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早川理恵子博士
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手話は公用語 その6 ― カリキュラム [2011年10月31日(Mon)]
手話は公用語 その6 ― カリキュラム

 引き続きニュージーランドの手話教育カリキュラムを読んでいる。
 100頁あるカリキュラムの後半はさすがに指導目標内容が8段階に分けて具体的に書かれてあった。

 8段階を通して3つの視点で書かれている。
- Language skills
- Communication Function
- Sociocultural Context

Langauge skillがどのように8段階で発展していくのかというと、最初は手話に慣れ親しむ。徐々に自分で表現ができるようになっていくという流れだ。
Communication Functionでは、最初は「さよなら」「こんにちは」などが表現できること、それから「要求」「受容」「提案」ができ、8段階目では確実性、不確実性、可能性、蓋然性(!?)が表現できること、とある。
Sociocultural Functionではニュージーランドのろう教育の歴史から始まって、最後の方は有名なろう者が国のまた世界の教育に与えた影響を説明できること、とある。

 以上はほんの一部を適当に書き出しただけです。

 この8段階を5歳,時には幼稚園の頃から始めて18歳当たりで終了するようになっている。
 
 早速、娘の先生にインタビューしてみた。
 新任の先生で緊張させてしまったようだ。「よくわからないけど〜」と教えてくれた事は、手話教育は義務ではなく、各学校が授業に取り入れるかどうか決めるのだそうである。手話だけでなく他の科目も各学校の裁量に任されている。
 その先生曰く、大学の教員コースでは一こまだけろう者がクラスに来て学んだだけ。きちんと学んだ様子はなさそうでる。後は同僚の先生から少しずつ教えてもらって、子供達に教えている、とのこと。
 そして手話教育は普段の授業の中で、何気なく取り入れているようだ。ちなみにニュージーランドの学校は時間割も教科書もない。

 あまり教師に負担にはなっていないようであった。
 そうだよね。大人しく座らせるだけだって大変なのに、手話をきっちり教えようなんて逆効果になりかねない。

 もし機会があれば手話教育の専門家にインタビューしてまたご報告します。


アレクサンダー・グラハム・ベルとろう教育 [2010年07月21日(水)]
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/115
手話は公用語 ー その1 [2011年09月05日(月)]
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/427
手話は公用語 ー その2 [2011年09月08日(木)]
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/430
手話は公用語ーその3 [2011年09月13日(火)]
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/435
手話は公用語ーその4   [2011年10月05日(水)]
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/451
手話は公用語ーその5 (カリキュラム) [2011年10月19日(水)]
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/458
4'33" ーケージもジョブスも荘子だった。 [2011年10月30日(Sun)]
4'33" ーケージもジョブスも荘子だった。

 あるパーティでの会話。
「音楽大学を出ました。」
「楽器は何を?」
「ピアノです。」
「ホー,何を弾くのですか?」
「ジョン・ケージの4'33"が得意です。」
ここで反応が3つに分かれる。

反応その1
「ワーハッハッハ」
 ー いっしょに笑える。これが最高。
反応その2
「ホー、それはすばらしい」
 ー 知ったかぶりを心の中笑いつつも自責の念。
反応その3
「それはどんな曲でしょう?」
 ー これが一番困る。説明できない。それで「一度お聴かせしましょう。」と言ったら本当に聴きに来た人がいる。ファイナンシャルタイムズの編集長か副編集長で多忙の人だ。すっごく怒って帰ってしまった。

 この事をブログで書こうとジョン・ケージをウェッブしていたら、彼はコロンビア大学で鈴木大拙から荘子を学べと言われていた事を知った。スティーブ・ジョブスだけではなかった!ジョン・ケージも荘子だったのだ。故に4'33"も荘子だ。これは国立音大では学ばなかったヨ。

「4'33"? それはどんな曲でしょう?」
と今度聴かれたら荘子ーZhuangzi、2500年前の中国の哲学者ーを読んでください、と答えよう。
You Tubeでも”聴ける”よ。
http://youtu.be/gN2zcLBr_VM
万物斉同 絶対無差別 [2011年10月28日(Fri)]
 今日の笹川会長のブログを拝読。笹川会長でも批判を受けるのである。

 こうやってお天道様の下で仕事をさせていただくと日々、誹謗中傷、名誉毀損、魔女裁判、余計なおせっかいをいただく。
 いい気になるな、胡麻をするな、仕事をするな、職場を変えろ、とマア言いたい放題。

