『平和をいかにして保持するか』〜永田論文 2008.08.27[2009年08月10日(Mon)]
五章 結 論
地球上の人類は、お互いに離れた土地の者とは関係なく生活し、見知らぬ土地の人間に出合えば警戒し、戦いを挑んでいた時代から、民族意識、国民意識が発揚して国家が生まれ、国民の安全は国家が保障する時代となり、さらに近年では、国家間の問題は国際組織を設けて解決に当たろうという動きにまで発展し、いくつかの国際組織が生まれ、ついには国際連合という世界機構への過渡的機関の出現をみるに至った。科学および技術の加速的な進歩により、人間の視野が地球の外からの地球の展望を可能にしたほど広がるに及んで、今日の兵器が先人の積み重ねになる文化の殿堂をも容易に一挙に破壊し得るほどに発達したことと相まって全世界を含まない国連では不充分であることが、各方面から指摘されている。われわれが次の世代へ贈るものは「一つの世界」であり、国連よりは一歩段階のぬきんでた世界連邦政府の実現である。これはまた、歴史的必然のものである。
一方、このような見方に対して予想される反論は次のようなものであろう。すなわち、(一)人種、民族、言語、文化、歴史等の差異に基づく(世界社会否定論二)世界共同社会未成熟論(三)イデオロギー対立論(四)社会構成単位拡大原因認識論等である。
(一)の世界社会否定論には、スイス連邦の例をもって答えることができる。スイス連邦は人種、文化、言語、宗教が一様でないにも拘らず、長きにわたり平和を保っている。これは民族、言語等の差異が連邦制を阻む要素ではないことを示そう。また反対に民族、言語等を同じくするものの国が、南北あるいは東西に分かれて存する現実は、それらの要素の同一であることが、統一を約束する条件ではないことを裏付けるものでものである。
(二)の世界共同社会は未成熟であるとする時期尚早論については、専門的国際組織である国際労働機関
(ILO)と地域国際組織であるヨーロッパ経済共同体(EEC)の例を挙げることができる。ILOは、加盟国の政府、使用者、労働者の三部代表制によって構成され、表決権は三者代表が個々にもっているのであって加盟国単位で認められているのではない。(39)EECについてみると、単に加盟国間の共同市場を設定するだけでなく、共通の経済社会政策の採用、国内立法の調整などをめざすもので、その総会は各国の政府代表ではなく、国民代表によって構成され、議員は個人の資格で議決する。(40)以上二つの機関は国境あるいは国籍を超えた人類共同社会の基盤に立ったものであるということができよう。世界共同社会は未成熟ではないのである。
(三)のイデオロギーの対立によって世界連邦は達成不可能だとする考え方に対して、コード・メイヤーは「イデオロギーの対立は二つの強力に武装された主権国家間において避けることのできない権力闘争の結果であって、その原因ではない」(41)いっている。中世の百余年にわたる宗教戦争は、権力の増大した法王の提唱によって西欧の王侯、武士が宗教と結びついて引き起こされたものである。背後に強大な権力の支持、援助がなければ、思想を異にしても、今日ある無数の宗教のように共存できるものである。アルバニアがいかに烈しい主義を口にしても、その国の軍事力が小さいから、背後に大国が結びつかない限り、世界の大勢にとって、それ自体は何ら脅威とはならない。かつての「二つの世界」は、いまや共産圏の内部で中ソが主導権を争い、自由主義圏の内部で米仏の関係が冷却し、一方で中・仏の間および米・ソの間に歩み寄りがみられるのは何を物語ろう。これまでイデオロギーの対立のようにみえたものは、権力争いの結果にほかならなかったのある。今日の問題は「自由企業か計画経済か、資本主義か共産主義か――ではなくて、連邦主義か権力政治家(42)」の選択にある。そして肝要なのは、すべてのイデオロギーから権力の分離をはかることである。軍備撤廃は、そのための大きな策である。
