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早川理恵子博士
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未来に魚を残そう [2013年11月27日(Wed)]
海洋安全保障。最近はIUU ー違法操業一辺倒である。

三重大学の勝川先生の講演、それから一般社団法人「海の幸を未来に残す会」も設立されていました。



平議員の発言で、水産庁との政策協議がない、というのが気になった。
EEZの漁業問題こそ海洋安全保障なのだ!PACOMもRANも違法操業監視です。

来週からケアンズでWCPFCの会議がある。
日本が漁業資源保護に回った、重要な会議で水産庁の宮原次長の水産外交が展開されるようである。(漁業資源管理、複雑でよくわからない。)
America’s Nuclear Test Legacy: Still an Issue for the Marshall Islands [2013年11月15日(Fri)]
マーシャル諸島の核実験。
今年8月にGiff Johnson氏が“Don’t Ever Whisper” を出版した。
まだ読んでいない。
そのJohnson氏の講演がウェッブで観れる。

太平洋の島々に情報通信が必要だと思った理由の一つがこの核実験である。
もし当時インターネットがあれば、核実験の意味や影響を島の人は知る事が可能だっただろうし、何が行われているか世界に発信する事もできたであろう。
今、インターネットで太平洋の小さな島の出来事が瞬時に知る事ができるし、こちらから様々な情報を提供する事もできるようになった。

しかし、インターネットがその核戦争に備えた、米国国防省による開発という背景がある事は皮肉にも思える

America’s Nuclear Test Legacy: Still an Issue for the Marshall Islands from East-West Center on Vimeo.

ペリリューの激戦 キングとニミッツの思惑 [2013年11月15日(Fri)]
パラオをかすめ、フィリピンを襲った大型台風。そのまま北上しベトナムへ。
友人家族は数年前にサイゴンに引っ越したはずだが、気になって連絡をしてみた。
無事であった。彼の返事の添えられていた一言がとても印象的だった。

Be good and be grateful for what I have today. And be nice to
the earth. My good life can be unexpectedly blown away like dust in the
wind. (Isn't that name of a song?) And it does not need to take the
communists, or years of war, to do that. A typhoon can accomplish that in a
few days. (Ask the thousands of Filipinos.)

平和な日常は、風に吹き飛ばされる塵のようである。
コミュニストも何年に渡る戦争も必要ない。台風が数日でやってのける。

こんな意味だと思う。

彼はベトナム戦争の犠牲者である。難民となって米国に逃れ、ビジネス、政治ともに成功し、今はご家族とベトナムにいる。慈善活動家としても活躍している。


パラオからフィリピンへ向かった台風で思い出したのが、ペリリューの激戦。
ニミッツの最大の失敗、とも必要のなかった激戦、とも言われているようだが、別の見解を示したペーパーを見つけた。

"What was Nimitz Thinking?"
Proceedings Magazine - November 1998 Volume124/11/1,149 [5]
By Colonel Joseph H. Alexander, U.S. Marine Corps (Retired)
http://www.usni.org/magazines/proceedings/1998-11/what-was-nimitz-thinking

ニミッツのペリリュー戦は失敗でもなければ、歴史家がよくいうマッカーサーへの挑戦的なものでも、なかった。ニミッツの上司、アーネスト・キング合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長の明確な意思であり決定であった、という内容だと思う。
(何回か熟読してからこのブログ書き直したい。戦争用語がよくわからない。。)ふらふら

関心を引いたのは下記の部分。
キング司令官は1944年2月の時点で、太平洋戦の主要な目標はルソン島である、と。そしてそのためにカロリン、マリアナ、パラオから日本軍を一掃する必要がある。そして情報通信を研究している自分にとってとても興味深いのが、「オランダ領東インドにつながる通信網を遮断せよ。そしてマッカーサーのミンダナオ攻撃を守れ。」という箇所である。

(引用 from "What was Nimitz Thinking?")
Among these four factors, Nimitz's close relationship with King likely proved most crucial. They had not always seen eye-to-eye on the necessity of invading the Palaus, but a sharp memo from King on 8 February 1944 (after the initial success of the Marshalls campaign) spelled out for Nimitz his objectives for the remainder of the year. "Central Pacific general objective is Luzon," said King, "[which] requires clearing Japs out of Carolines, Marianas, Pelews [sic]−and holding them." This strategy, King argued, would cut the Japanese lines of communication to the Dutch East Indies and protect the flank of MacArthur's forces advancing to Mindanao.


