年末の読書『宿命の子』 [2014年12月31日(Wed)]
繰り返すが、締め切りの原稿を抱えているので、後で読もうと購入だけしたのが間違い。ページをめくったら止まらなくなってしまった。
年末の読書2冊目は『宿命の子』 本書の中盤から書かれている笹川批判キャンペーン。1991年に財団に入った自分にとって、初めて知る事ばかりで尚更止まらなくなってしまった。 当時、日経新聞の友人から電話をもらい逮捕の件を聞いた。一応総務部長(だったような記憶)に報告した事がある。多分メディアで公開される寸前の情報だったのであろう。「そんな事をおまえが言うな!」と怒鳴られた事を記憶している。 先にも書いたが、財団に入る事が決まってすぐに笹川批判を体験する事になった。しかし批判する人に限って悪い事をしていたり、わざわざ私のような非力な小娘を(今は非力なおば娘)呼び出して吊るし上げにする卑怯な人ばかり見て来たので、逆に「プロ-笹川」になってしまった、のだと思う。 もし笹川批判をするのであれば、なぜ本丸に行って正々堂々と批判しないのか、と。 笹川批判の背景にあった、運輸省の反応とお家騒動として書かれている内紛。二重の批判を受けてきたのである。加えて東大の蝋山政道教授のような人が書く誹謗中傷文章。「学者」とは実証主義を知らない、三流ジャーナリズム並み、思い込みの非論理思考を好むようだ。 現在、当方に原稿を依頼されている琉球大学の藤田陽子教授。臆面もなく私にこう告げた。 「笹川良一のやっている事は贖罪なんです。私の父は笹川の事を知っていてそう言っていました。」 藤田陽子教授のお父様は亡くなられたそうなので確認できないが、笹川良一氏は藤田教授の父親を知らないのではなかろうか?また父親の言う事をそのまま信じ、人に臆面もなく話す様子は「これでも学者か。」と思わざるを得なかったが、残念な事に世の中こんな学者ばかりなのである。せめて実証主義的論文を自分が書いて、学問とは、常識とは、況や倫理とはこういう事である、と示してみたい。 話が逸れたが、『宿命の子』は笹川陽平会長の伝記である。 本を読むまで知らなかったが唖然とするような苦労をしてきた方なのである。 読後、ジワッと湧いて来た感想は、笹川会長に出会えて幸運だった、という事だ。 ブログを読ませていただく前は当方も、お金持ちのボンボンというイメージを持っていた。 私がこうして25年間続けさせていただいているのも、笹川会長のおかげなのである。 羽生会長から繰り返し聞かされている。「あんたを評価しているのは笹川会長だけだよ。」 ではどのように評価されてるのか? 日本財団、広報の宮崎正さんが笹川会長に私の事を聞いた事があったそうで、教えてくれた。 「あいつは頭がおかしいんだよ。」とおしゃっていたそうである。 喜ぶべきか、悲しむべきか。 |