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早川理恵子博士
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知恩院さんの法話 ー 一年の計 [2012年01月31日(Tue)]
 今年も知恩院さんの法話に参加した。
 といっても、体の調子がイマイチで一回だけ参加。
 朝から声明を聞くのはすがすがしく、厳かな気持ちになる。
 
 声明の後が法話だ。
 法話では、お坊さんが紫の袱紗からやおらiPadを取り出し、目の前に置きながら45分のお話をいただいた。
 スティーブ・ジョブスがここにもいた。
 ジョブスが禅をやっていたのでお坊さんとiPadという取り合わせも自然に見える。

 お坊さんのお話は一年の計を遅くとも一月中には決めなさい。そうしないと一年を漫然と過ごす事になりますよ。というお話だった。

 今日がその一月最後の日。まだ一年の計は定まっていない。どうしよう!

 知恩院さんは本堂の改修工事で、場所がわかりずらくなっています。
本堂の裏の奥の方でやってはります。
マザーウォーター [2012年01月30日(Mon)]
マザーウォーター

 数年前、京都の白川沿いを歩いていたら偶然映画の撮影現場に出くわした。
 どの映画かずっと気になっていたがやっと見つけた。
 『マザーウォーター』
 物語がない、物語。

 撮影場所は京都だけど誰も京ことばを話していない。
 古いもの、といば銭湯くらいだ。お寺も神社も出て来ない。
 ただただ、鴨川と白川の流れで京都をミセル。
 そして、水がいのちのお豆腐、コーヒー、水割りが出て来る。

 そんな京都の切り口も面白い。
 京都に川がなければ1300年の歴史は重苦しいものになっているだろう。
 

 何時間もかけて撮影したでろう部分は数秒しか写っていなかった。
 映画を作るって大変だな。
友寄英正さんと笹川太平洋島嶼国基金 [2012年01月27日(Fri)]
友寄英正さんと笹川太平洋島嶼国基金

 気骨のジャーナリスト、八重山の友寄英正さんとの出逢いがなければ笹川太平洋島嶼国基金は沖縄と太平洋島嶼国の関係を築けなかったであろう。
 友寄さんとの出逢いを書いておきたい。

 日本と太平洋島嶼国の相互理解・相互交流を目的に設置された基金。
 東京に太平洋の島のジャーナリストを連れて来ても規模が違いすぎて記事にならない。
 日本の島と太平洋の島を結んではどうか?当時基金室長だった長尾真文さんの提案だった。
 島旅専門家の河田真智子さんの記事を示して、この人に会ってみれば?とも。

 早速河田さんに会った。日本の島で国際交流事業をやるなら、佐渡か、奄美か、八丈島あたりよ、とアドバイスをいただき、各島で「島で島を語る会」を開催。その中でも奄美大島が本土並みを越えた南への視点を探求していた。
 奄美では、ばしゃ山村の奥篤次さん、考古学者の中山清美さん、そして南海日々新聞の松井輝美さんが中心メンバーだった。河田さんが『ササカワ』を色眼鏡で見ていたのは自分たちの方だった、と雑誌か何かに書いてくれたことは覚えている。

 沖縄は最初予定にはなかったのだ。
 20代の私が奄美の3人のおじさんを怒らせてしまった。
 「世のため人のために事業をやる気はない。自分たちのロマンを求めたい。」
 「おじさま達のロマンに公益のお金はダセマセン!」
 おじさまのロマンはフラジャイルだった。「もうやらん!」。ただ、南海日日の松井さんは、多少反省があったようだ。その後、私を八重山に連れて行ってくれた。

 人生何が幸いするか分からない。

 八重山ではジャーナリスト協会の方々が集まってくれた。
 読売か朝日か忘れたが、泡盛が進むにつれてササカワ叩きが始まった。私も泡盛の勢いで結構言い返した記憶がある。
 もう二度とこんな島に来るものか!(遠いし。)と朝起きたら友寄英正さん(確か当時はRBCの特派員)と八重山毎日新聞の上地義男編集長から連絡があり、会いたいという。
 そう言えば昨晩地元ジャーナリストは言葉が少なかった。

