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世界連邦主義者のひとりごと
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『平和をいかにして保持するか』〜永田論文 2008.08.27[2009年08月10日(Mon)]
五章  結    論

 地球上の人類は、お互いに離れた土地の者とは関係なく生活し、見知らぬ土地の人間に出合えば警戒し、戦いを挑んでいた時代から、民族意識、国民意識が発揚して国家が生まれ、国民の安全は国家が保障する時代となり、さらに近年では、国家間の問題は国際組織を設けて解決に当たろうという動きにまで発展し、いくつかの国際組織が生まれ、ついには国際連合という世界機構への過渡的機関の出現をみるに至った。科学および技術の加速的な進歩により、人間の視野が地球の外からの地球の展望を可能にしたほど広がるに及んで、今日の兵器が先人の積み重ねになる文化の殿堂をも容易に一挙に破壊し得るほどに発達したことと相まって全世界を含まない国連では不充分であることが、各方面から指摘されている。われわれが次の世代へ贈るものは「一つの世界」であり、国連よりは一歩段階のぬきんでた世界連邦政府の実現である。これはまた、歴史的必然のものである。
 一方、このような見方に対して予想される反論は次のようなものであろう。すなわち、(一)人種、民族、言語、文化、歴史等の差異に基づく(世界社会否定論二)世界共同社会未成熟論(三)イデオロギー対立論(四)社会構成単位拡大原因認識論等である。
(一)の世界社会否定論には、スイス連邦の例をもって答えることができる。スイス連邦は人種、文化、言語、宗教が一様でないにも拘らず、長きにわたり平和を保っている。これは民族、言語等の差異が連邦制を阻む要素ではないことを示そう。また反対に民族、言語等を同じくするものの国が、南北あるいは東西に分かれて存する現実は、それらの要素の同一であることが、統一を約束する条件ではないことを裏付けるものでものである。
(二)の世界共同社会は未成熟であるとする時期尚早論については、専門的国際組織である国際労働機関
(ILO)と地域国際組織であるヨーロッパ経済共同体(EEC)の例を挙げることができる。ILOは、加盟国の政府、使用者、労働者の三部代表制によって構成され、表決権は三者代表が個々にもっているのであって加盟国単位で認められているのではない。(39)EECについてみると、単に加盟国間の共同市場を設定するだけでなく、共通の経済社会政策の採用、国内立法の調整などをめざすもので、その総会は各国の政府代表ではなく、国民代表によって構成され、議員は個人の資格で議決する。(40)以上二つの機関は国境あるいは国籍を超えた人類共同社会の基盤に立ったものであるということができよう。世界共同社会は未成熟ではないのである。
 (三)のイデオロギーの対立によって世界連邦は達成不可能だとする考え方に対して、コード・メイヤーは「イデオロギーの対立は二つの強力に武装された主権国家間において避けることのできない権力闘争の結果であって、その原因ではない」(41)いっている。中世の百余年にわたる宗教戦争は、権力の増大した法王の提唱によって西欧の王侯、武士が宗教と結びついて引き起こされたものである。背後に強大な権力の支持、援助がなければ、思想を異にしても、今日ある無数の宗教のように共存できるものである。アルバニアがいかに烈しい主義を口にしても、その国の軍事力が小さいから、背後に大国が結びつかない限り、世界の大勢にとって、それ自体は何ら脅威とはならない。かつての「二つの世界」は、いまや共産圏の内部で中ソが主導権を争い、自由主義圏の内部で米仏の関係が冷却し、一方で中・仏の間および米・ソの間に歩み寄りがみられるのは何を物語ろう。これまでイデオロギーの対立のようにみえたものは、権力争いの結果にほかならなかったのある。今日の問題は「自由企業か計画経済か、資本主義か共産主義か――ではなくて、連邦主義か権力政治家(42)」の選択にある。そして肝要なのは、すべてのイデオロギーから権力の分離をはかることである。軍備撤廃は、そのための大きな策である。
 (四)の論は、社会構成単位が拡大する裏には常に外敵に抗する団結があったが、世界連邦には外敵がないから地球の外からの攻撃あるいは宇宙開発の急速な発展でもない限り、実現の望みは薄いというものである。しかし地球の外からの脅威があってはじめて団結するというのでは、人間の愚かな歴史の繰り返しがあるばかりである。宇宙開発による云々は、世界連邦の自然成立をまとうというものであるが、二百万年の歴史をもつ人類は、つい二十年前から核兵器を抱くこととなった結果、自然成立をまつ間にも常に偶発戦争の危機は存在する。今日の世界は「獅子身中の虫、自ら獅子を食うが如し」である。外敵に劣らぬ巨大な内敵が地上に生じたのである。それとともに今までになかった人類の運命の連帯感というものが生じたのは、砂漠で見つけたオアシスのように、われわれに希望を与えてくれるものである。
 以上みてきたように、世界連邦は理想であると同時に、今日の国連のゆきづまりを打開する唯一の現実的な道である。その第一歩が国連憲章の改正による世界法の制定であろうが、その実現を促進するには、強い触媒が必要である。個人募集による国連警察隊の設置が、それであると考えられる。明治政府は、わずか六年で国軍をもって名実ともに法治共同体となった。国連にその直轄軍をおくこと自体が、世界の法治共同体が半ばでき上がったようなものである。平和維持のために現在最初になすべきこととして、本稿で世界警察の設置をとりあげた理由がそこにある。
 [ 註 ]
(1) B・ラッセル「人類に未来はあるか」理想社(一九六二)一四三頁
(2) 「世界の歴史」<第十七巻>筑摩書房(一九六二)二十頁
(3) ノエル=ベーカー「軍備競争」岩波書店(一九六三)五〇八頁
(4) 渡辺誠毅「軍備とそれを阻害する要因」<世連研究第四巻第二号>世界連邦建設同盟(一九六三)
四二頁
(5) 石井孝「明治政府の裏舞台」岩波書店(一九六四)
(6) 東大文学部史学会編「史料日本史」<下巻>山川出版社(一九五四)一一五頁
(7) 藤原彰「軍事史」東洋経済新報社(一九六一)一九頁
(8) (9)前掲「軍事史」二四頁―二五頁
(10)「日本の歴史」<第一〇巻>読売新聞社(一九六四)一六三頁
(11)(8)を参照
(12)「世界の歴史」<第一七巻>筑摩書房(一九六二)三四―三五頁
(13)「明治維新」<新日本史大系第五巻>朝倉書店(一九五六)一六五頁
(14)エメリー・リーブス「平和の解剖学」<世連研究第三巻第四号>世界連邦建設同盟(一九六二)七頁
(15)F・O・ウィルスコックス、C・M・マーシー「国際連合改変への諸提案」<上巻>日本外政学会
   (一九五九)七七頁
(16)前掲「軍事史」二五頁、田中惣五郎「日本軍隊史」理論社(一九五四)七一頁
(17)前掲「日本軍隊史」七七頁
(18)(17)参照
(19)前掲「明治維新」一四五頁
(20)前掲「軍事史」三四頁、「日本の歴史」二五五頁、「明治維新」一五八頁
(21)前掲「軍事史」二七頁
(22)羽仁五郎「明治維新」岩波書店(一九六四)一一三頁
(23)前掲「日本軍隊史」九一頁
(24)前掲「日本の歴史」一八七― 一八八頁
(25)前掲「軍事史」二八頁、朝倉書店刊「明治維新」一四七頁
(26)前掲「日本軍隊史」八〇頁
(27)前掲「史料日本史」一二五頁
(28)前掲「日本の歴史」一八七頁
(29)「日本近代史辞典」東洋経済新報社(一九五八)三九〇頁
(30)前掲「日本の歴史」二〇二頁
(31)「朝日年鑑」<一九六四年版>六二頁
(32)G.Clark & L.B.Sohn:‘’World Peace Though World 
    Law‘’、Charles E.Tuttle Co.(1960)P.332.
(33)「世界連邦新聞」<一九六五・一・一号>二頁
(34)前掲「軍事史」三九頁
(35)世界連邦新聞」<一九六三・四・一号>三頁
(36)前掲「国際連合改変への諸提案」<上巻>一一〇頁
(37)朝日新聞社説<一九六五・一・一九号>
(38)前掲朝倉書店「明治維新」一九二頁
(39)高野雄一「国際組織法」有斐閣(一九六一)一九九―二〇一頁
(40)前掲「国際組織法」三一四頁
(41)吉原正八郎「世界政府の基礎理論」理想社(一九六二)一一頁
(42)モントルー宣言(一九四七)「世界大会の宣言と決議」世界連邦建設同盟 三頁


◆ 参考資料
 以下は、「ほっかいどう 世界連邦運動15年史」世界連邦北海道連合会発行(昭和49年8月24日) の122・123ページの転載です。     
 
 4 永田明子の論文入選
  札幌支部の活動のなかで特筆大書すべきは、永田明子の論文入選であろう(昭和40年)。これは永田個人の快挙であるけれども、永田は支部創立以来の支部会員であり、彼女の世界連邦の学識は、すべて支部活動の中で蓄積されたものであるから、あえて支部活動の一環として、記録にとどめる。
    なお永田は昭和42年に札幌で開かれた道大会のとき、模擬国連総会を演出して注目を集めたが、
43年8月に日本を脱出してオランダにわたり、ロッテルダムにある世界エスペラント協会の事務局に書記として勤務するうち、47年にオランダ人と結婚し、同地にて平和な家庭を築いている。
 永田の論文入選の経過については、「世界連邦運動20年史」に詳しく記述されているから、以下にそれを引用する(同書310ページ)。
 (なお永田論文の全文は巻末に掲載する。)