(四)の論は、社会構成単位が拡大する裏には常に外敵に抗する団結があったが、世界連邦には外敵がないから地球の外からの攻撃あるいは宇宙開発の急速な発展でもない限り、実現の望みは薄いというものである。しかし地球の外からの脅威があってはじめて団結するというのでは、人間の愚かな歴史の繰り返しがあるばかりである。宇宙開発による云々は、世界連邦の自然成立をまとうというものであるが、二百万年の歴史をもつ人類は、つい二十年前から核兵器を抱くこととなった結果、自然成立をまつ間にも常に偶発戦争の危機は存在する。今日の世界は「獅子身中の虫、自ら獅子を食うが如し」である。外敵に劣らぬ巨大な内敵が地上に生じたのである。それとともに今までになかった人類の運命の連帯感というものが生じたのは、砂漠で見つけたオアシスのように、われわれに希望を与えてくれるものである。
以上みてきたように、世界連邦は理想であると同時に、今日の国連のゆきづまりを打開する唯一の現実的な道である。その第一歩が国連憲章の改正による世界法の制定であろうが、その実現を促進するには、強い触媒が必要である。個人募集による国連警察隊の設置が、それであると考えられる。明治政府は、わずか六年で国軍をもって名実ともに法治共同体となった。国連にその直轄軍をおくこと自体が、世界の法治共同体が半ばでき上がったようなものである。平和維持のために現在最初になすべきこととして、本稿で世界警察の設置をとりあげた理由がそこにある。
[ 註 ]
(1) B・ラッセル「人類に未来はあるか」理想社(一九六二)一四三頁
(2) 「世界の歴史」<第十七巻>筑摩書房(一九六二)二十頁
(3) ノエル=ベーカー「軍備競争」岩波書店(一九六三)五〇八頁
(4) 渡辺誠毅「軍備とそれを阻害する要因」<世連研究第四巻第二号>世界連邦建設同盟(一九六三)
四二頁
(5) 石井孝「明治政府の裏舞台」岩波書店(一九六四)
(6) 東大文学部史学会編「史料日本史」<下巻>山川出版社(一九五四)一一五頁
(7) 藤原彰「軍事史」東洋経済新報社(一九六一)一九頁
(8) (9)前掲「軍事史」二四頁―二五頁
(10)「日本の歴史」<第一〇巻>読売新聞社(一九六四)一六三頁
(11)(8)を参照
(12)「世界の歴史」<第一七巻>筑摩書房(一九六二)三四―三五頁
(13)「明治維新」<新日本史大系第五巻>朝倉書店(一九五六)一六五頁
(14)エメリー・リーブス「平和の解剖学」<世連研究第三巻第四号>世界連邦建設同盟(一九六二)七頁
(15)F・O・ウィルスコックス、C・M・マーシー「国際連合改変への諸提案」<上巻>日本外政学会
(一九五九)七七頁
(16)前掲「軍事史」二五頁、田中惣五郎「日本軍隊史」理論社(一九五四)七一頁
(17)前掲「日本軍隊史」七七頁
(18)(17)参照
(19)前掲「明治維新」一四五頁
(20)前掲「軍事史」三四頁、「日本の歴史」二五五頁、「明治維新」一五八頁
(21)前掲「軍事史」二七頁
(22)羽仁五郎「明治維新」岩波書店(一九六四)一一三頁
(23)前掲「日本軍隊史」九一頁
(24)前掲「日本の歴史」一八七― 一八八頁
(25)前掲「軍事史」二八頁、朝倉書店刊「明治維新」一四七頁
(26)前掲「日本軍隊史」八〇頁
(27)前掲「史料日本史」一二五頁
(28)前掲「日本の歴史」一八七頁
(29)「日本近代史辞典」東洋経済新報社(一九五八)三九〇頁
(30)前掲「日本の歴史」二〇二頁
(31)「朝日年鑑」<一九六四年版>六二頁
(32)G.Clark & L.B.Sohn:‘’World Peace Though World
Law‘’、Charles E.Tuttle Co.(1960)P.332.