 「本土の新聞社が勝手に八重山の事を決めてけしからん。俺たちはやるからよろしく。」
 「エッ、昨晩本土の記者が右だ左だ、とネチネチ言ってましたがいいんですか?」
 
 友寄英正さんは、右と左にどんどん行くと最後はぶつかるんだよ、と笑っていた。若い時社会党の帆足計の秘書をしていた。でも左翼が、特に新左翼の傲慢さが大嫌いだと言っていた。
 後で知ったことだが1971年の佐藤栄作首相の沖縄返還演説で爆竹事件があったが首謀者は友寄さんだった。わざと八重山、宮古と違う方言を使う青年を配置し、裁判ではヤマトグチは使わせなかったという。筋金入りの左翼である。イヤ「正翼」だ。

 友寄さんは糖尿病で2007年、あっという間に亡くなられてしまった。約10年、太平洋島嶼国と八重山諸島を結んだジャーナリスト交流事業、そして島で島を学ぶ「やしの実大学」を率いてくださった。

 「バカタレ!」が口癖だった。今でもどこかで友寄さんが見ていて「バカタレ!」と言われているような気がする。
速報 パプアニューギニアで軍部の反乱 [2012年01月26日(Thu)]
26日未明、パプアニューギニア時間朝3時に、ソマレ派のパプアニューギニア軍12−20名が、パプアニューギニア軍のhead Brigadier General Francis Agwiを拘束。
退役軍人のColonel Safaが新たなhead になることを宣言した。

昨年、4月にソマレ首相が心臓手術のためシンガポールに滞在中、8月にオニール首相が誕生。この過程を巡り国内で混乱が続いていたが、新首相を認める方向で法的に決着した様子であった。

独立の父、マイケル・ソマレ閣下は今年76歳になる。


続報:26日 
反乱軍は1週間以内にオニール首相が辞任しなければ武力行使を辞さないと声明。他方、政府は反乱軍は軍の少数派で、その大半を検挙したと伝えている。
情報が錯綜しているので、またここ数日見守ります。

続報:27日
反乱軍は全員逮捕されたそうです。
see
PNG PRIME MINISTER SAYS MUTINY OVER
Commander Agwi back in charge, rebel soldiers arrested
By Liam Fox
官僚に学ぶー16倍速「仕事術」 [2012年01月25日(Wed)]
『官僚に学ぶ仕事術』 久保田崇著 マイコミ新書

『16倍速仕事術』 本山勝寛著 光文社

 
 立て続けに、30代の久保田氏、本山氏の仕事術を拝読した。
 片や中堅官僚(現在陸前高田市副市長)、片やNGO職員。不思議な事に内容はシンクロナイズしている。

 時間の使い方だ。メリハリをつける。10年を、1年を、一日を漫然と過ごさない。
 それからインターネットの活用だ。新聞なんか読まない。ネットワーク作りで仕事を支える。
 私がお二人に出会ったのもツイッターを通じて。久保田さんとは日本青年国際交流機構、本山さんとは日本財団という共通の組織があったがツイッターがなければ出会う事は無かった。ちなみにオフラインでお会いした事はまだなく、いつかお会いできる事を楽しみにしています。

 残業をして、体を壊してしなければならないほどの仕事量をこなして来た事への反省が両著者の執筆背景にある。そして、人生の意味、特に家族との時間を大切にしたい、との強い思いがある。久保田さんが新婚旅行に2週間の休暇を取ったのは天晴!

 本山氏曰くこのようなノウハウ本は通常成功を収めた40代、50代が書くものらしいが、今山を登っている若者が書く事に説得力がある。

 私も20代で笹川平和財団に入ってから20年、一人で年間10件の事業を回してきた。その他に広報も実施。加えてボランティア活動とデートにも忙しかった。そんなにきれいに線はひけずデート中は仕事の話しばかりしていたし、仕事中にボランティア団体からの電話をよく受けていた。まだメールがなかった時代だ。周りの目は厳しかったナ。

 高度成長時代を生きた、今の60代70代のおじさん達に「家族第一のセンス」はない。本当はあるのだと思うが、表立って言わない。奥さんも働いている、という方は少ない。
 早く久保田さんや本山さんのような人が幹部になって欲しい。日本社会も、女性の社会進出も変わるかもしれない。
 
good news - bad news [2012年01月16日(Mon)]
good news - bad news

 良いニュースがあれば悪いニュースが出て来る。きっと世の中はそういうものだ。
 昨年のハワイ出張で得たgood news とbad news. 

