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早川理恵子博士
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オオツゴモリの手伝い [2011年12月31日(Sat)]
オオツゴモリの手伝い

大晦日、オオツゴモリは京都に滞在しているイギリスの友人の手助けをする事となった。
イギリスにいる102歳になる父親が亡くなったという。
航空券の手配やらなんやらでお手伝いさせていただいた。

旅行先での突発的な出来事への対応というのは、やはり地元の人に助けてもらうのが一番である。自分も経験がある。友人からは大変感謝された。

102歳ともなれば、家族も常に死を予期していたようで、友人は一見、淡々としていた。
「昨年父に会った時、もう生きている意味がないと言われた。杖をついて歩いていたが頭ははっきりしていたんだよ。」
老人ホームのようなところで一人で暮らしていたらしい。


お母さんが子供の時に見ていたマンガがみたい、という娘にサザエさんを見せたところ、
「こういう家族がいい。なんで家にはおじいちゃんとおばあちゃんがいないの?それから猫も。。。」
と言われたので、シメシメと思い
「結婚したら、お母さんもいっしょに住まわせてね。」
と嘆願した。娘は素直でやさしく
「わかった、わかった」と肩を叩いてくれた。

オオツゴモリの月は霞がかかってぼんやりしていた。
オオツゴモリの鯨 [2011年12月30日(Fri)]
オオツゴモリの鯨

 大晦日はイギリスの父親が亡くなられた友人の帰国の手伝いをしていた。 
 何かの拍子にニュージーランドで製作された"Whale Rider"という映画の話になった。

(私)「あれはプロパガンダよ。ニュージーランドもオーストラリアも所有権が未定の南極とその海洋に日本が乗り出してくるのが気に食わないのよ。」
 急に友人の同伴者が感情的に話しだした。
「あれはすばらしい映画よ。プロパガンダなんかじゃない。鯨は美しい生き物なの。食べてはいけないのよ。鯨は歌を歌うのよ。」と5分くらいヒステリックに話し続けた。

 ニュージーランドやオーストラリアの反捕鯨は南極の領有権の政治的問題をはずせば、一部の感情的な環境保護活動家の動きと理解していた。今までも常識と良識あるこれらの国の人々からは反捕鯨感情論を直接聞いた事がなかった。初めての経験である。
 
 確かにこのような反応をされると、反感を持つ。人種差別、文化差別だ。西洋の過去の罪(捕鯨)はどう説明するのだ!「カンガルーは子供をおなかのポケットに入れるかわいい生き物なのよ。」とでも言い返したくなった。
 ここで同じレベルになってはいけない。無視する事とした。
 違った意見があっていい。が冷静に意見交換ができるのが良識ある人々のはずである。

 この人が、民博の外国人招聘研究者で、半年以上日本に滞在している事を思い出した。私たちの税金で、少なくとも数百万円を使って滞在しているのだ。
 ナンカ、ナットクできないなア。

 
つごもりて 流れる時を 迎えタツ [2011年12月29日(Thu)]

 つごもりて 流れる時を 迎えタツ
沖縄での講演会ー島サミットの片鱗 [2011年12月22日(Thu)]
沖縄での講演会ー島サミットの片鱗

 このブログで太平洋の島情報を発信させていただいているおかげで、今年は日本の大学生の教科書執筆の機会をいただいた。
 ミネルヴァ書房からシリーズで出版されている「世界政治叢書」の「ラテンアメリカ、オセアニア編」だ。急な依頼で3週間で書いて欲しい、という。幸いこのブログのおかげで既に書いてあるものを継ぎ接ぎしながら完成することができた。

 その草稿を島嶼経済専門の大城肇琉球大学副学長に見ていただいた。今までにない視点、という評価をいただき、当方の日本滞在中に琉球大学でセミナーを開催したいというお申し出をいただいた。
 当初、学内の10名程度が参加、という話だったのに、急に60名程度の学生相手に、という話になった。結局那覇の国際通りにあるテンブスホールで200名の聴衆を相手に話をする事になってしまい、足が震えだしている。私の次の講演者は民博の須藤館長と伺い、さらに血の気が引いて来た。

 講演のテーマは『移動する太平洋の島の人々』とした。
 人類が6万年前にアフリカ大陸を出立して1万年も経たない内に、今のパプアニューギニアまで移動してきた。当時は氷河期で海面が今よりも低く、東南アジアからオーストラリアの沿岸地域は陸続きだった。氷河期が終わる頃、今から約一万年前に世界最古の農業がパプアニューギニアで始まった。
 こんな話から始める予定で、クック諸島の人口の約3倍がニュージーランドに住んでいる話で終えたいと考えている。

