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早川理恵子博士
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Post-PPBP 報告書の案内 [2011年05月31日(Tue)]
Post-PPBP 報告書の案内

5月31日、豪州の安全保障研究機関、Australian Strategic Policy Instituteから、豪州が過去30年近く実施してきたPacific Patrol Boat Programの今後の提言を含んだ報告書が発表された。

 執筆者のベルギン博士によれば、2009年、現在PPBPを担当している豪州国防省は同事業を国境警備局に移管する意向で、同局内にタスクフォースを設置。しかしながら3年近くたった今、何の成果もなく、豪州政府からASPIにこの報告書の作成依頼があったとのことである。

 ベルギン博士は、昨年笹川平和財団が立ち上げた「海洋安全保障の新秩序構築研究会」の委員でもある。
 報告書には、日本は太平洋から漁業資源など大きな利益を得ているにも拘らず、海洋安全保障に関する活動を何もしてこなかったが、2008年になって日本財団、笹川平和財団がはじめて動き出したこと。また将来の島嶼国への支援はPPBのような大型艇ではなく、沿岸警備用の小型艇を提案。モデルケースとしてNF/SPFの小型艇支援が上げられている。大型艇は地域共有とし、効率的な運営を提案。

 同報告書では、日本の海上保安庁の例を挙げ、趨向として海洋安全保障が多様な場面に対応しなければならない事から、軍事よりもCivil Lawが中心となるべきではある。しかしながら豪州の場合、戦略的・外交的政策は、豪州国境警備局ではなく、太平洋での経験も実績もある豪州国防省が引き続きイニシアチブを取るべき、と主張。
 
 海洋安全保障のための「地域調整センター」は2008年のベルギンレポートで提案されたものだが、本レポートでも、多様な海洋安全保障に対処する同センターの必要性が強調されている。


"Strategic Insights 52 - Staying the course: Australia and maritime security in the South Pacific"




以上。
ピアノの椅子 [2011年05月29日(Sun)]


 中古のピアノの椅子を手に入れた。
 木目の猫足、トップは若草色のビロードでカバーされレースで縁取られている。
 2人掛けである。
 連弾友達ができて以来、前から2人掛けを探していたのだ。

 たかがピアノの椅子だが、妙に嬉しくてピアノも急にうまくなったような気がするから不思議だ。。
 生憎連弾友だちはロングバケ-ションで不在。イタリアのフィレンチェ郊外に葡萄畑付きのお城のような別荘を持っている。うらやまし〜。

 ハチャトリアンのトッカータが調子良く弾けた。
 まさかハチャトリンアンさんも、100年程前の自分の作品が、ニュージーランドで、イギリス製のピアノで、しかも日本人が弾くとは想像もしていなかっただろう。

 娘もバイオリンを再び弾き始めた。
 
 
マーシャル諸島 レビュー 番外編 イバイ [2011年05月27日(Fri)]
マーシャル諸島―レビュー 番外編 イバイ島

マーシャル諸島のイバイ島の事を調べていたら偶然見つけたビデオ。
オーストラリアABCの番組だ。ABCいいドキュメンタリー作ってる。
イバイ島のことは聞いたり読んだりしてきたが、初めてその姿を見た。
トメイン大統領時代の収録なので2008年か2009年の7月前後。




パラオ、シーシェパードとの協定を破棄 [2011年05月20日(Fri)]
パラオ、シーシェパードとの協定を破棄

 5月16日のパラオの地元紙Island Timesに大統領がシーシェパードとの協定を"terminate"するという記事が掲載されました。(この協定は偶然にも3.11にサインされている。)
 期せずして日本財団と笹川平和財団が進めるミクロネシアの海上保安事業が防波堤になったようです。
 これぞまさしく「海洋安全保障の新秩序構築」。


 日本財団のブログマガジンに今回の微妙なステークホルダーズの動きがたくみにまとめられています。

 シー・シェパードとの協力、白紙に 密漁対策でパラオ共和国 [2011年05月20日(金)]
サモアの日付変更線が変わります [2011年05月16日(Mon)]
サモアの日付変更線が変わります

 5月10日、知らない間にサモアの日付変更線が移動されることが決まった。
 (追記:実際の運用は今年の12月から)

 太平洋のど真ん中を南北に横断する日付変更線。
 出張泣かせなのである。出発日の前日に到着とか、翌々日に到着とか。。。
 今回の出張のNZ-ホノルルーマーシャル諸島ーホノルルーNZと日付変更線を行ったり来たり。

