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千葉県我孫子市立第二小学校[2008年07月31日(Thu)]
これもちょうど2週間前の活動でした。国際教育映像協会「留学生が先生」の行事でブラジルを生徒(6年生)に紹介しました・・・まぁ、今まで何回もしたことですが、今回は特別な思い出となりました。それも、「カンピーナスジュニア会」との出会いのお陰だと思いました。

今までは、講義の最後にメッセージとして夢を持つ大切さを語るのにブラジルで良く見る風景「はだしでサッカーをする少年」を使っていました。

今回は、それにカンピーナスジュニア会のメンバーが富士山をバックにして和太鼓を練習している写真を加えました。近い年齢の日系ブラジル人青少年の(日本へ来て日本の文化をふれあい、富士山登山体験など)を実現する努力(自分たちで資金集めをして)とその結果を話しました。

そしたら、本当に数多くの質問がでました(今まで行った学校では一番多かったかもしれない笑顔)。

先生の将来の夢は何ですか?」 
一番大きな夢は何ですか?」 
ブラジルの青少年たちの夢は何だと思いますか?」 
先生が尊敬している人は誰ですか?

この様な質問が小学校6年生の生徒がしてくれて本当に嬉しかったです!!最後には、給食をして記念写真を・・・
JICA日系研修:帰国後の報告[2008年07月30日(Wed)]
先月、ブラジルからJICA日系研修員として来たニホンナシの生産者5名から連絡がありました。

ブラジルへ帰国した数日後にラーモス移住地ほぼ全員(ナシ生産者以外も含めて)に日本での1ヶ月の報告会を行われたそうです。皆さんは真剣に聞いてかなり盛況だったそうです。その一週間後に再び同じ報告会が開催され、今度は他の移住地(カッサドールなど)のナシ生産者を招待して行われたらしい(そのときの写真です)。

それに、帰国してからすぐ日本で得た新しい技術などをためす場がありました。日本とは季節が逆なので、ブラジルは真冬で剪定の時期でした。研修員と一人から頂いたメールでは、やはり日本の樹と全然違って日本の生産者みたいにスイスイとはさみは動かないけれど研修前と比べると楽しくなったと言ってました。

この研修を通して、皆さんが移住地全体そして地域全体が元気になれる機会になれば嬉しいです!!僕自身も留学・研究を(もっと)頑張ります!!笑顔
フィリピン・ダバオ日系人会[2008年07月29日(Tue)]
約2週間前に、NikkeiPortalでも紹介されたイベントに出席しました。早稲田大学で行われた「日本人としてのアイデンティティーを回復するために〜 戦争によってフィリピンに取り残された“日本人”たち〜」といって、日本財団とフィリピン日系人リーガルサポートセンターの協力で開催された公開講座でした。

≪フィリピン残留日本人問題とは?≫
第2次世界大戦前、道路建設や農業開拓のためにフィリピンへ移住した日本人は約3万人と言われています。その多くは現地でフィリピン人女性と結婚し、平穏な生活を営んでいました。しかし戦後、日本人は強制帰国を余儀なくされ、残ったフィリピン人妻や子供は反日感情による差別や虐待を恐れ、婚姻証明書や出生証明書などの書類を破棄するなどして身元を隠し、極貧の中、戦後を生き延びてきました。反日感情が和らいだ今、日本人のアイデンティティーを回復するために日本国籍の取得を求めるものの、戦争により身元を証明する書類がほとんど紛失してしまっている方も多く、困難を極めています。
(NikkeiPortalより)

以前からフィリピンにいる日本国籍のない日系人を事は存知でした。しかし、お話を聞いて驚いたのは日本の国籍のなければフィリピンの国籍もないことでした。来日したフィリピン日系人の皆さんから第二次世界大戦のお話を聞いていろんなことを想像しました。最後に、僕が心のアイデンティティに関して質問しましたら、全員が迷わず「心も日本人です」と言ったのも印象的でした。

講座の後には、日本財団の佐藤さん、フィリピン・ダバオ日系人会のJuseven会長と日本財団日系留学生支援担当の打村さんと一緒に食事をしました。Juseven会長は30代の若いリーダーですが、いくつも大きな夢を持っています。この場でもカンピーナスジュニア会の事を話すチャンスもありました。

