが、西パプア問題に影響を与えるものではない、バヌアツはどの国からも人道支援を受けると述べている。


"Vanuatu says Indonesian aid has no bearing on Papua issue"
9 April 2015, Radio New Zealand International
http://www.radionz.co.nz/international/pacific-news/270765/vanuatu-says-indonesian-aid-has-no-bearing-on-papua-issue

今年終盤には、ソロモン諸島で開催されるメラネシアスピアヘッド会議で西パプアの加盟が協議される。


<JFKと西パプア問題>
ケネディ大統領政権の時期とこの西パプア問題は重なっている。
ケネディ大統領の判断が現在の西パプア問題を決定させた、と言ってもいいのではないだろうか?
第二次世界大戦中にバヌアツに滞在していたJFK。自分の遺産でもある西パプア問題をバヌアツが引き継ぐ様子を、もし生きていたらどう思うであろうか?

以前は、背景に西パプアにある鉱山問題があると書いたが、この件を追っているフリージャーナリストから聞いた話では、インドネシア政府に捉えられた米国CIA要員アレン・ポープの釈放があったという。

ウィキに詳細があった。
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_West_Papua
http://en.wikipedia.org/wiki/Allen_Lawrence_Pope

映画の題材になりそうなストーリーである。
ケネディ政権はインドネシアに捉えられたアレン・ポープの釈放と引き換えに、西パプア独立を支持していたオランダ政府への支援を中止。インドネシアに西パプアを引き渡したのである。
インドネシアを失ったオランダは、その権益を守るため西パプアを独立させようとしていたのであろう。

スカルノがポープに言った最後の言葉がすごい。そのまま映画の台詞になりそうだ。

I want no propaganda about it. Now go. Lose yourself in the USA secretly. Don't show yourself publicly. Don't give out news stories. Don't issue statements. Just go home, hide yourself, get lost, and we'll forget the whole thing.

「さあ行け。この件をプロパガンダに使うな。密かにアメリカに戻れ。しかし決して表には出るな、メディアに情報を売るな。祖国に戻れ、身を隠して消えてなくなれ。我々は全てを忘れるのだ。」(訳してみましたが自信ありません。)


スカルノを、インドネシアの独立を支援した日本。
もうすぐ安倍総理がインドネシアで開催される、バンドン会議に出席する。
インドネシアと太平洋島嶼国を結ぶ西パプア問題。日米協力で某かの解決策が見出されないであろうか?

バヌアツサイクロン被害に出動した各国の軍事資材 [2015年04月19日(Sun)]
復興支復に派遣されていた豪州軍がその活動を終え、バヌアツから撤退するとのニュース。
500名ほどの豪州が派遣された。
フランス、ニュージーランド、英国の軍隊も派遣され、チームワークを発揮した。
滞在中豪軍は特に被害の大きかった南部のタンナ島の学校や医療施設、教会の再建に尽力。
豪州は引き続きバヌアツ支援する。特に観光マネーをバヌアツに落とす事で国家再建を支援していく事が検討されている。

"Cyclone Pam: Australian Defence Force completes recovery operation in Vanuatu"
ABC News
http://www.abc.net.au/news/2015-04-17/australian-defence-force-completes-cyclone-recovery-mission/6400248


OCHAが発表した各国の軍事資材の表が気になっていた。
仏、豪、NZのFRANZ軍事枠組みが動いているのはよくわかるが、なぜ米国ではなく地球の裏側の英国からC17を飛ばして来る必要があったのか?
ちゃんとした理由があるのであろうが、米豪の軍事協力がここ数年強化される中、また米国の太平洋重視が強調されるなか、素朴な疑問が残る。

11079039_353117198214214_7429039014550607053_n.jpg

The Melanesian Way [2015年04月18日(Sat)]
ブログのカテゴリーにさせていただいている"The Melanesian Way" について、同名の書籍を最近斜め読みだが、目を通したので簡単にまとめてみたい。

Bernard Narokobu, "The Melanesian Way", Inst. of Papua New Guinea Studies, 1983

パプアニューギニアの哲学者にして政治家のバーナード・ナロコビ博士(1943-2010)が1976年から1978年にパプアニューギニアの新聞ポストクーリエ紙に"The Melanesian Voice"と題したシリーズを書き、その中から45の記事を集めたのがこの書籍である。
ナロコビ博士は愚夫の友人で拙宅にも数度、お泊まりいただいた事があるが、なぜ10年前(お会いした当時は大使だった)にこの本を読んでいなかったのだろう、と読みながら何度溜め息をついた事か。 images.jpeg

ナロコビ博士は言う。国を統一するのは国会や国道、軍隊ではない。イデオロギーや哲学である。そしてThe Melanesian Wayこそそのイデオロギーであり哲学なのだ。

何度も繰り返すが、バヌアツの3千年の人類の歴史、パプアニューギニアの5万年の人類の歴史の中で、始めて数百の言語、部族が統一を試みているのである。(進行形にしてよいであろう。)

ナロコビ博士はThe Melanesian Wayは定義でいない概念だという。まさに神にアナタは誰ですか?と尋ねて”I Am Who I Am”と応えるがごとし。
45編で語られるメラネシアンウェイは意味のない、ロマンチックで、弁解じみているかもしれない、とナロコビ博士は断っている。


ナロコビ博士は、さまざまな例を出しながら「これがThe Melanesian Way」と説明を試みている。それは確かに”意味のない、ロマンチックで、弁解じみている”のかもしれないが、底辺に流れるものとして3つを上げたい。

1.欧州のキリスト教や植民地文化がもたらされる遥か数千年以前より、メラネシアには彼らの哲学、概念、価値観があった。
2.当時(多分現在も)メラネシア諸国に存在する白人優先主義に対する強烈な批判精神
3.そして選択の自由が、植民地支配から解放されたメラネシアの人々にはある、という事を繰り返し述べている。即ちナロコビ博士、パプアニューギニアの国父ソマレ閣下、そしてバヌアツの国父リニ首相等々メラネシアの指導者は自分達の運命を自ら選択できる事を、またその意味を理解していた。

この国家としての選択の自由は、援助に頼らざるを得ないメラネシア諸国にとって進行形の課題であろう。
また、メラネシア諸国が、ミクロネシア、ポリネシア諸国と違った「多様性の統一」という課題を抱えていること、さらに欧米の価値観への批判精神が、メラネシアスピアヘッド、というサブリジョナルな動きを早期から誕生させ、現在もその政治的動きが加速している理由であろう。


このナロコビ博士のThe Melanesian Wayの一部がウェッブに公開されています。
http://www.alastairmcintosh.com/general/resources/1983-Bernard-Narokobi-Melanesian-Way.pdf
| 次へ