(33)「世界連邦新聞」<一九六五・一・一号>二頁
(34)前掲「軍事史」三九頁
(35)世界連邦新聞」<一九六三・四・一号>三頁
(36)前掲「国際連合改変への諸提案」<上巻>一一〇頁
(37)朝日新聞社説<一九六五・一・一九号>
(38)前掲朝倉書店「明治維新」一九二頁
(39)高野雄一「国際組織法」有斐閣(一九六一)一九九―二〇一頁
(40)前掲「国際組織法」三一四頁
(41)吉原正八郎「世界政府の基礎理論」理想社(一九六二)一一頁
(42)モントルー宣言(一九四七)「世界大会の宣言と決議」世界連邦建設同盟 三頁
◆ 参考資料
以下は、「ほっかいどう 世界連邦運動15年史」世界連邦北海道連合会発行(昭和49年8月24日) の122・123ページの転載です。
4 永田明子の論文入選
札幌支部の活動のなかで特筆大書すべきは、永田明子の論文入選であろう(昭和40年)。これは永田個人の快挙であるけれども、永田は支部創立以来の支部会員であり、彼女の世界連邦の学識は、すべて支部活動の中で蓄積されたものであるから、あえて支部活動の一環として、記録にとどめる。
なお永田は昭和42年に札幌で開かれた道大会のとき、模擬国連総会を演出して注目を集めたが、
43年8月に日本を脱出してオランダにわたり、ロッテルダムにある世界エスペラント協会の事務局に書記として勤務するうち、47年にオランダ人と結婚し、同地にて平和な家庭を築いている。
永田の論文入選の経過については、「世界連邦運動20年史」に詳しく記述されているから、以下にそれを引用する(同書310ページ)。
(なお永田論文の全文は巻末に掲載する。)
国連創立20周年を記念してサンフランシスコで第12回世界連邦世界大会が開かれるのを機会に、全国の青年・学生の恒久平和樹立に関するまじめな研究意欲を助長する目的をもって「世界連邦論文コンテスト」がおこなわれた。
入賞1席1名はサンフランシスコ大会に青年・学生代表として出席、その往復航空旅費および15日間の滞在費用を支給するというもの。(2席2名は平凡社発行の「国民百科事典」全7巻1組とテープレコーダー1台、3席3名「国民百科事典」全7巻1組)課題は「国連と世界連邦」「平和をいかにして保持するか」のうちいずれか1篇。400字詰原稿用紙30枚から50枚以内、締切り昭和40年1月31日、入賞発表は4月15日、朝日新聞と日本放送協会が後援団体となり、この催しを全国に報道した。
選者は次のとおりである。
湯川秀樹(京大教授)上代たの(日本女子大学長)谷川徹三(法政大学総長)笠信太郎(評論家)
前田義徳(日本放送協会協会々長)渡辺誠毅(朝日新聞論説委員)鮎沢巌(国際キリスト教大学教授)
山田節男(同盟国際部長)
この企画が青年・学生にあたえた影響は大きかった。40年1月31日の締め切りまでに到着した応募原稿は176篇に達した。地域的には沖縄や韓国を含む全国、職業別では何んといっても学生が圧倒的に多く、中学生や高校生までが応募した。銀行員あり、公務員あり、農業、商業、家庭の主婦と千差万別であった。最終審査会において、全員一致、第1席にえらばれたのは、北海道の永田明子であった。
2席は房野桂、中村朗、3席は兼子弘司、高波信、中川勝弘、杉浦功の4名が決定した。
永田論文は、明治維新における藩兵の撤廃と政府直轄の国軍編成にいたるまでの歴史を詳述し、その歴史的教訓をふまえて「国連の直轄軍は各国の軍隊による待機制度や拠出派兵方式では不適当である」と論じ、将来の世界警察隊のあり方とそれにいたるプロセスをえがいたもので、そのユニークな論旨と明快な論理が高く評価された。まず、「朝日ジャーナル」はその全文を掲載した。またNHKはラジオ
の「時の人」テレビの「スタジオ102」「午後のひととき」でそれぞれ紹介した。
