マグロ フェティシズム(マグロを無闇にありがたること) [2014年11月03日(Mon)]
国宝 片身替茶碗 銘「不二山」 備忘録である。 マグロ フェティシズム(マグロを無闇にありがたること) いつから日本人は、また世界の人々はこんなにマグロをありがたく思うようになったのであろう? マグロ、マグロ、と騒ぎだしたのは、確かバブルの頃だったのではなかったかと思う。 このマグロ フェティシズム。小室直樹さんが茶の湯の例で説明していた記憶があったが、どの本に書いていたか忘れており気になっていた。先日見つけたので備忘録としてメモっておきたい。 『論理の方法ー社会科学のためのモデル』24頁にあった。下記引用しておく。 「日本でも、織田信長は天才でしたから、戦後国時代が続く一つの理由は、みんなが存在の有限な土地を巡って争うからである事に気づいたのでした。だから、この争いを鎮めて天下を統一するためには、土地フェティシズムを一掃しなければならないと思い立ちました。 そのための手段の一つが茶の湯の奨励です。 彼は千利休を重用し茶道の保護者となりました。彼は家来たちをしょっちゅう茶会に呼んで、茶道はすばらしいものだと洗脳しました。こうして彼らに芸術的な関心を植え付けた。 こうした準備をしておいてから、信長は、武功のあった武将を呼んで、褒美として茶器を与える。そうするとその武将たちも、この茶器は土地に換算したら何万石分にもなるものだと思って感謝感激する。」 信長の洗脳、今に続く。オソロシヤ。 さて、土地フェチが茶の湯フェチで解消されるのであれば、マグロフェチも何かで解消できないだろうか? |