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早川理恵子博士
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移動する環礁 ー ヘレン環礁の記憶 [2013年03月15日(Fri)]
パラオの話が続きます。
自由連合の話も、law enforcementもそしてこの環礁の話も、奥が深く。
まだざーっと調べただけで、とっかかりの情報、議論です。


200px-Helen_Reef.png200px-Helen_Reef-NASA.png


<移動する環礁>

パラオの離島の中で、毎年3−4メートル南東に徐々に移動している環礁があります。70年前、日本軍が設置したコンクリートの土台が、今は150メートル先の沖に移動しており、その環礁の移動を確認する事ができます。
高潮の時は、ほぼ全体が海水に覆われ、島と呼べる陸地でも10センチ程度。

その名は、ヘレン環礁。
以前、島国の離島問題で取り上げたパラオのソンソロール州とハトホベイ州(通称トビ)。パラオの中心地コロールから300、500キロ離れ,インドネシアやパプアニューギニアの方が近い島国の離島。
ヘレン環礁はそのトビ州に属する環礁です。

数ヶ月に1回あった定期船(定期?)も今は止まり、人口は5人もいない状態。パラオ政府はヨットや観光船に頼んで、物資を運んでもらっている状態だと言います。


しかし、このヘレン環礁に世界の注目が集まっているのです。世界中のお金持ち(特に個人の寄付文化が成熟している米国の財団)や、第一線の海洋学者、ジャーナリストが、惜しみない支援をしているのです。


<ヘレン環礁を護れ>

ヘレン環礁はその海洋生物の多様性では太平洋一、と言われるほど有名な島。パラオと言えば昨年、世界遺産に指定されたロックアイランドとこのヘレン環礁。

無人のヘレン環礁は、70キロ離れているトビ州の人たちの自然の食料貯蔵庫のようでした。亀は毎日のように産卵に上陸し、魚も鳥も豊富。
環礁の長さが25km、幅が10km。礁湖は103km2。浅い珊瑚礁をあわせると大体163km2の面積。(ウィキから)

しかし、近隣のフィリピン、インドネシア、台湾等からの密漁が後を絶たず。しかも珊瑚礁を引きはがして持って行ってしまうような行為もあったそうで、90年代始め、トビ州はヘレン環礁に常駐のマリンレンジャー3名を配置しました。

200px-Desertisland.jpg


ヘレン環礁を襲ったのは密漁だけでなく、温暖化。1998年の異常な海洋温度の上昇で、その90%の珊瑚が死滅。地元の漁師は、突然魚の数が減り、その緊急性はトビ州の知事を動かします。

2000年、バリで開催された第9回International Coral Reef Symposiumでトビ州の知事がヘレン環礁の救済を訴え、Global Coral Reef Allianceが動きます。Global Coral Reef Allianceは世界のダイバーや海洋生物学者の集まりのようです。
彼らのレポートによると、ソーラパネルをヘレン環礁に持ち込んで、檻のように作ったワイヤーにつなげ電気を通すと、通常よりサンゴの育成が4倍ほど早くなるそうです。
レポートには多くの写真もリンクしてあります。

"Hotsarihie (Helen Reef) Project Report "
September 30 2004
Thomas J. Goreau, Wolf Hilbertz, Sabino Sackarias, Huan Hosei,
and the Hatohobei State Marine Park Rangers



<ヘレン環礁の記憶>

南洋庁のあったパラオと日本は切っても切れない関係。
こんな離島にまで日本軍が設置したコンクリート台が150メーター先の沖に残されていたり、Helen Reefに持ち込まれたソーラーパネルを運搬した船"Atoll Way"は日本の中古船だったり。

01540.JPG01576.JPG

Atoll Way



2004年に実施された"Hotsarihie (Helen Reef) Project"にイギリスのジャーナリスト、Caspar Henderson氏が参加し、"A Pacific Odyssey"というレポートを書いています。わかりやすく、興味深い内容です。

ドイツ時代(20世紀初頭)には5,000人いたトビの人口は今300人に減っています。しかもそのほとんどは現在コロール州に住んでいる。なぜこんなに人口が減ってしまったのか。オーストラリアへの強制的な労働連行もあったし、第二次世界大戦の被害もあった。しかし一番の原因はヨーロッパ人が持ち込んだ病気、だそうです。

ところで、島の人は日本人がくれば、アメリカやドイツの非道を訴え、アメリカ人がくれば日本人の非道を訴えます。だから「日本時代はよかった。」とミクロネシアに人々に言われても簡単に信用してはいけません。
ヘレン環礁にコンクリート台まで設置して、建物を建造した日本軍。いったどの程度の軍隊がヘレン環礁やトビ島に配置されていたのでしょうか?
Caspar Henderson氏は、島の老人から聞いた恐ろしい話を紹介しています。

"米軍の攻撃を前に、日本軍は集会場に島の人を集め、手榴弾を投下し殺してしまった。これを知ったアメリカ人が怒って日本に核爆弾を投下したのだ。"

本当の話かどうか確認していません。確かめようもない話なのかもしれません。
重要なことは、今でも戦争の記憶が150メーター先の沖に残されたコンクリート台と共にトビ州に残っており、これがイギリスの若いジャーナリストに伝えられ、記録され、パブリックに伝えられ、新たな記憶となっていく現実、です。

(ここで筆を置いてはいけない。)
日本の記憶が残るトビ州やヘレン環礁に日本は、日本人の私やあなたは何をすればいいのか?
この設問は無意味でしょうか?
同じ様な記憶を持つ絶海の孤島は太平洋にまだまだあるようです。


参考
Helen Reefは現地の言葉で"Hotsarihie" 。イギリス船HELENが1794年にこの環礁を確認した際にHelen Reefと名付けた。
British ship HELEN, Capt George Seton, sighted Tobi on April 5. Saw lights on it -- sign of habitation. Also saw a reef which they named "Helen's Reef." [Stevens 1808: 600, 620]
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