WAWFはこれを英訳して各国に配布、オランダ、スペイン、イギリス等で出版されたほかエスペラント語にも翻訳された。サンフランシスコにおける彼女の演説は注目され、絶賛を博した。
地球上の人類は、お互いに離れた土地の者とは関係なく生活し、見知らぬ土地の人間に出合えば警戒し、戦いを挑んでいた時代から、民族意識、国民意識が発揚して国家が生まれ、国民の安全は国家が保障する時代となり、さらに近年では、国家間の問題は国際組織を設けて解決に当たろうという動きにまで発展し、いくつかの国際組織が生まれ、ついには国際連合という世界機構への過渡的機関の出現をみるに至った。科学および技術の加速的な進歩により、人間の視野が地球の外からの地球の展望を可能にしたほど広がるに及んで、今日の兵器が先人の積み重ねになる文化の殿堂をも容易に一挙に破壊し得るほどに発達したことと相まって全世界を含まない国連では不充分であることが、各方面から指摘されている。われわれが次の世代へ贈るものは「一つの世界」であり、国連よりは一歩段階のぬきんでた世界連邦政府の実現である。これはまた、歴史的必然のものである。
一方、このような見方に対して予想される反論は次のようなものであろう。すなわち、(一)人種、民族、言語、文化、歴史等の差異に基づく(世界社会否定論二)世界共同社会未成熟論(三)イデオロギー対立論(四)社会構成単位拡大原因認識論等である。
(一)の世界社会否定論には、スイス連邦の例をもって答えることができる。スイス連邦は人種、文化、言語、宗教が一様でないにも拘らず、長きにわたり平和を保っている。これは民族、言語等の差異が連邦制を阻む要素ではないことを示そう。また反対に民族、言語等を同じくするものの国が、南北あるいは東西に分かれて存する現実は、それらの要素の同一であることが、統一を約束する条件ではないことを裏付けるものでものである。
(二)の世界共同社会は未成熟であるとする時期尚早論については、専門的国際組織である国際労働機関
(ILO)と地域国際組織であるヨーロッパ経済共同体(EEC)の例を挙げることができる。ILOは、加盟国の政府、使用者、労働者の三部代表制によって構成され、表決権は三者代表が個々にもっているのであって加盟国単位で認められているのではない。(39)EECについてみると、単に加盟国間の共同市場を設定するだけでなく、共通の経済社会政策の採用、国内立法の調整などをめざすもので、その総会は各国の政府代表ではなく、国民代表によって構成され、議員は個人の資格で議決する。(40)以上二つの機関は国境あるいは国籍を超えた人類共同社会の基盤に立ったものであるということができよう。世界共同社会は未成熟ではないのである。
(三)のイデオロギーの対立によって世界連邦は達成不可能だとする考え方に対して、コード・メイヤーは「イデオロギーの対立は二つの強力に武装された主権国家間において避けることのできない権力闘争の結果であって、その原因ではない」(41)いっている。中世の百余年にわたる宗教戦争は、権力の増大した法王の提唱によって西欧の王侯、武士が宗教と結びついて引き起こされたものである。背後に強大な権力の支持、援助がなければ、思想を異にしても、今日ある無数の宗教のように共存できるものである。アルバニアがいかに烈しい主義を口にしても、その国の軍事力が小さいから、背後に大国が結びつかない限り、世界の大勢にとって、それ自体は何ら脅威とはならない。かつての「二つの世界」は、いまや共産圏の内部で中ソが主導権を争い、自由主義圏の内部で米仏の関係が冷却し、一方で中・仏の間および米・ソの間に歩み寄りがみられるのは何を物語ろう。これまでイデオロギーの対立のようにみえたものは、権力争いの結果にほかならなかったのある。今日の問題は「自由企業か計画経済か、資本主義か共産主義か――ではなくて、連邦主義か権力政治家(42)」の選択にある。そして肝要なのは、すべてのイデオロギーから権力の分離をはかることである。軍備撤廃は、そのための大きな策である。