 国連創立20周年を記念してサンフランシスコで第12回世界連邦世界大会が開かれるのを機会に、全国の青年・学生の恒久平和樹立に関するまじめな研究意欲を助長する目的をもって「世界連邦論文コンテスト」がおこなわれた。
 入賞1席1名はサンフランシスコ大会に青年・学生代表として出席、その往復航空旅費および15日間の滞在費用を支給するというもの。(2席2名は平凡社発行の「国民百科事典」全7巻1組とテープレコーダー1台、3席3名「国民百科事典」全7巻1組)課題は「国連と世界連邦」「平和をいかにして保持するか」のうちいずれか1篇。400字詰原稿用紙30枚から50枚以内、締切り昭和40年1月31日、入賞発表は4月15日、朝日新聞と日本放送協会が後援団体となり、この催しを全国に報道した。
選者は次のとおりである。
 湯川秀樹(京大教授)上代たの(日本女子大学長)谷川徹三(法政大学総長)笠信太郎(評論家)
前田義徳(日本放送協会協会々長)渡辺誠毅(朝日新聞論説委員)鮎沢巌(国際キリスト教大学教授)
山田節男(同盟国際部長)
 この企画が青年・学生にあたえた影響は大きかった。40年1月31日の締め切りまでに到着した応募原稿は176篇に達した。地域的には沖縄や韓国を含む全国、職業別では何んといっても学生が圧倒的に多く、中学生や高校生までが応募した。銀行員あり、公務員あり、農業、商業、家庭の主婦と千差万別であった。最終審査会において、全員一致、第1席にえらばれたのは、北海道の永田明子であった。
2席は房野桂、中村朗、3席は兼子弘司、高波信、中川勝弘、杉浦功の4名が決定した。
 永田論文は、明治維新における藩兵の撤廃と政府直轄の国軍編成にいたるまでの歴史を詳述し、その歴史的教訓をふまえて「国連の直轄軍は各国の軍隊による待機制度や拠出派兵方式では不適当である」と論じ、将来の世界警察隊のあり方とそれにいたるプロセスをえがいたもので、そのユニークな論旨と明快な論理が高く評価された。まず、「朝日ジャーナル」はその全文を掲載した。またNHKはラジオ
の「時の人」テレビの「スタジオ102」「午後のひととき」でそれぞれ紹介した。
 WAWFはこれを英訳して各国に配布、オランダ、スペイン、イギリス等で出版されたほかエスペラント語にも翻訳された。サンフランシスコにおける彼女の演説は注目され、絶賛を博した。
Posted by 世界連邦・北海道 at 18:02 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
『平和をいかにして保持するか』〜永田論文 2008.08.27[2009年08月10日(Mon)]
  四章 個人募集による世界警察の設置

世界警察の任務と規模
 ここで国連の平和維持軍のことを、かりに国連警察隊(国連が国際機構の域を出ない場合)あるいは世界警察隊(国連が世界的機構となった場合)と呼んでおく。軍隊はあくまでも対外的なものであり戦闘を前提としているが、警察力は管轄内の治安の維持のみを目的とし、なるべく武力によらず法的強制手段によろうとする。そして国連に設置を望むのは後者の方だからである。
 国連警察隊の当初の任務は、各国の核兵器を含むあらゆる軍備の撤廃にある。国連に引き渡された核兵器は、核エネルギー機関を設けて、これを厳重な管理の下におき、廃棄するか、平和目的への利用に使用するかを決定しなければならない。各国の軍備撤廃完了後は、各国のごく制限された警察力をのこすのみであるから、国連警察隊は世界の警察隊として常時、査察と平和維持の任に当たらなければならない。
 世界警察の規模は、最初は各国の軍備の廃棄を完全に行えるものでなければならない。
 明治四年に藩兵整理に当たった親兵は兵力一万(28)、鎮台兵は一万五千(29)。軍務を解かれた武士は三十一万(30)、農兵を加えると一五〇万。現在の全世界の兵力は、東西両陣営がそれぞれ七五〇万と八〇〇万(31)(一九五九年度)であるから非同盟諸国の分を加えて約二千万はあろうかと思われる。明治の藩兵整理に当たった親兵および鎮台兵の解除された兵に対するのと同じ割り合いの世界警察隊を設けるとすると、三三万の兵が国連の下に集まればよいことになる。一案では常備軍二〇-六〇万、予備軍六〇-一二〇万あれば充分としている。(32)明治初年の日本全人口は約三千四百万。現在に換算すると、世界で二五〇万となり、相当大きな兵力であったことがわかる。しかし体力と鉄砲のみが資本であった当時の軍隊と、高性能の装備で武装できる今日のそれとは、自らその性格が違ってよい。スエズ動乱に派遣された兵力は六千、コンゴ動乱に対しては二万、西イリアンへは千五百、キプロスへは七千で(33)、いずれも一万前後に止まっている。一方、維新政府が廃藩置県後、最大の内乱である西南の役の初期に熊本へ派遣した官軍は三千五百名。(34)これは当時(明治十年)の人口のちょうど一万分の一に相当し、現在の国連軍に換算すると、実に三二万の兵となる。科学の発達は戦争の質まで変えた。今後の世界警察の兵員数は、世界人口に大きな変動がない限り、五〇万前後で充分であるといえる。

志願制度の世界警察
 国連の直轄軍は各国の軍隊による待機制度や拠出兵方式では不充分である。
 最近のキプロスにおける紛争は、国連軍の派遣が速やかに行なわれる必要のあることを教えた。待機制度では、待機軍が国連によって、かなり訓練を施されたとしても、直轄軍に比較すれば指揮などの面から、その派遣の速度が劣ろうし、装備も不揃いな上に、紛争が自国に不利な場合には、出兵を拒否することが起こりうる。幕府の第二次長州征伐の際の薩摩藩兵の出兵拒否がその例である。
 また拠出兵方式でも、明治維新の征討軍のように、各国の国色の抜けきらないものとなる恐れがあり、親兵のように藩と中央政府との意見が対立して帰藩した藩兵があるごとく、自国と国連との意見が合わない故をもって、帰国してしまう拠出兵がないとも限らない。
 世界警察たる国連直轄の常備軍は、鎮台兵が藩兵の資格をもってではなく、全く個人的資格において募集され、藩兵整理を成功させる原動力となったように、個人の資格において各国国民の個々から、すなわち世界市民から国連自身が国連自身の財源をもって募集するのでなければならないと考える。(この方法によれば非加盟国からの志願兵も受け入れることができる)しかもなお応募者は、鎮台の壮兵のごとき欠点をもたないためにも、各国軍の現役兵よりも一般市民であることが望ましい。
 現在、イギリスには「世界警察志願者登録協議会」があり、世論喚起のために実際に志願者を募っている。ここでの調査(一九六二年)によると、イギリスの成人人口の七五%は、常設国連軍の創設に賛成であり、さらに二五%はそれに奉仕する用意のあることを示した。(35)
 国連と直接に個人が雇傭関係を結び、国連に対してのみ忠誠を誓う国際公務員あるいは世界公務員として充分な給料を国連から支払われるならば、世界平和の一助たらんとする世界警察には志願者は多く集まりこそすれ、不足することはないであろう。今日の人類社会は、もうそこまで熟してきているということができよう。

世界警察の設置と法的問題
 個人募集による世界警察隊の設置は国連憲章の規定と抵触しないか、または日本国憲法との関係はどうであろうか。
 現行の国連憲章は、国連に忠誠を誓い、国連の管轄に服する国連警察隊を設置することについては何ら規定していない。第四三条は各国の割り当て部隊を国際的に使用することを規定しているのであるが、これは死文化している。それならば世界警察の設置は法的に不可能であろうか。国連憲章が個人募集による国連警察隊について規定を設けていないのは、憲章がそれを予想していないからであって、平和維持のために軍隊をもつという趣旨は同じである。もちろん禁止の条項もないから、これをもつことは一向差し支えないものである。また国連警察隊を設置すれば、その指揮に関する規則がつくられるのは当然である。
 こうして国連警察隊は設置し得るが、国連警察隊の当面の任務である各国の軍備撤廃を遂行するには、どうしても憲章の大幅な改正が必要である。現行憲章をもってしては非加盟国に軍備撤廃を強制することはできず、またすべての国が軍備撤廃計画に含まれるのでない限り、撤廃に応ずる国は小さな国以外にはないと考えられるからである(官軍が設置されてから廃藩置県・藩兵整理の号令が出されるまでの期間に、廃藩を願い出て藩兵を廃したのは小藩に限られていた)そして非加盟国にも平和維持に必要な強制力を及ぼし得る憲章とは、すなわち世界法にほかならない。「広範なクラブの要素を多くもった」(36)国連の憲章は条約にすぎず、その適用範囲は原加盟国と加入による加盟国とに対してのみである。世界法は、全世界を包含するものであるから、個人にも適用され、国家の枠を超えて世界的機構に参画する個人は、この法の下に立ち、戦争を企画する者は国家としてではなく、個人としてこの法の下に罰せられる。国家主権の一部を付与された、この世界法によってこそ、戦争の防止は、はじめて可能となるのである。
 従って、世界警察の設置は現行の国連憲章の下でも総会の決議方法などによって可能であり、かつ可能であるからには、早急にその実現をはかるべきであるが、一方、各国の武装を解除する必要性から、国連憲章の徹底的改造を断行し、世界法の制定を実現するよう合わせて行うことが肝要であろう。
 次に世界警察の設置と日本の立場について述べてみたい。
 現在、日本の政府では、国連警察隊の参加は国連中心主義の立場からいえば当然であるとの見解で一致している。問題は、憲法九条の解釈、および海外派兵を禁ずる自衛隊法をめぐってであり、一部には国連警察隊への派兵を可能にするために憲法を改正しようとする意見まで出ている。しかし、これらの問題は、国連警察隊が各国の拠出兵によって構成されるのを前提としているために生じたもので、これが個人募集の国連警察隊であるならば、問題とはなり得ないものばかりである。
 国連による個人募集に、日本国民が個々で応ずるのは単なる個人の就職問題である。国が派遣するのではなく、応募は全くの一私人としてである。海外派兵は背後に、これを派遣した国家があるが、個人募集に応じて国連警察隊の一員となった者の背後にはもはや国連あるのみであり、実質上は世界公務員であって無国籍者である。
 以上の理由から、世界警察隊の個人を単位とした志願制度は、拠出兵制度や待機制度と比較するならば、平和憲法をもつ日本にとっては好都合のものであっても、決して支障をきたすものではないのである。
従って日本こそ、この個人募集による世界警察隊の設置を主張し、率先してそのための資金を国連に提供すべきであろう。

