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早川理恵子博士
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日米安全保障協議委員会(「2+2」)へのコメント [2012年04月29日(Sun)]
 先日発表された日米安全保障協議委員会(「2+2」)を豪州政府の知り合いに送ったら結構な反応があった。特にパトロールボート支援のところだ。みんな知らなかった。日米同盟だから豪州抜き当たり前とは言っても、実施は豪州も関係してくるはずだ。
 それに豪州はまさに過去30年間実施してきたパトロールボートの新しい事業を検討している最中なので驚いただろう。

 豪州抜かして、パトロールボート支援はあり得ないので下記のコメントを作成し、国務省に送った。


 このコメント、国務省のブログに掲載されたよ〜。一応国務省の誰かに読んでもらえたようだ。海洋安全保障研究の大家Dr Sam Batemanからも"well done" とのメールをもらったので、的は外してないようだ。
http://blogs.state.gov/index.php/site/entry/strengthening_security_partnerships_asia_pacific#C4883


I have read the Joint Statement of the Security Consultative Committee which was released on April 27, 2012 with my special attention on section II.

I am very pleased that both governments have focused on “New Initiatives to Promote Regional Peace, Stability, and Prosperity”. Also our attention is drawn to a phrase from this section.

“In this context, the U.S. Government plans to continue to help allies and partners in the region to build their capacity with training and exercises. The Government of Japan, for its part, plans to take various measures to promote safety in the region, including strategic use of official development assistance, for example through providing coastal states with patrol boats.”

I believe that “coastal states” include Pacific Island countries where Australia has provided 22 Pacific Patrol Boats over the last 30 years as well as Royal Australian Navy officers for each Pacific Island Nations.
Also, since 2008, the Nippon Foundation and the Sasakawa Peace Foundation- Japanese NGOs has been working for enhancing the sea surveillance capacity of three Micronesian countries - United State’s Free Association States – including providing patrol boats.

I would like to make two comments on this section.
First, this Joint Statement is exactly in the same direction of the Australian government and two NGOs in Japan. In this sense Japan and the US need to collaborate with Australia who has the experience, and now examine a new approach for maritime security in this region, including expanding the law enforcement capacity.

Secondly, I would like to assert that moving the focus of the US-Japan alliance from Okinawa to the Pacific Ocean would change the direction of this alliance. The US military presence in Okinawa is the result of War. After 70 years, Japan now needs to take responsibility for global security under a US-Japan alliance. After UNCLOS came into force in 1994 small islands states possessed huge EEZ's, and this is where all the transnational illegal activities are now induced, such as IUU, human trafficking, and the smuggling of drugs.
I believe that the US, Japan and Australia need to work on these issues for “Regional Peace, Stability, and Prosperity”.
Ultimately, I believe that this will also lead to solve the Okinawan problem.

「移動する太平洋の島の人々」(7) [2012年04月28日(Sat)]
(2012年1月琉球大学国際沖縄研究所のご招待で講演させていただいた内容を同研究所の許可を得て掲載させていただきます。)

「移動する太平洋の島の人々」(7)
琉球大学国際沖縄研究所:IIOS レクチャーシリーズ2011第6回
2012年1月10日(火) 18:00〜19:30 (於てんぶす那覇4Fテンブスホール)


 次に、EEZのことをお話ししたいと思います。世界地図で見ると太平洋の島々というのは小さな点でしかありません。しかし、1994年に発行された国連海洋条約の中で制定されている200海里によって、太平洋の小さな島々は広大な海洋権益を手にすることになりました。ちょっと見づらいのですが、オレンジの部分がミクロネシア連邦です。ミクロネシア連邦と隣のパラオ、そしてマーシャル諸島、これらを合計したEEZが約600万平方キロメートルと言われています(スライド16)。日本は450万平方キロメートルで、世界の第6位です。
 ただ問題はこんなに広い海洋を誰がどうやって管理し、守るのかという課題が挙げられています。現状は全くの無法地帯と言っていいと思います。現在私が担当しているのがミクロネシア地域の海洋安全保障をどうするかといった話なんですが、私たちが行く前は、オーストラリアがこの広い太平洋地域に海軍のオフィサーを一人送って、あと大きな船を送って、支援しようとしていました。ただ島嶼国政府には燃料代がないんです。あとは地元で船を修理したり操作したりする人たちもなかなかいない。この地域の海洋安全保障が守られている現状はありませんでした。 
 違法操業以外にも麻薬の売買ですとか、人身売買、それから違法移民といった多くの違法行為がこの地域で行なわれていることが指摘されています。
 「南の楽園」というイメージが強くこんな国際犯罪とは関係ないと思われているのではないでしょうか?
 ナウルではロシアのマフィアのマネーロンダリングが行なわれていましたし、確か4、5年前にはフィジーで南半球最大の麻薬工場が発見されたといったこともあります。小さな国々ですから法律がゆるいので、そういった越境犯罪が発生する可能性も大変大きいということは事実です。
 ところでこのEEZなんですが、今日ちょっと大城先生とお話をしていて、実は世界第6位の日本のEEZの60%が日本の離島によって形成されているものだそうです。つまり北海道と本島と四国と九州が形成しているEEZは40%、あとの60%はこういった小笠原諸島ですとか沖縄の諸島が形成しているものだそうです。数字を探したのですけれど見つからなかったのですが、多分沖縄県が持っている島々が形成しているEEZというのはかなりのパーセンテージになるのではないかと思います。そこを是非沖縄の方たちは、特に県庁の方たちは強調されたほうがいいのではないかと思います。