(四)の論は、社会構成単位が拡大する裏には常に外敵に抗する団結があったが、世界連邦には外敵がないから地球の外からの攻撃あるいは宇宙開発の急速な発展でもない限り、実現の望みは薄いというものである。しかし地球の外からの脅威があってはじめて団結するというのでは、人間の愚かな歴史の繰り返しがあるばかりである。宇宙開発による云々は、世界連邦の自然成立をまとうというものであるが、二百万年の歴史をもつ人類は、つい二十年前から核兵器を抱くこととなった結果、自然成立をまつ間にも常に偶発戦争の危機は存在する。今日の世界は「獅子身中の虫、自ら獅子を食うが如し」である。外敵に劣らぬ巨大な内敵が地上に生じたのである。それとともに今までになかった人類の運命の連帯感というものが生じたのは、砂漠で見つけたオアシスのように、われわれに希望を与えてくれるものである。
以上みてきたように、世界連邦は理想であると同時に、今日の国連のゆきづまりを打開する唯一の現実的な道である。その第一歩が国連憲章の改正による世界法の制定であろうが、その実現を促進するには、強い触媒が必要である。個人募集による国連警察隊の設置が、それであると考えられる。明治政府は、わずか六年で国軍をもって名実ともに法治共同体となった。国連にその直轄軍をおくこと自体が、世界の法治共同体が半ばでき上がったようなものである。平和維持のために現在最初になすべきこととして、本稿で世界警察の設置をとりあげた理由がそこにある。
[ 註 ]
(1) B・ラッセル「人類に未来はあるか」理想社(一九六二)一四三頁
(2) 「世界の歴史」<第十七巻>筑摩書房(一九六二)二十頁
(3) ノエル=ベーカー「軍備競争」岩波書店(一九六三)五〇八頁
(4) 渡辺誠毅「軍備とそれを阻害する要因」<世連研究第四巻第二号>世界連邦建設同盟(一九六三)
四二頁
(5) 石井孝「明治政府の裏舞台」岩波書店(一九六四)
(6) 東大文学部史学会編「史料日本史」<下巻>山川出版社(一九五四)一一五頁
(7) 藤原彰「軍事史」東洋経済新報社(一九六一)一九頁
(8) (9)前掲「軍事史」二四頁―二五頁
(10)「日本の歴史」<第一〇巻>読売新聞社(一九六四)一六三頁
(11)(8)を参照
(12)「世界の歴史」<第一七巻>筑摩書房(一九六二)三四―三五頁
(13)「明治維新」<新日本史大系第五巻>朝倉書店(一九五六)一六五頁
(14)エメリー・リーブス「平和の解剖学」<世連研究第三巻第四号>世界連邦建設同盟(一九六二)七頁
(15)F・O・ウィルスコックス、C・M・マーシー「国際連合改変への諸提案」<上巻>日本外政学会
(一九五九)七七頁
(16)前掲「軍事史」二五頁、田中惣五郎「日本軍隊史」理論社(一九五四)七一頁
(17)前掲「日本軍隊史」七七頁
(18)(17)参照
(19)前掲「明治維新」一四五頁
(20)前掲「軍事史」三四頁、「日本の歴史」二五五頁、「明治維新」一五八頁
(21)前掲「軍事史」二七頁
(22)羽仁五郎「明治維新」岩波書店(一九六四)一一三頁
(23)前掲「日本軍隊史」九一頁
(24)前掲「日本の歴史」一八七― 一八八頁
(25)前掲「軍事史」二八頁、朝倉書店刊「明治維新」一四七頁
(26)前掲「日本軍隊史」八〇頁
(27)前掲「史料日本史」一二五頁
(28)前掲「日本の歴史」一八七頁
(29)「日本近代史辞典」東洋経済新報社(一九五八)三九〇頁
(30)前掲「日本の歴史」二〇二頁
(31)「朝日年鑑」<一九六四年版>六二頁
(32)G.Clark & L.B.Sohn:‘’World Peace Though World
Law‘’、Charles E.Tuttle Co.(1960)P.332.
