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早川理恵子博士
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師の占う 白鳥の歌 四海波  [2017年01月04日(Wed)]
渡辺昭夫先生から「白鳥の歌」のリストをお年賀としていただいた。

全部で七作。すごい! こんなに書いていらっしゃるとは知らなかった。
嬉しい、そして悔しい!

1. 渡邉昭夫編著『21世紀を創るー大平正芳の政治的遺産を継いで』 PHP研究所
2. 大庭三枝編『東アジアの形』千倉書房、終章「東アジアの形」
3. 河野康子・渡邉昭夫共編著『安全保障政策と戦後日本1972−1994:記憶と記録の日米安保』、千倉書房、 序章「『樋口レポート』の歴史的位置づけー研究者として、当事者として」
4. 中村登志哉編著『戦後70年を越えてードイツの選択・日本の関与』一芸社、第1章「戦後70年に思うこと」
5. 国際安全保障学会『国際安全保障』第44巻第3号 2016年12月、所収 
【特別寄稿】 「敗戦後 70 年にして想うこと ――勝者の戦後と敗者の戦後―― 」
6. The Prime Ministers of Postwar Japan.1945−1995. translated by Robert Eldridge.Lexington Books。これは 渡邉昭夫編著『戦後日本の宰相たち』(中央公論社、1995年)の英語版です。
7.拓殖大学海外事情研究所『海外事情』64-10、2016年10月号 所収 「戦後70年の日米関係と沖縄そして北東アジア」

青学の渡辺昭夫先生の門を叩いたのが1997年。あれから20年のお付き合いになる。
私が修論を書き終わった後、笹川陽平会長が島嶼国基金の運営委員長を退任されるという、私にとっては危機的状況が発生した。幸い新しい運営委員リストを作成せよ、との指示があったので渡辺先生のお名前をあげさせていただいた。
それから約10年島嶼国基金の運営委員長として基金を引っ張っていただいた。

そして、私は渡辺先生が会議中に脳梗塞になられた時、その場にいて救急車に同乗し、虎ノ門病院に向かったのだ。先生はお元気だった。今でも忘れらない風景がある。
病院のベッドに横たわった先生。
若いお医者さん「はい、右手で握ってみて。」
渡辺先生「え、若い女の子の手なら握ってもいいけど。。」
若いお医者さん「・・・」(明らかに不機嫌な表情)
私「こちらは東京大学名誉教授です!」と思わず口走った。
若いお医者さんの対応は少し真面目になった。こういう時「東大名誉教授」肩書きは効果があるのだ。
(この話、本邦初公開。後で削除するかもしれません)

渡辺先生の白鳥の歌をいつまでもお聞きしたい。
自由が丘と私をつなぐものー教育 [2016年12月18日(Sun)]
imgres-2.jpg


娘の友達が住む自由が丘を初めて訪ねた。

自由が丘の名前の由来は自由ヶ丘学園にある、とこれはwikiにあった。
もしそうであれば、自由が丘が私にとって特別場所である。

1928年、自由ヶ丘学園を創設した手塚岸衛が最初に自由教育を行ったのが千葉師範学校附属小学校。1919年の事である。手塚の生徒の一人が萩原栄さん。私の祖母である。祖母は学校に行くとズッとピアノ(オルガンだったかもしれない)を弾いていたのだそうだ。
私はその祖母の影響を受けた父親から勉強しないでいい、という教育を受けたのである。音大に行ったのも祖母の影響だったのであろう。
勉強しなくても小学生まではいつも一番で、いつも学級委員長だった。
中学からの受験勉強は拒絶した。好きな本は読んでいた。アインシュタインとか、小室直樹とか。。

勉強が道楽になってしまった。


自由ヶ丘学園はまだあるようだ。そしてこの町に矢内原忠雄が住んでいたようなのだ。
またいつか訪ねる事があるだろうか?
日本とアイルランドを結ぶ「能」その3 [2016年03月16日(Wed)]
<アイルランドと太平洋島嶼国を結ぶタックスヘブン>
お能も、幽霊も、伝説も多分関係のないアイルランドの特徴で、太平洋島嶼国と共通の要素がある。
その名は、タックスヘブン!

Facebook, Google, スタバ等々世界のグローバル企業がアイルランドに会社を置いているのだ。
なぜか?
法人税12.5%!
日本は34.62%!

