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笹川太平洋島嶼国基金設立の経緯と不敵の26歳! [2017年09月06日(Wed)]
自分の書いた文章を数十年後に読み返すのは恥ずかしいものだ。同時にその文章を書いた時の自分の思考や周囲の動きも思い出す。

1991年4月に私が笹川平和財団に入った時、既に前任者は辞めていて、座礁していた基金をゼロから、ある意味マイナスから立て直す、というチャレンジグな業務が待っていたのだ。
今思うと、26才の小娘によくも任せてくれたものだ、と思う。
今でもはっきり覚えているのは基金の設立目的は?と理事長だったかその方の当時のポジションは忘れたが、お伺いしたところ「それもおまえが考えるんだよ。」と言われた事で、その時はショックだった。
ショックのすぐ後にこんなゴールデンチャンスない!と思い直したのも覚えている。
不敵の26歳!

学生の頃から神戸の園田学園女子大学の機関誌に記事を書いたりしていたので太平洋島嶼国の一般的知識は持っていた。短期間で書けたと思う。それが下記の文章だ。

笹川太平洋島嶼国基金の立て直しがどんどん進む中で「それもおまえが考えるんだよ。」と言った人は「お前が泣かないから皆が虐めるんだ。泣いてみろ!」と言われたのも思い出した!
不敵の26歳は嬉々として基金の危機を踏破したので今度は妬み僻の嵐だったのだ。

設立の経緯
広大な太平洋に散在する1万を越える島々。海や険しい山に隔てられた各地域には多様な伝統が今なお強く残っています。
多くの人々は太平洋島嶼国に楽園のイメージを抱いています。緩やかな時間の流れのなかにあるエメラルド色の海、珊瑚の白い砂浜、風に揺れる椰子の木、そして温和な島の人々は、常に効率性を要求される先進国の人々から見れば“楽園”そのものといえます。しかし、そこに住む人々にとって自然は時にきびしく、また外界からの影響や避けることのできない自らの近代化は、伝統的社会システムや自然環境にさまざまな弊害を生じさせています。同時に国際社会の中で生きて行くためには各島嶼国のその距離的隔絶性やスケールの小さいことなど地理的、経済的ギャップがあり、国や人々の生活の発展を妨げています。
長年の植民地支配から独立を果たしながらも援助に依存している島嶼国は、今自立への道を模索しています。日本からの援助や経済投資は年々増加の傾向にありますが、過去に於いては、それを行なう日本人の島嶼国の伝統や社会システムに対する理解が充分とはいえず、また一般的に情報が相互に不足しているのが現実です。太平洋島嶼国はアジアと同様、日本の隣人であり、歴史的にも文化的にも深いつながりがある地域です。
1988年に笹川平和財団はこういった状況を踏まえ東京に各島嶼国首脳と日本の各界関係者を招き「太平洋島嶼国会議」を開催しました。この会議の成果として、出席者からの要請に応え、「笹川島嶼国基金」が設立されました。(1999年4月1日付で「笹川太平洋島嶼国基金」に名称変更)

https://www.spf.org/spinf/spinf_j/profile/
大橋玲子さんの事 [2017年08月18日(Fri)]
人生を変える出会いがある。

私が今、国際交流、国際協力と言った仕事に関わっているのは24才の時に大橋玲子さんに出会ったからである。
その彼女が1週間前に亡くなられた。

虫が知らせる、という事はあるのだ。
私は育児、仕事、博論で10年近く彼女に連絡をしていなかった。
偶然、共通の知人が目の前に現れ、入院されている事を知ったのである。
先月、7月の事だ。直ぐに会いに行った。
大橋さんは一言も発しなかったが、私の話す事はすべて理解し、目で指示をしていた。
彼女の精神力、エネルギーがスゴイ勢いで伝わってきた。
一歩も引くな。そう言っていたと思う。

このブログを書いているおかげで多くの人が私に会いたいと連絡をくれる。
その一人が、日本財団の鳥井啓一参与だった。色々と恐ろしい話を聞かされたのだが、その中で笹川会長がなぜ私を評価して下さっているか教えてくれた。1988年に笹川平和財団が開催した太平洋島嶼会議の成果として笹川太平洋島嶼国基金が翌年設置されたのだが、担当者が見事座礁させてしまったのだ。1991年に財団に入った私が一人でこの座礁した基金を再起動させたのである。
笹川会長はしっかり見ていて下さったのである。