第一次世界大戦後、日本がミクロネシア地域を委譲された事に怒り狂ったのが米国である。
なぜか? ヤップに海底ケーブルの経由地があったからである。ヤップが米国と上海、オランダ領東インド、そしてその先のヨーロッパを結んでいた。ドイツ統治時代の遺産である。
(英語ですがこちらのブログを参照ください。https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/772

当時世界最大の大英帝国通信網は他国の相互接続を拒否した独占体制であった。
ヤップの海底ケーブルは、日本統治になって南洋庁をおいたパラオにも結ばれたのであろう。(ここら辺の詳細は未確認)
ヤップ、パラオ自体は小さな島だが、まだ通信衛星もない当時、ケーブル(もしくは無線)の通信網経由地として、キング司令官も見逃せない戦略的場所であったわけだ。



<追記>
『ニミッツの太平洋海戦史』の原文"The Great Sea War"を入手した。
上記に紹介したColonel Joseph H. Alexanderはこのニミッツの記述をなぞったもののように思える。ニミッツもマッカーサーのフィリピン上陸への道を開くための中央太平洋戦であった、と述べている。また、サイパン、パラオの米軍負傷者と死者はフィリピンのそれより多い事への批判に対し、太平洋の島々に散る日本軍を駆逐しなければ、その戦力はフィリピンに移動されていたであろう、とも。即ちペリリュー戦は必要不可欠であった、という事だ。
(サイパン:死者3,426, 負傷者13,099  パラオ:死者1,950 負傷者8,515 その他の島嶼:死者1,648 負傷者8,111)数字は"The Great Sea War" p 370 より。

なお、"The Great Sea War"の和訳には下記のニミッツの序文がある、という。

日本は、強力な海上力を持つことによって、あるいは、大きな海上力を有する強力な同盟国と手を堅く握ることによってのみ、その生存と繁栄を続けることができる。
『ニミッツの太平洋海戦史』の序文に書かれているというニミッツのメッセージ

そしてニミッツは日本版の印税を、ニミッツが最も敬愛し日本海軍の研究に情熱を注ぐ要因となった東郷平八郎元帥の神社再建に寄付した、という記述もウェッブに見つけた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog128.html
中国の気になるニュース The Second China-Pacific Island Countries Economic Development and Cooperation Forum [2013年11月12日(Tue)]
「リエコ、中国からのアプローチがすごい。」
こんな発言を某島国の大統領、外務大臣から繰り返し聞かされてきた。
勿論現在台湾と外交関係にある国である。

先週、中国広州市でThe Second China-Pacific Island Countries Economic Development and Cooperation Forumが開催された。
某島国の大統領、外務大臣が言っていたのこの件である。

汪洋国務院副総理がスピーチをし、島嶼国への1千億円の融資を発表。
その他に向こう4年で2000の奨学金、グリーンエネルギー支援も発表。

第1回China-Pacific Island Countries Economic Development and Cooperation Forumは2006年フィジーで開催されている。


太平洋島嶼国は中台の国取り合戦で陳政権まで凄烈を極めていた。
現在の状況はこんな感じ。

台湾と外交関係にある島嶼国
Kiribati
Marshall Islands
Nauru
Palau
Solomon Islands
Tuvalu

中国と外交関係にある島嶼国
Federated States of Micronesia
Samoa
Papua New Guinea
Vanuatu
Cook Islands
Tonga
Niue (ニュージーランドと自由連合協定を締結するニウエと外交関係を締結しているのは世界で中国だけである。流石!)
Fiji


参考記事
China to provide 1 billion USD loan to Pacific islands
2013-11-08 | Editor: Shen Qing Xinhuanet

Wang Yang Meets with Foreign Officials Attending Second China-Pacific Island Countries Economic Development and Cooperation Forum
2013/11/07 Chinese Foreign Ministry


豪州の気になるニュース AusAIDの消滅 [2013年11月12日(Tue)]
豪州の新政権の動きの中で、気になっていたのがAusAID ー日本のJICAに相当する機関の外務省への統合である。
AusAIDと言えばこの数年、2倍の予算増加を推進し、国防省も羨む存在だった。
安全保障研究者のアンソニー・ベルギン博士などは国防省予算であった海洋安全保障は今後AusAIDで、と主張していた程だ。

標的となった理由の一つが過剰な職員予算のようである。
2008年のAusAIDの職員は655。昨年2012年には2124人と約3倍以上にふくれている。この急な人員の伸びは事業予算の増加より大きいと言う。

日本でいえば、JICAがなくなったというような大事件である。
AusAIDの前身Office of the Australian Development Assistance Agency は1973年に創設。
40周年記念を数ヶ月後に残し、姿を消した事になる。

豪州の援助といえば「紐付き」を公言している事にショックを覚えた事を今でも記憶している。
AusAIDのパンフレットに、「援助は国益のためです。紐付きで、豪州の経済を支え、豪州人の仕事を増やし、また途上国に将来の経済パートナーを育成するためです。」と書いたあった。
流石に豪州人でさえ、こんな身も蓋もない書き方は不味いでしょう、と反省し数年前に削除されたと思うが精神は変わっていないだろう。

AusAIDの消滅で、豪州の国内事情も気になるところだが、問題は太平洋島嶼国への影響である。
開発援助ー外交、経済、政治、安全保障と国の根幹でもある。今後もフォローしていきたい。

参考記事
Federal government savings will start with AusAID bureaucracy
DAVID CROWE / THE AUSTRALIAN / OCTOBER 18, 2013

Felled before forty: the once and future AusAID
By Robin Davies on October 31, 2013
バイオリンの試験 [2013年11月11日(Mon)]
今日は朝から娘のバイオリンの試験。
バイオリンを始めて4、5年になる。先生から試験を提案され、初めて受ける事となった。

試験は、3つの楽曲を暗譜で。
それからC、F major scale & arpeggio.
E、 D harmonic minor scale & Arpeggio.