 最後になりますが、限られた資源の島にとって、移動の自由というのが大変重要なのではないかと考えます。一つには先ほど言ったように人口の問題ですね。小さな島々で人口を吸収するようなところはありませんから、やはり外に人口が流れていくシステムが必要なのではないかと。そうでないところは都市に人口が集中して社会的不安を招く結果にもなるのではないかと思います。もう一つは限られた資源の中で、やはり外へ向かって人間が活躍、社会活動ができる機会が必要なのではないかと考えます。
 ただ日本人だとなかなか分からないのですが、独立国となった後でも海外に出るというのはなかなか難しくて、まず多くの島嶼国ではビザが必要です。そしてパスポート、それから飛行機代。日本人だとビザを必要とする国はそんなにありませんが、太平洋の方たちと付き合っていると、海外にでるにはまずビザが必要で、訪問国の招待状のようなものがないと取得できません。いつ何の目的で誰に呼ばれて行くのかといった書類を訪問国からもらって、現地の日本の大使館に行かなければならない。ビザをもらって、さらにパスポートを手配して、高い飛行機代を払ってこなければならない。
 そういった中でやはり自由連合協定とか、もしくはグアムや北マリアナのようなアメリカ領、大国の領土としてとどまるということは、ひとつの島のあり方だと思います。

 あとこのウィキペディアからとった写真なんですが、このスライドをお見せして今日は終わりたいと思います。

Kwajerin.png


 これはどこだかご存じでしょうか。マーシャル諸島のクワジェリンです。ここにアメリカ軍の迎撃ミサイル基地があります。ミクロネシア3国は先ほど申し上げましたとおり、米国との自由連合協定を結んでおり、米国の軍事的アクセスを許しております。現在私が知る範囲では、このミクロネシア3国の中で実際に米軍の基地があるのはマーシャル諸島だけです。マーシャル諸島がどういった条件でこのクワジェリンを貸しているかというのを調べたんですが、このクワジェリン環礁には島々がいくつかあります。このクワジェリン環礁をこの米軍に貸すことによって、年間1900万ドル、約80円で計算して年間15億円の費用が、この土地の所有者、酋長に入ってきます。そしてこの契約が2066年までです。15億円というのは、マーシャル諸島の年間の国家予算が約150億円ですから、10%にあたります。マーシャル諸島の国家予算150億円の70%が米国と台湾からの支援なんです。マーシャル諸島の人口が約5万4000人です。これがマーシャル諸島の現実でもあります。
 マーシャル諸島は有名なビキニの核実験がありましたので、その保障も米国から現在も受けています。米国の軍事アクセスへの代償ととして島の人々の移動の自由が確保されている、という現実がありまうす。
 このあたり、沖縄と関係してくるのではないかと思うのですが、冷戦が終わって安全保障が多角的になってきましたので、軍事以外のいろんな安全保障を考えることができるのではないかと考えています。これは沖縄だけの問題ではなくて、ミクロネシア3国、あとはグアム、マリアナも同じような状況です。彼らもなかなか経済的には厳しく、沖縄の米軍にのどから手がでるほど来てほしいという声も聞きます。パラオではアンガウル島という、まさにグアノの燐鉱石を掘りつくした島がありまして、そこを普天間の代替基地にという国会決議を2度も採択しも同国の大統領がオバマ大統領に頼みに行っています。そういった状況がミクロネシアにはあります。
 そういったミクロネシアの現状をお伝えして、今日はこれでお話を終わりたいと思います。
 どうもありがとうございました。

日米安全保障協議委員会(「2+2」)発表 [2012年04月27日(Fri)]
日米安全保障協議委員会(「2+2」)が本日発表されました。

英文
http://www.mofa.go.jp/region/n-america/us/security/scc/pdfs/joint_120427_en.pdf

この中の II. New Initiatives to Promote Regional Peace, Stability, and Prosperity に気になる表記があります。

”The Government of Japan, for its part, plans to take various measures to promote safety in the region, including strategic use of official development assistance, for example through providing coastal states with patrol boats.”

