
緒方貞子さんを偲ぶ[2019年11月09日(Sat)]
10月29日ネットニュースで
緒方貞子さん死去を知った時
頭をハンマーで叩かれた衝撃を受けた
1990年代はじめ
アフリカのルワンダで紛争があった
紛争とは関係なく隣国にいた北九州市内のNGOは
突然の難民対応を余儀なくされ慌てていた
当時、私は国際ボランティア貯金で寄付を受けた
カンボジアを支援する国際NGOの代表をしていた
支援する国は違っても国際社会の現状を考え
国連難民高等弁務官事務所はどう動くのか語り合い
欧米と日本のNGOの違いを悩んだりしていた
その時に緒方貞子さんを知り
国際社会で日本人女性として活躍する姿にあこがれ
人道主義、現場主義を貫いた彼女を尊敬した
近年、彼女のルワンダ紛争での支援失敗を語られることもあるが
冷戦終了後の国際社会では予測不可能な事ばかりが起こり
紛争化の中で人命を最前線で考え行動していていくことは
難しいかじ取りだったと感じる
むしろ私は女性が表舞台に出ることを否定的に受け止める日本で
彼女の姿をひとつのロールモデルとして見た時
私もできるかもしれない、やってみたいと感じ
国際社会に飛び出し活躍する日本女性が増え
ジェンダー・ギャップ指数を変化させていくだろう
その最初だった緒方さんをいつまでも尊敬していたい
緒方貞子さん死去を知った時
頭をハンマーで叩かれた衝撃を受けた
1990年代はじめ
アフリカのルワンダで紛争があった
紛争とは関係なく隣国にいた北九州市内のNGOは
突然の難民対応を余儀なくされ慌てていた
当時、私は国際ボランティア貯金で寄付を受けた
カンボジアを支援する国際NGOの代表をしていた
支援する国は違っても国際社会の現状を考え
国連難民高等弁務官事務所はどう動くのか語り合い
欧米と日本のNGOの違いを悩んだりしていた
その時に緒方貞子さんを知り
国際社会で日本人女性として活躍する姿にあこがれ
人道主義、現場主義を貫いた彼女を尊敬した
近年、彼女のルワンダ紛争での支援失敗を語られることもあるが
冷戦終了後の国際社会では予測不可能な事ばかりが起こり
紛争化の中で人命を最前線で考え行動していていくことは
難しいかじ取りだったと感じる
むしろ私は女性が表舞台に出ることを否定的に受け止める日本で
彼女の姿をひとつのロールモデルとして見た時
私もできるかもしれない、やってみたいと感じ
国際社会に飛び出し活躍する日本女性が増え
ジェンダー・ギャップ指数を変化させていくだろう
その最初だった緒方さんをいつまでも尊敬していたい