 そんなに人の事が気になるのかしら。そんな時間があれば自分の仕事をした方がいいような気もするが、人を批判することで自分を正当化する必要があるのかもしれない。

 こういう人達には荘子を読む事を薦めている。


万物斉同、絶対無差別。
道諛の人、真人ありて後に真知あり。
虚静恬淡、寂寞無為。
大瓢用なし、無用の用。
雷声にして淵黙、淵黙にして雷声。
わっはっはっは。
(松岡正剛さんの千夜千冊より)
岩手県陸前高田市の地酒「酔仙」 [2011年10月26日(Wed)]
 南極近くの町で日本酒は余手に入らない。
 スーパーマーケットのアジアフードコーナーに「料理用酒」がある程度。
  
 ところが週末覗いたリカーショップで月桂冠の横に「岩手の地酒」が並んでいた。
 これは何があっても買わなきゃならない。地元のワインが5本買える値段だったが、レジに持って行った。愚夫にはしばらくワインを我慢してもらおう。
「このお酒は災害に遭った日本の東北のお酒なんです。」
 レジのおじさんは大きく反応した。知らなかったらしい。
 製造日は2011年1月。震災を知らないお酒だ。

 ラベルを見て驚いた。「官僚」久保田崇さんが副市長になってがんばっている陸前高田のお酒だった。
「酔仙」。有名なお酒らしい。

 陸前高田の酔仙酒造は社員と役員57人のうち7人が犠牲になり、酒蔵はがれきに埋もれた事をウェッブで知った。
 しかし、隣町一関市の酒蔵を間借りして10月17日には復興第一作目「雪っこ」が販売されたという。

 「酔仙」ー 芳醇な香りがまず誘う。甘くなく辛くなく。喉越しに残る華やかな香りがなんとも言えない。美味しい魚が食べたくなる。
 岩手の事を思いつつ一人でちびちび飲んでます。


 明後日の金曜日午後7時半から7時55分、NHK総合テレビクローズアップ東北で『それでも酒っこ つくるべや』〜陸前高田 再起の酒造り〜が放映されるそうです。
天皇メッセージと『海上の道』 [2011年10月25日(Tue)]
天皇メッセージと『海上の道』

 ロバート・エルドリッジ博士著『沖縄問題の起源』(名古屋大学出版2003)を読んだ。
戦後の沖縄について天皇が米軍の軍事占領継続を希望するメッセージを出していた事がここに詳しく書かれていると、琉球大学のある先生から伺っていたからだ。

 全てについて共通することだが、大きな文脈の中で一部だけ切り取って聞くと、大きな誤解が生じかねない。
 今回この本を読んで当時の米国の動きを知り「天皇メッセージ」は著者の見解のように、天皇が沖縄の喪失を阻止しようとした必死の説得だったと思う。
 外務省も沖縄が日本の一部であることを歴史的、民族的資料をかき集め理論武装していた。

 ここでハタと気付いたのが柳田国男の『海上の道』である。なぜ柳田国男が「単一民族神話の起源」に加担するような、科学的根拠の薄い日本人の始祖の一つとして話しを展開したのか、ズーッと気になっていた。
 沖縄に詳しい柳田国男が終戦直後、沖縄は日本であるという外務省の資料作成に協力している可能性はある。天皇メッセージを知っていた可能性もある。

 1952年4月28日講和条約発効の約2週間後、5月11日の九学会連合大会で柳田は「海上の道」の講演を行っている。柳田の南方説は戦後、より鮮明に、より強烈になる。
 あやふやな沖縄と日本の関係のことを柳田は百も承知で、戦後の日本を守るために歴史の大編集作業を行ったのではないか。それが『海上の道』である。そうであれば納得できる。 柳田国男にとって歴史とは、土器や骨やDNAの物的証拠が語るものではなく、人間が記憶に残したいと思う事や、そうであって欲しい、そうである必要がある、と思い念ずる物語の編集であったように思う。

 この大編集作業が終わったのが、1961年。柳田が没する一年前である。
豪・NZ・PNG軍混成チームがパプアニューギニアの不発弾処理 [2011年10月22日(Sat)]
豪・NZ・PNG軍混成チームがパプアニューギニアの不発弾処理

 第2位次世界大戦で残された多くの不発弾を処理するため10月18日から11月4日にかけてオーストラリア、ニュージーランド、パプアニューギニアの混成軍隊150名が派遣された。
 Operation RENDER SAFE 2011という。

 処理作業はパプアニューギニアの東部ニューブリテン島のラバウルで実施される。観光も盛んな同地での不発弾処理は住民の安全と産業の推進にも重要。
 ラバウルは第2次世界大戦中は日本軍の拠点であった。『ゲゲゲの鬼太郎』で有名な水木しげるさんはここに出征した。

