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早川理恵子博士
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アダムスミスが泣いて喜びそうな離島の話 [2013年08月05日(Mon)]
八重山諸島、 石垣、竹富、与那国。
「癒し」を求めて訪ねたり住み着いたりするヤマトンチューは多い。

兼ねてから書きたかった2つの離島の話。


1つ目は、『道徳感情論』と『国富論』を書いたアダム•スミスが聞いたら泣いて喜ぶような話。
P島の旅館に泊まったときのことである。宿のおばあが出てきて色々と話が始まった。
「内の息子は偉いんだよ」あばあが言った。
郵便局か NTT か忘れてしまったが、島に一つしかないその事務所の整理縮小が進む中で人員整理も。
息子さんの同僚が解雇になる様子であった。
息子さんは、家には畑も、旅館もあるから俺は食っていける。俺が辞める、と言ってその同僚を救ったそうである。
この話を聞いたのは20年くらい前だが、未だにその時の感動が忘れられない。
自分が息子さんの立場であったら同じ事ができるだろうか?

2つ目。
ヤマトで定年退職をし、あこがれの南の島に移住。Q島は次々とやって来る移住者のための畑をつぶして住居地を整理。
しばらくして、その近くに「少年更正施設」が設置される計画が発表された。
反対したのは本土からの移住者。
長い勤務を終え、やっと「南の島の楽園」に終の住処を得たのに、そんなものを近くに作られたらたまらない。
これに反対したのが島の人たち。「誰かが、どこかが引き受けなければならないことだよ。」
その後どうなったのか、知らないのだが、社会の負の部分を自ら受け入れていく、こんな姿勢も八重山から学んだ。


亡くなられた友寄英正さんから伺った話も忘れられない。
「村八分って言葉あるでしょう。あれは2分残すって事だよ。」

離島の離島、鳩間島出身の大城学長に久々にお会いし、思い出した話である。
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