短い時間でしたが、とても貴重な時間となりました。世界の日系社会の事情を知る事によってより役立てるような事をこれからしたいです。このように世界中の日系社会の若きリーダーたち同士でお互いの経験や夢を話し合う場を計画する事が我々日本財団留学生会の役割でしょうか?
「カンピーナスジュニア会」:日系社会の明るい将来(5)[2008年07月22日(Tue)]
御殿場市の富岳会・「富岳太鼓グループ」で指導を受けていた時の青少年達の目の輝きは一生忘れません。このグループ(和太鼓「ツバメ」)は指導する先生はいませんが、練習を始めて1年経った昨年始めて挑んだ全国和太鼓大会で準優勝したのです。そして今年の大会(日本へ出発する前日)には自ら2曲を作ったそうです(以下のビデオ)。初めての本格的な山内先生の指導を一生懸命聞く姿はすごかったです。かなり激しい練習で、手に血豆ができた子もいましたが、最後は喜んでいた感じがしました笑顔

撥(バチ)を使って準備運動をするには初めてだったらしい笑顔

汗をびっしょりかいて真剣に練習青少年たち

日本でも珍しい2メートルの大太鼓「富士山」をたたくチャンスも頂いた
ジュニアがその大きさに驚きを隠せない笑顔

富岳太鼓とカンピーナスジュニア会が練習後の集合写真


日本人ブラジル移民百周年記念太鼓フェスティバルで演奏した「カンピーナス・和太鼓ツバメグループ」(来日の前日)


富岳会と富岳太鼓グループに関する記事:
*日本財団留学生の西畑ネリアが「ラテン日系留学生」:カンピーナスジュニア会と富岳太鼓
*日本財団ブログマガジン:和太鼓・絵画に取り組んで30年 御殿場の富岳会
「カンピーナスジュニア会」:日系社会の明るい将来(4)[2008年07月21日(Mon)]
日本財団留学生会(NFSA)との交流もカンピーナスジュニア会の皆さんが泊まっていた代々木公園にある「国立オリンピック記念青少年総合センター」で企画しました。

目的はお互いの団体の紹介して、お互いどの様な活動を行っているかを話し合う事でした。最終的には、僕自身が習った事の方がはるかに大きかったと思います。彼らの活躍や達成したことを見ていると将来の日系社会にはまだ明るい光があるのだなと感じました。

交流に参加した他の留学生の仲間たち(チリ、コロンビア、パラグアイ、ペルー出身)も「カンピーナスジュニア会」の成果を見ることで新たなアイディアが見えてきたのではないかと思いました。彼らのお話や用意していただいたビデオ・プレゼンテーションを見ながら感動していた留学生もいました。

ジュニア会のメンバー達に後で聞いたら、一番印象に乗ったのは留学生のエルナンが「いろんな言語を知る事で世界中を知る可能性」の話だったそうです。彼が、日本語・スペイン語・ポルトガル語・英語を知る事でピースボートに乗って世界中を回った事はインパクトがありました笑顔

最後には、ジュに会のメンバー3人が誕生日していたのでプレゼントとして「日本人ブラジル移民百周年の切手」をあげました。

本当に最高の交流でした!!
「カンピーナスジュニア会」:日系社会の明るい将来(3)[2008年07月18日(Fri)]
今年に入って、カンピーナスの姉妹都市である岐阜市から5日間の交流に招待されたが、経費(航空券)は自己負担という条件がありました。それから、資金活動に「文化祭」などで日本食を販売したり演奏などを始めたそうです。5ヵ月後には航空券と5日間の東京滞在に必要な費用(目標の約4万ドル)が集まっていた。東京滞在の目的はもっと日本の文化に触れ合うこと。

このグループが到着した初日に責任者の小宮山アキラさんとお話をして東京で観光するための調整をしていたら、あることを頼まれました。

アキラさんさん:「全部彼らに任せてください」。
: 「え??始めて日本に来て、ほとんど日本語の出来ない12歳から18歳のブラジル青年がどのように目的地までいけるの??」

と思っていたのですが、彼らを甘く見ていました。秋葉原や原宿などに着くと、その場で全体会議をして、行く場所、所有時間、待ち合わせ場所を決めて、何の問題もなくこの「初めての」東京をまわっていたのです。

