中越地震遺構視察研修日時 2019.6.23(日)〜 6.24(月)
参加者 VC 16名
視察先 新潟県 小千谷市、長岡市(旧山古志村。旧川口町)
【新潟県中越地震】(Wikipediaから)
2004年(平成16年)10月23日17時56分に、新潟県中越地方を震源として
発生したM6.8、震源の深さ13 kmの直下型の地震である。
1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)以来、当時観測史上2回目
の最大震度7を記録した。
新潟県北魚沼郡川口町(現長岡市)の直下を震源として発生した逆断層
型の内陸地殻内地震で、震源直上の川口町では最大震度7を観測した。
震度7を観測したのは、1995年の阪神・淡路大震災以来9年ぶり、観測
史上2回目。
なお、阪神・淡路大震災では気象庁などの調査によって震度が判定され
たため、震度計で震度7が観測されたのは初めてである。
また、M6を越える規模の大きな余震が複数回発生するなど、余震回数
が多く群発地震的様相を呈したことも特徴のひとつである。
【行程表(実績)】
6/23(日)
6:45
焼津駅南口 == 焼津IC == 東名 == 清水JC == 新東名 ==
8:40〜8:55 9:28〜9:40 10:48〜11:00
NEOPASA沼津 == 圏央道 == 狭山SA == 関越道 == 赤城高原
11:45〜12:49
== 湯沢IC == 越後湯沢(昼食) == 湯沢IC == 小千谷IC ==
13:40〜14:45 14:55〜16:25
おぢや震災ミュージアムそなえ館 == 小千谷市産業会館サンプラザ
(30分のガイド付き) (15:00〜16:00まで桑野様の体験談)
17:00
== 妙見メモリアルパーク == 長岡駅前:法華クラブ(泊)
(車窓から)
18:30〜
夕食:長岡駅前 日本海庄や
(ホテル隣)
6/24(月)
8:22 9:07〜9:24 9:38〜10:44
ホテル == 木籠メモリアルパーク == やまこし復興交流館おらたる ==
(土砂で1階が埋まった住宅) (錦鯉がお出迎え・30分のガイド付き)
11:10〜12:03
川口きずな館 == 堀之内IC == 関越道 == 塩沢石打IC ==
(無料ガイド付き) (魚沼市)
12:47〜13:49 15:27〜15:45
魚野の里(昼食) == 湯沢IC == 高坂SA == 圏央道・東名 ==
17:13〜17:27 18:45
足柄SA == 焼津IC == 焼津駅南口
【写真】
おぢや震災ミュージアムそなえ館

桑野様の体験談(小千谷市産業会館サンプラザ)

