地震に関してのご報告が遅くなりごめんなさい。今日は活動の近況報告をしたいと思います。
こちらでは、以前起きた地震(5月27日)に比べ小さくなりましたが、まだ地震が続いています。低震度の地震が続き、私たちの村の人々は建物内に留まること(特に夜間)を大変怖がっています。なぜなら寝ている間に再度大きな地震が起きた場合、また被害を被る可能際があるからです。従って、人々は常に油断無く警戒しています。
私の村(ジュティス区)は地理的に傾斜の断面に位置してます。県庁所在地であるジョグジャカルタから南へおよそ15kmのところです。このことが地震の被害を非常に大きなものにしたのではないかと思っています。地震から1ヶ月が過ぎ人々は今、残骸を取り除き、壁や屋根の骨組みを竹で作った一時的な避難所を建設しようとしています。我々はNGOや個人的な援助、色々な組織や政府からの支援を生活建て直しの為に役立ています。
次に、日本財団の笹川会長、田南常務、瀧さん、API Fellowの皆さん(個人名を書くと長くなってしまうので省略します)からの多額の支援金の運用方法についてご報告致します。活動計画概要で提案しました通り、私がバントゥル、グドゥン・キブル、クラテンで遂行した地震復旧プログラムの活動は下記の通りです。
@ 被害者への後方支援(米、麺、日々の必需品、医薬品)として若干の支援金(数100万ルピー)を送りました。彼らの生活はまだ危険にさらされているにも関わらず、今は既に中止なっている非常に限られた援助だけしか無かったからです。(管理目的として彼らが私に送った援助依頼を別途提供します)
A ガジャマダ大学の社会学部と政治部(特に登山グループであるセトラジャナのボランティアの集まり)の友人と協力して、通称Out Bound運動と読んでいるバントゥルとクラテンにある幾つかの村の子供たちが受けた精神的ショック改善活動の為に、支援金を使いました。
B 私の村とその周りの人々を助けるためにセメント、砂、竹、竹壁、残骸除去装置を購入します。(写真下:セメント等の資材)
C ピュンガンの女性グループによって管理されている幼稚園の修繕の為に、セメントや他の材料を運搬します。
(写真下:修繕する幼稚園前で)
D 私の村に住む農民の皆さんに種と肥料をお渡ししました。
(写真右:種と肥料)
E 私の村で国内産業を行っている女性グループに若干の支援金をお渡ししました。地震によって全ての産業が中止してしまったので、再スタートの為に役立ててもらう為に寄附しました。
(写真下:みんなで集まった時の様子)
以上が今回の報告となります。また後日報告いたします。最後に一緒に私の村を訪れた後、日程を断念した佐藤純子さん(日本からジョグジャ研究で来られたAPI Fellow)に感謝します。
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