以下の写真は秋葉原駅のホームで会議するカンピーナスの青少年達。
責任者のアキラさんは確かに一番後ろにいる

初めて新幹線に乗る皆さん

静岡県御殿場市に行く途中に電車を乗り間違えて、
暑い中屋根のない駅で次の電車を待つときも楽しむ青少年たち

でも、さすがに日本の暑さにはちょっと・・・(彼らの暮らすサンパウロ州はいくら真夏でも日本のようにジメジメと湿度のある気候ではありませんので)
カンピーナスジュニア会と富岳太鼓[2008年07月18日(Fri)]
先週、ブラジル国サンパウロ州カンピーナス市から26人の青少年たち(12歳から18歳までのジュニア会)が日本へ来ました。そのほとんどはカンピーナス日伯文化協会の和太鼓グループのメンバーです。私もカンピーナス出身なのでそのグループは良く知っています。昔からの友達や、生まれるのを見た友達も着ましたが、日本でもっと良く知る事ができました。

このグループに関しては、NikkeiPortalの記事を見てください。

私はこのグループと一緒に東京と御殿場へ行きました。御殿場では富岳太鼓グループと素晴らしい交流を見る事ができました。この富岳太鼓は珍しいグループです。なぜかと言うと、障害を持つ人達に太鼓を教えながら治療・セラピーをしているからです。
日本財団が支援して立てた富岳太鼓の建物:
天気が良い時は舞台の後ろから富士山が見えるそうです。
富岳会の行事の一つ:障害者たちが社会自立を目指して作るおいしいお弁当をいただきました。
カンピーナスジュニア会は6時間にわたって太鼓の練習をしました。手にまめができて血が出るほど激しい練習でしたが、青少年達は心から太鼓を叩いてましたので感動しました。

とても短い付き合いでしたが、久しぶりに会ったカンピーナスジュニア会の皆さんと色んな事を経験することができました。日本財団、日本太鼓連盟、富岳太鼓とカンピナースジュニア会の皆さん、本当にありがとうございました。

4期生
ブラジル出身
西畑ネリア
「カンピーナスジュニア会」:日系社会の明るい将来(2)[2008年07月17日(Thu)]
今回は今まで経験した交流とはまったく別の感じがしました。それを説明する前に、現在のブラジルの日系社会の現状を簡単に説明します。

最初の日本人ブラジル移民から100年経った現在のブラジルの日系社会はかなり厳しい状況に攻められている。経済的な面で「会館」などを運営する厳しさ、若者たちは教育などの理由で都会へ出て行く、日本の文化に興味を持たなくなり(言葉の壁の影響もあって)、アイデンティティなどの問題を抱えている。この様な問題点は、「海外日系人大会」など様々な所で講義されている。

そんななか、「カンピーナスジュニア会」はブラジルの日系社会でも例外なので少しずつ注目されている。今まで、青年団体で行われなかった10歳以下・10代・20代などに分けて、それぞれ違う長期的な目的をもって活動を行っている。「ジュニア会」の場合は初期の約20人から4年経った現在は100名以上のメンバーに成長しています。毎日のように和太鼓ヨサコイソーラン・踊り・サッカー(フットサル)バレーボール・「子ども会」、そして勉強会なども行っている。この様な活動を通して「絆」を深めながら、さまzまな活動を計画する場でもあります。

来日した「カンピーナスジュニア会」のメンバー26人が御殿場で・・・           白い雲の後ろに消えた富士山
「カンピーナスジュニア会」:日系社会の明るい将来(1)[2008年07月16日(Wed)]
今年の7月9日から14日の期間、ブラジル国サンパウロ州カンピーナス市から来日した26人の青少年和太鼓グループと出会う機会がありました。秋葉原、浅草、渋谷、新宿、原宿、皇居、東京江戸博物館や銀座などの観光名所を約2日半かけて見学しました。日本財団日本太鼓連盟のオフィスに行き、挨拶することもできました。東京から静岡県御殿場市へ移動し、「富岳太鼓グループ」との交流・指導を受けました。翌日、富士山の頂上を目指して出発する前に分かれました。

浅草でお小遣いをもらったおじいちゃんやおばあちゃんにお土産を選ぶ青少年達


暑い中に皇居の前で集合写真
「カンピーナスジュニア会」:日系社会の明るい将来[2008年07月16日(Wed)]