日本のODAでパトロールボートをアジア太平洋の同盟国、パートナーの沿岸国に供与する事を例として上げています。

船をあげるより、シップライダーの方がいいのに。。。
「移動する太平洋の島の人々」(6) [2012年04月27日(Fri)]
(2012年1月琉球大学国際沖縄研究所のご招待で講演させていただいた内容を同研究所の許可を得て掲載させていただきます。)

「移動する太平洋の島の人々」(6)
琉球大学国際沖縄研究所:IIOS レクチャーシリーズ2011第6回
2012年1月10日(火) 18:00〜19:30 (於てんぶす那覇4Fテンブスホール)

 さて、次に教育と移動のことをお話したいと思います。
 先ほど説明をしましたように、多くの島嶼国は独立したものの旧宗主国や大国との関係を重視していますので、特別な枠で留学や奨学金をもらうことが可能です。ただもちろん全員がもらえるわけではありませんので、やはり地域内での人材育成が必要となってきます。しかしそれぞれの国は大変人口も少なく、一番多い国のパプアニューギニアで約700万人、次に多いのがフィジーで70万人、そしてソロモン、バヌアツが確か50万人ぐらいで、あとは10万人、ツバルにいたっては1万人をきっています。こういった小国ですから、それぞれの国が大学を設けるというのは不可能に近い。それで1970年にこのフィジーに本校を置く形で12の島国をまとめた地域の大学、南太平洋大学(USP)が設立されました。広大な海域に散らばった島々をいかに結ぶかという課題が当初からありました。そこにちょうどいいタイミングで、冷戦の時代ですね、アメリカが衛星開発に力を入れていました。他方莫大な予算がNASAにつぎこまれることに対して米国議会内からの批判もあり、それに対処する目的もあって中古のNASAの衛星を利用した実験を発表しました。この実験に応募したのがハワイ大学です。PEACESATといいます。PEACESATはちょうど南太平洋大学ができたときと同時に開始されました。そして南太平洋大学はPEACESAT事業に参加する形でUSPネットという遠隔教育のネットワークを構築したのです。

USPNet.png


 中古の衛星ですから、燃料はまだあるのですが地上からの操作ができなくて安定したものではありません。当時は今と違って国際通信がまだモノポリーで非常に高い時代でしたから、南太平洋大学が国際電話を使えるような機会はほとんどなかったわけです。そのような環境の中で無料で国際通信ができるということは大きな意味がありました。これが南太平洋大学の遠隔教育のきっかけとなりました。80年代後半、この衛星の燃料がなくなって、どこかに飛んでいっちゃうんですね。それで南太平洋大学としては商業衛星を利用し安定したネットワークを構築し教育を行いたいという強い希望がありました。
 実は当初は笹川平和財団のほうに申請があったんですが、笹川陽平会長がこれはODA案件にせよという指示があり、島嶼国の関係者と協力し日本政府とかけあった結果、最終的には日本政府とオーストラリアとニュージーランドの3国の協調案件としてインテルサットを使ったネットワークが構築されました。
 奨学金をもらって大国に留学する人たちもいるんですが、島の中には留学できない、仕事があったり家族がいたりして留学できない人たちもいますので、この遠隔教育のシステムがあることによって自分島にいながらにして教育を受ける機会が生まれました。

 人の移動の話に戻ります。移民する人が多いのですが、やはり高い教育を持って移民したほうが、高い収入を得る可能性があります。自分の国への送金にも大きな期待があるわけです。先ほどの移民のところで一つ言い忘れたのですが、太平洋島嶼国の経済を支えているのが、一つはこれらの移民している人たちの送金だと言われています。レミッタンスです。彼らの送金によって島嶼経済が成り立っている部分が大きいと言われています。他には漁業権が、例えばミクロネシア連邦などでは1位です。あとは援助と言われています。
「移動する太平洋の島の人々」(5) [2012年04月26日(Thu)]
(2012年1月琉球大学国際沖縄研究所のご招待で講演させていただいた内容を同研究所の許可を得て掲載させていただきます。)

「移動する太平洋の島の人々」(5)
琉球大学国際沖縄研究所:IIOS レクチャーシリーズ2011第6回
2012年1月10日(火) 18:00〜19:30 (於てんぶす那覇4Fテンブスホール)