 2009年にはOperation RENDER SAFEはソロモン諸島で不発弾処理にあたっている。

 今年6月に実施した米国のキャンベル国務次官補の島嶼国訪問の成果として、やはり第2次世界大戦で置き残してきた不発弾等の処理が支援案に上げられている。
 70年近くそのままにされた不発弾で負傷した島の人々も多い。またこの不発弾を利用してリーフで魚を取り、珊瑚礁を破壊したり、事故で腕や命まで失う例もあったと聞く。
 パラオのペリリュー島ではイギリスのNGOが不発弾処理に当たり、日本からやっと遺骨収集ができる状態である。これは笹川会長のブログに詳しく書いてある。
 処理されているものは多くが日本の爆弾や戦車のはずだ。日本の自衛隊が協力する可能性は議論されていないのであろうか?

(参照ニュース)
Australia: Parliamentary Secretary for Defence Announces Begin of Operation RENDER SAFE
Posted on Oct 18th, 2011

http://navaltoday.com/2011/10/18/australia-parliamentary-secretary-for-defence-announces-begin-of-operation-render-safe/


AUSSIES, KIWIS HUNT UNEXPLODED ORDNANCE IN PNG
Joint military operation to dispose of deadly WWII litter
PORT MORESBY, Papua New Guinea (PNG Post-Courier, Oct. 20, 2011)

http://pidp.eastwestcenter.org/pireport/2011/October/10-21-14.htm
太平洋・島サミット フラガール親善大使に [2011年10月21日(Fri)]
太平洋・島サミット フラガール親善大使に

 来年5月、沖縄の名護で開催される「第6回太平洋・島サミット」。
 福島いわき市にあるスパリゾートハワイアンズのフラガール達が親善大使になることが発表された。

 フラと言えばハワイだが、日本のフラ人口は100万人を越える。ハワイより多いらしい。
 その他にタヒチ、クック諸島のフラも有名だ。こちらはフラではなく「タムレ」という。
 千葉にあった行川アイランドには毎年クック諸島からフラダンスチームが来ていた。

 本来、フラは神への祈りであり鑑賞するためのものではない。
 芸能文化が人々の生活に深く息づいているのは沖縄と太平洋島嶼国の共通点でもある。
 きっと太平洋諸島の首脳の中には自ら踊り出す人達が何人か出て来るはずだ。
 そして沖縄ーハワイー福島を繋ぐものはフラだけではない。移民の歴史だ。
 資源の限られた島嶼経済への鍵としてmobilityの概念が高く評価されている。
 
外務省報道
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/23/10/1019_05.html
手話は公用語ーその5 (カリキュラム) [2011年10月19日(Wed)]
手話は公用語ーその5 (カリキュラム)

 100ページを越える手話教育のカリキュラムを半分程読み進んだ。
 来週から始まる第4学期で是非学校の先生にインタビューしてみたい、と考えている。

 ニュージーランドの初等教育の目標のリストが大変気に入った。
- Well-being
- Belonging
- Contribution
- Communication
- Exploration
  
 "Contribution"では「教育の機会は平等であり。夫々の児童の貢献は価値あるものである。」という記述がググッときたのでアンダーライン。
 "Communication"の項では「児童の有するまた他者が有する言語やシンボルを促進し守ること」とある。夫々が奥深いテーマだ。各テーマ毎に博士論文が書けそうな内容である。


 さて、肝心の学校教育における手話の目的は下記の6項目が上げられている。
1.NZSLとDeaf文化をなるべく若く実践可能な時期から学ぶ事を促進し励ます事。
2.多様な文脈の中でNZSLを使うこと、促進する事。
3.全ての学習者にNZSLを学ぶ機会を作る事。
4.コミュニティの人達と協力する事でDeafコミュニティの必要性やイニシアチブに応える事。
5.ニュージーランドのDeafコミュニティとの連携を強化する事。
6.NZLSが第一言語の子供達が国のカリキュラムの枠組みの中で彼らの言語を発展させ学ぶ機会を得られる様にする事。 

 相変わらず言語とは何か、教育とは、社会とは、文化の違いとは何かと言った哲学的な記述が続いている。実はもっと具体的な、即ち「手話で数字の1から100まで表現できる事」とかを想像していたので驚いている。
 逆に言えば具体的な指導内容はなかり各学校に、もしくは教師の裁量と器量にかかっているということではないだろうか。

 100ページあるカリキュラム。後半分が楽しみだ。
東西センターフィニン博士のPIF総会報告 [2011年10月18日(Tue)]
東西センターフィニン博士のPIF総会報告