なぜ、大の男が何人もかかってできなかった基金の立ち上げを、26才の小娘が一人でできたのかというと、これは大橋さんから組織運営を学んでいたからだ。全国レベルの1万人の組織と、アセアン諸国を結ぶ数千人の組織運営を既に現場で経験していたのだ。
当時の財団には島嶼国の事は勿論、組織運営、即ち運営委員会と財団事務局の役割が理解されていなかったし、公益組織にも拘らず広報が何もされていなかったのである。
幸い、当時の運営委員会の委員長であった笹川会長は、この座礁した基金をどうにかしたい、という明確な意思を示されていた。他の幹部は匙を投げている状態だった。

残念ながら財団内に仕事を相談する人はいなかったので、私はいつも大橋さんのアドバイスを求めていた。大橋さんは自民党の政策スタッフや大物議員の選挙参謀として活躍していた経歴があり、人間関係の作り方から、ポーカーフェイスの作り方、仕事の詰め方とか、何から何まで細かく教えてくれたのである。

笹川太平洋島嶼国基金を再起させただけでなく、国内国外に人脈を開拓し、数々の事業を成功させる事ができたのも、大橋さんのおかげなのだ。

大橋さんの仕事は、官僚が作った稟議を大臣のところでひっくり返したり、ゼロ査定の事業を満額に戻したり、と一歩も引かないどころの話ではない。こんな事をしたら憎まれ、敵も多く作る。
それも勲章なんだろう。

彼女が変えた多くの若い人生があると思う。それは日本国内だけでなく、アセアンにも広がっている。今80、90年代に共に活動したアセアンの友人達が、私の目の前に現れてきた。これからアセアン通いが、また始まるのか。。(東南アジア青年の船は秋篠宮妃殿下も参加された内閣府の青年事業。)


太平洋島サミットと笹川太平洋島嶼国基金 [2017年03月05日(Sun)]
「小渕総理に沖縄での太平洋島サミット開催を進言したぞ。島嶼国基金で何か手伝えないか?」

笹川会長から呼ばれるというのは年に1回もない。もう20年近く前なので会長の発言は正確に覚えていないがこんな内容だった。
エー! オブチソーリイ?と心の中で叫びつつ、ここであまり大風呂敷を広げて「じゃあやってみろ」と言われたらまずいので堅実な提案をした。
「ジャーナリスト招聘ができます。しっかりパブリシティで支援できます。」と応えた。

笹川太平洋島嶼国は10年近く太平洋島嶼国と日本のジャーナリスト交流を行ってきたのだ。日本政府が招聘すると島嶼国政府の息のかかった現地メディアしか来ないし、地域で一番発信力のあるグアム、サイパン、ハワイのメディアは勿論対象外だ。
ここら辺のツボを抑えている基金がアレンジしたメディアカバレッジは成功し過ぎたと思っている。その後、中国、台湾、フランス等々が続々と島サミットを開催し始めたのである。

<役者が揃い過ぎていた2000年の島サミット>
日本政府が最初に島サミットを開催したのは1997年の橋本政権だった。しかし、行政改革の嵐が吹き荒れる中、10数名の島嶼国首脳を招聘しておきながら橋本首相はちょっと顔を出しただけ。後は政務次官か誰かに任せっきりだったのである。
この事を後日教えてくれたのはパラオのナカムラ大統領だ。「あの会議は酷かった。」
1997年のサミットの目的はプルトニウム輸送懸念の決議を毎年採択していた太平洋諸島フォーラム対応だったのだ。電事連が10億円の基金を設置しお茶を濁そうとした。
だから、2000年の島サミットが実質的に初回という認識はある意味正しいと思う。
真剣に島嶼国支援を検討し始めたサミットと言ってよいであろう。
小渕総理、笹川会長、そしてサミット直前に亡くなられた小渕総理を引き継いだ森総理。当時の外務省大洋州課課長は宮地昭夫氏(現在内閣府国際平和協力本部事務局長)。島嶼国基金運営委員長は東京大学渡辺昭夫名誉教授。今思うと役者が揃い過ぎていた位の面々である。