Migration.png


 このように太平洋の島々が旧宗主国、また大国との関係を重視している背景には資源の限られた島々が完全に独立して自立してやっていくのは難しいといったことが考えられると思います。 
 これは2001年のニュージーランドの国勢調査です(スライド18)。どちらかがニュージーランドに住んでいる人口になります。皆さんどちらがニュージーランド在住で、どちらがそれぞれの島の在住だと思われますでしょうか?
 こちらの左側のほうが2001年の時点で、ニュージーランドに住んでいる人口です。トンガは約40%、サモアは約60%、そしてクック諸島にいたっては島に住んでいる数の3倍がニュージーランドに住んでいます。そしてトケラウは4倍の人口、ニウエは12倍ですね。トケラウはニュージーランド領ですが、クック、ニウエは先ほどご説明しました自由連合協定を締結していますので、人の移動は自由です。
 今回数字は出せなかったのですが、ミクロネシア諸国も同様に人口の半分以上が米国の本土に住んでいると思います。他国に人口の移動をする枠がないメラネシア地域なんですが、これはパプアニューギニア、ソロモン諸島、フィジー、バヌアツです。実はこの人口移動ができないメラネシア地域で2000年あたりからクーデター等社会情勢が不安定な状態が続いています。つまり人口の移動の自由を確保できている島々は平和で、比較的政治が安定している。他方、人口が移動に自由度が低い国はそれが直接の原因がどうかは分かりませんが、政情が不安である。
 この問題にいち早く気付いて対策を立てているのが、実はニュージーランドです。ニュージーランドは海面上昇で島が沈むと言われているツバルからも毎年数百名の移民を受け入れる枠を設けています。環境難民という枠組みではなく、人口問題、経済福祉の視点から太平洋国家としての責任、大きな概念の国益として、ニュージーランドはツバルの特別な移民枠組みを設けています。
 ニュージーランドはポリネシアで先住民マオリの方たちがいます。そういった太平洋の文化背景もあって、サモア、トンガなどポリネシアの国々からも毎年何百人という枠の移民を受け入れています。それからニュージーランドは移民枠だけでなく季節労働者の受け入れもいち早く進めています。毎年数カ月、ぶどう摘みとかグループで各島から受け入れをしています。それが、いま結構うまくいっているようで、当初オーストラリアはこういった受け入れに積極的ではなかったのですが、今年あたりから徐々に受け入れるようになってきました。
「移動する太平洋の島の人々」(4) [2012年04月25日(Wed)]
(2012年1月琉球大学国際沖縄研究所のご招待で講演させていただいた内容を同研究所の許可を得て掲載させていただきます。)

「移動する太平洋の島の人々」(4)
琉球大学国際沖縄研究所:IIOS レクチャーシリーズ2011第6回
2012年1月10日(火) 18:00〜19:30 (於てんぶす那覇4Fテンブスホール)

PacPolStatus.png


 まず独立国ですが、パプアニューギニア、フィジー、バヌアツ、サモア、ソロモン、トンガ、ツバル、ナウル、キリバスです。ただし、この中で元首に外国人を迎えている国があります。パプアニューギニアとソロモンとツバルですが、どこの国だと思われますか。イギリスのクイーン・エリザベスが元首なのです。またフィジー、トンガ、バヌアツ、サモア、キリバス、ナウル、クック諸島、ニウエも英連邦、すなわちイギリスの連邦、ブリティッシュコモンウェルスのメンバーになっています。太平洋の島々は旧宗主国、英国との関係を非常に重視していると言えると思います。
 それから皆さんにもなじみの深い国々だと思うのですが、ミクロネシアのマーシャル諸島、ミクロネシア連邦、パラオ、これらの国々は80年代、90年代に独立しましたが、米国との自由連合協定という条件のもとに独立しています。まだ冷戦時代でしたから、端的に言いますと、米国に安全保障と外交をゆだねるという条件のもとで、米国から財政支援とそれから米国への移動の自由を認めてもらうといった条件で独立を果たします。
 実はこの自由連合協定という政治的な地位は、戦後国連で制定された制度なんですが、最初にニュージーランドがこの制度を利用してニュージーランド領であったクック諸島、ニウエと自由連合協定を締結し自治を確立させます。トケラウはまだニュージーランド領で、今まで島民投票をしています。島民の判断でいまだにニュージーランド領です。
 ニュージーランドとこれらの島々の関係ですが、ニュージーランドのパスポートを持っており、市民権もある。ニュージーランドには自由に行けるし住める。ニュージーランドのパスポートで世界中を旅することができる。また財政支援も受けられるといったものです。しかしニュージーランドは米国と違い、軍事的、戦略的な背景はありません。