 自分の講演の案内よりも、この講演会の主催者の事の方が重要である。
 主催は琉球大学沖縄国際研究所。2000年に沖縄で開催された第2回太平洋島サミットの成果なのである。
 サミット終了後、沖縄に太平洋島嶼研究の拠点を、ということで「アジア・太平洋島嶼研究センター」が設置された。しかし、音頭を取ったはずの外務省は何のフォローもして来なかった。外務省の外郭団体の島嶼研究者をこのセンターに置く案が沖縄側から却下されたから、とも聞く。
 事務局運営のスリム化を目的に2009年、学内にあったアメリカ研究センター、移民研究センターと統合された。
 久しぶりの沖縄訪問では、このセンターの最近の活動についてお話を聞く事も楽しみにしている。

国際沖縄研究所レクチャーシリーズ2011第6回
『移動する太平洋の島の人々』
日時:2012年1月10日 18時から19時半
場所:てんぶす那覇4階、テンブスホール
主催:琉球大学沖縄国際研究所「新しい島嶼学の創造」プロジェクト
京都会館 [2011年12月19日(Mon)]
京都会館

 京都会館の改修工事で地元が揺れているのを知人の建築家ご夫妻から伺っていた。
 テレビドラマ『拝啓、父上様』で有名になった大江戸神楽坂。ここも高層ビル建築に対する地元の反対運動が今でも展開されている。
 経済開発と文化。センの議論と無関係ではない。


 反対集会のようなものが先日開催されたので、見に行った。
 オペラ上演をするために今の高さが2倍になるという。そうすると東山の景色が洛中から見えなくなる可能性もある。
 新しい建物は運営費もかさみ、学生や庶民が利用しやすい今の使用料金も見直されるかもしれない。

 何にも増して、京都会館はコルビュジェの弟子、前川国男氏が設計し、日本的でモダニズムで、戦後の復興の中で「民主主義」を現した建築だそうだ。弱い建築、沈黙する都市、がいいのだそうだ。
 建築についてはド素人だが、なんだか老荘思想的な集会だった。

 平安神宮、南禅寺、博物館、図書館が集る岡崎に「京都会館」がある事を知ったのは、映画『古都』(岩下志麻主演)を観た時からだ。それほど、京都会館はその存在自体が沈黙的である。主張しない存在感、とでもいうのであろうか。

 改修の反対運動を主導する建築家達が前川氏のお弟子さんなので、反対運動にも限界があるとのこと。世界に誇る京都大学には勿論建築学科があるらしいが、いくら声をかけても沈黙を守っているらしい。
「海洋安全保障の新秩序構築」第2回国際研究会を終えて [2011年12月12日(Mon)]
「海洋安全保障の新秩序構築」第2回国際研究会を終えて

 昨年度から始まった『海洋安全保障の新秩序構築』研究会の第2回国際会議が先週東京で開催された。
 日米豪を中心にメンバーを集め粛々とすすめられて来た。初回の国際会議には外国人委員が2名しか参加できなかったの対し、今回は11名の海洋安全保障の専門家が集合。
 IMOからは関水事務局長始め幹部の参加をいただき、米国沿岸警備隊からは4名、米軍関係者、オーストラリアからは元国会議員や海洋・国防関係者、英国からは海洋安全保障の国際法専門家、と海洋安全保障の現場を知る人、アカデミック、行政と広くカバーした面々になった。

 朝の9時から夕方6時までぶっ通しの会議の内容をまとめる器量はない。が、改めてミクロネシアの海上保安案件を「百の議論より一の行動」で始めた事が正しい、実感した会議であった。
 海洋安全保障の議論は百家争鳴。未来永劫平行線。全員が納得のいく結論が出る可能性は微塵ともない。
 「ミクロネシア海保」案件を議論から始めていたら、何も進まなかったであろう。

 百の議論をすっ飛ばして始めたミクロネシアの海上保安事業を進めるにあたり、国内関係者から「異論反論オブジェクション」も聞こえてきた。やっぱり議論も必要、と当方から羽生会長に勉強会開催を提案した事に始まる(と理解している)。それがあっと言う間に国際研究会に変わってしまった。
 相変わらず羽生会長の発想は大胆である。
 
 会議終了後、多くの感想が聞けた。沿岸警備隊のない豪州国防関係者が米国沿岸警備隊と接する機会は少ないようだ。「戦争」を前提としている軍隊と比較し、USCGが海洋資源やら、人口問題を語っている事が印象的だったという。米国沿岸警備隊も海洋安全保障が多角的に議論された事に多くを学んだと言う。
 これこそ、枠の緩い変幻自在の民間NGOが、枠にギチギチにはめ込まれているお役所仕事に新たな視点を導く役割を示した例に外ならない。