<オールジャパンのフォローアップ>
笹川太平洋島嶼国基金の支援はこれで終わらない。
2000年の太平洋島サミットは同年開催された「九州沖縄G8」につながり通称「IT憲章」と呼ばれる「グローバルな情報社会に関する沖縄憲章」を採択した。これもフォローしたのである。
2001年、初の外務省、JICA, JETRO、笹川太平洋島嶼国基金共催というオールジャパンのフォローアップ会議がフィジーで開催されたのである。基金が支援したのがナカムラ大統領と森元総理の参加でICT支援を強調した。これが南太平洋大学のJapan-Pacific ICT Centerという大型ODA案件につながった事は間違いないであろう。そもそも同大学の遠隔教育ネットワークUSPNet再構築というODA案件も、1989年の笹川・カミセセ会談がきかっけで島嶼国基金がしかけたものである。



以上、下記の笹川会長のブログを読んで、追加情報として書き留めておきたかった昔の思い出である。

「ちょっといい話」その76―パラオ共和国―」
https://blog.canpan.info/sasakawa/archive/5718
ブログランキング一桁代! [2017年01月27日(Fri)]
この「やしの実通信」を掲載しているCanpan Blog。開設をアドバイスいただいたのは笹川会長で、2010年の事であった。
あれから7年目。おかげさまでアクセスは上昇し、継続の励みになっています。

「早川さんのブログはとうの昔に僕を追い抜いています。」
とアクセスのランキング発表があるのを教えてくれたのは寺島常務だった。
寺島常務もブログで海洋問題を発信されている。

ひさし振りに眺めてみたら昨年12月(9位)、11月(8位)は一桁代だった。
寺島常務は40位、64位。大きく引き離しました!

https://blog.canpan.info/cpforum/category_6/1


たかが順位だが、それでも嬉しい。アクセスに応えるべく質の向上も目指したい。


「島々」ー 天皇陛下のおことば [2016年08月11日(Thu)]
「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」
誰も取り上げていないようだから書こう。

おことばのなかに
「日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。」
がある。

「島々」

もうこのおことばしか頭に残っていない。他は何も記憶に残っていない。
「島々」のことを26年やってきて良かったな、と思った瞬間。
天皇陛下と共にある、特に新渡戸の天皇論を読んだ後は、天皇は王ではなく父親のような存在、と知ってなおさら良かったな、と思えた瞬間だった。


象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(ビデオ)(平成28年8月8日)
http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12
趣味と仕事ー「神への奉仕」 [2016年07月25日(Mon)]
「おまえ、趣味で仕事をしているな」
数年前羽生会長からこう、すごまれた事を時々思い出す。
批判されたのか、褒められたのか、それとも嫉妬されたのか、いつかお伺いしてみようと思いつつそのタイミングを外している。

下記のBBCのコラムは40才を過ぎて週25時間以上働くと頭に悪いという事らしい。。

Is full-time work bad for our brains?
By Georgina Kenyon
18 July 2016
http://www.bbc.com/capital/story/20160714-is-full-time-work-bad-for-our-brains


それで、再び羽生会長のご指摘を思い出した。
仕事と趣味。
気がつけば常に仕事の事を考え、仕事の質を向上すべく日々勉強し、2つ目3つ目の修士を取ったあげく、果敢(無謀)にも博士号に挑んでいる。さらに2つ目の博士か4つ目の修士を9年間業務として担当してきた海洋安全保障でまとめようかと検討している。
よって2日で軽く25時間は働いていると思う。がこの調査の「働く」の定義がされていないのではないか。

「働く」とは何か?
ここで思い出すのがエルンスト・フリードリヒ・シューマッハーの『スモール イズ ビューティフル』とヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』である。
「働く」とは何か?が議論されている。
『スモール イズ ビューティフル』では仏教経済学が提唱されている。プロ倫は働くことはひたすら神に仕える事、決してお金を儲けて遊ぶ為ではありません!と唱える。
これに加えてまだ読んでいないが速水融さんの「勤勉革命」もある。

シューマッハー、ヴェーバーに従えば、上記BBCのコラムは神に仕えるのは週25時間まで、と言っているに等しい。
羽生会長の当方への指摘は「おまえ、神に仕えているな」に等しいのかもしれない。じゃあ、やっぱり褒められたのか、嫉妬されたのか。。