国連警察隊の維持経費
 在コンゴ国連軍を構成する各国の派遣軍のうち、任務半ばに所属国へ引き揚げた国があるのも(一九六四年)、征討軍が戊辰戦争の途中から続々帰藩したのも、その背後に戦費の問題が大きく横たわっていた。
征討軍の場合は、政府が商人から調達したり、太政官札を大量に発行したりすることによって財政危機をかろうじて切り抜けることができた。そのような中央政府の状態では、これをあてにすることもできないのは当然で、各藩とも膨大にかさむ戦費に苦慮し、派遣した兵を引き揚げざるを得なかった。
 現在国連の通常予算は年九千万ドルぐらいであるのに、コンゴ国連軍の経費は当初の二年間は年一億ドルにも上った。従って国連は、二億ドルの国連債を発行して赤字を埋めなければならないほどの財政危機に陥った。(37)この現状では、世界平和の維持に当たらせる国連直轄の常設軍設置も夢物語にすぎない。ではいかにして国連が自身で世界警察設置に踏み切れるだけの財源をつくるか。
 一番簡単な方法は、各国が自国の軍隊を供出したと仮想して、それに見合うだけの費用を国連に提供することである。国家の兵を提供する方法は、藩兵の提供によって構成された御親兵がもっていたのと同じような欠点をもつことになるが、各国からの拠出金をもとに、国連自身が世界市民から募集する方法ならば何ら問題とはならない。人口あるいは国民総生産高に比例した金額を、国連が各国に要請する方法は、いま直ちに可能なことではない。
 明治維新政府が軍隊を維持するための財源は、全国の土地・人民が政府の直轄に帰したことによって確保された。つまり諸藩の年貢を政府は一手に収めたのである。
 しかし世界は世界国家を形成するまで発達しておらず、明治のように藩札を廃して政府発行の貨幣に統一したり、藩境に設けられていた税関的施設を撤去したたぐいの改革を行なうわけにはいかない。
 今後、国連は、その直轄軍編成に必要な財源は、各国からの拠金をもとにして実施できるが、それ以後の維持費は膨大であるために、何らかの方法による定期的な収入を確保する必要があろう。住民から直接に税をとらずに、国の財政をまかなっているものに、クエートの石油管理、モナコ王国の国営とばく、リヒテンシュタイン公国の切手発行等の例があるが、国連は、この例にならうことができる。現在どこの領土でもない無防備地帯の南極を管理して、各国の船が入港するたびに、それに税を課すとか、原子力を管理するとかの方法は考案されてよい。特に原子力の管理は平和維持の上から必須の条件でもある。今後に発展を予想される原子力の平和的用途に必要とされる場合には、使用料をとってこれを供するか、あるいは収益と安全とをかねて国連が原子力産業を独占し、原子力を必要とする産業はすべて国連の直営とするなどの方法をとることができよう。このような方法によれば、国連は不確実な各国の分担金をあてにすることなく、また世界市民に直接税を課すことなく、国連の財源は充分に満されることになるであろう。
Posted by 世界連邦・北海道 at 17:59 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
『平和をいかにして保持するか』〜永田論文 2008.08.27[2009年08月10日(Mon)]
御親兵と鎮台兵
 [御親兵] 頼るべき兵力のなくなった明治政府は、雄藩連合から脱皮して、政府直轄の兵力をもつことを何より急ぎ、明治二年七月兵部省が設置された。兵部大輔大村益次郎は、各藩兵とは全く別個に、国民徴兵による常備兵力を備えようとする軍制案を出した。その案は兵の編成について「諸道現兵のうち、自らへいたらん事を好む者を親兵となし、藩々の差別なく、身の長短に応じ編伍せば、彼此均一の制に至らん」(16
)とし、藩色の出るのを防止することを第一の目的としている。また「親兵編成の上は、すべての要衝の地におき、以て常備兵とし、衣服・用度総て官より宛て行われ、而して月給半額または三分の一与え、其余は官に貯蓄し、年限相満ち兵員を免ずる時に当り、その成算を与へ」(16)るという完全な政府の傭兵を創設するつもりでいた。しかし、この画期的な案の前には、維持経費をどうするか、現存の諸藩兵をいかに整理するかという大きな問題があったところへ、大村益次郎が、常職を解かれることに不平をもつ武士に刺され、計画は難航した。
 その後、兵部少輔山県有朋は、中央政府には強大な兵力を設置することが先決であるからには、雄藩の藩兵をとることもやむを得ないと主張し、現実との妥協案による中央政府軍の編成にのりだした。こうして明治四年二月、政府の懇請に基づいて薩摩の西郷、長州の木戸、土佐の板垣が上京し、親兵設置が決定されると彼らは直ちに帰藩して改めて兵を引率して上京した。(17)ここに中央政府は、はじめてその直轄軍をもつことになったのである。その構成は、薩長土三藩からその石高に比例して精選された計一万の献兵によっている。今日でいう拠出兵である。選抜は強制ではなく、個人の自由意志をある程度認める方式(18)で行われたから、この隊はいくらか個人募集の性格を帯びたものであり、指揮も三藩バラバラではなく、西郷がこれに当った。この親兵は、精鋭隊であったため、政府直轄軍としての誇りも高く、一般からは権威のあるものとみられ、廃藩置県の号令が出される以前にも廃藩を願い出た藩が少なくない(19)のは、先の征討軍と、この親兵の存在が大きく物をいっている。そして親兵は廃藩置県・藩兵整理の実施段階でも最大の安全弁の役割を果たしたのである。
 しかしこの御親兵は、三藩を背景としていたため藩閥政治が行われるなど、その意向が中央政局を大きく左右し、廃藩置県に有効な役割りをはたしたほかは、その後の政府の諸政策にとってことごとく「ガン」になる存在となった。その頃の鹿児島県が中央政府に対する一種、独立国の観を呈したときである。明治六年、征韓論にやぶれた西郷隆盛が辞職、帰国すると、これに続いて親兵の中核であった薩摩出身者が辞職帰藩した。(20)親兵の中で最大の比率を占める薩摩出身者がいなくなると、中央にはひと握りの兵を残すばかりとなった。すでに述べたように薩摩藩兵は征伐軍として東北における反政府軍の鎮圧に当たった際にも帰藩している。政府は、親兵を編成した当時、西郷に向かって、「薩州より出でし兵といえども一朝事ある秋には薩摩守に向いて弓を引くの決心あるを要すべし」(21)と中央政府に忠誠心を要求したところ、西郷は「もとより然り」と答えたという(22)が、結局、薩摩藩兵は薩摩の利益のために動いたのである。
 中央政府を強化する目的で政府直轄の軍隊を設置しようとするとき、藩意識の濃い藩の兵力をそのままもってきて、これに当てる方法は、たとえ急場をしのぐためであるにせよ、本質的な矛盾を含むことは避け難く、政府にとって御親兵は、もはや余計な存在となってしまった。その名も近衛兵と改められ(明治五年)天皇の守備を目的とする、それまでとは、かなり性質の違ったものへ変えられていく。
 明治政府は、これまでの経験に基づいて、中央政府の直轄軍が藩兵を問題とせずに、国全体から個人を徴して編成する大衆軍隊でなければならないことを痛切に感じ、明治六年の徴兵令発布を皮切りに、その改革を急速に踏み出していくことになる。 
 御親兵にみられるように、一部の国々の拠出兵をもって国連常備軍を編成するならば、一時的な紛争の解決に効果はあるが、そのなかにはいろいろの問題を生じ、ついには西南の役に発展したごとく、それ自体がまた新しい戦争をつくり出す危険性をはらむものである。
 [鎮台兵] 明治政府は、国内統一をはかるために藩兵の整理を行なう必要があるとして、明治四年四月に初めて鎮台を設置し、さらに同年八月の藩兵整理に当たっては、全国の主要地に鎮台を増設した。この鎮台は、廃藩置県の実施にともなう国内の治安の維持のために随時に設けられたもので、後の徴兵令(明治六年)による国軍が整備されるとともに廃止される運命にあるものである。
 鎮台兵の構成は、全く個人単位になっていた。その多くは藩兵出身者であったが、藩派遣の兵ではなく、壮兵と呼ばれ、中央政府が藩を相手に募ったのではなく、政府対個人の関係で雇傭関係が成り立っていたのである。従って、三藩の藩兵そのままであった親兵とは、おおよその性格が異なる。鎮台兵は、さまざまの藩の出身(明治六年からは徴兵が多く含まれてくる)であっただけに、その装備・訓練もまちまちであったが、政府は制服と給与(ただし日給で微々たるもの)(23)を支給し、その装備・訓練の統一に力をそそいだ。こうして全国の要地を政府直轄軍の管理の下におこうとする計画は成功し、旧制度一掃の大変革である廃藩置県と、それに伴う藩兵整理とを、なめらかに行なわしめたのである。
 現在人類の悲劇となっている完全な軍備撤廃を遂行するには、この方法から多くを学ぶことができる。
すなわち国連が真の意味で直轄できる常備軍を速やかに設置し、その編成は個人単位でなければならないことである。同時に、鎮台兵が最初は一私人として集められたにせよ、元藩兵であったために、政府にとって扱いにくく、徴兵の実があがってくるとともに元藩兵であった壮兵はすべて解除(明治八年)されたことを銘記しておく必要がある。

