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Robson Ryu Yamamoto

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みんな同じ一日24時間[2011年05月23日(Mon)]
タイトル みんな同じ一日24時間 2011/05/23 10:25
東日本大地震から2ヶ月以上経ちました。あっという間・・・に過ぎたと感じますが、被災地の皆さんには長い時間だったのではないかと思います。

このブログも久しぶりに更新します。「大学の仕事が忙しくて・・・」と書いてしましたが、子供の頃に両親からよく言われていたことを思いだしました: 「みんな同じ一日24時間なんだから」。

この2ヶ月は自分にとって「人生」に関して良く(=たくさん)考えた時間でした。“生”・“死”・“友”・“愛”・“悩”・・・

私の周りには 「すごい人」 がたくさんいます。その人達にいつも励まされている気がします。
これからもっと頑張って、いろんなことに挑戦し続けます。そして時間が揺る限りこのブログも更新します。

これからもどうぞよろしくお願いします。
東日本巨大地震:ブラジルにいる僕に何が出来る?[2011年03月14日(Mon)]
3月11日(金)午後2時46分に東北で発生した巨大地震のニュース・・・朝起きてブラジルのテレビ番組でずっと報道されてました。

起きたばかりだったので、信じるのに少し時間がかかりました。信じたくなかったと言うべきでしょうか・・・

住んでいる所の当日は大雨で、周辺(50キロ離れている所)では浸水だど大きな被害を受けてました。

大学では、とにかく親戚や友達の安否確認で必死でした。多くの友達はSNS(特にFacebook)でメッセージを投稿していたので安心しました。親戚には電話してみましたが、通じなくて不安が高まって・・・

「自分に何が出来るかな?」と思いつつ何も出来ませんでした。
週末になって他の友達や親戚と連絡が取れて少し安心しました。しかし、ネット上で放送されていたNHK USTREAMの映像を見るたび自分の中には“変”な気持ちが・・・
2万キロも離れていたけど、まるで日本にいた気分でした。

気付いたのは、日本にいる友達通しでも情報不足や情報のすれ違いでした。そこで、NHKのニュース・情報をできるだけ正しくそして冷静に選択して日本語・ポルトガル語・(たまには)英語で提供することを始めました。最初は直接友達のメールアドレスに送ってましたが、SNS(Facebook)の方が伝わりやすいし、ヴァーチャルネットワークを通して一人でも多くの人に届くのではないかと思いました。特にライフラインに関する情報を発信しています。

また、夜中になっても余震などで眠れない友達は励ますようにしました。できてるかどうか分かりませんが・・・

大学の先生・後輩たちからも連絡がありました。全員安全でした!!Facebookを通してタイ・スリランカ出身の後輩から実験室の写真が届きました(以下)。見て泣きそうになりました・・・
ついこの間まであそこで実験をしていたのに・・・


これからも情報を提供し続けます。他に役立てる事がありましたらできる限りします。したいです!!
日本にいる皆様、特に被害を受けた人の安全を祈り続けます。また、普通の生活にできるだけ早く戻ることを願ってます。
ブラジルで池上彰氏と会いました![2011年02月16日(Wed)]
先月、ブラジル・サンパウロ市内で開催された「第11回南米日系農協活性化セミナー」に参加しました。「移住地を代表してきたの?」に対し「自分が興味がありますので来ました」と答えました。


私は移住地で生まれ、両親が毎日(雨・霜・雪・祝日・連休など関係なく)働いてる背を見ながら育ちました。大学で農学部を勉強すると決めた時から農業(特に小規模農業)の発展に何か貢献したい気持ちを保ってます。

会場では卒業した(ブラジルの)大学の先生(最後に会ったのは2008年に筑波大学を先生が訪問した時)、(ブラジルの)大学の先輩(最後に会ったのは2009年に偶然横浜で再会した時)、友人の新聞記者(昨年に出身移住地に来ていただいた時)、ブラジルの元農務大臣(2008年に東京農工大で講演した時以来)や日系人である農務大臣の元特別補佐官(3週間前にサンパウロ市でお会いました)といろんな方と再会することができました。