 笹川太平洋島嶼国基金は1991年からPEACESAT事業を支援し、共に活動してきた。PEACESATは冷戦最中に衛星の平和利用を提唱したケネディ政権の落とし子であり、冷戦終結以降はダニエル・イノウエ議員の格別な支援を受けて継続して来た。

 PEACESAT - Pan Pacific Education and Communication Experiment Satellite は"Experiment"がついているように実験である。NASAの中古衛星を利用しながら40年近く運営され、USPNetやFFAの運営基盤となっていた。実験を越えた公的機関の実用ネットワークだった。
 それが、90年代半ばから衛星の自由化に伴い、どんどん衛星通信が安くなり、PEACESATの存在意義が薄れて来た。ハワイ大学はこの実験事業に予算を確保するための努力が必要とされていた。
 イノウエ議員のサポートもあり連邦政府のPublic Telecommunications Facilities Programから毎年約5千万円の予算を確保。10年近くこの予算でなんとかつないできたが、米国政府の財政難から昨年このプログラムが突然中止され、ハワイ大学のPEACESATはただならぬ様子である事が気配でわかった。
 ディレクターのクリスティーナ・ヒガ女史とは20年来の知り合いであるが、彼女はこれから組織のスリム化、整理をする立場にあるようだった。なんと声をかけていいのか言葉に詰まった。
 これがbad newsだ。

 PAECESATとは何か、という議論をイノウエ議員としたい。対太平洋島嶼国支援の原型がそこにあるような気がしている。ハワイ選出のイノウエ議員は米国で太平洋島嶼国に関心を寄せる数少ない政治家のリーダーだ。
 もしもNASAの中古衛星を利用した物理的な無料公共サービス、という定義であればその命は終焉を迎えたのであろう。しかし、もっと哲学的な定義、即ち市場経済が相手にしない小規模経済の離島の人々の福祉、命を助ける通信手段というコンセプトであるとしたら、もう一つのgood newsもPEACESATがらみだ。

 グアム大学のPEACESAT局には、20年来の知り合いで笹川太平洋島嶼国基金の助成先でもあるブルース・ベスト氏がいる。
 ボランティアで無線ネットワークを利用しミクロネシアの離島に毎日お天気情報を流している。もう40年近くやっているはずだ。彼がいなければ何十人、何百人の離島の人々の命が失われていた。ミクロネシアの離島はこのHFが唯一の通信手段である。USCGが行う海難救助活動も支援してきた。

 彼が発明したのがChatty Beetle である。
 各離島では首長の家にHFの機材が置かれる。しかし、津波や台風の警報を伝えたい時、もし首長が不在だったり、寝ていたらどうするのか? Chatty Beetle は緊急警報を音で知らせるシステムだ。
 通信技術の発達で、HFラジオでも静止画、emailが送れる様になった。豪州のPPBPもインマルサットからHFに切り替えた。HFは無料でしかもライセンス不要。NOAA, FEMA, 世界気象機関, EU等々から注目され、USAIDで10台程ミクロネシアの離島に配られることが決まったという。


 HFネットワークが100近いミクロネシアの離島に張り巡らされているのは笹川太平洋島嶼国基金の成果なのである。
 これがgood newsだ。
京都でエイサー? 福島ー沖縄ー京都を結ぶ袋中上人 [2012年01月15日(Sun)]
京都でエイサー?
  福島ー沖縄ー京都を結ぶ袋中上人


 沖縄から京都に移動。京都に住む娘の友達と奈良に行く計画を立てた。
 「そう言えば明日はエイサーの練習日なんです。奈良には行けない。」
(エっ、エイサー? 私は今京都にいるんだよね? 昨日までが沖縄だったけど。何で京都でエイサーやるの??)

 沖縄ボケか、ハタマタこれは夢か。一瞬ワケが分からなくなったが、実は京都と沖縄はエイサーで結ばれていたのです。

 福島いわきの袋中上人(1552−1639)というお坊さんが、中国に仏教を学びに行こうとしたが、諸般の事情で断念。途中の沖縄に1603年から3年滞在。その時念仏踊りを広めたのがエイサーの起源、という説があるそうじゃ。
 その袋中上人は日本に戻り、京都・奈良に20以上のお寺を建立。その一つが三条にある檀王法林寺で、娘の友達がエイサーを練習しているところ。
 琉球王国からの依頼で上人は『琉球神道記』や『琉球往来』を執筆している。上人が琉球を去った3年後に薩摩侵攻があったため、薩摩のスパイ説まで浮上しているようだ。確かに20以上のお寺の建立資金はどこから得たのだろう?