 さて、サモアはなぜ日付変更線を変えたのか?
 WTOの貿易自由化が背景にある。
 サモアから飛行機で1時間ほどの米領サモア。ここに世界最大のツナ缶工場が2年前まであった。米領サモア、サイパンは"Made in USA"製品を、安い外国人労働力を利用し生産。利益を得ていた。
 しかし、貿易自由化の波を受け、缶詰工場は完全に撤退。この工場の主要労働者は米領サモアではなく、お隣の独立サモアの人々だったのだ。
 独立サモアの経済を支えていたのが米領サモアのツナ工場というわけだ。
 ツナ工場がなくなった今、経済的つながりはNZ,豪州にシフトした。
 それで日付もシフト。

 同様に、独立国サモアは米国の中古車が多かったので右側通行だったが、これも2009年NZ豪州に揃えた。
 まさか日付変更線まで変えるとは。

 2000年を前にキリバス共和国も日付変更線を変えた。以前は国の真ん中を日付変更線が割っていた。ググッと東にずらし国内統一。
 つまり同じ経度のハワイとキリバスで同じ時間に日の出を見ていても、一日違う事になる。

 この日付変更線、wikiによれば、マゼランの地球1周でその矛盾が初めて問題に。
 地球がまるい事は当時まだ知られていなかった。

 
継続は力なりー仕事を続けていてよかったと思う月曜日の朝 [2011年05月16日(Mon)]
継続は力なり ー 仕事を続けていてよかったと思う月曜日の朝

 月曜日の朝である。
 ポナペの豪州海軍海洋アドバイザーからメールをいただいた。
 豪州政府は太平洋島嶼国にPacific Patrol Boat Program を展開し、現在のところこれが唯一の太平洋島嶼国が持つ海洋警備機能。
 ポナペ州はミクロネシア連邦の首都。他にコスラエ、チュック、ヤップの4州からなり、豪州政府は3隻のパトロールボートを寄贈している。(下記参照)
 メールはこの3隻にHFemail systemを導入する事を決定。また米国NOAA等が検討している気象情報ICTシステムの応用・共用にも強い関心がある、という内容だった。

 ヤッター! 
 ミクロネシアの100以上の離島を結ぶHFラジオネットワークは笹川太平洋島嶼国基金の成果なのである。助成先のグアム大学がこの海洋アドバイザーにつないでくれ、彼から直接メールが来たのだ。
 継続は力なり。こういう時が仕事を続けていてよかった、と心から思える瞬間だ。

 このHFラジオネットワークを利用し、NOAAや世界気象機構等が離島の警報システム開発を検討している。来週の出張ではホノルルでNOAAの責任者とも面談することが決まった。
 Dr ルブチェンコ長官率いるNOAAは2年前に発表した米国の新海洋政策の中心的存在だし、気象、海洋、漁業資源の情報を管理している。世界最大の米国EEZの40%は太平洋にある。
 ミクロネシア3国が独立する際にいくつかの米国政府機関に留まって欲しいと頼んだ。その一つがNOAAである。

(ミクロネシア連邦) 供与年、船名、寿命年の順
Mar-1990 “Palikir” – 2020
Nov-1990 “Micronesia”- 2020
May-1997 “Independence”- 2027
(マーシャル諸島)
Jun-1991 “Lomor”- 2021
(パラオ)
May-1996 “Pres. Remeliik”- 2026
 
島モード:フィジーのクーデターと豚の丸焼き [2011年05月14日(Sat)]
島モード:フィジーのクーデターと豚の丸焼き

 キリバスの海上行方不明者が漁船に助けられ無事だったのに、1ヶ月も通報して来ない、というニュースを見て思い出した。
 「島モード」というか「島感覚」というか。時々着いて行けないと思う事がある。イヤ、着いて行こうと思わない方がいいのかもしれない。

 フィジーの度重なるクーデター。一度インド系の首相始め国会議員を国会内に閉じ込めたクーデターがあった。
 当時の大洋州課長がフィジーに出張し、その時の様子を教えてくれた。

 国会の前では拘束されている国会内の議員スタッフのために豚の丸焼きが行われて、食料が運ばれていたそうである。クーデター首謀者は町中に出てぶらぶら散歩しているそうである。
 これがクーデターなのか?! なぜ警察は首謀者を取り押さえないのだ?! 豪州政府関係者は怒りまくっていたらしい。勿論この課長さんも不信を越えて理解不可能の状況。

 島はクーデター首謀者でもどんな犯罪者も友人だったり、親戚だったりして簡単に白黒つけられない社会構造があるのではないか、と予想している。
 島の人々は、自分たちに責任が回らない様に外部の圧力をうまく利用する事にも長けている。利用されない様に、もしくはこちらの意向に添う様にわざと利用されるという離れ業も時に必要だ。
 ともあれ、島の政治 ー island politicsには近づかない方が身のためではある。
クック諸島の政治的地位 [2011年05月13日(Fri)]
クック諸島の政治的地位