元農務大臣の講演の最後のスライド:
現代の世界には個人主義はありえない。堅実な提携しかよき将来を保つ

しかし、今回の一番の楽しみは元NHKアナウンサーの池上彰氏の講演でした。日本に留学するまでは、普通のNHKのニュースはまともに理解できなかったため「子供週刊ニュース」をいつも見ていました。簡単な日本語つかって分かりやすい説明をしていたため、大好きでした。

今回の講演のテーマは、「来たるべき食料危機に備える-日本の針路」を「子供週刊ニュースのお父さん」の様に分かりやすく説明していただきました。


公演が終わったら、なんと本にと記念写真を一緒に!!笑顔

ジャーナリスト・池上彰氏がコーディネーターを務め、安部順二連邦下議、小山ジュリオ・インテグラーダ農協副理事長、坂口渡トメアスー農協理事長、比嘉武浩コロニア・オキナワ農協組合長、東北伯モッソロー市でメロン栽培・輸出を行う大谷正敏氏の5人がパネリスト


パネルディスカッションで印象に残ったのは大谷氏が言った「人間は押し付けられるとやる気がなくなる。ある程度、好きにやらせてみて、自分が納得すればとことんやるようになる」でした。

翌日末は、友人の新聞記者とパネリスト・大谷氏と一緒に食事する機会がありました。農業・将来・夢など色んな話を聞かせていただきました。本当に情熱にあふれている人間でした!!
「実はもう少しで君の生まれ育ったラーモス移住地に移住するところだったのよ!」といわれた時には正直驚きました。またいつか是非会いたいです。

充実した一日でした!!笑顔

関連サイト: ニッケイ新聞(記事)サンパウロ新聞(記事)
大谷氏(ポ語雑誌の記事)
ちょっと恥ずかしいけど・・・ 戻りました。[2011年02月13日(Sun)]
2ヶ月以上ブログをアップしていなかったので、この記事をどのように書き始めたら良いのか分からないままパソコンに向き合っています。

書きたいことはたくさんありましたけど、「時間がなかった」「忙しかった」だけではなくてあまり使う機会のない日本語に対する自信が無くなってきた理由もありました。

全然書かなくても見に来ていただいたみなさんには本当に申し訳ございませんでした。

5年間日本で留学を卒業してブラジルへ帰国してから新しい道を歩み始めた私は感じたこと・見たこと・悩んだことをこのブログを通して発信し続けたいと思います。

2ヵ月半遅れていますが、今年もどうぞよろしくお願いします!!

年末に大学から実家へ帰る時に日の出を車から撮った写真
ブラジルと日本の大学の違い[2010年12月11日(Sat)]
私は大学(農学部)を卒業するまで研究・大学院に関して興味は全くありませんでした。とにかく現場で(栽培)経験をつめることしか考えてた。

大学院、そして留学を考えたのは2002年にJICAの研修プログラムで1年間埼玉県農林総合研究所で果樹(ニホンナシ)栽培を学びました。帰国してから2年間実家のナシ園で得た技術をブラジルの環境に合わせながら色々ためして見ました。しかし、果樹の場合は結果が現れるのは翌年・2年後とかなり時間がかかります。
そこで始めて「どうせ時間がかかるのなら、同じ期間に色々ためして出た結果をまとめて生産者に普及しよう」と考えるようになり、大学院へ進むことを決めました。ニホンナシが実験材料なので日本へ留学することになりました。

留学を卒業して、今はブラジルの大学で始めて研究をするようになりました。
日本では(少なくとも僕が所属していた研究室では)、大学院生は自分で調べて、実験をして・・・ という感じでした。
ブラジルでは研究グループごとに実験は行われる。(以下の写真のように)実験室内に数人いて、お互い助け合いながら分析などをして論文を投稿する時は直接関係する学生の名前は載る。