 奈良行きは中止して、母娘共々飛び入りでエイサーを練習させていただきました。
 檀王法林寺の先生方、ありがとうございます。
太平洋島サミット メモ [2012年01月14日(Sat)]
第1回 1997 (東京)
共同議長 橋本首相 

第2回 2000 (宮崎)
太平洋フロンティア外交(宮崎イニシアティブ)
共同議長 森首相 

第3回 2003 (沖縄)
より豊かで安全な太平洋のための地域(開発)戦略 沖縄イニシアチブ 
共同議長 小泉首相 

第4回 2006 (沖縄)
より強く繁栄した太平洋地域のための沖縄パートナーシップ 
共同議長 小泉首相 

第5回 2009  (北海道)
太平洋環境共同体 
共同議長 麻生首相

第6回 2012 (沖縄)
10万年の海面の動き [2012年01月13日(Fri)]



6万年前からの人類の移動の話をするために、海面の動きを調べた。
1万年前までは地球は氷河期だったので、今沿岸に沈んでいる地域は陸続きだったのだ。
パプアニューギニア、オーストラリア大陸はサフル大陸と呼ばれ陸続きだった。
東南アジアからからも島伝いに小舟で渡れる距離だった。

モナシュ大学のウェッブに過去10万年の海面の動きがわかる資料があったのでご紹介したい。
http://sahultime.monash.edu.au/explore.html

アフリカ大陸を人類が出立した6万年前は今よりも海面は60メーター低い.


3万年から2万年前がかなり冷え込んだようで、海面は今よりも130メーターほど低い。
そして1万年前からどんどん暖かくなり現在の海面レベルに近くなっていく。

このウェッブにはないが、4500-4800年前は今より2.4メーター、4500から3500年前は2.1メーター、今よりも海面は上昇していたそうである。(*)
つまり、キリバスやツバルは海面の下にあった。

*Chen, YG. and TK. Liu 1996. Sea-level changes in the last several thousand years, Penghu Islands, Taiwan Strait. Quaternary Research 45:254-262.
『繁栄と衰退と ー オランダ史に日本が見える』岡崎久彦著 [2012年01月05日(Thu)]
『繁栄と衰退と ー オランダ史に日本が見える』岡崎久彦著

UNCLOSが基盤としているのがグロティウスの「自由海論」で、そのグロティウスを生んだオランダの特殊な立場や歴史を知りたくなった。

 岡崎久彦著『繁栄と衰退と ー オランダ史に日本が見える』はEllis Barkerの "The Rise and Decline of the Netherlands: A Political and Economic History and a Study in Practical Statesmanship" を下敷きにオランダ史をなぞりながら、日本と比較する興味深い本である。

 オランダはヨーロッパの中でも自然環境が厳しい土地で、人々は昔から勤勉で優秀であったという。「1421年の大暴風雨では一夜に七十二の村落が壊滅し、十万人の命が失われた」とある。
 そしてその個人主義、自由主義はスペイン帝国から異端者として嫌われ虐殺と支配を受けてきた。1581年に独立を宣言。グロティウスの自由海論はこんな背景をもって誕生したのである。

 オランダは独立を遂げたものの、支援者であるはずのイギリスやフランスを裏切るような金儲け優先の行為を取る。何百万人もの同胞を虐殺したはずのスペインの利に合うことをしてしまう。

 ニュージーランドで、時々「ダッチにしましょう。」と言われる。割り勘にしましょう、ということだそうだ。あまり一般な表現ではないが、お財布の紐が固い、譲り合わない、そんなオランダ人への偏見から生まれた言葉のようである。
 オランダからの移民と親しくなると、イギリスが主流の豪NZの社会で同じ移民でありながら差別がある、とも聞く。

 ニュージーランドはオランダのジーランド州から名付けられた名だし、オーストラリアはニューホーランドと呼ばれていた。両国を最初に「発見」したのもオランダ、ジーランド州出身のタスマンである。

 外交官であった著者の意見が興味深かった。
 オランダの政治的弱さが中央集権的でなかった事を指摘しつつ、著者が外務省にいるとき「外務省のため」という表現に徹底的に反発した、という。首相にまで進言したらしいから世に言う「省益あって国益なし」は本当なのだと思わずにはいられない。

 外務省が掲げる「太平洋の海洋外交」。他の省庁とどこまで調整されているのか?また政治家はどのようにリーダーシップを取っているのか、いないのか?
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