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再生塾YARブログ
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おいてけぼりの知的障がい者[2012年02月08日(Wed)]
『累犯障害者』という本を読んだことがあるでしょうか?
 
今、刑務所が満杯になりつつある理由のひとつに、
おいてけぼりの知的障がい者の存在が浮き彫りになり、
今では出所後の社会福祉的ケアがされるような
プロジェクトが進みつつあります。
障害者手帳もとらずに、なんとか生き延びてきた
知的障がい者の人達なのですが
社会状況の変化の中で、社会から放り出されつつあり、
結果としてまた犯罪を繰り返してしまう人たちがいます。
日本の知的障がい者の手帳取得率は、世界各国でも相当低いそうです。
それは知的障がい者の人口が少ないのではなく、
きちんと、フォロー・ケアするシステムがないということの結果のようです。
まだ、町工場や地域産業がある時代には、
彼らも地域の中でしっかりと支えられ見守られ受け入れられ、
もてる能力をそれが小さくても少なくても受容され表現できていたのです。
でも、工場は海外、人材派遣業が求めるのは即戦力、
不況と公共事業の縮小でがてん系の仕事もなくなり、
「知」で競争する社会に算入できず、結果として社会を学ぶ機会も奪われ、
社会規範を学ぶこともできず、いつのまにか犯罪に至ってしまう。
でも、刑を終えて外に出ても、同じことの繰り返しになる。
刑務所にいる知的障がい者がつぶやいたそうです。
「これまで生きてきた中で、ここが一番暮らしやすかった……」
というのは本当にそうなのだと思います。
誰も、「彼らがわかるように」ものごとを教えてくれないのです。


再生塾YARでは、20代、30代になって障害手帳を
とってもらうケースをサポートしてきています。
なぜ彼らが義務教育時に手帳を
とらなかったのだろうと不思議で仕方ありません。
塾に関わった当初は、一桁の計算もできない状態なのです。
これでは、アルバイトもできません。
彼らの将来を教師はどう考えていたんだろうと首をひねってしまいます。

親には殴られ、教師にバカ扱いされて、
傷つくばかりの小学校生活を送った男性は
人を信じる力を失い、人をだましたり
しょうもないウソをつくことでしか世渡りをしてこれませんでした。
彼なりの成長プロセスのデザインが保障されてこなかったのです。
おいてけぼりだったのです。
そんな彼に人に素直になれと何べん説教しても無駄というものです。

私は、知的障がい者の人にこそ、改めて勉強をしてもらいます。
学力は、セルフ・エスティーム(自尊感情)の基礎にもなり、
また、社会生活を送る上で、やはりあれば楽になる道具だからです。
彼らと関わって教えられるのは、やはり小さな成功の積み重ね、
そして、失敗の経験と修正(けなされることなく)は、
とても心の成長にも大事な要素であることをみせてくれています。
小学生レベルのドリルをやってもらうのですが、
心荒れていた彼が、勉強をし続けることで、落ち着いていくのです。
小さな○のくりかえりで肯定され(自分自身を肯定でき)、
失敗しても、バカとは言われず、
彼がなんとか理解できる方法を考えて寄り添ってくれる人の存在は、
失敗・ミスをしても受け入れられるという体験になるのだと思います。

知的障がい者の人は、
成長がとまっていると誤解している人も多いのではないかと思いますが、
着実に成長します。とくに、学力をつけていくと、もっと成長します。
でも、ゆっくりさんです。なので根気勝負。
ただ、社会性だとか、場をよむとか、自分の身をどこにおくのか、
という「見えないもの」を学ぶことはとても苦手で、
関わる私たちも、時にはため息つくくらい、嘘もつきます。
でも、これは、自分の状況をとらえて説明するという
非常に高度な認知・表現力の問題ですから、
これもまた、学力を必要とするものなのです。
嘘は、彼らにとっては、なんとか怒られないように
生き延びてきた社会スキルでもあるのです。
それに対して「嘘をつくな」というのではなく、
自分の状況を言葉にする、表現する、伝えるという
学力形成のトレーニングがもっと必要なのだと思います。
知的障がい者を理解できない人は、
自分のペースと自分の「漢字だらけ、熟語の言葉」で説教しますが、
それが彼らの頭の中でどう処理されたのかは
想像していないことが多いのだと思います。
多くの熟語が、彼らの頭の中では、
意味のわからないカタカナになっている可能性が高いのです。
だから普通にやってしまうと「あれほど、言ったのに、またやってる」と
腹がたってしまいます。
大事なのは「あれほど言った」言葉が
その人に本当に伝わったかどうかなのです。
だから、彼らと勉強して、
彼らの認知プロセスを解明しないと、
彼らに伝わる方法も開発できないのです。
「私たちが常識水準」という出発をすると、彼らはいつまでも
「何度言ってもわからない人」の枠に閉じ込められてしまいます。
おいてけぼりになってしまいます。

職場で「教え方が悪いんじゃ」と開きなおり悪態ついてやめたという男性。
でも、「教え方が悪い」というのは一理あるのです。

私もADDなので、どれほど言われても、何度も電卓も電話番号も間違えます。 
ミスをしない方法を開発するかどうかは、自分の苦手を知って、
ミスしない楽しみを発見するというモチベーションが必要です。
電卓の得意な人に、私のミスの頻発を理解してもらえないように、
彼らもやってもできないこと、やってみたらできるようになることが何なのかは、
一緒に共有して発見するしかありません。
支援学校卒業後こそ、本当は、知的障がい者の人たちのためには、
もっと学びの機関が必要なのだと思います。

といいつつ、
これを民間で続けるには、少しパワー不足かなと思い始めてもいます。
「教え方をよくするための時間」を過ごすことで、荒れていた彼が
少し落ち着いてきたことには、こちらもなごませてもらってはいるのですが。
Posted by 再生塾 at 10:25 | この記事のURL | コメント(0)
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