ダブルアイリッシュ、と呼ばれる節税スキームが下記に説明されている。

「グーグルの節税策 ダブルアイリッシュ、ダッチ・サンドウィッチとは?」
2013年01月22日(火)
http://www.assioma.jp/?p=4985

このアイルランドのタックスヘブンの善し悪しをまとめたのが下記の記事。
んー、税金の事はよくわらない。。

「税で誘致」だけではリスキー/アイルランド編
http://globe.asahi.com/feature/side/2015111600001.html


<世界のタックスヘブンの先を行くアイルランド>
このアイルランドの租税回避システムは1956年に開始した。太平洋島嶼国のタックスヘブンが1970年からだから、その起原の一つであろう。
現在世界のトップ50の銀行とトップ20の保健会社の約半分がアイルランドに会社を置いている、という。世界の4分の一の 国際債券がアイルランドの証券取引所で扱われているのだそうだ。

”How Ireland became an offshore financial centre”
NOVEMBER 11, 2015
http://www.taxjustice.net/2015/11/11/how-ireland-became-an-offshore-financial-centre/


<オブライアンと太平洋島嶼国>
このブログでも紹介した事のある、アイリッシュのビリオネラー、デニス•オブライアン。
アイルランドで一儲けした後、世界の小島嶼国で携帯電話ビジネス「デジセル」を成功させた。
彼がいなければ、パプアニューギニアもフィジも、サモア、トンガ、バヌアツも未だICT格差に悩んでいたであろう。
そのオブライアン氏、住所をマルタに移し節税対策している。
今回のダブリン訪問では彼の事を調べる事はできなかったが、タクシーの運転手さんが、民営化された水道事業に絡む汚職の話を教えてくれた。

アイリッシュはイギリス人から下記のような評価を長年受けてきたのである。

"Irish 'national character'-disorder or violence, filth, laziness, and worst of all, a lack of self-reliance"
(The Irish Famine By Jim Donnelly http://www.bbc.co.uk/history/british/victorians/famine_01.shtml


アイルランドは何のために独立したのであろうか?この質問は太平洋島嶼国にもそのまま当てはまる。
ダブリンの町で15メーターおきくらいに、乞食の姿があった。
これもタクシーの運転手さん曰く、アイルランドの問題ではなくEUの問題。即ちEUの枠組みの中で他国から流れて来た人々である、ということだ。この国の富の格差は拡大するばかりだ。
日本とアイルランドを結ぶ「能」その2 [2016年03月16日(Wed)]
アイルランドの魂を歌ったイェーツは、日本文化を勉強したフェノロッサ経由で、日本の「能」から大きな影響を受ける。
イースター蜂起の2ヶ月前の1916年2月、イエーツは「鷹の井戸」をロンドンで発表。
アイルランドの伝説と日本のお能が融合したようだ。


938485_orig.jpg
写真は1916年伊藤道郎が舞う鷹


この「鷹の井戸」は日本風に編集されて日本でも公演されている。

参照:逆輸入された能ってあるの?
http://www.the-noh.com/jp/trivia/105.html


睡眠薬効果のあるお能もその詩の意味を知ると面白い。
日本のお能の幽玄の世界とアイルランドの伝説の世界。
イエーツのいうアイルランドが抱えた terrible beauty がお能にあると思う。

全く関心のなかったアイルランド。
娘のご先祖様を含めたその歴史も、米国や豪州に移民した彼等の立場も、そして、蜂起百周年を迎えるアイルランド自体も、日本のお能を通して理解する事ができるかもしれない。
今回のアイルランド訪問ではLord Edwardとイエーツ、2人のアイリッシュの幽霊と語る事ができたのだ。

宇高竜成能楽師の公演が今週末3月20日ある。日本の詩人谷川俊太郎さんの朗読。
http://www.tatsushige3.com/
日本とアイルランドを結ぶ「能」その1 [2016年03月15日(Tue)]
IMG_0194.jpg

今回の欧州訪問は至る所で木蓮の花に出会えた。木蓮は椿同様、日本経由で欧州に伝わってきたようだ。写真はダブリンのトリニティカレッジ。


初めてのアイルランド、ダブリン訪問。
色々勉強してから来ようと思ったが、何もできなかった。

エジンバラからのAer Lingusの飛行機の中で、まずはパイロットからのゲーリックの洗礼を受けた。
ダブリン空港は英語とゲール語の二重標記で、アイルランドが独自のアイデンティティを模索している事が痛いほど感じられた。

町中では1916年と100周年の文字が至るところに。。
1916年?何があったのであろう?
アイルランドのイギリスからの独立は1922年だが、1916年には独立を導いた「イースター蜂起」があったのだ。今年はその百周年。

IMG_0202.jpg

1916年のイースター蜂起で命を捧げたアイリッシュ達


町中を歩くと、ダブリン市の建物に大きな詩が飾られていた。
ノーベル賞受賞者でもあるアイルランド詩人イェーツの「イースター1916年」だ。
4節からなる長い詩だが当方は下記の一カ所が心に残った。

Too long a sacrifice
Can make a stone of the heart.
O when may it suffice?

