
(チームごとの作戦会議)
集まったメンバーはほとんどの人が初対面、約200人の参加者は運営委員のサポートで20のチームに編成され、キャンプ場の芝生の上で早速チームごとの作戦会議に入りました。
自己紹介から始まり、年齢や生活環境の違いを超えて話し合い、「チーム名」、「走る順序」、「総合目標タイム」を決め大会本部に申告、準備完了。
チーム名は次のようになりました。
@ワンワンワン Aツーライフ Bスンリ(勝つ) Cガンバロウィシュ Dライス Eポッケ6 Fグリンパワー Gはじめの一歩 Hいずも9 Iきょうちゃん Jさくらんぼ Kノノ(のの) Lガバイト Mバレンタイン N一歩 Oハンドループ Pコスモス Q青空 Rさわやか Sみんないっしょ。

(李節子さん)
午前11時20分、「おおたユニバーサル駅伝協会」代表の李節子さんの高らかな力強い開会宣言により記念すべき第1回の大会の開会式が始まりました。
松原大田区長は、この駅伝で人と人の心をつなぎ、自分と隣りの人が助け合う地域つくりを目指そう、と宣言しました。
陸上競技連盟の審判員からルールの説明、20のチームの自己PR、日本女子体育大学陸上部の指導での準備体操をしっかりとして、いよいよ競技のスタートの号砲が天高く鳴り響き元気良く駅伝が始まりました。(久保田充)

(タスキリレー)
スタートと同時にダッシュする小学生もいれば、伴走ボランティアと一緒に確実に歩く視覚障害者もいます。
コースのあちこちには誘導ボランティアが立ち、「疲れた様子だった人も、声をかけると笑顔を返してくれるのがとても嬉しい」と言いながら、選手一人ひとりに声をかけていました。
そしてスタートから1時間後、各選手がそれぞれのスタイルで完走し、20チーム、5区間すべてのタスキがつながりました。
レース後、車椅子で走った人は、「最初は自分のペースで走ろうと思っていたが、始まると頑張ってしまった。でもなんとか自力で完走できました」と笑顔で語ってくれました。また、学校の部活で声をかけられ伴走ボランティアとして参加したという中学生は、「視覚障害者と一緒に走ったが、障害があっても怖がらず走るのに驚いた。同時に、介助者の重要性も実感しました」。チームマネージャーを担当した大学生からは、「多くの人と交流でき、とても楽しかった。車椅子の子どもと一緒に走ったが、車椅子が意外に軽くて驚いた」という声が聞かれました。

(葭原滋男さん)
午後からは、アテネパラリンピック銀メダリストで、特別ゲストの葭原滋男さんによる「元気の出るお話」、手話サークル大田’90による「手話で歌おう」、和太鼓の生演奏による「打楽器を楽しもう」の催しがありました。
アテネでは自転車タンデムスプリントで銀メダルを獲得した葭原さんは、現在視覚障害者サッカーで4年後のパラリンピックを目指しているとのこと。
「新しいことにチャレンジし続けることが、僕の元気の源です」と話してくれました。
また、「手話で歌おう」のサザエさんの歌では、頭の上で3つ山を描くサザエさんの手話に会場は盛り上がり、「打楽器で遊ぼう」では、視覚障害や車椅子の人も太鼓や踊りに加わり、中学生などとともに踊りの輪ができていました。
今回のおおたユニバーサル駅伝は、異なる障害をもつ人々、一般市民、大田区議会議員らが実行委員会を組織し、3月から準備をすすめてきました。当日関わった人は、周辺ボランティアまで含めると300人にのぼります。
今後も、さまざまな立場の人が互いを知り、協力しあえる地域づくりを目指して、2009年6月7日(日)、第2回を開催予定です。(小川明日香)