Pacificeez.png


 それから太平洋の島々の中で無視できないのが米領の存在です。ハワイ、マリアナ諸島、グアム、米領サモア。あとあまり知られていない無人島ですがキングマン環礁、パルミラ環礁、ジョンストン環礁、ハワード島、ベーカー島、ジャビス島、ウェーク島、ミッドウェー環礁があります。この8つの米領無人島が太平洋にあります。あとでEEZの地図もお見せしますが、世界一のEEZ(排他的経済水域)を誇るアメリカの50%のEEZがこれらの島々で形成されています。ちょっと計算したのですが、この中でも無人島が形成しているEEZは、50%半分以上です。
 なぜこれらの太平洋の島々が米領になったのでしょうか?
 1800年代の拡張主義時代、ハワイではリリウオカラニ女王に銃を向けてアメリカの領土とした。北マリアナは第2次世界大戦後に日本から獲得した島ですね。米領サモアは、南太平洋の中で一番の良港があるといわれていたところで、ドイツとの協議で、米領となりました。
 それから小さな無人島ですが、なぜ米国領になったかというと、「グアノ島法」というおもしろい法律がアメリカにあります。グアノというのは燐鉱石、鳥のうんちです。このグアノがある島々をアメリカの市民が見つけて、その島がすでにどこかの国に支配されていなければ、それをアメリカ領と宣言することができる、それにあたっては大統領が軍隊を派遣して守ることができると、以上おおざっぱな説明ですがこんな法律がアメリカにまだあります。この法律によって、アメリカは現在までこれらの島々の領有権を主張しているわけです。ただ今となっては海洋安全保障の観点からこれらの島々が米国に属していることは、まあ良いのかなと思います。
 グアノ即ち燐鉱石を取り尽くした後、全部ではありませんが核実験に利用され、その後は核兵器の廃棄場として利用されています。島というのは経済的な活動をしていないと領有権を認められませんので、2008年だったと思いますがブッシュ大統領が駆け込み法案で世界最大の海洋国定公園を作ったのです。これらの島々は世界で最大の海洋公園の一つになりました。そういった米国の覇権の名残が太平洋にはあります。
 それからフランスです。フランスも非常に大きなEEZを太平洋に持っています。仏領ポリネシア、タヒチがあるところです。それからニューカレドニア、ワリスフツナ。ヨーロッパにあるフランス自体のEEZは大変小さいのですが、フランスのEEZの90%以上が海外領によって形成されているものだそうです。このEEZを調べますと、太平洋にある3つの島々はだいたいフランスの全体の65%のEEZを占めています。仏領ポリネシアはご存じだと思うのですが、ムルロア環礁がありまして、1996年、最近まで核実験が行われていました。
 それからイギリスは90年代になって太平洋から関心が引いてしまったのですが、まだピトケアン島が英領で残っています。これは年齢が上の方はご存じかもしれませんが、「バウンティ号の反乱」というマーロン・ブランドが主演をした映画があります。タヒチにきたイギリス船で船員たちが反乱を起こして、タヒチの女性を連れて逃げて暮らしている島です。これは実際にあった話ですが、そういう歴史的背景からイギリスがまだビトケアンを領有しています。それから、モアイで有名なイースター島が今チリ領になっています。
「移動する太平洋の島の人々」(3) [2012年04月24日(Tue)]
(2012年1月琉球大学国際沖縄研究所のご招待で講演させていただいた内容を同研究所の許可を得て掲載させていただきます。)

「移動する太平洋の島の人々」(3)
国際沖縄研究所:IIOS レクチャーシリーズ2011第6回
2012年1月10日(火) 18:00〜19:30 (於てんぶす那覇4Fテンブスホール)

Magelan.png


 次に500年前に移りたいと思います。ここからは皆さんがよくご存じの太平洋へのヨーロッパ人の拡散になります。まず1500年代に、スペイン人のマゼランが太平洋にやってきます。当時ヨーロッパはスペインとポルトガルが覇権を握っていました。この2つの国は、ヨーロッパ以外の世界を二分するというトリデシャス条約というのを結んでいました。彼らは太平洋に来て、勝手にグアム、北マリアナは我々の領土と宣言し、300年以上植民地支配することになります。

Tasman.png


 次にやってきたのが1600年代。オランダ人のタスマンが太平洋にやって来ました。彼は現在のニュージーランド、オーストラリアまでやって来まして、広い太平洋の存在を確認することになります。
 オーストラリアは以前ニューホーランドと呼ばれていました。それからニュージーランドのジーランドというのは、まさにタスマンの出身地であるオランダのジーランド州から取ったものだそうです。