この日は6人(博士課程2名修士課程2名学部生2名)で収穫されたモモの分析をしてました笑顔

こうする事によって、経験が無い学部生が入ると先輩たちが説明して研究に興味を持たせる効果があると思います。修士課程の学生は先輩たちと分析の結果に対して議論もできる。博士課程の学生は、より多くの実験ができてより深い研究ができると思います。また、グループとして動くようになる。

来年から僕の実験も始まります。そして、このようなシステムで働くことになります。不安もありますが、本当に楽しみです!! 頑張ります!!
初体験: ブラジルで博士課程の発表会[2010年12月04日(Sat)]
僕がポスドクは始めて1ヶ月がたった時に研究グループのメンバーである博士課程の発表会が行われました。彼は私の実家の近くで以前から知っていました。研究テーマも似てて(リンゴ・ナシの休眠)で楽しみにしていました。

日本の発表会とは違って、学位審査委員が遅刻もありました(ラテンタイム??ウインク)
発表は予定通り問題なく終わり、学位審査委員会の質問・コメントは詳しい・細かいと思いましたがこれも問題なく答えたと思います。約3時間で修了。

その日の夜にお祝いとして、研究グループのメンバーを集めてパーティーに招待されました。
ここからが日本と違う点がいくつかありました: 
1.ブラジルで何かに紹介されたら、夫婦・付き合っている相手も連れて行きます。子供を連れていたメンバーもいました。
2.パーティーには学位審査委員・専攻長・研究科長も来てました(当然夫婦で)。
3.他の人に飲み物をつぐ習慣はありません。
4.この日はもちろんバーベキューでした。ブラジル風バーベキューの本場である南ブラジルですから!! 「ブラジル風バーベキュー」ですので野菜はゼロでした!!ご飯も無く、メニューはパン・牛肉・ビールでした(僕は自分のソフトドリンクを持って行きましたウインク



日本での経験や文化、色んなことを聞かれ、僕も色んな人と話して、色んな話を聞くことができました。とても温かく受け入れてくれた気分になりました笑顔
新しい職場:ペロタス連邦大学[2010年11月26日(Fri)]
私が始めたポスドクはブラジル最南端のリオグランデドスール州の南部にあるペロタス連邦大学Universidade Federal de Pelotas)です。この大学ののエリゼウ・マシエル農学部(Faculdade de Agronomia Eliseu Maciel-FAEM)は国内で最も歴史のある農学部らしいです(1883年)。農学部のキャンパスはペロタス市の中心部から約15キロ離れています。



農学部のメインビルディングは51年あって、先生方の個室やいくつかの研究室・会議室・事務室などがあります。

ちょうどポスドクが始まった10月に所属する果樹研究グループは新しい建物をオープンして僕はそちらへ直接入りました笑顔


私の個室は1階の右から2つ目の窓です
ブラジルで新たなスタート!![2010年11月25日(Thu)]
最後に書いた記事から約1ヵ月半が絶ちました。
その間、実家から約700キロ離れている町に引越して働き始めました。

仕事と言うか、ポスドクです。簡単に説明しますと、ポスドクは博士号を取得してからキャリアパスとして大学・研究所で研究等をすることです。

5年間日本で留学しましたが、ブラジルで研究・大学院の経験がほとんどない僕にとって今まで得た経験をブラジルで生かす貴重なチャンスです。研究以外に、大学・大学院に授業をしたり研究の指導もあります。不安もありますが、楽しみです。

このブログと通してそのことも少し書かせていただきます。
今までどうもありがとうございました!! そしてこれからもどうぞよろしくお願いします!!
日本財団日系留学生・OBOG同窓会(1)[2010年10月10日(Sun)]
日本財団の奨学金制度「日系スカラーシップ」は2004年から始まりました。今年の3月末には6期生の仲間たちが来日した同時に僕(2期生)は留学を卒業してブラジルへ帰国しました。8月にその日系スカラーシップのOBOG同窓会がブラジルで開催されると決定して、南米にいる仲間たちと久しぶりに再会することを楽しみにしていました。