そうであれば、私の神様って誰なんだろう?と自問自答してみる。
財団に入った時に笹川太平洋島嶼国基金の運営を任されて、その目的から自分で考え、自分で決めよ、自分で行え、という業務指示は神の啓示(その時は責任回避か?と疑ったが)であった事を改めて認識した。
ゴシップ、という情報 [2016年07月16日(Sat)]
ゴシップ、うわさ話も貴重な情報である。
情報は各方面から取っておく事が必要だ。
カクテルパーティとか、会議の休憩時間とか、飛行機の待ち合い場所とか。。

某島嶼国の友人との会話

友「あの大臣、女好きで有名なの。特に若い女の子が大好き。」
私「えっ。とてもそんな風に見えないわ。」
友「私も最初疑ったけれど、見た事あるのよ。それに皆知っている。奥さんも知っていて多目に見ているけど、たまに怒るみたいよ。」
私「まあ、個人の問題だから、関係ないけど。」
友「んんん、最近彼女の一人を特使にしたのよ。」
私「えっ。それは公私混同!許せない!」
友「私は受け入れるわ。ガールフレンドを特使にしてもいいと思う。優秀ならね。でもね許せないのはその女が嘘つきで馬鹿なことなの!仕事をする女として許せない!」

私は本当に言葉を失った。
友人は大臣の嘘つきで馬鹿なガールフレンドがどんな愚かな行動を世界で披露しているか20分くらい、文句が止まらなかった。友人も政府の重要なポジションに就くキャリアウーマンである。
そういえば、略奪結婚だったけかな?と思い出した。旦那も国家を担うリーダーである。
味方の阿呆は命取り(追記あり) [2016年07月07日(Thu)]
敵陣に阿呆を見つけた時は宝物を発見したような喜びがあるが、味方に阿呆を見つけた時は、敵陣に賢人を見つけた時よりも恐ろしい。
命取りになるからだ。

当方は羽生会長から財団で一番仕事ができる、と評価いただいているのだが(口が滑っただけかもしれないし、覚えていないかもしれないが)、そんなに他の職員は仕事ができないのだろうか、と訝しく思った事がある。

ミクロネシア3カ国の大統領との真剣勝負の仕事があった時、最悪のお兄ちゃんと組まされた。
知識、経験がないだけでなく、プライドが妙に高い。

「早川さん、あなたにはできないでしょうから僕がやります。」
「どうぞ、どうぞ、やって、やって。」
会議での発表なのだが、書いたものを読む能力はあってもやり取りに対応できず、ミクロネシアの方達から気を使っていただく始末となった。

だめだ、こりゃ。
ところが自分に能力があると思っているので、至ところで当方の交渉業務の足を引っ張る。
手八丁、口八丁でこっちは真剣勝負なのに、余計な口出しをする。
微妙な人間関係、パワーポリティクス、全てを読み取りながらの交渉なのに、
だめだ、こりゃ。

いよいよミクロネシア3カ国大統領の決着の場面となった。
男の子のプライドを壊さずにうまく回避する方法。。
「会長がこの会議に参加する事が一番重要だから、あなた空港まで迎えに行って。」
これはうまく行って追っ払う事ができた。
これで思う存分仕事ができる。

羽生会長が大統領サミットに到着した時は、全てこちらの希望通りに話が進んだ。

羽生会長からは「早川君感謝しているよ。」と100回位言われた事は忘れられない。
お願いだから阿呆な兄ちゃんとは組ませないで!とその時言えなかったから、今言う。

<追記>
これだけではなかった。そのプライド高きお兄さんは、ある日ミクロネシアの某大臣を呼び出して「財団の言う事聞け!」とやったのである。
偶々その大臣が当方の友人だった。
「財団はどういうつもりなのか。この件は大統領にも報告せねばならない。そうなれば我国はこの事業から手を引くであろう。」
急遽羽生会長に連絡。「早川さん至急対応して欲しい。」プライド高きお兄さんの尻拭いを任された。
こういうのって羽生会長と私しか知らない話なんだろうけど、なんで私だけが評価されるの?って皆から不審に思われているだけでなく、国交省、海保のおじさん、お兄さん達が米豪のカウンターパートに「羽生会長と早川さんは”特別な関係”」と言いふらしているのを米豪の知人から報告を受けているので書く事とした。
まさに味方は敵の中に、敵は味方の中にいるのである。
100万ページビュー突破! [2016年06月07日(Tue)]
寺島常務のブログで、100万ページ突破という記事が今年2月ごろあり、自分のも気になって見たところ、80万位でした。
後一年位すれば追いつけるか?と思っていましたが、昨日6月5日に100万ページビューを突破していました。