Bougainville.png


 スペイン•ポルトガルに遅れること200年。1700年代には、フランス、そしてイギリスの大航海時代が始まります。この方はフランスのブーガンヴィルです(スライド12)。お花のブーゲンビリアは有名だと思いますが、あのお花は彼から名前を取られています。彼が南米のどこかで見つけたので、彼の名前がついたそうです。それから同じ時期にイギリスのジェームズ・クック船長が太平洋にやってきています。
 スペインとオランダの2つの航海というのは、おもに商業目的で資源を発見し開発することにありました。それに比べ1700年以降のフランスとイギリスの航海は知識の探求が中心です。1700年代ヨーロッパでは科学が発達し船には天文学者や数学者、科学者を乗せ太平洋にやってきました。ブーガンヴィルは有名な航海日誌を書いています。彼がタヒチに約1週間滞在したときの事を書いています。当時フランスのルソーなどの有名な啓蒙思想家たちに影響を与えました。社会が形成される前は、人間は平和で豊かに暮らしていたに違いないということを考えていたんですが、ブーガンヴィルが記したタヒチというのはまさに「自然人」の生活の典型的なものでした。ブーガンヴィルの航海日誌を読んだフランスの啓蒙思想家達は、これこそが人間の自由な姿であると。私の想像ですがタヒチの人々の生き方が、美しき誤解のままフランス革命につながっていったのではないかと考えています。
 ただ皆さんは島の方でお分かりになると思うのですが、島社会が自由人で成り立つと思われますか? 実際の島の生活というのは掟ばかりで、英語のタブーというのは、実はポリネシア語、この地域からきているのです。ポリネシア語の「タプ(TAPU)」というのが英語のタブーになっています。それほど島の社会というのは掟ばかりの生活で、決してブーガンヴィルが書いたような自由人が暮らす社会ではなかった。

Cook.png


 それからジェームズ・クック船長の太平洋の航海ですが、彼が太平洋に来た目的は、イギリスの王立協会からの依頼で、ある決まった時期に太平洋のタヒチのあたりで金星の日面通過を観察することでした。それが彼の太平洋にきたミッションの一つだったのです。金星の日面通過とは何かというと、太陽の前を金星が通る時期が決まっているのですが、その時に金星の大きさと太陽の大きさを比べることによって太陽系の距離が分かるんだそうです。彼の太平洋の航海によって、天文学に大きな功績を残すことになりました。

 ヨーロッパ諸国が競って手に入れようとしたグローバルな資源と知への探求を背景にヨーロッパの勢力争いの地図がそのまま太平洋に移されることになります。5万年前、3000年前の太平洋における人類の拡散と決定的に違うのは、ヨーロッパ人の拡散は科学的な知識に基づいていましたから、彼らの情報と知識はその後500年間蓄積されていくことになります。


 そして現在です。太平洋の島々はヨーロッパ人がやってきた後、植民地支配を長らく受けてきました。戦後、アジアやアフリカと同様に太平洋島嶼国も独立の道を目指しました。現在、太平洋には22の政治単位があると言われています。それをちょっと整理してみました(スライド14)。 
「移動する太平洋の島の人々」(2) [2012年04月23日(Mon)]
(2012年1月琉球大学国際沖縄研究所のご招待で講演させていただいた内容を同研究所の許可を得て掲載させていただきます。)

「移動する太平洋の島の人々」(2)
琉球大学国際沖縄研究所:IIOS レクチャーシリーズ2011第6回
2012年1月10日(火) 18:00〜19:30 (於てんぶす那覇4Fテンブスホール)

Africa2Pacific.png


 まず5万年前です。私たちの直接の祖先となる人類が発生したのがアフリカ大陸で約12万年前と言われています。何があったのかわかりませんが、アフリカから約6万年前に人類が出立して赤道沿いに東へ東へと移動していきます。そして5万年前にはすでに現在のパプアニューギニア、そしてオーストラリアにも移動してきたことが分かっています。5万年前アフリカから東南アジアまでは陸続きですから、テクテクと歩いてきたことは想像できますが、東南アジアからパプアニューギニアまでは広い海洋があります。5万年前の人たちが当時こういった海を渡る海洋技術があったのでしょうか。多分まだありませんでした。5万年前、地球はまだ氷河期だったのです。今よりも海面が80メートルから100メートル下がっていたそうです。