今年の79日から14日の期間、ブラジル国サンパウロ州カンピーナス市から来日した26人の青少年和太鼓グループと出会う機会がありました。秋葉原、浅草、渋谷、新宿、原宿、皇居、東京江戸博物館や銀座などの観光名所を約2日半かけて見学しました。日本財団と日本太鼓連盟のみなさまのオフィスに行き、挨拶すつこともできました。東京から静岡県御殿場市へ移動し、「富岳太鼓グループ」との交流・指導を受けました。翌日、富士山の頂上を目指して出発する前に分かれました。




しかし、今回は今まで経験した交流とはまったく別の感じがしました。それを説明する前に、現在のブラジルの日系社会の現状を簡単に説明します。


最初の日本人ブラジル移民から100年経った現在のブラジルの日系社会はかなり厳しい状況に攻められている。経済的な面で「会館」などを運営する厳しさ、若者たちは教育などの理由で都会へ出て行く、日本の文化に興味を持たなくなり(言葉の壁の影響もあって)、アイデンティティなどの問題を抱えている。この様な問題点は、「海外日系人大会」など様々な所で講義されている。



そんななか、「カンピーナスジュニア会」はブラジルの日系社会でも例外なので少しずつ注目されている。今まで、青年団体で行われなかった10歳以下・10代・20代などに分けて、それぞれ違う長期的な目的をもって活動を行っている。「ジュニア会」の場合は初期の約20人から4年経った現在は100名以上のメンバーに成長しています。毎日のように和太鼓・ヨサコイソーラン・踊り・サッカー・バレーボール・「子ども会」、そして勉強会なども行っている。この様な活動を通して「絆」を深めながら、さまzまな活動を計画する場でもあります。



 今年に入って、カンピーナスの姉妹都市である岐阜市から5日間の交流に招待されたが、経費(航空券)は自己負担という条件がありました。それから、資金活動に「文化祭」などで日本食を販売したり演奏などを始めたそうです。5ヵ月後には航空券と5日間の東京滞在に必要な費用(目標の約4万ドル)が集まっていた。東京滞在の目的はもっと日本の文化に触れ合うこと。


このグループが到着した初日に責任者の小宮山アキラさんとお話をして東京で観光するための調整をしていたら、あることを頼まれました。


アキラさん:「全部彼らに任せてください」


私: 「え??始めて日本に来て、ほとんど日本語の出来ない12歳から18歳のブラジル青年がどのように目的地までいけるの??」


と思っていたのですが、彼らを甘く見ていました。秋葉原や原宿などに着くと、その場で全体会議をして、行く場所、所有時間、待ち合わせ場所を
決めて、何の問題もなくこの「初めての」東京をまわっていたのです。




日本財団留学生会との交流も企画しました。目的はお互いの団体の紹介です。最終的には、僕自身が習った事の方がはるかに大きかったと思います。彼らの活躍や達成したことを見ていると将来の日系社会にはまだ明るい光があるのだなと感じました。交流に参加した他の留学生(チリ、コロンビア、パラグアイ、ペルー出身)も「カンピーナスジュニア会」の成果を見ることで新たなアイディアが見えてきたのではないかと思います。。



 


御殿場市の「富岳太鼓グループ」で指導を受けていた時の青少年達の目の輝きは一生忘れません。このグループ(和太鼓「ツバメ」)は指導する先生はいませんが、練習を始めて1年経った昨年始めて挑んだ全国和太鼓大会で準優勝したのです。そして今年の大会(日本へ出発する前日)には自ら2曲を作ったそうです。初めての本格的な山内先生の指導を一生懸命聞く姿はすごかったです。そして日本でも珍しい2メートルの大太鼓をたたくチャンスも頂きました。


初めて彼らの話を聞いて、東京での宿泊先を探したり日本財団や日本太鼓連盟に協力をお願いしたときから、富士山をバックにして太鼓を演奏するのは僕自身の夢となりました。あんなに若い青少年達が夢を実現する姿を見る事で、数多くの問題を抱える日系社会の明るい将来が見える気がしました。あの勇気と熱心さを見習わなきゃなと思います。


ブラジルで公演をしたときの和太鼓ツバメ




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