(33)「世界連邦新聞」<一九六五・一・一号>二頁
(34)前掲「軍事史」三九頁
(35)世界連邦新聞」<一九六三・四・一号>三頁
(36)前掲「国際連合改変への諸提案」<上巻>一一〇頁
(37)朝日新聞社説<一九六五・一・一九号>
(38)前掲朝倉書店「明治維新」一九二頁
(39)高野雄一「国際組織法」有斐閣(一九六一)一九九―二〇一頁
(40)前掲「国際組織法」三一四頁
(41)吉原正八郎「世界政府の基礎理論」理想社(一九六二)一一頁
(42)モントルー宣言(一九四七)「世界大会の宣言と決議」世界連邦建設同盟 三頁
◆ 参考資料
以下は、「ほっかいどう 世界連邦運動15年史」世界連邦北海道連合会発行(昭和49年8月24日) の122・123ページの転載です。
4 永田明子の論文入選
札幌支部の活動のなかで特筆大書すべきは、永田明子の論文入選であろう(昭和40年)。これは永田個人の快挙であるけれども、永田は支部創立以来の支部会員であり、彼女の世界連邦の学識は、すべて支部活動の中で蓄積されたものであるから、あえて支部活動の一環として、記録にとどめる。
なお永田は昭和42年に札幌で開かれた道大会のとき、模擬国連総会を演出して注目を集めたが、
43年8月に日本を脱出してオランダにわたり、ロッテルダムにある世界エスペラント協会の事務局に書記として勤務するうち、47年にオランダ人と結婚し、同地にて平和な家庭を築いている。
永田の論文入選の経過については、「世界連邦運動20年史」に詳しく記述されているから、以下にそれを引用する(同書310ページ)。
(なお永田論文の全文は巻末に掲載する。)
国連創立20周年を記念してサンフランシスコで第12回世界連邦世界大会が開かれるのを機会に、全国の青年・学生の恒久平和樹立に関するまじめな研究意欲を助長する目的をもって「世界連邦論文コンテスト」がおこなわれた。
入賞1席1名はサンフランシスコ大会に青年・学生代表として出席、その往復航空旅費および15日間の滞在費用を支給するというもの。(2席2名は平凡社発行の「国民百科事典」全7巻1組とテープレコーダー1台、3席3名「国民百科事典」全7巻1組)課題は「国連と世界連邦」「平和をいかにして保持するか」のうちいずれか1篇。400字詰原稿用紙30枚から50枚以内、締切り昭和40年1月31日、入賞発表は4月15日、朝日新聞と日本放送協会が後援団体となり、この催しを全国に報道した。
選者は次のとおりである。
湯川秀樹(京大教授)上代たの(日本女子大学長)谷川徹三(法政大学総長)笠信太郎(評論家)
前田義徳(日本放送協会協会々長)渡辺誠毅(朝日新聞論説委員)鮎沢巌(国際キリスト教大学教授)
山田節男(同盟国際部長)
この企画が青年・学生にあたえた影響は大きかった。40年1月31日の締め切りまでに到着した応募原稿は176篇に達した。地域的には沖縄や韓国を含む全国、職業別では何んといっても学生が圧倒的に多く、中学生や高校生までが応募した。銀行員あり、公務員あり、農業、商業、家庭の主婦と千差万別であった。最終審査会において、全員一致、第1席にえらばれたのは、北海道の永田明子であった。
2席は房野桂、中村朗、3席は兼子弘司、高波信、中川勝弘、杉浦功の4名が決定した。
永田論文は、明治維新における藩兵の撤廃と政府直轄の国軍編成にいたるまでの歴史を詳述し、その歴史的教訓をふまえて「国連の直轄軍は各国の軍隊による待機制度や拠出派兵方式では不適当である」と論じ、将来の世界警察隊のあり方とそれにいたるプロセスをえがいたもので、そのユニークな論旨と明快な論理が高く評価された。まず、「朝日ジャーナル」はその全文を掲載した。またNHKはラジオ
の「時の人」テレビの「スタジオ102」「午後のひととき」でそれぞれ紹介した。
WAWFはこれを英訳して各国に配布、オランダ、スペイン、イギリス等で出版されたほかエスペラント語にも翻訳された。サンフランシスコにおける彼女の演説は注目され、絶賛を博した。