SundaSahul.png


これ(スライド4)が当時の東南アジア、パプアニューギニア、アフリカの様子です。東南アジアの島嶼はスンダ大陸と呼ばれる大陸があり、そしてパプアニューギニア、オーストラリアを結ぶところはサフル大陸と呼ばれていました。確かに海があるのですが今よりも短い距離で、多分小舟でこの島々を伝ってパプアニューギニアまで来たのではないかと考えられています。
 当時の人々はどんな生活をしていたのでしょうか。まだ農業はありません。狩猟生活をしていたと考えられています。これは約5万年前に彼らが使っていた石器です(スライド5)。こういった石器を使って、木を切り、燃やして、湖を沼地に変え、住居にしていた。そういった証拠が考古学の調査で見つかっています。

tools50k.png


 次に確認されているのが、約3千年前の人々の移動です。3千年前はもうすでに広大な海洋がこれらの島々を隔てています。3千年前の太平洋に移動してきた人々はオーストロネシア語族と呼ばれているグループです。台湾の原住民の方たちがその起源ではないかと考えられています。彼らは高度な海洋技術を持っていました。まず台湾からフィリピンに移動し、フィリピンからパプアニューギニアの東海岸に移動し、そしてここからサモア、フィジー、トンガ、最終的には今現在のフランス領ポリネシアのマルケサス諸島を中心に、北はハワイ、それから南はニュージーランド、そして東はイースター島に約1千年前に渡りました。
 すなわち6万年前にアフリカを出立した人類が約1000年前の時点でやっと全地球に到達したことになります。ニュージーランド、ハワイ、イースター島での人類の歴史は1000年しかありません。このオーストロネシア語族は、現在世界で一番多くの言葉を形成し、一番広い地域をカバーしているといわれています。西はマダガスカル島から東はイースター島まで、約1万5000キロです。地球の円周の約3分の1です。数千キロの距離をダブル双胴のカヌーで行き来していたことが分かっています。

AustronesiaExpantion.png


 こんなカヌー(スライド8)をご覧になった方もいらっしゃるかと思うのですが、カヌーが2つ。双胴カヌー、ダブルカヌーというものです。もちろん当時まだ燃料もありませんし、羅針盤もありません。人々は星を見て方向を定め、風と潮の流れで航海をしていったわけです。海図がありませんから、どこに島があるかわかりません。彼らはどうやって水平線の向こうに島があることを知ることができたのでしょうか。渡り鳥ではないかと言われています。毎年決まった時期に渡り鳥が同じ方向からやってきます。渡り鳥を見て、きっとあっちの方向に島があるだろうと想像し、新しい航路を、島を開拓していったのではないかと考えられています。
 3000年前の人々の生活はどうだったのでしょうか。すでに農業が始まっています。これは土器の破片ですが、ラピタ土器といいます(スライド9)。

ところで、台湾から広い太平洋に拡散していた太平洋の人々が、この沖縄に来なかった理由はないような気がするのですが、まだそういった調査結果は出ていないようです。ただし日本語を研究している方によると、日本語自体はオーストロネシア語族ではないそうですが、海洋に関連する単語の中にオーストロネシア語に属する言葉がいくつかあるそうです。多分、オーストロネシア語族の人たちの中には日本の海岸にも到達していた人たちが結構いるのではないかと想像すると太平洋と日本がつながるので楽しくなります。
「移動する太平洋の島の人々」(1) [2012年04月22日(Sun)]
(2012年1月琉球大学国際沖縄研究所のご招待で講演させていただいた内容を同研究所の許可を得て掲載させていただきます。)

「移動する太平洋の島の人々」(1)
琉球大学国際沖縄研究所:IIOS レクチャーシリーズ2011第6回
2012年1月10日(火) 18:00〜19:30 (於てんぶす那覇4Fテンブスホール)


 今日はお足元の悪い中、また新年のお忙しい中、お集まりいただきましてありがとうございます。こんなところに立ってお話をさせていただく資格はないのですが、今回は大城肇副学長、また藤田先生、国際沖縄研究センターの皆さまのご支援で、このような機会を設けていただきましたことを心からお礼申し上げます。今、藤田先生からご紹介いただきましたとおりに、ちょっと経歴が変わっておりまして、お話をする前に簡単に自己紹介と、沖縄との関係をお話させていただきたいと思います。
 音楽大学を出てどうして太平洋の仕事をしているのかといいますと、実は最初太平洋の島々の国歌の研究をするつもりでした。これだけ豊かな文化のある島々なのだからきっと豊かな国歌があるのだろうと思ったら、なんとみんな賛美歌調なんです。なおかつ歌詞もGod save the queenというような歌詞があって、一体これはどうなっているんだろうという疑問が太平洋に関心を持つきっかけでした。
 千葉大の大学院を出た後、太平洋の島の担当者を募集しているという笹川平和財団の新聞募集記事を見て面接に行きました。実際に仕事を始めたら、もう国歌どころではなくて、太平洋の島の人々の教育問題や福祉健康問題、また今やっている安全保障問題など問題が山積みされていました。20年間あっという間だったんですが、これからお話しします教育とか、安全保障という自分の専門分野とは違う事業に関わっていくことになりました。それで、やはり勉強しなければいけないと思いまして、青山学院で渡辺昭夫先生にご指導をいただいて、国際政治で修論を書きました。渡辺昭夫先生は太平洋だけでなく沖縄と大変関係が深い方で、牛島司令官の前の司令官である渡辺正夫司令官のご子息でもあられます。
 今は主人の仕事の関係でニュージーランドにいますが、私自身も今日のテーマと同じ移動する人で、日本からニュージーランドに移動し、移動することの利点と不利点の両方を経験として感じています。

