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再生塾YARブログ
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子どもの気持ちをわからない親(2003年2月24日筆)[2012年02月13日(Mon)]
十七歳のとき、私は突然の事故で父を失った。
母は、自らのショックに対応するだけで精一杯、
一時的に目が見えなくなっていた。
ある意味で私や妹の心は『遺棄』されていたのだろう。
妹は躁鬱状態で不登校状態。
当時、不登校ということばも登校拒否ということばもなかった。
 そんな時にやはり私を救ってくれた人がいた。
 そして同時に、私は今、そういう年齢の時代の他人との出会いに感謝し、
今度はそれをつくろうとしている。
そしてそのたびに私もまた癒されていることに気がついた。
 父が亡くなったとき、私の心を無視した母を誰が責めることができよう。

でも、もし当時の私が気丈に長女としてふるまっていたとしたら
実は私もそのこと自体に傷ついているとも言える。
『自殺と言えなかった』という番組(父親の自死を語る青年を取材)に
出ていた若者も「長男だから、大黒柱だから」とまわりにいわれ、
泣く事もできなかったということをようやく振り返っているものがある。
私も同じだった。「オレが死んだらお前が家庭を支えるんやぞ」と、
十五歳の頃から言われてきた。私は長男扱いだったのだ。そして父は死んだ。

 一方、私の母は、南部大地震で弟を失い、自分も恐怖を味わった。
祖母(母の母)は、息子の死を痛むのに精一杯で目の前にいる娘(母)の
心の傷にまで思いをはせることはできなかった。
息子を失った悲しみにうちひしがれ、残された姉妹に愛を注げない、
心のケアをできない、そんな母親を誰が責めることができよう。
 私の母は、自分の子ども時代に味わった経験を、私に伝えただけだ。
PTSDということばさえない時代に、母も祖母もPTSDだったのだ。
そして、連鎖が起こってしまった。でも、それを誰が責めることができよう。

 性暴力被害で苦しんでいるある少女は、
母には決してその苦しみをうちあけられなかった。なぜなら、
母は彼女の目の前で、ドメスティック・バイオレンスで苦しんでいたからだ。
 母親は、暴力を受けても耐え忍ぶ姿を娘に教えてしまっていたからだ。

 彼女が解放されるにつれ、母親も解放されていった。
そして、最後に父親も彼女に本音を語った。
 
 子どもが問題を起こしたとき「親は子どもの心をわかっているのか」と
親を責めることが多い。でも、自分で精一杯の親がいても、
あるいは、他の兄弟姉妹のことで必死になっている親がいても、
許してやってほしい。その人はそれで精一杯なのだ。
 だからこそ、コミュニティが、他人の助けが必要なのだ。
それは欠陥でも欠損でもないのだと思う。

 子どもが癒され、親が癒されることもある。
癒しは誰から始まってもいいものなんじゃないだろうか。

出典
http://www5d.biglobe.ne.jp/~JYTH/eo/index3.html
Posted by 再生塾 at 10:48 | この記事のURL | コメント(0)
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