小渕総理が笹川会長のアドバイスを求めると、大洋州課課長からフレンチをおごってもらえる話 [2015年01月19日(Mon)]
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風が吹けば桶屋がもうかるような話である。
今年5月に第7回目の開催が予定されている太平洋島サミット。 1997年の初回は橋本内閣の時で、やったかやらなかったのかわからないような扱いであった。 2回目はすごかった。なぜか? 小渕総理がこの2回目の島サミット開催について笹川会長のアドバイスを求めにいらしたのである。 これは25年の当方の太平洋人生でも忘れられない一コマ。 ある日、突如笹川会長から呼ばれ、 笹川会長 「小渕総理が来て島サミットの件でアドバイスを求められた。積極的に実施するよう、また是非沖縄で開催するようアドバイスしたところ、協力を求められた。何ができる?」(正確な発言内容は覚えていませんがだいたいこのような内容でした) 私 「(そんな突然言われても〜)えー、えー、ジャーナリスト招聘でしょうか。。」 1回目はほとんど国内国外共メディアカバレッジがなかったのだ。笹川太平洋島嶼国基金はメディア事業を10年近く実施してきたので、地域に影響力のあるメディアを知っていた。 当時の大洋州課宮島課長が小渕総理に言われて、笹川会長に挨拶に来られ、笹川会長から早川に聞くように、と言われたらしく、宮島課長から連絡があったのも覚えている。 小渕総理は、第2回島サミット直前に亡くなられ、森総理がサミットに参加された。 まだある。サミットの後、JICA, JETROそして笹川平和財団共催で、即ちオールジャパンで、フォローアップ会議をフィジーで開催。ここに森総理が参加。これも笹川会長が動いた。 日本の総理が、太平洋の小さな島国の事業にこんなにコミットするなんて、外務省として大事件だったようである。その時の宮島課長からお礼がしたいと、東京の白山にあるフレンチでディナーをおごっていただいた。 外務省には色々貢献してきたつもりだが、ごちそうになったのはこれだけである。 笹川会長の外務省への貢献は当方と比較できないが、それでも外務省は認識していないのだそうである。人間関係が構築できない官僚外交ここに極まる。 宮島さんは東京都の新設ポスト「外務長」に昨年就任。こういう義のある人は出世する。 ところで、やったかやらなかったか、誰も知らなかった第1回島サミットの目玉事業がUSPNetだった。これも笹川会長の指示で当方がODA案件になるよう、7年くらいかけて仕込んだ案件である。これは外務省から「余計な事をしやがって」と怒鳴られた案件だが、その後日本ODAのICT案件と言えばUSPNet、との地位を築いている。 2003年の第3回、2006年の第4回、2009年の第5回、2012年の第6回。笹川太平洋島嶼国基金はそれぞれ貢献してきた。 天皇皇后両陛下パラオ訪問直後の第7回島サミット。どのような貢献ができるであろうか? |


