【東京の入り口は大泉学園のシェアハウスだった】
19歳の冬。僕は入った短大に馴染めていなかった。
同級生たちに障がいがあることを打ち明けられず、教室では端っこ端っこを選んで目立たないよう過ごしていた。
最寄り駅から歩いて25分、山の中腹にある校舎までを往復するだけで毎日がしんどかった。視野の障がいで自動車免許は取れず、半身麻痺で自転車にも乗れない。雨の日も雪の日もひとり学校に通った。
そこへ失恋という僕にとっての大きな出来事も重なった。
そして不登校になった。しばらく部屋に引きこもった。「短大を辞めたい…ここには居たくない…このままではダメだ…何とかしなくては…」とにかく現状を打開したかった。
僕は考えた。どうすれば前を向いて進んでいけるかを調べた。
そこで、出てきたのが【ウイズタイムハウス】だった。練馬区大泉学園にある一軒家。一階部分は障がいを持つ方達が社会活動や自立の準備を目指すB型就労所に、
二階部分は高齢者や障がいを持つ人、また生活に少しのサポートが必要な人が共同で住むシェアハウスになっていた。
グループホームではない。一人ひとりの個々のプライバシーを保ちつつ、お互い、助けが必要な部分は助け合う。外出の制限がなく、ご飯は各自で準備する。
僕にピッタリの居場所だ!と一目惚れした。お試し入居をさせてもらい、即入居を決めた。突然「東京に行く」と言い出した僕を心配していた両親も、運営しているのが練馬区議の方と知り安心してくれた。
都心に行くには少し駅から遠いのが難ではあるが、バスは日中、常に行き来しており不便はなく、生活のしやすい環境だった。
ハウスメイトも良い方たちばかりであった。江戸っ子口調のお爺さん。ちょっとした縫い物なら手伝ってくれるお母さん。お菓子をくれたり、何かと気にかけてくれる方たちばかりで、上京する前にあった不安はあっという間に払拭された。
短大を経て、行動力の低下していた僕は、ウイズタイムハウスに入ってから、徐々に元来持っていたその行動力を取り戻し始めた。大泉学園駅周辺で活動していた大学生たちで運営する居場所づくり・学習支援の団体にも所属。週に何回か、ボランティアの延長線上で子供たちに勉強を教えた。石神井公園で行われていたプレーパーク(子供たちが自由に遊べる屋外の遊び場づくり)にも参加。身体障がいがあっても、自分にできることは何かを考えだした。
今、本屋をやっているのも、この時の活動から影響を受けている。居場所づくりなどの場所に来る子の中には、ごく稀に発達障がいを持った子や知的障がいを持った子もいる。
そんな彼ら彼女たちと接する中で、僕の活動の原点である「こんな僕でも好きなことを追求して本屋をやれているんだからね。君たちにもできるんだぜ。を示すモデルケースになる」という気持ちが醸造していったのだ。
その時の練馬区でのご縁が今だに繋がっているからこそ、今回のエッセイ執筆につながったわけであり、他にもウイズタイムハウスでハウスメイトだったお母さん(僕がハウスを出た直後に山梨県へ移住された)とFacebookを通じて、今だに連絡を取っていたりする。
離れて住んでいても、気にかけてくれている方たちがいる。
大変ありがたいことだ。
(入居当時の林さん)