 それから沖縄との関係ですが、かれこれ15年ぐらいのつきあいになります。笹川太平洋島嶼国基金は、日本と太平洋島嶼国の交流、国際理解を深めようという目的をもっています。最初は太平洋のジャーナリストを東京や大阪に呼んできたんですね。ただ規模が全く違うので、なかなか新聞記事にならない。日本には離島が1000近くあり、その中でも沖縄の八重山が固有の文化を強く残している。しかもあんな小さな島にも拘らず独立した新聞社が2社ある。宮古島もそうですね。それで八重山諸島に行きましたら、今は亡くなられた、友寄英正さんというジャーナリストの方と、それから今も活躍してらっしゃいます八重山毎日新聞社の上地義男編集長が協力したいと言ってくださいまして、10年ぐらい八重山諸島と太平洋のジャーナリスト交流を実施しました。さらに八重山諸島で太平洋の島のことを学ぶという「やしの実大学」というのも10年間ぐらい実施してきました。その中で大城肇先生にお会いし、前の副学長の嘉数啓先生にお会いし、そんなこんなで今、こうして個人的にもおつきあいをさせていただいております。沖縄のことは常に自分の心のどこかにあります。

 さて、今日のお話ですが、先に若干宣伝をさせていただきます。
 昨年、ミネルヴァ書房というところから大学生用の経済政治の教科書の一章を執筆してほしいという依頼がありました。その内容はというと、グローバライゼーションの周縁にある太平洋の島々について書いてほしいということでした。確かに過去200〜300年の歴史を見ると太平洋はグローバライゼーションの周縁にあるのですが、5万年、3000年前の太平洋の姿は全く違っていました。まさに太平洋の人々はグローバライゼーションのトップランナーだったわけです。その部分を知っていただかないと、太平洋の人々のダイナミズムが伝わらない。今の文化の豊かさとか、今の政治のあり方とか、そういったものが伝わらないと思いまして、監修者の反対を押し切って、先史を、5万年前と3000年前の話をいれさせていただきました。
 今日のお話はこの教科書に書いた一章をもとにしてお話をしたいと思います。4つに分けまして、まず5万年前、それから3000年前、そしてヨーロッパの人たちがやってきた500年前、そして現在というふうにお話をさせていただきたいと思います。
書籍出版のお知らせ『ラテンアメリカ・オセアニア』 [2012年04月21日(Sat)]
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 ミネルヴァ書房から世界政治叢書『ラテンアメリカ・オセアニア』がこの4月30日の発行される事になりました。
 この中の第9章を書かせていただきました。
 タイトルは「太平洋島嶼国の政治経済と地域協力」と固いのですが、5万年前の先史から、欧米の植民と独立、USPNetやPEACECATの話、漁業資源の地域管理、そして越境犯罪と海洋安全保障へ向けた地域協力で締めくくりました。
 大学生1、2年生用の導入的な内容を、ということでアレもコレもと、20頁に詰め込み過ぎたかもしれません。

 さて、このお話を監修者の菊池努教授からいただいたのが昨年の5月頃でした。当初予定していた執筆者がドタキャンされたそうで3週間で書き上げてほしい、という条件。しかもその3週間は偶々出張期間と重なっており、悩んだ末、愚夫の後押しを受けて書かせていただくことに。

 どうにか3週間で書き上げる事ができたのは、このブログに書き溜めてあったからです。それもこれも、2年前このブログを立ちげろ、とアドバイスいただいた笹川陽平会長のおかげです。ここに改めて感謝申し上げます。
 印税は日本財団のROADプロジェクトに寄付させていただきます!
 といってもミネルヴァ書房担当者のご説明では、印税は9人の執筆者で分けるそうなので、あまり期待できないようですが。。。

 
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