藩兵整理と軍備撤廃
 明治4年に、政府直轄軍設置の下に断行された廃藩置県は、戊辰戦争によって経済的に疲弊した数多くの藩および政府自身の救済を目的とし(24)、藩の分立する体制のなしくずしをはかったものである。これまでの事情のいかんに拘らず、新しい行政区画を実施し、当時三府三五県にまで整理して、今日の体制を築き上げた。この改革によって従来の藩境はなくなり、藩対立の意識も薄れ、明治政府は近代的統一国家となったのである。
 右のような改革と並行して、政府は、その強化をはかる上に必須の条件である藩兵力の廃止に踏み切った。(明治四年八月)親兵と鎮台兵を背景に、まず藩力の象徴のごとき城郭のとりこわしを行い、各県に一小隊(六〇人)の常備兵を――おそらくは警察的任務のために――残したほかは、すべての藩兵を解散し、その兵器一切を兵部省に納付させた。(25) 藩兵の解散に当たっては、失職兵士に一時金が与えられた。(26)
 こうした廃藩置県や藩兵整理のような大胆な変革には、当然少なからぬ抵抗・摩擦が予想されるものであるが、ことのほか平穏に行われ、小藩の中にはみずから廃藩を願い出るものが多く、城のとりこわしは自発的になされる風潮まで生じたほどである。この現象は、これらの改革が時代の要求に沿ったものであったことを物語るものであろう。
 現在の世界情勢に目を転じると、人間の英知は国家の乱立状態の中から国連という国際機構を創造したものの、それをよく操縦し得ず、各国は自国の利害に忠実であり、一方で軍縮案の討議に参加していながら、他方で国防力の強化と維持を宣言するというような矛盾した態度をとっているのが実情である。そして各国とも軍備負担に重圧を感じ、小国ではそれがとくにひどく、現に国内経済の危機に面しているところも少なくない。あたかも廃藩置県実施直前の過去の日本のごとくである。
 もし今日、国連に直轄軍を設置し、さながら鎮台のように全世界の主要拠点に常時これを配置させるならば、国軍維持に苦しむ小国の中には、自らその兵力を廃棄するところも出てこよう。明治においても、廃藩置県や藩兵整理は、当時大久保利通をして「今日のまま瓦解せんよりは、むしろ大英断に出て瓦解いたしたらんにしかず」(27)といわしめたほど困難な改革であった。今日の世界が当面する軍備撤廃と、これと切りはなせない常設国連軍設置の問題は、いかに困難にみえても不可能なことでは、もちろんありえない。
 なお国連直轄軍の設置は、各国の軍縮案のように軍縮と同時に反比例して行う方式によるのではなく、日本の例が示すように軍事力の撤廃作業にかかる前に、すでにそれが形をなしていることが肝要である。そして軍備撤廃において忘れてならないのは、明治政府は藩兵整理によって各県に一小隊をのこしたほかは、すべて解除されたはずであるが、鹿児島県が学校という名にかくれて軍隊の訓練にあたっていたのを政府が放置していたために、藩兵整理後六年目には、その兵力は3万にまでふくれ上がり、政府対鹿児島県の西南戦争にまで発展したことである。各国の軍備を撤廃するに当たっては、鹿児島県のように撤廃の義務を免れるところがあってはならない。そのためには、すべての国が国連に加盟して、その管理下におかれるようにするのが望ましい。たとえ加盟しない国が存在しても、何らかの方法で撤廃を強制する必要があろう。ここに
軍備撤廃の実施問題から、国連加盟国であるとないとに拘らず、世界中のあらゆる国に対して適用可能な世界法というものの存在が要求されてくる。
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『平和をいかにして保持するか』〜永田論文 2008.08.27[2009年08月10日(Mon)]
三章 明治維新にみる軍事情勢と国連軍の対比
 確固としていた江戸時代の幕藩体制も、海外から押し寄せる時代の波には抗し得ず、ぺリー艦隊が浦賀に入港してから、わずか十五年ののち、封建制度がくずれ去って明治維新政府が生まれた。
そして、この新しい政府の下で、廃藩置県、藩兵整理をはじめに多くの思いきった改革がなされ、国内統一が進み、日本が統一された近代国家へと成長した。
 その結果、今日では、日本国内での戦争は全く途絶え、都道府県が争うにも武力がなく、またその必要もなくなった時代となったのである。今から百年前、国内で戦争の絶えなかったころの人々には、現在の日本のようすは想像にも及ばなかったことに違いない。
 われわれにとって身近であるこの歴史の中に、今日、世界の当面する問題にあまりにも似かよったところが存在する。
ここに、明治維新という重大な日本の変革期に焦点を合わせて、今後の国連の平和維持機能の分野はどうあるべきかを考えてみる理由がある。
維新前夜の雄藩連合
 江戸幕府が末期症状を呈していたころ、鎖国の禁を犯して密貿易を進めていた薩摩・長州の藩がにわかに台頭し、財政の豊かになったこれらの藩は、藩の権力を増大させるために独自の兵力を備えていった。
特に薩摩藩は、今からちょうど百年前の慶応元年(一八六五年)に長崎で輸入した武器の輸入額が、幕府および諸藩のその輸入総額の過半を占めるほどであった。(5)
 そのうえ、この薩摩藩を中心に、国際貿易ならぬ、藩と藩との間の藩際貿易が推進され、一藩内に立てこもって独立性を強めるだけに止まらず、西南諸藩の連合策をとったのである。
そして慶応二年には、薩摩藩と長州藩との間に、軍事援助協約である薩長盟約が結ばれるに至った。
これをもとに、幕府が攘夷論をとる長州藩の第二次征伐(慶応二年)に当たって薩摩藩兵の出兵を要請した際に、薩摩藩はこれを拒否したのである。(6)
 この長州戦争では長州側の勝利に帰した。これによって富国強兵政策に自信を得た西南諸藩、とくに薩・長は薩長連合にあき足らなくなり、中央政局にのり出していくことになる。
その情勢はまさに現代でいう米英あるいは中ソなどの大国である。
征討軍と国連軍との異同
 [ 征討軍 ] 京都にあった朝廷が、慶応三年十月、江戸幕府第十五代将軍慶喜から大政を奉還され、直ちに手がけたのは、各藩からの藩兵出兵の要請である。
大政奉還のわずか三ヵ月後には、薩・長以下二十数藩の藩兵で構成する征討軍を構成、鳥羽伏見の戦いに当たらせたほか、その翌月には軍防局を設け、慶喜追討の任に当らせている。
総指揮官には親王が任命されていたが、指揮の実権を握るものは諸藩の藩士であった。しかもその権限の強さは、いかに実権をもつ藩士であっても他藩の藩兵を指揮することはできなかったほどである。(7)
この軍が奥羽越列藩同盟の反政府軍の鎮圧および函館に立てこもって幕末最後のあがきをする反政府軍の鎮圧にも当ったのであるが、東北諸藩の平定に成功したころから、戦争の出費による財政難(8)もあったほか、藩の実力を示し得たことで、その軍隊を構成する藩兵たちが次々にそれぞれの藩に凱旋しはじめた。
これを見た兵庫県知事伊藤博文は、藩閥を恐れる気持ちと中央政府の下に軍事力を蓄えておく必要とから
「北地凱旋の軍隊を処するの策」を建議(9)し(明治元年十月)諸藩兵を集めてこれを朝廷(明治政府)直轄の常備軍隊にしようとした。しかし明治政府には、慶喜追討軍の経費を大商人から調達しなければならなかったほど、兵力養成に足る財力が備わっていなかった(10)うえに、藩の利益に立脚する藩側の意向が中央集権国家をめざす政府官僚とは相容れなかったことなどから、薩摩藩兵の指揮官西郷隆盛は、その兵をひきいて鹿児島へ帰り、土佐藩兵もこれにならって引き揚げてしまった。(11)
 官軍といわれた征討軍は、あくまで各藩の連合軍に過ぎなく、各藩兵は、しょせん、藩の兵力でしかなかった。中央政府が一応できたとはいうものの、その直轄の常備軍はなかったのである。
 [ 国連軍 ] 国際連合憲章には、平和に対する脅威が存在するときは、安全保障理事会は紛争の当事者に勧告をし(第三九条)さらに脅威が継続する場合は、兵力の使用を伴わない制裁措置をとることができ(第四一条)それでも不充分である場合には陸海空軍による軍事行動をも起こすことができる(四二条)と規定し、さらに、軍事措置をとるときに備えて、安全保障理事会は加盟国と特別協定を結んで、加盟国の兵力、
援助および通過の権利を含む便益を利用できるよう確保しておかなければならないと規定している(四三条)にも拘らず、国連創設から二〇年目を迎えようとする今日に至っても、大国の意見の不一致から未だ一つの特別協定すら結ばれていない。したがって、国連の手元には使用できる兵力はなく、これまで国連軍と呼ばれて紛争の解決に当たってきたものは、みなそれぞれの場合に応じて変則的に各国の軍隊から、かき集められたものである。次にこれまでの経過を概観しよう
 一九五〇年の朝鮮動乱に派遣された国連軍は、国連の要請に応じた一七ヵ国の軍隊で編成されたもので、国連軍と称し、国連旗を掲げることを認められはしたが、その大部分がアメリカ軍であり、その指揮もまた、国連ではなく、アメリカ軍司令官に委ねられたのである。現在も三八度線において休戦監視の任務に一部残留している。
 次のスエズ紛争(一九五六年)では、この問題を討議する安全保障理事会が紛争の当事者である英仏の拒否権行使で、その機能遂行が不可能になったために「平和のための結集」決議に基づいて緊急特別総会が召集され、総会の手で国連緊急軍設置を決めた。また総会は、国連事務総長に対して紛争当事国と即時折衝する権限を付与する決議、緊急国連司令部を設置する決議等を採択し、スエズにおける国連緊急軍の地位に
ついては、これを総会の補助機関(第二二条)とした。(12)軍の司令官には国連休戦監視機関委員長を、幹部には安全保障理事会非常任理事国の将校を当てて、これを編成したのである。今日なおスエズにおいて、
その任務は続行されている。
 コンゴ動乱(一九六〇年─)に際して開かれた安全保障理事会(一九六〇年七月)では、事務総長から、自己の権限内で、スエズ派遣の国連緊急軍の原則にならって、コンゴにも国連軍を編成、派遣する権限を付与してほしいとの要請があり、これが採択され、コンゴへは一九ヵ国から供出された二万の兵が派遣された。
ところが、コンゴの内情がその複雑さをきわめ、しかも国連に派遣軍の経費を支払う能力が無いのを知ると、これを構成する各国軍のうち、一部は任務遂行の半ばに所属国へ引き揚げたところもあり、その他の国の派遣軍も国連の決定により、結局、所属国へ引き揚げてしまった。コンゴにおいては現在なお紛争が続いている。
 最近のキプロスにおける紛争の場合にも、総会決議によって各国から集められた兵力七千の国際平和維持軍が派遣された。そして今日なお現地にある。
 [ 藩の主権と国家の主権 ] 以上に述べた中で、明治初年の軍事情勢と現代の国際情勢との間には、次のようにかなり共通する点がみられる。
 第一に、日本の統一政府であった明治政府も、今日の国連も、その直轄する常備軍をもたないために、明治政府は雄藩の連合軍を、国連は各国連合軍をいずれもにわかに編成し、急場をしのいだこと(直轄軍の欠除によるにわか連合軍の編成)
 第二に、官軍の実際の指揮に当ったのは、中央政府の官吏ではなく、各雄藩の指導者であり、国連軍の指揮に当ったのも、事態に際して任命された多種多様の司令官であったこと(指揮権の不統一)
 第三に、明治政府が頼りとしていた官軍の藩兵も、国連から平和維持の任務をあずかったいわゆる国連軍も、任務を半ばに、それぞれの藩または国に引き揚げた例のあること(中央政局より藩利益、国家利益の優先)
 第四に、官軍、国連軍の引き揚げには、ともに経費の問題が大きく作用していたこと(軍維持のための財源不足)
 第五に、忠誠心のよりどころが、国連軍においては国連よりも所属国にあり、征討軍においてもまた中央政府よりは所属する藩にあったことである(忠誠心の欠除)
 官軍は、日本の統一政府たらんとする明治政府によって編成されたもので、戊辰戦争の勝利によって国内統一をもたらした。国連軍は、世界の多数の国から平和維持の任務をあずかる国際機構の国連が戦争の脅威が生じるたびに火消し役として、そのつど編成したものである。おのずからその性格は異なっている。
 しかし双方の軍の動きを見ると類似した点が少なくないのは、国連そのものが世界の中央政府としての性格を内臓してきているからであり、逆に、征討軍を創設したころの明治政府が廃藩置県(明治四年)をみるまでは、完全に中央政府としての性格を備えてはいなかったからである。その頃が明治維新なら、今日の世界情勢は世界の維新前夜であろう。
 現在地球上には主権国家が乱立している。そして絶対主権国家をもって任ずる国は、その主権のわずか一部でさえ、これを侵されることを極力回避しようとする傾向がある。
 明治維新もこの例外ではない。維新政府が戊辰戦争で勝利を収めて郷里へ凱旋する藩兵を中央に引きとめようとしたにも拘らず、藩兵が帰国したのは、藩の主権を守るためであった。できつつある中央政府の権威よりは、自藩の主権に服したのである。こうして雄藩は、さながら独立国の様相を呈し、とくにそれが薩摩藩になると、中央政府に対して税を納めず、政府の政策や命令には従わずに藩独自で藩の改革を行い、軍事力を強化するというほどのありさまであった。(13)鹿児島県(旧薩摩藩)のこの状態は、ついに西南戦争(明治十年)となって爆発するまで続いた。主権に固執して行きつくところは平和ではなく破滅であったのである。
 コンゴにおける国連軍の一部引き上げは、経費の問題とコンゴの複雑な情勢によるもので、薩摩藩のごとき意図はなかったと思われる。しかし、国連の権威をさておいて、自国の判断のみで引き揚げを断行したのは、未だ国家の主権が強大であり、国家主権に基づくいかなる行動も他からは侵しがたいという通念の根強く存在することを意味しよう。
 戦争の真の原因は、社会構成単位――藩とか国家のような――が無制限に主権を行使するときに勃発するものである。(14)従って、世界的機構が平和維持の任務を負うときは、これに各国の主権の一部を移譲する必要がある。世界的機構の権威は各国から移譲された部分だけ増大するのは当然である。すでにイタリー、
西ドイツ、デンマークは主権の一部の移譲について、その用意があることを憲法に明文化している。日本も憲法において潜在的ではあるが、それと一脈通ずるものを用意している。しかし、大部分の国家が主権平等という幻影にとらわれ、各国が絶対的主権を自由に行使することを主権平等と呼び、超国家的権威が何らかの形で国家の主権を制限するのを「主権平等の原則を覆すものである」(15)と呼んで警戒している。現在の国境は最終的な壁ではないことに各国は気付くべきである。
 