太平洋島嶼国の話が今話題のタックスヘブンにもつながるし、新渡戸の話も結構な反応をいただいています。特に昨年の天皇皇后両陛下のパラオ訪問を機に、このブログへの関心が高まり一機にアクセス数が伸びたように思います。

アクセスが伸びる事も色々とご意見感想をいただく事も継続と勉強の励みになります。読者の皆様に感謝します。また改めてこのブログ開設をご提案いただいた笹川会長に感謝します。


ところで、このブログに「アクセス分析」という機能があって、どのページが読まれているかわかるのですが、いつもトップに来るのが、なぜか当方の写真なのです。
書いている人間の顔が見えるって大事だよな。笹川会長も寺島常務もブログに顔写真掲載しているし、と思い、一昨年あたり恥を忍んで写真を掲載したところアクセスが増えた記憶があります。
私ってそんなにキレイだったのかしら?
この事実は、主観ではなく客観的数字が語っている事ですので、真摯に受け止めブログの内容だけでなく見た目も配慮して行きたいと存じます!
ブログやしの実通信について [2016年05月30日(Mon)]
2010年3月に開始したこの「やしの実通信」ブログも6年が経ちました。
アクセスはぐんぐんと伸び、現在は毎日一千件前後のpage view をいただいています。
有難い事です。また継続の励みになります。
今、多彩な方が観ていただいていると思いますのでこのブログがどのように始まったのか書いておきます。


2つの原点、出発点があります。

1つ目は2008年4月に、羽生二郎副会長(当時)に呼ばれて「太平洋の島の事を教えて欲しい」と依頼された事です。
呼ばれたと言っても事務所内で呼ばれたわけでなく、財団事務所のある日本から遥かかなた、オーストラリアに直接電話がかかって来て、すぐ来い、と呼ばれたのです。

東大出の元国交省vice ministerに教えるんですから(しかも国立音大生が!)ただ事では済まされません!業務指示でもあるから力が入りました。
メールで色々情報を提供してたところ、翌年笹川会長からブログを立ち上げろ、とのお達しが。
これがこのブログの出発点です。
よって今でもこのブログのメイン読者は笹川会長と羽生会長と思って書かせていただいています。時々指示があるので当方の思い込みではありません。
笹川会長からは、定期的に書け、短めに書け、自分の意見は入れずに事実を粛々とまとめろ、どんどん広報せよ、と細かい指示をいただいております。そしてこれは指示ではないのですが、エロ話を書かないと読者は増えん!という秘伝までいただいております。


2つ目の原点は25年前、当方が財団に入った時です。
当時笹川平和財団はあまり広報をやっていませんでした。広報の基本ニュースレターさえありませんでした。
NGOの真髄は広報!当方は財団に入る以前に青年全国組織(総理府系、皇室外交の一翼を担う組織です。)の幹部として組織運営の経験があったので、すぐに「ココナッツ通信」というニュースレターを創刊。これがこのブログのもう一つの原点です。
財団に入ってから最初にいただいた業務指示が「自由奔放にやってくれたまえ。」
指示通りにやらせていただきましたが、お局様の非難にあって昼休みに作っていた歴史もあります。
財団全体のニュースレターはその数年後に創刊。

基金ニュースレター「ココナッツ通信」は基金事業を中心に情報を発信していました。これに加えウェッブで「やしの実大学」という太平洋島嶼国全般の情報発信を始めました。
これも財団で始めての試みであったので内部からの批判は大きかったのですが、当時はウェッブが利用し始められたばかり、太平洋島嶼情報を扱う組織も少なく、貴重な情報源であったようです。
アクセスは急増。
今でも知らない人から「やしの実大学」のウェッブの事を聞く事があり、嬉しいやら、閉鎖されてしまって悲しいやら。。複雑な気持ちになります。


このブログは当方が1991年から担わせていただいている笹川太平洋島嶼国基金事業全体の一部なのです。情報は発信するところに集まります。よって、このブログのおかげで情報が以前より集まるし、文章にしてまとめると、自分の理解力が高まり、現場での業務に非常に役に立っています。

2つ目の原点を作っていただいた、笹川会長、羽生会長には、いつも感謝していますが、改めて感謝の気持ちを記させていただきます。
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