 2011年3月25日、日本政府がニュージーランドと自由連合関係にあるクック諸島を国家承認することを決めた。

 クック諸島は現在27か国と外交関係を開設し,25の国際機関に加盟している。

 これで日本政府はクック諸島政府と直接交渉できるようになる。
 
 何を交渉するのか? 
 漁業権であろう、と推測する。
 陸地面積はわずか240㎢だが、EEZは180万㎢もある。漁業資源だけでなく、海底鉱物資源も有力だ。

 同じく米国と自由連合協定を締結するミクロネシア3国を日本は国家承認しているが、クックはニュージーランドの市民権とパスポートを有する地域(国家)として国家承認をして来なかった、と記憶している。(今度外務省大洋州課に確認してみよう。)
 他方、クック諸島が25の国際機関に加盟しその影響力も無視できず、また1997年に既に国交を締結した中国の援助も目覚ましい。
 国家としての政治的地位としては微妙だが、背に腹は変えられない、というのが本音ではないだろうか?


 クック諸島の人口半分以上がニュージーランドに住んでいます。友人も多いですが圧倒的に女性パワーが強い島、です。
 クック諸島と日本を結ぶのが、今はなき千葉の「行川アイランド」。
ポリネシアンショーというのがありましたがこのダンスグループは毎年クック諸島から来てました。カウラカ・カウラカさんという詩人で音楽家でダンサーで、文部政務次官までした方も行川アイランドに来てました。亡くなられましたが、美しい鼻笛でラブソングを黄昏のクック諸島で聴かせていただいたことが忘れられません。
 
キリバスの捜索 [2011年05月13日(Fri)]
 キリバスで行方不明になっている6人の子供達が乗ったカヌー。

 キリバスの捜索救助コーディネーターのOmirete Tadurekaキャプテンは、地元の人々にこの6人の子供を見つけたらすぐ通報するよう呼びかけている。

 以前、漁船が行方不明になっていたキリバス人を救助し、1ヶ月後に通報があった事がある。
 今日も米国沿岸警備隊のaircraftヘラクレスが捜索を実施。

以上、下記のニュースより。
http://www.rnzi.com/pages/news.php?op=read&id=60565

(コメント)
 行方不明者が助かっているのに、一ヶ月後に通報して来るって日本ではありえないですよね。
 NZや米国の捜索費用をキリバス政府が出しているとは思えません。
 気まずくてわざと報告しないのか。。。 誰かしら報告すればいいものを。
 この感覚が島モード、理解に苦しむ。

 某島嶼国に離島で大量の麻薬が流れ着き、島人が通報。
 地元警察は処理が大変なので放っておいた、てな話しもあります。

 何はともあれ、今回の件は一ヶ月後でもいいから6人の子供達が無事であることを祈るばかりです。
Interview - Holly Barker - U.S. Nuclear Testing on the Marshallese [2011年05月12日(Thu)]
Interview - Holly Barker - U.S. Nuclear Testing on the Marshallese

 日本の原子力開発と太平洋島嶼国支援が緊密な関係にあると書いたら、稲村公望さんからマーシャル諸島の実態はどうなっているのか?という質問をいただいた。
 核実験の悲惨な現状は多くの資料が既に出ていて、本当は知っていなければならない話しなのだが、その悲惨さはホロコースト以上で入り口に触れただけでもで頭がおかしくなりそうな話ばかりなのだ。臆病で卑怯な自分はこの問題からわざと遠ざかっていた。

 再来週マーシャル諸島出張が入り、周辺情報を集めていたらYokwe Online というマーシャル諸島情報の人気サイトに下記のインタビューが掲載されているのを発見。
 淡々と話すHolly Barker博士。この問題の深刻さを避けず、かつ冷静に聞ける。

 現在ワシントン大学の文化人類学科に在籍する米国人Holly Barker博士は平和部隊で英語教師としてマーシャル諸島に滞在。マーシャル語を学び、帰国後ワシントンDCのマーシャル諸島大使館の依頼でこれらの事実を突き止めた。

 マーシャル諸島で行われた米国の核実験の規模。一日に広島に落ちた爆弾2つ分が毎日、12年間継続されたのと同じ量に値する。つまり,2×365×12=8760。広島への投下原爆が8769回。
 そしてアメリカがマーシャル諸島の人々にしたこと。被爆するようわざと置き去りにする。放射能物質を飲ませる。放射能物質を注射する。それでこの反応の違いを医学的に調査する。被爆して痛みを訴えているにも拘らず鎮痛剤も与えず医学的観察を続ける。
 マーシャル諸島の人々がこれらの事実を知ったのが実験後40年経ってから。この10年だ。
 Holly Baker博士著 "Bravo for the Marshallese: Regaining Control in a Post-Nuclear, Post-Colonial World"が出版されたのは2003年。

 今回の出張ではこの核実験の反対運動に身を捧げ、現在はMarshall Islands Journalの編集長をしている友人にも会う予定。彼と核の話しをした事は未だ一度もない。


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