この数週間、親子喧嘩の日々が続いた。
「なんで間違えるのよ!」
「これでいいの!」
「音が下がってるの!!ここはシャープでしょ!」


ふと自分の子供の頃のことを思い出す。
親に練習しろ、と言われた事はないが、なぜ毎日練習したのであろうか?
自由教育信仰者としては、強制したくない。といいつつ「継続は力なり」を伝授したい気持ちもある。ここは孟子の母のように機織りの糸を切って、継続とは何か諭すべきか、とも悩んではいる。

自分は学校の勉強が嫌いで、音楽学校に進んだので、別に音楽家になろうとか思った事はなかった。
そんな様子を心配した母親の友人がわざわざ音大を目指す若者を批判した書物を送ってよこした事を思い出した。
音大を出て、音楽で食っていけるのはホンのわずか。なにを大金かけて音大に行かせるのか、といった内容だったと記憶している。
音大を出て、全く違う仕事をしていると「まあ、もったいない。なぜ音楽家にならなかったの?」
とアホな事をいう人に何人も遭遇する。こういう人はソロスも仰け反る市場原理主義者である。(注)
そういえば自分の音大の卒論のテーマはポピュラー音楽と市場経済だった。

音楽とは何かを考える時、思い出すピアニストがいる。Alice Herz-Sommer。ホロコーストからの生存者で1903年生まれ。まだご健在のようだ。


注 "market fundamentalism" の概念は昔からあったが、この言葉を有名にしたのはソロスの『グローバル資本主義の危機』(1998) のようです。wiki情報。
大型台風ハイエン、パラオを通過 [2013年11月08日(Fri)]
昨年の12月に続き、大型の台風
ハイエンがパラオに接近していたが、北部のカヤンゲル環礁に大きな被害を残し、通過し模様。
家屋、畑への被害は大きかったが、死者、けが人はいなかったという。

カヤンゲルにはヘリコプター、パトロールボートで救援物資が運び込まれている。

コロール、本当北部州の被害も報告されているが,本日午後から明日にかけてインフラは復旧される予定。

以上、下記のPacific News Centerの記事より。

”Palau Picks Up After Super Typhoon Haiyan Passes”
http://www.pacificnewscenter.com/index.php?option=com_content&view=article&id=39427:palau-picks-up-after-super-typhoon-haiyan-passes&catid=45:guam-news&Itemid=156
ルパード•マードックのオーストラリア讃歌 [2013年11月03日(Sun)]
オーストラリア、シドニーにあるLowy Instituteが主催した年次スピーチに、今年はルパード•マードックが招待された。
スピーチのテーマは"The global Australian"まさにオーストラリア讃歌である。

太平洋の島々。どこに行ってもオーストラリア人が幅を利かせている。
海洋安全保障にしても同様だ。日本の海上保安庁と同程度の人員(13,000人)しかいない王立豪州海軍は、冷戦後この地域に関心を失った米国海軍よりも影響力が大きい。

10年前、オーストラリアに来る前はイギリスを十把一絡げに考えていたが、イングリッシュ、アイリッシュ、スコティッシュ、ウェールズの溝は、ある意味で日本と英国以上に深い、というのをオーストラリア、ニュージーランド人の会話の中で学んでいる。

で、お隣ニュージーランドとも、また米国、カナダとも違うこのオーストラリア人の特徴を「アイリッシュ」で説明する話を時々聞いていたし、確かに回りにアイリッシュが多いので気になっていたが、マードックのスピーチにも出て来る。

"Australia had a long history before it became a British colony. But that colonisation created a large convict class, disproportionately Irish, and resulted in class pretensions that have lasted a long time. "

オーストラリアに送還されたconvictは圧倒的にアイリッシュが多かった、というくだりはイギリス国内でにアイリッシュに対する差別を暗に物語っているのはないだろうか?
アイルランドのジャガイモ飢饉の詳細は、アマルティア•センの『自由と開発』で初めて知った。

マードックも当然アイリッシュの血を引いているのであろう、とwikiで調べたらお母さん方がそうであった。なんとこのお母さん、昨年2012年に103歳で亡くなっている。

マードック氏のスピーチの〆は、次の3点。

我々はリーダーでなければならない。
我々は平等主義でなければならない。
我々は勝者でなければならない。

これって、まさにイギリスにおけるアイリッシュの立場を反映したものではないだろうか?