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『平和をいかにして保持するか』〜永田論文 2008.08.27[2009年08月10日(Mon)]
◆ 個人募集による世界警察の設置
- 一九六五年世界連邦建設同盟主催“世界連邦論文コンテスト”一位入選論文
                     永  田  明  子
                     
「永田明子、昭和11年旧満州の撫順市生まれ。札幌市の藤女子短大英文科卒業。現在オランダ在住。本論文は全国からの応募一七六編のうちで一位に入選したもの。」

一章 序論
二章 国連の強化 (一)「平和のための結集」決議 (二) 軍備撤廃とその可能性
三章 明治維新にみる軍事情勢と国連軍との対比 (一 維新前夜の雄藩連合 (二)征討軍と国連軍との異同@正等軍A国連軍B藩の主権と国家主権 (三)御親兵と鎮台兵および今後の国連軍@御親兵A鎮台兵 (四)藩兵整理と軍備撤廃
四章 個人募集による世界警察の設置 (一)世界警察の任務と規模 (二)志願制度 (三)世界警察の設置と法的問題 (四)国連警察隊の維持経費
五章 結論

   一章 序   章
 一九六二年秋のキューバ危機にあたっては、人類はその運命がひとつであることを痛感した。大国のいわゆる「力の均衡」「恐怖の均衡」の外交政策によって、核兵器は異常な発達をとげ、今日の大戦は不可能になった、という逆説すら成り立った。問題は、これらの兵器が絶対主権国家の手中にあり、国家間の紛争からどのようにも発展する危険性をぬぐいされないことであろう。世界各地で戦火が絶えず、国際緊張の存続するおりから、レーダーの誤認によって世界大戦の火ぶたが切られようとしたことが、これまで数回あったという事実(1)は、もはや世界の情勢をこのまま放任しておいてはならないことを物語るものである。
 こうした現状にあっては「平和をいかにして保持するか」という命題は、静止的観念に基づく現状維持の方策を求めることではなく、保存するだけの価値のある人類が「いかにして生き残るか」を必然的に問題にする。
 そして人類の生き残る道とは、今日の危機の原因が直接的には兵器の発達にある以上、第一に各国の武装を解除することである。また武装解除は、これを強制する手段があってはじめて可能である。
実施後は無防備の各国の安全を保障する超国家的権威による法的秩序が急がれなければ、容易に再武装へ逆戻りする。従って、連邦制をとる世界政府の樹立は、今後の世界平和にとって必要不可欠のものであるということができよう。
 本書においては、その目的にそって今日、人類の安全を確保するために最も急を要することはなにか、さらにどのようにしてそれを達成するか、これらのことについて考察してみることにしたい。

