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早川理恵子博士
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福田ドクトリンとにっぽん丸 [2018年06月25日(Mon)]



先週の浅野亮先生の授業は昇亜美子博士の論文。福田ドクトリンと日米の対アセアン外交だった。

福田ドクトリンといえば内閣府が主催する「東南アジア青年の船」で私は当事者。
浅野先生は「福田ドクトリン」に対して米国から日本がトップに立ったヒエラルキーの構図になるのでは?という懸念の声があったことを指摘された。それは初耳であった。

授業で私は福田ドクトリンを受け「にっぽん丸」という船にアセアンの青年を乗せて内閣府主催の国際交流が実施され「にっぽん丸」という歌をアセアンの青年が自ら作詞作曲するまでになり、ヒエラルキーとは全く違う形ができたことを「当事者」として報告した。
「日本がトップに立ったヒエラルキーの構図」を変えたのは実は同窓会組織事務局総長であった私であり、この同窓会組織を作った大橋さんだったのだ。それは国連組織を模倣したものであった。

そう。私を含む20代の日本青年はアセアンの青年たちに比べ幼かった。
アセアンの青年達はまさに命をかけて国家の独立を、市民の権利を守ろうとしてたのだ。仲間は海軍学校校長、市長、大臣と目の前でどんどん出世して行った。同窓会組織の事務総長に選出された私を「理恵子、頑張れ」とそういうメンバーが育ててくれたのだ。

書くと長くなるのだが、アセアンのメンバーが一度日本が主導する事にNOを突きつけた。そしてタイからトップを選んだ。しかし彼は全く動かなかったのだ。後に外務大臣になった方である。そして私が選ばれた。それ以来事務局総長のポジションはずっと日本人だ。「調整役としての主導者」を私は目指した。

アセアンに育てられる日本。アセアンと共にある日本。
福田ドクトリンの「心と心の触れあう信頼関係を構築する。」に私は意識せず貢献した結果になったのだと思う。
アセアンの青年はみんな「にっぽん丸」に乗りたがったのだ。


Nippon Maru Song
Lyric & Music: Augusto Francisco Jasmin Meyer

Nippon Maru , sailing the blue , blue ocean.
Riding the waves over the deep blue sea.

Can you tell me how much you can cover a day?
Can you tell me how long you have gone
with the purpose of bringing together
young heart and mind?

Nippon Maru , sailing the blue , blue ocean
chasing the wind over the deep blue sea.
Can you take me with you to the ports of the world
with the message of love and peace?

Can you take me to the nations where caring
is only a word to say?

If you carry us over and out to the world
There's a chance we can speak to them all.
There's a chance we can tell them the world's but home
and all people's family!
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