木籠メモリアルパーク

やまこし復興交流館おらたる

川口きずな館

【参加者アンケート】 (集計 2019.7.3)
中越地震遺構を視察した参加者の感想です。
7/1のVC定例会出席時の短い時間で書いていただいたので、書き足り
なかった事と思います。欠席者1名のため、15名分です。
思い出して共感するところがいっぱいあります。
(メモを転記ミスした部分があるかもしれませんが、ご容赦ください。
語変換しないで、できるだけ原文のままとしました。
最後が途切れている文章は、アンケート記入時間が不足して思いを書き
きれなかったものと思われます。)
1.男
・印象に残ったことの1つですが、写真だと土砂崩れで川も家も埋まって
しまった景色は、土砂災害の報道でよく見かけて、チラ見で済ますことも
あります。
しかし、木籠メモリアルパークで実際に1階が土砂に埋まった被災
現場を視察したときは、皆さん、バスの出発時間なのに、現場からなか
なか離れず何か考え事をしているようでした。
15年経過した埋まった家や、その後、育ったであろう周辺の多くの木、
小さな川の流れなどを見ながら、跡形も無くなった村落の様子や、
ここに住んでいた方たちは、今はどうしているのだろうかとか、
2年という驚くべき速さで立派な道路ができても、15年経過して住民が
約半分になった理由などを、考えたり、想像したりしていたからです。
これこそ、視察の醍醐味で、本当に多くのことを考えさせてくれます。
桑野さんや記念館のガイドさんのお話も、さらに理解や想像力を膨ら
ましてくれました。良い視察研修になりました。
2.男
・実体験者の話し、聞いている側として体に伝わってくる。
災害時の行動(心情)と災害ボランティアの心がひとつになるには、
一定の時間が必要かもしれないと感じた。
また、不心得者の存在についても、その判断とお断りが難しいと知った。
・全体的に、あの状況で、私達は何ができるか。
指示待ちだけで良いのか。
出過ぎた事はできないだろうが、能動的でなくてはならないと思った。
3.女
・中越には2度目ですが、川口きずな館に行ったのは初めてで、小千谷や
やまこしの映像ばかりとりざたされて、川口の情報は一切知らなかった。
・現地の人の話を聞いて、震源地が川口だった事、集落の孤立や街全体の
孤立があったのは初めて知った。
・現地の人の話を聞かないとわからないことがたくさんあったので、行って
良かったです。
4.男
・山古志の桑野さんの話の中で、避難所生活が大変だった事がよく
わかった。
(イビキは隔離する。わがままになる。ビニールハウスの結露。
子供達にも説明する。)
5.男
現地に15年以上経過していた為被災状況は判らなかったが各地の
体験館、体験談をきき被害の大きさを実感出来ました。
妙見メモリアルパークの現場を見て地震当時の被災のすごさが判った
が、15年もたった今、草が生い茂り、当時の状況を思い出すのが
むずかしかった。
6.女
行くまで心配でした地震。主婦には4万円は少々きつかったです。
行ってみれば、大丈夫だったし、楽しかったです。
いろいろ見て参考になる事も多かったです。
(事務局注:清算後にかなり?ご返金させていただきました。)
7.女
・余震の影響で地震が心配だった。
・正直な処、延期して社協に同行して欲しかった。(金額面においても)
・実際に震災にあった人でないと、実感が無いことを痛感した。
・熊切さん、平田さんお茶・菓子・資料 色々準備をして頂きありがとう
ございました。
ガイド、添乗員まで感謝です。
8.女
・体験談、避難所運営、救助方法など聞かせていただき勉強になりました。
・気になった事
1)すべての決断は市町だった。
2)南海トラフ地震が来れば、どこから救援に入れば良いか悩む。
9.男
・震災発生時、リアルに再現体験出来て良かった。
・甚大な被害でビニールハウスの中の生活が見れて良かった。
10.女
・中越地震からもう15年経っていた事にまずおどろいた。
・また、その間の状況についてきちんと保存、今日に残してくれた地域の
人たちのお仕事に敬意を表したい。
・また、「そなえ館」桑野さんのお話から、その時の情況に合わせての
臨機応変と工夫を考え出す頭の柔らかさの必要性を感じた。
・もう1つボラセン立上げはできたら住民のボランティア受入れの心の
準備ができるまでの時間の差の話しを聞いて先に考えておくべき事だ
なと思った。
11.女
・新潟、山形県境の地震でどうなるのかと思っていました。
・現地に入って全くの地震を感じず参加してよかったと思いました。
・木籠メモリアルパークとして保存されていた2軒の家はうまって
しまったとの事。自然の恐ろしさ、すごいと感じました。
・やまこし復興館は写真や、ひなん所などが再現されていてわかり
やすかった。
・桑野さんの説明の中でやはり地震がおこった時間などが大きな
影響となる。
・各地からボランティアが入ってくるが、取捨選択力が必要といわれ、
全て受け入れるだけではダメなんだと思いました。
個々の判断、それを避難所としての考えとまとめることも大事と
思いました。
12.女
小千谷、山古志の地形を見て、静岡県にも同じ環境の地域があるので、
地震等に気をつけなくてはならないと思った。
体験者からの講話はよかったです。
13.女
高いお金を払いましたがそれなりに得るところはあって良かったです。
各場所で見るだけでなく、説明員を付けてくれた事でより深くなったと
思います。
また、個人で行くよりVCとして団体で行くことにより、VC向けに説明して
くれた事も良かったです。現地に行くことにより、地震のすごさを改めて
感じました。
14.女
パネル写真の展示等、ずい分大変なおそろしい時をすごされたことびっくり
しました。
自分におきかえると自分はどうするのかな?と思いました。
3Dメガネを付けて体験しましたがすぐ目の前にせまって来る地震の
様子を見ました。
災害の大きさにびっくり、屋根しか残っていない家を見て土砂の恐ろしさ、
山津波・・・
15.男
・10年以上経過していても記憶からは消えていない。
・遺構の保存は大変な事。頭が下がります。
・見て良かった。
(アンケートは以上)
(S.H)