二章 国連の強化
「平和のための結集」決議
 一九五〇年の朝鮮動乱の際、国連総会は、「平和のための結集」と題する決議を採択した。
これは、安全保障理事会が常任理事国の拒否権に妨げられて、その平和安全保障機能を遂行し得ないときは
「緊急特別総会」を招集し「軍隊の使用をも含む集団的措置」について加盟国に対して適当な勧告を行い得るとするものである。(2)
 世論を代表する総会は、国際の平和維持に関する点では第二次的地位におかれていたのであるが(憲章二四条)この平和結集決議によって、安全保障理事会の停頓しているときは、その任務を代わって遂行できることになった。ここに変則的な形によっても不完全な国連の平和安全保障機能を補おうとする各国の決意がみられる。
 こうして国連は、問題に当面するたびに、より広範囲で、より世界的であろうとする傾向を強くし、みずからその殻を破ろうとしている。その具体的な動きとして見逃せないのは、原爆出現以前に設立された主権国家による集団安全保障体制下の過渡的機構から、直轄軍をもつ世界的機構にまで高まろうとする試みがなされていることである。

軍備撤廃とその可能性
 一九五九年の国連総会では、全国連加盟国(当時八十二ヵ国)の満場一致で、各国は全面的完全軍備撤廃を目標としなければならないとする共同決議を行った。その内容は、「現在および将来の世代を新たな破滅的戦争の危険から救うことを希望し、人類の重荷である軍備競争を永久に終わらせ」(3)しかもこうして節約された資源を人類の利益になる方面に転用することを目的に、有効な国際管理のもとに軍備を撤廃しようというものである。その後、国連のこの方針に沿って種々の軍備撤廃案が検討され出した。今や軍備撤廃は全世界の希求するところとなった。にも拘らず、その計画が容易に具体化しないのは何故だろうか。
その原因に、核兵器まで製造するに至った広大な中国を国連から除外しているということがあるほか、軍需経済に大きく依存している米国が軍備撤廃後の国内経済を憂慮していること、および各国が軍備撤廃作業の途中または終了後の管理査察と安全保障にあまり信頼をおいていないことがあげられる。
 そのうち、米国の経済問題については、一九六二年に米軍軍備管理軍縮局から出された報告書によれば、米国の経済は軍縮に耐えうるものであると結論されている。(4)
 次に軍備撤廃にともなう管理査察と安全保障のもんだいであるが、いわゆるマックロイ=ゾーリン協定(一九六二年)にもみとめられているように、この解決には常設の国連警察隊の設置以外にはないであろう。
しかも、軍備撤廃の実施は、理論上は安全保障の任に当る常設国連警察隊の設置に優先するのであるが、実施面においては、安全保障なくして軍備を廃棄する国は皆無に等しい以上、常設国連警察隊の設置が軍備撤廃の実施に時間的に優先する。
 以上述べてきたように、今日、常設国連警察隊の設置が急務であるならば、この警察隊は、どのようにして設置したらよいのであろうか。

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北海道の世界連邦運動〜冷戦を経て、今。 2008.06.08[2009年08月10日(Mon)]
 ◆世界連邦運動は広汎な国民運動であってこそ成り立ちます。
思想的、政治的、宗教的などさまざまな立場を超えて、地域住民の総ぐるみの運動にならねばならない。それが国境を超え、人類総ぐるみの運動へ……。これが北海道に世界連邦運動の種を蒔いた人達の思いでありました。
第二次世界大戦の戦渦を体験した北海道民の間に、「世界平和」希求の願いが高まりました。
昭和30年に山部村は「世界連邦平和都市宣言」を議決し、本道における宣言第一号の栄誉を担ったのです。根室町、八雲町、砂川市、歌志内市、夕張市、赤平市、芦別市、沼田町、稚内市、倶知安町がそれに続きました。
その状況の中で、黒沢酉蔵(北海道開発審議会長)ほか7名が準備委員となり、1960(昭和35)年10月15,16日、第一回世界連邦北海道会議が開かれ、世界連邦北海道連合会が結成された。初代会長は加茂儀一(小樽商大学長)副会長 日野政史(山部村長)同 橘内末吉(夕張市長)、理事長 吉原正八郎(弁護士,『世界政府の基礎理論』昭和38の著者)でスタート。その後、毎年、世界連邦北海道会議・大会が開かれた。大会講演には湯川秀樹夫人・湯川スミや哲学者・谷川徹三などの名士が演壇に立ち、道民に感銘を与えました。
 ◆しかし、「資本主義圏(盟主・アメリカ合衆国)」対「共産主義圏(盟主・ソビエト連邦)」の対立である「冷戦」は、軍備増強や核兵器開発を促進したのです。この結果の「キューバ危機」などは、「全面核戦争」の恐怖や「世界平和の実現」が困難であるような印象をもたらしました。
「冷戦」の緊張は(1945〜89年)は長期にわたったため、「一つの世界」実現を目指す道内の世界連邦運動は衰退に傾いたのです。
 ◆平成10年、世界連邦運動協会植木光教会長らの熱心なリードと道内有志により、運動の再建を図ることになり、「北海道WFMネットワーク」として、平成11年4月1日から正式な活動が始まりました。世界連邦北海道連合会の移行吸収も成り、「5月総会、世連学習会、地方講演会、 年次大会」を開催するというレールが敷かれ、会員は増加し、本部には建設的な提言をしています。平成16年から名称を「世界連邦・北海道」に変更しました。
会員が増加した旭川グループは平成19年10月14日に世界連邦運動協会旭川支部(支部長松藤三郎,事務局長荒関和明)となった。平成の新支部誕生は全国の世界連邦運動を元気づけている。

