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早川理恵子博士
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『日本−その問題と発展の諸局面』(6) [2016年05月30日(Mon)]
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新渡戸稲造の聖徳太子への賛美は止まない。
この本の真髄はこの短い「国家統合」という項目なのではないだろうか?


まず、新渡戸は前項で聖徳太子の「根本枝葉花実説」を紹介し、太子はコンスタンティヌスで、アソカであると賞賛し、この太子の「宣言」により仏教が、太子の後継者の下で栄え続けた、とする。(『日本−その問題と発展の諸局面』新渡戸稲造全集第18巻、2001、67頁)

「根本枝葉花実説」- 根本が神道で、枝葉が儒教、花実が仏教。まさに異文化共存の知恵!


新渡戸の太子賛美は続く。
「その国際心ゆえに愛国者であり、またその愛国心ゆえに国際主義者であった。」
新渡戸は自分に重ねたのではないだろうか?
日本の軍閥には米国の狗と罵倒され、米国の友人からは軍閥の傀儡と罵倒された新渡戸である。

新渡戸は十七条憲法を紹介。日本の国家統治、統一政府形成、君主制の原則堅持が太子によって基盤が作られた事を説明する。
十七条憲法の十二条に「国に二君なく、民に両主はない、国の内の人々は、唯一人の天皇を唯一の主人とみとめると。」ある。
(『日本−その問題と発展の諸局面』新渡戸稲造全集第18巻、2001、69頁)

太子がここに至る理論が明確に述べられている。
「それは、玉座に対する競争者を取り除いて、天皇の位を確かなものにすることであった。神武天皇の家系は、当時までに大きなものとなっていた。(略)皇室の統一こそ国内平和の予備条件であったから、その公僕の忠誠心は分かれてはならなかった。政治において、どこに正当を求めることができるのか?」
(『日本−その問題と発展の諸局面』新渡戸稲造全集第18巻、2001、69頁)

そこで作られたのが十七条憲法である。
さらに新渡戸は「その時代の自国の緊急の必要に合わせたのである。」と述べる。

自国の緊急とは何か?当方は恥ずかしながら当時の詳細を知らない。権力闘争、国内の混乱、外来文化・宗教の悪しき影響が混在していたのでは?
まさに、新渡戸稲造がこの本を書いていた時と同様の状況。
マルクス主義と、英米式侵略的帝国・植民主義、そして国内の格差拡大、地方の貧困。。。


新渡戸は太子を賛美する事を止めない。
「この聖人政治家の意義は、どれほど評価してもしすぎではない。」

「根本枝葉花実説」を唱えず、神道か、儒教か、仏教かのどれかいずれか取っていたらどうなっていたことか? 下記わかりやすいように、対比する形で本文から引用する。

 「仏陀は彼に人間の平等を教えた。それはどんな種類の社会的差別をも拒否した。」
 「もし仏教に従っていたとすれば、太子は共和主義と社会不和の種をまいたことだったろう。」

 「孔子は太子に偉人の力と権利を教えた。」
 「もし儒教に従っていたとすれば、太子は有力家系の支持を失って、皇位を弱体化したことであろう。」

 「国内のできごとを観察し体験して、太子は、少数政治の危険ならびに貴族政治の影響力を学んだ。」
 「もし自国の例の流れだけに従っていたとすれば、国がウジの貴族たちに分裂するのを目にしたことであろう。」
(『日本−その問題と発展の諸局面』新渡戸稲造全集第18巻、2001、69-70頁)


新渡戸は太子がこのディレンマを、人間平等の理論や、貴族の存在という事実で目を眩まされず、逆に開明的に対応したのである、と分析する。この部分は和訳がどうもわかりずらいので、原文の英文を下記に引用しておきたい。
 
"In this dilemma he was not blinded by the theory, however enlightened, of the equality of man, nor by the glaring fact of the existence of the nobility." (Nitobe 1931. "Japan - Some Phases of her Problems and Development" p63)

繰り返すが、この本が出版された2週間後に満州事変が、そして約半年後に新渡戸が日本を滅ぼすのは軍閥か共産主義だと述べて窮地に追いやられた。
上記の「人間平等の理論」が共産主義。「glaring fact of the existence of the nobility」が軍閥とすれば、新渡戸は日本の窮地を明確に認識し、聖徳太子並みの政治家が必要である事を、自分がその立場にあるかもしれない事を感じていたのではないだろうか?
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