 貴重なビデオを発見した。
 ハワイにある米国連邦政府機関ー東西センターの中にPacific Islands Development Center(PIDP)がある。ここのCo-Directorをつとめるジェラルド・フィニン博士が、先月オークランドで開催されたPIF総会に参加。その報告会の様子がビデオで公開されている。
 フィニン博士とはハワイ出張に行く度に情報交換をしており20年近い交流がある。90年初頭、ちょうど米国が太平洋島嶼国への関心を失ったころで、PIDP自体あまり元気がなかった。よって笹川太平洋島嶼国基金が具体的な事業を実施した事はまだない。

 フィニン博士の報告によると米国からの参加者はニュージーランドの新聞報道よりも多い65人だった、という。彼の目にはこの65名の参加は米国側の"educational process",つまりよい勉強の機会だったとのこと。
 20年近い米国の太平洋諸島への無関心ー空白を埋めることは簡単ではない。

 ポストダイアログフォーラムでは14カ国もの参加があったとのことである。14カ国とはー米国、英国、タイ、フィリピン、マレーシア、韓国、日本、イタリア、インドネシア、インド、フランス、EU、中国、カナダ。中でも中国が一番周到な準備をしたとの評価だ。

 PIF総会前に、未だメンバーシップを保留されているフィジー政府が同国で会議を開催。多くの島嶼国首脳の参加があった。これは次回資料を読んで報告したい。西パプアに関するデモが会場外で行われていた事。潘基文国連事務総長が始めて参加した事等も報告されている。

 個人的に関心を持ったのは太平洋の地域機構の起源が、1800年代にハワイ王国のカラカウア王が提唱した「太平洋連合」にあるということだ。この王様は日本の皇室との婚姻を日本政府に提案し「日本ハワイ連合構想」も持っていた。
 カラカウア王はアメリカ人の改革派から銃を突きつけられ、同王の妹、リリウオカラニの時代でハワイ王朝の幕を閉じることになる。
 同じ王国を築き、植民地支配から唯一免れた太平洋の島、トンガ王国との比較もいつか書いてみたい。
 

Chinese Exceptionalism at the 42nd Pacific Islands Forum: A Preliminary Report
by East-West Center

http://vimeo.com/30569229
タイ王立海軍が支援するHopeful Children [2011年10月17日(Mon)]
タイ王立海軍が支援するHopeful Children

 
 日本政府が主催する「東南アジア青年の船」の事後活動国際組織SSEAYP Internationalというのがある。私は大橋玲子さんとの出逢いがきっかけでこの組織が創立した翌年1988年から関わることとなった。1995年から1999年まで事務局長をやらせていただき、ちょうど憲章修正やロゴ作りといった実務作業が必要な時期で、この頃共に活動したアセアンの友人達は一生の宝である。
 
 今年5月、久々にこの友人達に再会することができた。
 この中にタイのビジットさんがいた。
 昔、ビジットさんとは本当にいろいろな話しをした。久しぶりの会話はつきる事がない。ソムチャイは、チャイワットはどうしている?タイ社会の重要なポジションにある彼らの人生は相変わらず波瀾万丈のようだ。

 この「東南アジア青年の船」は日本が高度成長時代にアジアに経済進出する中で、アセアンの反日感情が高まった頃に立ち上げられた事業である。確か田中首相か福田首相がアセアン訪問時にトマトか卵を投げつけられた事件がきっかけだったと記憶する。
 ビジットさんは当時新聞記者で反日記事を書いていたそうだ。そしてこの事業に参加し、日本との交流を通じ彼は今は親日派となった。

 その彼がこの事業の構想を参考にして、タイ国内で青少年の船事業を運営したり、国内の孤児達の支援活動を行ってきた。
 ビジットさんには10年ぶり位でお会いしたのだが、彼の事業はますます発展し、自分でFund for Friends Thailand http://www.fffthai.org/という財団まで作っていた!

 ビジットさんの財団が支援する事業の一つが”For Hopeful Children Project”だ。年に1回Rayon州のビーチに孤児や障害の子供達を招きキャンプを行っている。ユニークなのがタイ王立海軍の支援を受けてこの事業を展開している事だ。
 たまたまビジットさんの知り合いの親戚が海軍の偉い方でトントン拍子に話しが進んだ結果らしい。タイらしい話しではあるが、同時に軍隊の在り方について考えさせられた。
 今ではこのキャンプの運営ボランティアとして日本を始め世界から参加希望があるという。

 活動の様子が下記のYou Tubeと写真集で見られる。
http://youtu.be/XYaexIk29Y4
http://youtu.be/Whsh0ByKMdY
http://www.fffthai.org/fhcp.htm
 
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