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日本国憲法第9条への新見解・全文(世界連邦運動協会) 2008.06.0[2009年08月10日(Mon)]
(7) 「九条の会」など九条保持を主張する人たちを説得する見通しの検討 
九条の会はチャールズ・オーバービー(米国、1926年生まれ)が1991年3月にアメリカで「第九条の会USA」を設立し、米国での議会活動や日本をはじめ世界各国で講演したことに始まる。その日本事務局として発足したのが日本の「第九条の会」で、会長は勝守寛(1926~2004、中部大名誉教授、世界連邦運動協会執行理事)であった。勝守氏の死去に伴い、各地に支部のような会を作り「第九条の会日本ネット」ができた。その会は勝守氏が求めた世界連邦の視点が弱まり、改憲や自衛隊海外派遣に反対する傾向の強いものに変質した。
 一方、井上ひさし氏等九人「九条の会」は、2004年6月10日にアピールを発表し、主要な都市で講演会をした。
会場に溢れる盛況を呈しそれに賛同する「九条の会」が各地にできて、現在は6800前後の団体が組織されている。
地域別の会のほか分野別の会がある。それらは会の中核に某党員やその同調者がいて裏方に徹し、表舞台に著名人を立てて賛同者を増やす方式をとっている。例えば「映画人九条の会」は山田洋次監督や吉永早百合さんらが賛同呼びかけ人、「九条科学者の会」では伏見康治元日本学術会議会長等が呼びかけ人になっている。某党は2004年1月の第23 回党大会で憲法の全条項の擁護を決め「九条の会」の全面支援を通して地方の組織化を図ってきた。(世界日報、山岡尽忠、2008.3.20)
 そのような経緯があるにせよ6800もの団体がうまれるのは、九条の持つ「戦争は要らない。軍は持たない」というメッセージに虚心に惹かれるところがあるからだろう。
そのような心情を受け止めて、実は「軍は持たず、世界連邦建設で世界の平安を保つ」ことが九条の意味するところだと、理解してもらえばよいのである。
(8) 日本の「平和づくり外交」と世界平和維持機構(仮称) 
アメリカ説得の可能性
 「日本の平和づくり外交」は外務副報道官が過日のピース☆フェスタfromくらしき「地球平和フォーラム」の講演に掲げた題である。「日本の平和づくり外交」とは世界連邦国会決議をもつ日本にふさわしいモットーである。国の外交はその国の力が背景にあってこそ効果をあがる。文化力、経済力、軍事力がその背景といわれているのが現実である。軍縮志向は世界の要請であるが、平和づくり外交にも現有の軍事力を充分に活かすことは欠くことができない。その軍事力の活用は世界連邦設立の過程に必要な世界平和維持に限定されるべきである。覇権には絶対組みせず、地球貢献の奉仕に徹する軍事力として、それを平和づくり外交に活かすのである。
 日本は国会決議で「核兵器の廃絶、あらゆる戦争の回避、世界連邦実現への道の探究など、持続可能な人類共生の未来を切り開くための最大限の努力」を誓った国である。そのわが日本には非核専守を標榜する世界屈指の力をもつ自衛隊がある。これを世界連邦成立による究極の安全保障のための地球保安官の役目に投入する決意をすれば、アメリカを説得、勧誘できる可能性がある。すなわち自衛隊を「世界平和維持部隊(機構)」として投入する態勢を整え、日米同盟を一歩進めて、世界平和維持のための同盟とし、EU等の賛同国部隊も含めて現在の各地紛争の解決に当たる。
 その世界平和維持部隊(機構)の実績と信頼性が高まれば、世界連邦制による全世界の軍備撤廃の可能性が見えるようになり、結果として、アメリカの巨大な軍事費用や産業を民生に振り向けられ、強大な破壊力の兵器も無用の長物となることが見通され、かつ若者が巨大な殺戮の戦場に行かずに済むと知るならば、アメリカの世論も必ずこれに賛同するに違いない。
要は、日本の凛とした決意と実行にかかっている。
(9) まとめ  平和を創る必然の道程と日本の使命
 戦争の要らない仕組み、全世界に軍備が不要で武器が完全に管理されている世界の仕組み、それが世界連邦である。軍備が要るという最後の砦は、他の国に軍備があることだ。
攻められる可能性があるから自衛のために軍備が要るのである。それを要らなくするには、全世界の軍備を撤廃することである。それは日本国憲法第九条の戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認が全世界に実現することに他ならない。
 それは可能であろうか。可能である。というより、人類の生存にどうしても必要だから、ぜひとも実現しなければいけないのである。
戦争の悲惨があってはならないことをみんなが知っている。世界政府で効果的に手を打たなければ地球環境が危ないことは誰もが知っている。「必要は実現の母」なのである。
 今の国連秩序から、どんな手順で世界連邦秩序に移行するかは、その気になって英知を出せば必ず道は開ける。「志あれば道あり」である。
 実はその道はもう半ばまで来ている。国連総会の世界化、国家主権をこえるEUなどの実例の進展、世界法のモデルになる世界刑事裁判所の始動、日本の世界連邦平和自治体宣言の八割以上の達成、そして日本の「世界連邦実現国会決議」などがそれである。
残る道の案内に立つのは日本である。
最大の戦禍の原爆を広島・長崎にうけ、その悲惨の十字架を背負って「あやまちはくり返しません」と誓った日本には、人類の危機脱出の先頭に立つ使命がある。
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日本国憲法第9条への新見解2008.06.01[2009年08月10日(Mon)]
(3) 世界連邦実現の可能性
 現在の国際連合体制は、各国が軍をもつことを建て前とした仕組みである。その戦争主権を世界連邦政府に委譲できれば究極の世界平和が実現できる。その委譲ができるには、すべての国と人が信頼できる世界法と、その仕組みを確実に執行できる力への信頼が不可欠である。
 その世界法の基礎になる世界連邦憲法を信頼できる形で民主的に採択できる世界議会のような機関がまず必要と世界連邦運動の先輩たちは考えた。当初は戦勝国連合の総会であった国連総会を全世界の国の加盟する総会にして、それを全世界の意志決定ができる機関に育てようと、未加盟国会議を開いてその促進を図った。その努力は実り現在は加盟国192となり、未加盟国はバチカンと台湾のみというほぼ全世界の総会になった。その総会の決定は今の国連のシステムでは安全保障理事会の承認がなければ強制力がない。しかし、その国連システムの中で、世界人道法の分野での世界法のモデルといわれる国際刑事裁判所(ICC)が成立し活動を始めている。工夫すれば世界連邦憲法の成立も夢ではない。
 世界連邦の連邦原則と補完性の原則の考え方が、これまでのウエストファリア体制の国家主権絶対と内政不干渉の壁を超えて、欧州連合(EU)が27ヵ国を統合し、アメリカ合衆国に似た共同体になろうとしている。アフリカ53ヵ国もアフリカ連合(AU)を成立させ、歴史的に複雑な問題を内蔵しながらも、EUとほとんど同様の共同体を目指して真剣に取り組んでいる。このような事実は世界連邦の成立の可能性を、誰の目にも見えるように示している。
 その上日本が国会決議で「世界連邦実現への道の探究に最大限の努力をする」と誓約したことは、世界政治の舞台で世界連邦建設事業に手がかかるところにきたことを示している。
(4)廃藩置県に学ぶ 世界平和維持部隊(機構)の必要
 尾崎行雄は「世界連邦建設は世界の廃藩置県である」として、日本の経験がこの大事業のモデルであると教えた。
1965年世界連邦建設同盟の世界連邦論文コンテストに1位入選の永田明子著『平和をいかにして保持するか 個人募集による世界警察の設置』はその教えを、具体的に詳細に解明している。
 明治政府の権力のよりどころとした法の根源は明治元年(1968年)4月6日の「五ヶ条の御誓文」にあった。その大原則の下に各藩のもつ戦争主権を放棄させ、当時の欧米の国民国家に伍する日本政府の態勢にするための廃藩置県であった。その成功のためには、各藩が武力を無くしても安全が保てる力が必要不可欠であった事情は世界連邦の場合と同様であった。廃藩置県の号令は明治4年の8月29日であったが、その前の2 月の政府の懇請により薩摩の西郷、長州の木戸、土佐の板垣が上京し、親兵の設置が決定された。彼らは直ちに帰国して改めて兵を引率して上京した。
その兵力は三藩の石高に比例して精選された計1万であった。
拠出兵ではあったが、選抜は強制的ではなく個人の自由意志がある程度認められた方式で個人募集の性格もあった。指揮はバラバラでなく西郷があたった。親兵と呼ばれたこの部隊は政府直轄軍としての誇りも高く、精鋭で一般からも権威あるものと見られた。この親兵が廃藩置県・藩兵整理の実施段階で最大の安全弁の役割を果たしたのであった。
 世界連邦建設に当たっても、このような世界の安全弁がどうしても必要である。安全弁としての部隊は、世界連邦の体制が働くようになれば任務を終え、世界警察に席を譲って解散される。
その安全弁の部隊が国連憲章の下に個人募集による国連直轄軍ができて、その任に当たることが望ましいが、国連60年の歴史から見て困難かも知れない。しかし、安全弁は是が否でも必要である。世界連邦実現の国会決議をもつ日本が先頭に立って世界平和維持部隊(機構)を世界のために提供し、その誠実な汗と意志をもって有志国を誘うことは必要で可能な方法ではないか。
 地球貢献国家日本の旗印を日本国民は誇りをもって支えるであろう。一つの地球で運命をともにして生き抜かなければならないことに気づく世界の人々はその日本に敬意を表し賛同するに違いない。
(5) 日本の平和主義完成への道
 領土獲得の戦争が容認される時代は第二次世界大戦を境に終った。帝国主義の終焉である。核兵器を使う第三次世界大戦は抑止された。大破壊を伴う攻撃はもはや誰からも支持されなくなった。大戦争の終焉である。
強大な国家の世界制覇はもちろんあり得ない。だがテロと地域紛争が残された。人間の安全保障が全世界の課題になった。
まず、テロと紛争の火の粉を消し、世界の平安を維持する警察力が必要である。その警察力には、ある一国のためでなくまた何ヵ国かの同盟のためてもない証(あかし)が必要であるから、その名称を仮に「世界平和維持部隊(機構)」と名づけてみよう。
そして、それにふさわしい編成や配置や指揮系統などの工夫をし、その世界平和維持部隊に、日本の現有の軍事力を活かすことから始めてみよう。日本が本気になればアメリカやEUを誘うことができるであろう。そのような部隊の門戸は賛同するあらゆる国に開かれる。
 世界平和維持部隊は今や世界の緊急の課題である地球温暖化に対応する大規模事業にも貢献が期待される。
 世界平和維持部隊は世界連邦が成立し信頼できる力に育つまで世界の平安を保ち、任務を終えた後は世界連邦の世界警察にその席を譲り解消する。
 以上は現有軍事力の世界への貢献の一つのシナリオであるが、いずれにしても日本がこのような積極的な貢献に使命感をもって取り組むことが日本の平和主義遂行には不可欠である。
(6) 各政党を説得し賛同される見通しの検討 
 各政党は対立点を際立たせ、自説に賛同を求めて党勢拡大を図りたいとの願望をもつ。しかし外交については、全く国論が別れて力を発揮できなければ国益を守ることも世界に貢献することもできないから、なるべく一致した国是をもたねばならないとの良識ももっている。
世界連邦実現への道の探究については、幸いに2005年の国会決議が得られている。それを基盤に世界連邦の実現を視野に入れた憲法試案に各党の主張を歩み寄らせる論理を考察してみよう。
  A 今、見られる主張  B 可能と思われる究極の考え
・自民党 
A 自衛隊(軍)の存在を明記、集団的自衛権の行使と国際貢献を明記 B 国連体制の現実では、この明記が要る。
しかし、究極には九条が世界化し、軍備なき世界になることを求め続けたい。
・民主党 
A 国連待機部隊案を検討、集団的自衛権については論議。
B どの国も一国だけでは安全たり得ない。自衛隊などで、その現実に対応するのはやむをえない。
しかし、究極には九条が世界化し、軍備なき平和にすることを求める。
・公明党 
A 国際貢献などを検討、集団的自衛権には慎重
B どの国も一国だけでは安全たり得ない。現存する自衛隊がその現実に対応するのは当然。
しかし、究極には九条が世界化し、軍備なき世界になるのを求め続けたい。
・共産党・社民党 
A 現行のまま
B 究極の目標の戦争否認と軍備なき世界平和のため、現行の条文は残す。その目標が一致するなら、現存する自衛隊の世界現実に対応する任務はやむをえない。
 以上の各党のBの考えによれば、試案に示すような「究極の目標を九条を世界に実現することにおき、そこに至る過程で地球的な貢献国家として現有軍事力を活用する」姿での妥協が可能であろう。いずれの党にとっても究極の平和という目標達成の道であり、その過程に不可欠な地球的貢献だからである。
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日本国憲法第9条への新見解・全文(世界連邦運動協会) 2008.06.01[2009年08月10日(Mon)]
◆憲法平和条項への世界連邦運動協会の姿勢
      (平成20年4月16日の執行理事会による第8次案)
1 見解
 世界連邦運動協会は世界連邦という戦争不可能な世界法治共同体の建設を目指している。それは党派や宗派の違いを超えた願いである(平成17年8月2日の国会決議)。その願いを憲法の平和条項に分りやすく表現し、全国民的な外交姿勢で進むことを期待する。
 多くの困難を抱える世界の現実を世界連邦へ導くためには、日本が現にもっている軍事力を紛争の抑止や災害の防止・救済および世界連邦建設完成までの世界平和維持に活用することと、その軍事力を世界連邦による安全保障体制ができるにつれて縮小・撤廃して、文字通り軍をもたない世界と日本を実現することとはともに不可欠である。それは現実から理想に向い、各党派が歩み寄る道筋としなければならない。
 その道筋の具体案を以下に提示する。
< 協会姿勢例案 >
第九条 (戦争の放棄・軍備及び交戦権の否認)
@ 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求 し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇、又は武力の行使 は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
A 前項の目的を達成するために、陸海空軍その他の戦力は、こ れを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
B 前各項の実効を得るため、世界全土にわたり安全を保障しう る世界連邦機構をつくる。
2 資料 上記見解に至る考察
はじめに
 今や人類は月の地平に美しい天体としての地球を「かぐや」の目を通して目の当りにした。人類はその美しい星地球を共通の故郷、共通の家とし、同じいのちを頂き、運命をともにして生きている。人類がその営みの中で招いてしまった戦争の惨禍と地球温暖化の脅威をどう克服するか問われている。
 その戦争不要の世界システムのためには全世界各国の軍備の撤廃が不可欠である。それは日本国憲法第九条の世界化に他ならない。その世界化は世界連邦の建設による他はない。
 これに関わる本部の見解に対して、「本部の会報・ホームページといった公報に掲載する上で、世界連邦運動協会は護憲派だと決め付けられる事が無いように、取り上げ方に注意してください。(岡山県支部2007年8月22日理事会)」という意見が寄せられた。本部はこの意見に対する見解の検討を理論政策委員会に求めた。
 これに先立つ2001年(平成13年)5月22日の第56回総会において、会員から「現在の憲法論議の世情にあって、我が世界連邦連動協会が世論に訴えて多くの理解を得ていくためには、近づいた選挙にからんで、対立する党派の一方につき、他方を排するような印象を与えることは好ましくないのではないか。それで、この際その対立の憲法九条問題に我が世界連邦運動協会の公式見解が必要と思うがどうか」との発言があり、会長より「国が調査会を設け議論している現状と、憲法改正が近く実現する状況にないという現状にかんがみ、この会は、とりあえず戦争放棄を護りたいし、その精神の実現を全世界に訴えたいという見解に立つ」と述べ、拍手があった。この見解は、選挙にからんで改憲派護憲派の何れかにくみするような立場はとらないという、いわば消極的な面をもつと理解される。
 それは、当時のひとつの現実的な見識であった。その後も総会のたびに、どちらかにくみするものではないという立場からもう一歩現実に踏み込んで、どちらにも賛成してもらい九条を世界連邦建設につなぐ積極的な見解で運動を進めたい、という支部提案があったが、「世界連邦運動協会は九条を堅持する」という立場にとどめ今日に至った。その経過をふまえ、国民投票法が成立しいよいよ憲法改正が現実問題になりつつある国内情勢と、指導者交代などの流動的な世界情勢を考えつつ、九条の原点から考察を進め、積極的に世界連邦建設を訴える力を高めたい。
(1) 終始一貫、世界連邦を必要としてきた現憲法の平和主義
 現憲法の成立の事情には論議があるが、成立当時日本を占領統治していたマッカーサーの意向のかかわりを無視することはできない。彼は日本政府に指令して日本国憲法を成立させた事情を1946年4 月の対日理事会で次のように報告している。それは実に戦争不要世界の実現を前提とした考えであった。
「私が憲法九条を発議したのは、日本の戦力崩壊の論理的帰結であるが、国際的分野で戦争に訴える国家の主権を放棄しようということにある。アメリカも各州が戦争主権を放棄し、国家が各州の独立権を認め、その保護者となって出来たのである。
日本政府は戦争が失敗であったことを知った人民を支配しているが、九条はそれのみでなく、事実上、人類進化の一歩の前進、
すなわち世界中の戦争を防止できる法治社会に発達させねばならぬと認めたものである。文明の進歩・存続は、日本のような国が安心してその独立をまかしうるような世界秩序ができるか否かにかかっている。故に私は九条を世界全国民の考慮のために提供する。
戦争放棄は同時かつ普遍的でなければならない。それは実行によってのみ効果がある。科学の進歩故に次の戦争があれば人類は滅亡するであろう。この理事会の責任と仕事はそのようなより高い法則に歩み寄らせることである。」(マッカーサー演説要旨。時子山常三郎著『日本と世界連邦』p.340〜343より荻野が要約)   この考えは世界連邦実現の希望に他ならない。
 現憲法の前文を読んでみよう。そこには世界のあるべき崇高な理想が掲げられているが、そのような世界の実態は当時も現在もない。したがってこの前文は「崇高な理想と目的を達成できる仕組みを実現する」という日本国民の使命の宣誓と読むほかはない。
 この憲法の制定当時の憲法担当国務大臣であった法学博士金森徳次郎が、1949(昭和24)年10月の『世界国家』に「日本国憲法の前文で、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した、といっているけれども、その信頼する相手が混乱している。また同じ前文でいうところの圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会がまだ完成していない。われわれは勇敢に一大理想を実現せんとするに急であって、世界の行き方を無視し、自発的に独進を始めて、戦争放棄と戦力不保持を実現した。痛快は痛快であるが、前述のごとく、世界平和機構の裏づけのないことを考えると幻滅の感を受けざるを得ない」「われわれの行く道は、信頼しうる諸国民の公正と信義を確実につかむことと、有効に働くことのできる国際社会の実現を期するにあるのだ」と書いている。
 そのような国際社会とは世界連邦に他ならない。日本国憲法の平和主義は、成立から今まで、一貫してその世界連邦を必要としてきたのである。
 文字通りに九条を読んでみよう。
(2) 現九条の文字通りの姿
 第一項は一口で言えば「戦争はしない」、第二項は「軍はもたない」となる。軍をもたなければ戦争はしないわけであるから、九条の全体は「軍をもたない」の一語に尽きることになる。しかし、それだけで国土・国民の保全・安全に責任をもつ国の憲法と言えるのか。そんな無責任は許されまい。そう思ってよく読むと、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という前提が目に止まる。これこそ「軍を不要とする平和な世界の仕組みを求めることによって」という世界連邦に共通する理念にほかならない。この読み方は上記のマッカーサーや金森徳次郎によっても裏付けられる。
 それゆえに「九条」の文字どおりの読みは「軍はもたない。世界連邦建設によって平安を保つ」となる。それは決して独断でも我田引水でもないのである。
 ところが世界の現実がそれを許さず、60余年も待たされたばかりか、朝鮮戦争や東西冷戦のため、とりあえず事実上「軍をもつ」ことになった。具体的には、占領当局の勧めで1950年に警察予備隊を発足させ、戦後日本の独立(1951,昭和26年9月8日)の同日に日米安全保障条約を結び、日本に米軍がとどまることになった。ついで1954年に防衛庁と自衛隊が発足した。
     < 自衛軍がある限り戦争は無くならない >
これは日本のことではない。世界中のどこの国であろうとも、自衛のためといいながら武力を持つならば、それは他国には威嚇になり、結局、戦争を無くすことはできないのである。戦争を必要とする最後の とりでは自衛戦である。自衛戦が不要になった時に戦争が無くなるのである。
 その状態にする仕組みが世界連邦である。現下の世界や日本の情勢から、これに代わる説得力ある施策は浮かんでこない。戦争が要らなくなれば武器が要らなくなる。武器の生産と流通を非合法として取り締しまることができる。世界中の武器や爆発物の生産を厳密に管理し、警察力に必要な小火器以外は絶滅できる。それによって戦争ばかりか地域紛争の殺戮の悲惨も、警察力で取り締まれる程度になるのである。
 九条の本当の姿はそのような世界の状態にすることである。
究極の自衛への願いである。それを目指す誓いである。
その実現に具体的に取りかかるという宣言が2005年8月2日の日本衆議院の国会決議であった。
Posted by 世界連邦・北海道 at 16:54 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
江別市 第3回 世界連邦の集い  2009.05.05[2009年08月10日(Mon)]
◆江別市での、第3回世界連邦の集いを開催。
 内容は映画上映会で、「アメリカばんざい」を上映します。