IMG_0191.jpg

町中に飾られたイェーツの詩。 "A terrible beauty is born" と締めくくる


イギリスのアイルランド植民は矢内原忠雄が、日本と韓国の関係と対比する形で議論されている。
それは全く違う植民の形ではあるけれども、植民をする側とされる側の問題を考える時有効なのかもしれない。

さて、今回のアイルランド訪問の目的は、娘のご先祖様の一人、Lord Edward Fitzgeralのお墓参りであった。
肝腎の、血の繋がった愚夫と愚娘は「お墓参り」という精神的な行動に全く関心がなく、当方が必死で関連の場所を探した。
Lord Edwardこそ1798年、フランス革命に触発されて、最初にアイルランド独立運動を先導し、イギリス人に殺された人物なのである。

当方は、一昨年天命を知る年を迎え、なにやら最近神懸かりになってきた。
ダブリンの町を歩きながらご先祖様のLord Edwardが背中越しで、話しかけているような気がしたし、ダブリン滞在中、当方のお能の師匠、宇高竜成能楽師からメールが届いたのもLord Edwardとイェーツの仕業に違いない。
お能が睡眠薬でなくなる時 [2016年01月08日(Fri)]
四十数年、西洋音楽をばかりやっているが日本伝統芸能も気になっている。
学生の時にお能を観る機会が何度かあったが、暖かい室内の能楽堂で、意味のわからない、唸っているような音楽と、四角の狭い舞台を行ったり来たりしているだけのお能は、効き目最高の「睡眠薬」だった。

それが、睡眠薬でなくなった瞬間がある。
家の近くの矢来能楽堂で開催されていたお能講座で、舞と謡を習った時だ。
(まだやってはります。http://kanze.com/lesson
習ったと言っても体験講座で、触った程度。
それでも、その時を境にお能を鑑賞しても眠らなくなった。声の出し方、足の運び、腕のあげ方、自分が舞台にいるような感覚。


それから年に数回程度だが、お能を観る機会を積極的にもうけている。
その内、自分でも謡ったり、舞ったりしてみたい、と思う様になった。
西洋人社会の中で、スカラッティのイタリア歌曲や、シューベルトのドイツリートを歌ったり、ベートヴェンやショパンのピアノ曲を弾いたりしていると「リエコ、日本の音楽は?」と聞かれ「ウッ」と唸る場面が何度もあったのだ。

海外に出てから日本の歴史や文化が急に気になりだしたのだ。
あの有名な「高砂」も歌詞の内容は、松の精霊が人間に化ける話である。
こうなると太平洋島嶼国の神話にも近い。
お謡を一度、太平洋の島の人に披露してみたい。。
歌占う木瓜の花 [2016年01月01日(Fri)]
謹賀新年
今年もよろしくお願い致します。


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年末に不思議な「再会」があった。
日本財団の鳥井啓一参与である。
このブログを見ていただいている、という。

3時間ほど多彩なお話をしていただいた。
励ましていただいた。
私はお酒が進んで、思わず弱音が出た。怒られた。。

鳥井参与とのお話の中でこのブログに「音楽の話がでていないではないか。」と指摘いただいた。
太平洋とは25年の付合いだが、音楽とは45年、いやそれ以上の付き合いだ。

元日にお能を観る機会があり心に決めた。
音楽のカテゴリーも設けて、一月に1回くらいは書いてみよう。
カテゴリーのタイトルは「歌占う木瓜の花」とした。
木瓜の花は、言わずと知れた母校国立音楽大学の事である。
以前ブログに書いたが、結構奥の深い、漱石先生も好きな花である。
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/67

「歌占」はお能にもあるようだが、音楽の精神的な面を表している。
もし私に「感性」があれば、それは音楽の修養の成果であろう、と思う。