この第1回同窓会はブラジル・サンパウロで行われました。参加したのは1期生の朱山カレン(コロンビア)・古木マキ(ボリビア)・伊藤ミカ(ブラジル)・橘谷エルナン(ペルー)、2期生の僕、3期生の国吉フェルナンド(ブラジル)と4期生の西畑ネリア(ブラジル)の7名でした。

集合は平日(金曜日)の夕方でしたので、渋滞を懸念してホテルからレストランの移動を地下鉄でする予定でしたが皆さんが歩きはじめたので走る
写真を良く見ると、赤信号に渡っているすいません

パウリスタ大通りの2.8キロをみんなで楽しみながら歩いたら、さすがにちょっと疲れた顔をしてレストランに入ってました。ブラジルでの最初の食事はやはりシュラスコです!!いつもの事ですが、残念ながら食べ終わってから写真を撮りましたウインク


翌日は港湾都市であるサントスまで行きました。ここを選んだ理由として、第2次世界大戦前から日本人移住者と深い関わりがあるからです。コーヒー取引市場を見学している時の写真です。見学後にはみんなでゆっくり美味しいコーヒーを頂きました。


参加者の「全員で何か一緒にしたい」という希望を大切にしながらスケジュールをミカさん・ネリアさんと一緒に組みました。なので2日目の夕方には全スーパーへ行って夕食の買い物をしました。全員で料理ができるペンションをネットで検索して家具がそろっているところを選びました。みんと一緒に料理を作って、ゆっくりして話しながら食べるのが本当に良かったです。


今回日本から来ていただいた日本財団の佐藤さんと海外日系人協会の中井さんには心から感謝します。奨学金を頂いている期間にも大変お世話になりましたが、卒業して帰国してからもお子のように同窓会を開催していただくのは本当にありがたいです。
Muito Obrigado!!
日本財団日系留学生・OBOG同窓会(2)[2010年10月09日(Sat)]
ブラジルといえばサッカー。サッカーといえばペレーですね。
当然、我々の同窓会にはペレーがプレーしたサントスFCのスタジアムを見学しに行きました。当日の午後は試合があったため、予定を変更して午前中に記念館を見学しました。僕自身もはじめてペレーに関する博物館を見学するので楽しみにしていました。ペレーは世界で最も知られている人物ではないかと思いますが、サントスFCでプレーした時の得点が1,091ゴール!!そしてペルーから来たエルナンが蹴ろうとしているボールはサントスFCのスタジアムでの10,000ゴール目の記念ボールだそうです。カレン(コロンビア出身)とマキ(ボリビア出身)は大笑い笑顔


サントス市内にあるコーヒー取引市場内で撮った写真です。中からとても美しい天井がありましたのでエルナンのカメラで次の写真を撮りました。ここでクイズ:カメラの持ち主はこの時どこにいます?A)トイレに行ってた? B)美味しいコーヒーを一人で飲んでいた? C)床に寝込んで写真を撮った?


続いて、サントス市・港と大西洋が見渡せるMonte Serratに行った二人は何をしていますか?
A)エルナンが滑って僕が助けようとしている瞬間 B)僕がエルナンをがけの上から押した瞬間? C) 30歳を超えた二人がただ遊んでいたの?


同窓会の2日目の朝食です。パン屋さん内で鏡を利用してマキが撮った写真。PS:この写真を見る限り中井さんはよほどおなかが空いていたのではないか・・・ウインク


こちらは「日本移民ブラジル上陸記念碑」です。このモニュメントの隣には「この大地に夢を」・・・ 短いけど重く深い意味を持つ言葉が日本語で刻まれていました。指さす先は日本の神戸港らしいです(神戸港移住船乗記念碑には似たように南米ブラジルを指差している碑があります)。そしてこの後ろには大竹富江記念モニュメントがあります。
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