◆ドキュメンタリー作家・藤本幸久氏は北海道新得町在住。
 「アメリカばんざい」は、同監督が沖縄で出会った米兵から感じた「彼らはどこから来たのか? 何故兵士になったのか? そしてどこに行くのか?」という疑問を追い求め、2006年10月から2008年4月にかけ、計7回のアメリカ取材・撮影を重ねて完成した作品です。

◆劣化ウラン弾など、さまざまな兵器の開発を続け、戦争を続けるアメリカ。
カメラがとらえた「戦争」のもたらす負の部分、「クレージーってか、それが戦争さ!」

◆戦争とは? 国家とは? 平和とは? 日本国憲法9条とは?
 この作品は、さまざまな視点から考えることを訴えている。
世界連邦実現の必要性を考えることもできる。

◆開催日時など。
◆開催場所・・江別市野幌公民館(江別市野幌町13の6)
    (国道12号線すぐ傍、JR野幌駅から8分ほど)
◆開催日時・・平成21年6月6日(土曜日)
◆開催時間・・14時00分〜16時45分(13時30分開場)予定。    
◆入 場 料 ・・一般のみ1,000円(学生無料)
◆主   催 ・・世界連邦・北海道 江別の会
      (問い合わせ先 231-6177、世界連邦・北海道)
◆後   援・・江別市、江別市教育委員会


●「世界の子どもたちに平和と笑顔を」

Posted by 世界連邦・北海道 at 16:49 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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