• もっと見る
世界連邦主義者のひとりごと
« 江別市 第3回 世界連邦の集い  2009.05.05 | Main | 日本国憲法第9条への新見解2008.06.01 »
<< 2009年08月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
隆久 昌子
新手引き「緑健文明ものがたり」 (06/05)
日本国憲法第9条への新見解・全文(世界連邦運動協会) 2008.06.01[2009年08月10日(Mon)]
◆憲法平和条項への世界連邦運動協会の姿勢
      (平成20年4月16日の執行理事会による第8次案)
1 見解
 世界連邦運動協会は世界連邦という戦争不可能な世界法治共同体の建設を目指している。それは党派や宗派の違いを超えた願いである(平成17年8月2日の国会決議)。その願いを憲法の平和条項に分りやすく表現し、全国民的な外交姿勢で進むことを期待する。
 多くの困難を抱える世界の現実を世界連邦へ導くためには、日本が現にもっている軍事力を紛争の抑止や災害の防止・救済および世界連邦建設完成までの世界平和維持に活用することと、その軍事力を世界連邦による安全保障体制ができるにつれて縮小・撤廃して、文字通り軍をもたない世界と日本を実現することとはともに不可欠である。それは現実から理想に向い、各党派が歩み寄る道筋としなければならない。
 その道筋の具体案を以下に提示する。
< 協会姿勢例案 >
第九条 (戦争の放棄・軍備及び交戦権の否認)
@ 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求 し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇、又は武力の行使 は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
A 前項の目的を達成するために、陸海空軍その他の戦力は、こ れを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
B 前各項の実効を得るため、世界全土にわたり安全を保障しう る世界連邦機構をつくる。
2 資料 上記見解に至る考察
はじめに
 今や人類は月の地平に美しい天体としての地球を「かぐや」の目を通して目の当りにした。人類はその美しい星地球を共通の故郷、共通の家とし、同じいのちを頂き、運命をともにして生きている。人類がその営みの中で招いてしまった戦争の惨禍と地球温暖化の脅威をどう克服するか問われている。
 その戦争不要の世界システムのためには全世界各国の軍備の撤廃が不可欠である。それは日本国憲法第九条の世界化に他ならない。その世界化は世界連邦の建設による他はない。
 これに関わる本部の見解に対して、「本部の会報・ホームページといった公報に掲載する上で、世界連邦運動協会は護憲派だと決め付けられる事が無いように、取り上げ方に注意してください。(岡山県支部2007年8月22日理事会)」という意見が寄せられた。本部はこの意見に対する見解の検討を理論政策委員会に求めた。
 これに先立つ2001年(平成13年)5月22日の第56回総会において、会員から「現在の憲法論議の世情にあって、我が世界連邦連動協会が世論に訴えて多くの理解を得ていくためには、近づいた選挙にからんで、対立する党派の一方につき、他方を排するような印象を与えることは好ましくないのではないか。それで、この際その対立の憲法九条問題に我が世界連邦運動協会の公式見解が必要と思うがどうか」との発言があり、会長より「国が調査会を設け議論している現状と、憲法改正が近く実現する状況にないという現状にかんがみ、この会は、とりあえず戦争放棄を護りたいし、その精神の実現を全世界に訴えたいという見解に立つ」と述べ、拍手があった。この見解は、選挙にからんで改憲派護憲派の何れかにくみするような立場はとらないという、いわば消極的な面をもつと理解される。
 それは、当時のひとつの現実的な見識であった。その後も総会のたびに、どちらかにくみするものではないという立場からもう一歩現実に踏み込んで、どちらにも賛成してもらい九条を世界連邦建設につなぐ積極的な見解で運動を進めたい、という支部提案があったが、「世界連邦運動協会は九条を堅持する」という立場にとどめ今日に至った。その経過をふまえ、国民投票法が成立しいよいよ憲法改正が現実問題になりつつある国内情勢と、指導者交代などの流動的な世界情勢を考えつつ、九条の原点から考察を進め、積極的に世界連邦建設を訴える力を高めたい。
(1) 終始一貫、世界連邦を必要としてきた現憲法の平和主義
 現憲法の成立の事情には論議があるが、成立当時日本を占領統治していたマッカーサーの意向のかかわりを無視することはできない。彼は日本政府に指令して日本国憲法を成立させた事情を1946年4 月の対日理事会で次のように報告している。それは実に戦争不要世界の実現を前提とした考えであった。
「私が憲法九条を発議したのは、日本の戦力崩壊の論理的帰結であるが、国際的分野で戦争に訴える国家の主権を放棄しようということにある。アメリカも各州が戦争主権を放棄し、国家が各州の独立権を認め、その保護者となって出来たのである。
