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矢内原忠雄著『南洋群島の研究』を読む(2) [2015年01月12日(Mon)]
西洋諸国の植民地支配に島の人々は無抵抗だったわけではない。

スペインとポルトガルが、神の名において、地球をまっ二つに割り、(トリデシリャス条約、その後地球が丸い事を知り追加されたのがサラゴザ条約)ミクロネシア諸島はスペイン領となった。幸い、グアム、サイパン以外の島々はそれほど用がなかったという事もあるが、二度の宣教を試みたスペインの神父様達が、島の人々の殺されて、スペインも諦めたようである。

よって、実質的植民地支配はドイツが最初、ということになるが、これも黙って、無抵抗に受け入れた訳ではない。
有名なのがポナペ島のジョカージの反乱。1910年には全村民400名をパラオに強制移住させた。

ドイツ時代にはそれだけではなく、開拓のために島から島への強制移住が下記の通りあった。

サモアから約60名の犯罪人をサイパンへ。
1905年 ピンゲラップ島民67名をサイパンへ(台風被害救済措置として)
1907年 モルトロク島民2400名をポナペへ。
1909年 上記モルトロク島民2400名の内629名をサイパンへ。
モクモク、オレアイ島民1528名をトラック、ポナペ、サイパンへ。
ソンソン、プール、メイル、トコペ等の南西離島よりパラオへ。

しからば日本時代はどうであったか?
今回この矢内原の『南洋群島の研究』を読んで本当によかったと思ったのは下記の記述である。

「然るに日本統治に入りて後はかかる政策的移動を行はざるのみではなく、独逸が刑罰的若しくは政治的理由により強制移住せしめたる者をばその郷里に送還した。」

軍事色の強まる日本を批判し、この本を出版した2年後の1937年、東大を失職した矢内原がバイアスを掛けているとは思えない。この日本の人道的対応は本当ではないだろうか。当時は国際連盟への報告義務があったので、この事を裏付ける詳細な資料が残っているのではなかろうか。
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