 当方からは私見として、渡辺昭夫先生が書いた樋口レポート(94年)、それに反応したナイレポート(95年)を示し(*)、日本の安全保障体制を、即ち日米同盟をどうするか、というアジェンダも同研究会の背景にある事を会議後の鍋を囲みながら話させていただいた。

『日米の戦略対話が始まった』(秋山昌廣著、亜紀書房、2002年)に詳しい。
太平洋島サミットが沖縄で開催される意義 [2011年12月06日(Tue)]
太平洋島サミットが沖縄で開催される意義

 来年の太平洋島サミットがせっかく沖縄で開催されるのに、沖縄の役割が積極的に議論されていない事を憂慮する声が、沖縄と太平洋の関係に興味を持つ方達から聞こえて来る。

 2000年の第2回太平洋島サミットは故小渕首相の念願で九州沖縄サミットとして開催された。実際には宮崎で開催されたのだが「九州沖縄」で一括りにしたらしい。そこには第10代沖縄開発庁長官も務めた小渕首相の沖縄への強い思いがあった。
 小渕首相から沖縄開催について笹川陽平会長に相談があり、笹川会長がこれを強く押した、という事を人伝に聞いている。小渕首相は1988年に笹川平和財団が開催した「太平洋島嶼国会議」で竹下首相の祝辞を代読されたのである。

 笹川会長の話しが本当であれば、会長が押した理由は基金にある。
 笹川太平洋島嶼国基金は1993年頃から日本の島と太平洋の島を結ぶ - 島と島を結ぶ ー という視点で事業を展開した。佐渡、奄美大島、八丈島で「島を語る会」を開催。
 日本の多くの離島が本土寄り、本土並みの姿勢を取る中で沖縄は別格であった。ここら辺の経緯は別途書きたい。
 さらに沖縄の中でも、太平洋島嶼国と経済規模が近い、八重山諸島、宮古島との交流を進めた。両者は政治的にも文化的にも自律している。こんな小さな島なのに、八重山にも宮古にも独立した新聞が2社あるのである。

 沖縄は太平洋諸島と同じ熱帯気候、珊瑚礁と言った自然環境の共通点だけでなく、安全保障上も米国の軍事戦略の視点に組み込まれている点で共通している。
 南の楽園と軍事的安全保障、というとピンと来ない人が多いかもしれない。
 太平洋ーそこでは戦後、米英仏による核実験が何百回と行われたし、クアジェリンには米軍の迎撃ミサイル基地が今でもある。ミクロネシア3国が米国と締結する自由連合協定は、同国の領土、領空、領海内への米軍のアクセスを認めるものである。
 戦後、沖縄が日本から切り離されていれば、ミクロネシア3国と同じような政治的地位を持つ可能性もあった。

 日本と沖縄の関係、日本と沖縄、太平洋島嶼国の関係、さらには米豪中台を含む関係を東京からの視点だけではなく、多角的に議論必要がある。とそんな事を沖縄の知人友人達とやり取りしていたら、琉球大学から講演に呼んでいただいた。
 テーマは「グローバライゼーションと太平洋島嶼国」。6万年前の人類の移動から始めるつもりだ。氷河期だった当時、今海底に沈んでる沿岸は繋がっており、人類はあっという間にアフリカからパプアニューギニアまで移動してきたのである。
 日時が決まったらこのブログでもお知らせします。

 
米国政府が日本の一NGOのために予算を確保することを考える [2011年12月05日(Mon)]
米国政府が日本の一NGOのために予算を確保することを考える

 羽生会長の指示は相変わらず大胆である。
 一昨年開始した「海洋安全保障の新秩序構築研究会」。メンバーは学者を含め非政府、もしくは政府に準じた方達で構成されている。所謂2.0トラック。
 この9月、突然「1.5トラックにすべく米豪政府と調整せよ。」という指示をいただいた。断っておくがいつものことながら指示はこれだけである。

 で早速、米豪政府に連絡すると担当者レベルでは100%前向きな返事。政府内で調整し、連絡をする、という返事をいただいた。

 ところが待てど暮らせど返事がない。
 羽生会長に報告すると「1.5トラックにするのは容易な事ではない。よくやった、お疲れさま。」と妙にヤサシイ。
 よくよく考えて見れば、外国政府が日本の一NGOの開催する会議に政府予算をつけて来る訳ないか。しかも3ヶ月前の通知に対応できるわけがないよな、と自分に言い聞かせていた。ところが先週米国沿岸警備隊から、旅費の予算が通った、との連絡。
 実は米豪とも在京の政府職員が参加する事は即決だった。1.5トラックにしたい、という羽生会長の"Mission:Impossible"は今回も一応クリアしたかな、と納得していたところでもあった。