日本政府は戦争が失敗であったことを知った人民を支配しているが、九条はそれのみでなく、事実上、人類進化の一歩の前進、
すなわち世界中の戦争を防止できる法治社会に発達させねばならぬと認めたものである。文明の進歩・存続は、日本のような国が安心してその独立をまかしうるような世界秩序ができるか否かにかかっている。故に私は九条を世界全国民の考慮のために提供する。
戦争放棄は同時かつ普遍的でなければならない。それは実行によってのみ効果がある。科学の進歩故に次の戦争があれば人類は滅亡するであろう。この理事会の責任と仕事はそのようなより高い法則に歩み寄らせることである。」(マッカーサー演説要旨。時子山常三郎著『日本と世界連邦』p.340〜343より荻野が要約)   この考えは世界連邦実現の希望に他ならない。
 現憲法の前文を読んでみよう。そこには世界のあるべき崇高な理想が掲げられているが、そのような世界の実態は当時も現在もない。したがってこの前文は「崇高な理想と目的を達成できる仕組みを実現する」という日本国民の使命の宣誓と読むほかはない。
 この憲法の制定当時の憲法担当国務大臣であった法学博士金森徳次郎が、1949(昭和24)年10月の『世界国家』に「日本国憲法の前文で、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した、といっているけれども、その信頼する相手が混乱している。また同じ前文でいうところの圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会がまだ完成していない。われわれは勇敢に一大理想を実現せんとするに急であって、世界の行き方を無視し、自発的に独進を始めて、戦争放棄と戦力不保持を実現した。痛快は痛快であるが、前述のごとく、世界平和機構の裏づけのないことを考えると幻滅の感を受けざるを得ない」「われわれの行く道は、信頼しうる諸国民の公正と信義を確実につかむことと、有効に働くことのできる国際社会の実現を期するにあるのだ」と書いている。
 そのような国際社会とは世界連邦に他ならない。日本国憲法の平和主義は、成立から今まで、一貫してその世界連邦を必要としてきたのである。
 文字通りに九条を読んでみよう。
(2) 現九条の文字通りの姿
 第一項は一口で言えば「戦争はしない」、第二項は「軍はもたない」となる。軍をもたなければ戦争はしないわけであるから、九条の全体は「軍をもたない」の一語に尽きることになる。しかし、それだけで国土・国民の保全・安全に責任をもつ国の憲法と言えるのか。そんな無責任は許されまい。そう思ってよく読むと、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という前提が目に止まる。これこそ「軍を不要とする平和な世界の仕組みを求めることによって」という世界連邦に共通する理念にほかならない。この読み方は上記のマッカーサーや金森徳次郎によっても裏付けられる。
 それゆえに「九条」の文字どおりの読みは「軍はもたない。世界連邦建設によって平安を保つ」となる。それは決して独断でも我田引水でもないのである。
 ところが世界の現実がそれを許さず、60余年も待たされたばかりか、朝鮮戦争や東西冷戦のため、とりあえず事実上「軍をもつ」ことになった。具体的には、占領当局の勧めで1950年に警察予備隊を発足させ、戦後日本の独立(1951,昭和26年9月8日)の同日に日米安全保障条約を結び、日本に米軍がとどまることになった。ついで1954年に防衛庁と自衛隊が発足した。
     < 自衛軍がある限り戦争は無くならない >
これは日本のことではない。世界中のどこの国であろうとも、自衛のためといいながら武力を持つならば、それは他国には威嚇になり、結局、戦争を無くすことはできないのである。戦争を必要とする最後の とりでは自衛戦である。自衛戦が不要になった時に戦争が無くなるのである。
 その状態にする仕組みが世界連邦である。現下の世界や日本の情勢から、これに代わる説得力ある施策は浮かんでこない。戦争が要らなくなれば武器が要らなくなる。武器の生産と流通を非合法として取り締しまることができる。世界中の武器や爆発物の生産を厳密に管理し、警察力に必要な小火器以外は絶滅できる。それによって戦争ばかりか地域紛争の殺戮の悲惨も、警察力で取り締まれる程度になるのである。
 九条の本当の姿はそのような世界の状態にすることである。
究極の自衛への願いである。それを目指す誓いである。
その実現に具体的に取りかかるという宣言が2005年8月2日の日本衆議院の国会決議であった。
Posted by 世界連邦・北海道 at 16:54 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
この記事のURL
https://blog.canpan.info/wfmhokkaido/archive/30
トラックバック
※トラックバックの受付は終了しました
 
コメントする
コメント
プロフィール

世界連邦・北海道さんの画像
リンク集
https://blog.canpan.info/wfmhokkaido/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/wfmhokkaido/index2_0.xml