 夕食会の席も決まっており今頃増えても困る、という事務局のグチを聞き流しながら、それだけ米豪政府がこの研究会、ひいては我々の活動に注目しているんだな、とちょっと感動している。
 勿論米豪政府には笹川会長が今年9月にワシントンで発表したスピーチー日米同盟の新たな位置づけとして非伝統的安全保障分野で海洋問題を課題にすることーも伝えてあるし、今度日本政府の対太平洋島嶼国政策がOcean Diplomacyと日米協力になることも伝えてある。

 海洋安全保障の新秩序構築、1.5トラックの展開はいかに。
 
西パプア問題 [2011年12月04日(Sun)]
西パプア問題

 世界で起っている凄惨なニュースに接すると、太平洋島嶼国は比較的に平和であると思う。しかし、西パプア問題は深刻だ。

 正直、自分もよくわかっていない。しかし、以前インドネシアを専門とするジャーナリストから「西パプア問題は解決している。」と言われショックを受けた記憶が未だ鮮明である。解決どころか、日々悪化しているのだ。それで分かっていないなりに、書いておきたい。

 西パプア問題が一機に自分に迫ってきた理由がある。
 1962年、ソ連寄りのインドネシアを宥めるべくケネディ政権が取った妥協策ー New York Agreementが協議された国連会議に出席した西パプア最後の議長Dirk Ayamiseba氏の家族と家族付き合いをさせていただくようになったからだ。
 Ayamiseba氏はインドネシアだけでなく、若い時に日本、オーストラリアからの侵略とも闘った。そして徐々に政治リーダーになっていったのだそうだ。

 西パプアは旧宗主国オランダがその独立を支持し、インドネシアは領有権を主張していた。米国は妥協策として、国連の管理下に置き、インドネシア政府に統治を託した。1969年に住民投票で西パプアの独立が判断される予定であったが、住民投票はインドネシア軍の銃口の下に行われ、西パプアはインドネシア領となったのである。

 その後のAyamiseba一家の運命は胸が押しつぶされそうになる話ばかりなのだ。それにも拘らず前向きなこの家族の生き方にどれだけ勇気づけられてきたであろうか。

 
 さて、協定が締結された1962年から住民投票の1969年までに何があったのか。
 1965年のインドネシア軍事クーデター、1967年の米国鉱山企業フリーポートの採掘権契約締結だ。即ち米国はインドネシアを西側に留めておくために、そして自国の企業の利益のために西パプアを、言葉悪く言えば「売った」のである。西パプアは二重の意味で米国の犠牲となったのである。西パプア問題とはまさに米国の問題なのだ。

 ニュージーランド、オーストラリアではこの西パプア問題について比較的議論がされてはいるが、人権運動家もジャーナリストも命がけである。暗殺された外国人関係者も多い。現地パプアの人々の惨状は下記のサイト等がある。
 日本人ジャーナリストが書かない理由があるにしても、知らない理由はないであろう。少なくともインドネシア専門と名乗るのであれば知っておいて欲しい、と思う。

参考ウェッブ
インドネシア:政治信条による訴追の横行
http://www.hrw.org/ja/news/2010/06/23-0

インドネシア:パプアで特殊部隊による虐待が続く
http://www.hrw.org/ja/news/2009/06/25-2
10%砂糖水とバラのアブラムシ [2011年12月03日(Sat)]
10%砂糖水とバラのアブラムシ

このブログにたまに書く園芸を読んでいる人はいないと思うが、先日試した10%の砂糖水がバラのアブラムシを退治したので書いておく。
測った訳ではないので、10%かどうかわからないが、霧吹きで吹きかけた翌日は葉っぱがテカテカになる程の濃度である。
あわれ、アブラムシはお砂糖でベタベタになるせいか、砂糖に弱いのかよくわからないが、バラの新芽にこびり付いて息が途絶えていた。

近くのオランダ人のご夫婦に話したら、砂糖水を菊にかけるといい花が咲くのは知っていたが、10%砂糖水の事は知らなかった、早速試してみる、と言われ、少し優越感を感じた。
園芸と言えばオランダ人で、そのオランダ人に園芸に関して教える事があったというのは歴史に記録すべき事件である。

ちなみにニュージーランドは、これを「発見」したタスマンの出身地ーオランダのジーランドから付けたそうである。もし日本が鎖国せずに大航海し世界に植民していたら「新大阪」とか「新江戸」とかあったのカモね。