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お勉強 (05/11)
二次的な目的として販売するのは良い。 [2025年05月25日(Sun)]
(1467)
 私の考えに対して好意的な態度を取っているある批評家が、こんな質問をしました。
 「このようにして作られたカディーは、自給のためだけでなく商品として販売することもできるのですか?」
 はい。その販売が二次的なものであるならば問題ありません。しかし、その手工業は販売するという目的のためだけであってはいけません。それだけでないとしても、販売することが第一の目的であってはいけません。
 ・・・

 

 政府と村の関係について書かれたガンディーの論説を補足する文章の続きです。
 「国民みんながカディーを自らの手で作るべきだ。ただし、それは各自の自発的な意志に基づくものでなければならない」と彼は言っています。(1466)
 この意見に対して基本的に賛同の立場を示すある批評家から、こんな質問をされたようです。つまり、「自らが使う布を自らの手で作れ」というガンディーの主張に従うならば、「それはあくまでも自給生活のための生産活動であるから、商品として売ってはいけないということなのか?」という趣旨の質問と言えるでしょう。
 しかし、ガンディーはそこまで堅苦しいことは言わないのです。ただし、自分で使うために作った布の余剰分を売るのは良いが、商品として販売するのが第一の目的であってはいけないとは言っています。
 販売することが目的になってしまうと、「貨幣経済に巻き込まれる」「大資本との競争にさらされる」「利潤拡大の誘惑に駆られる危険がある」「事業に失敗して経済的に転落する恐れがある」「お金に依存した生活になり、主体的に生きられなくなる」というようなことなのではないかと思います。
 そして・・・
隷属の象徴から、自由の象徴へ。 [2025年05月24日(Sat)]
(1466)
 しかし、私の意見はそれとは反対です。
 強制されたカディーは隷属の象徴にほかなりませんが、まずは自分自身が着るという目的で知的かつ自発的な意志によって作られたカディーであれば、それは我々の自由の象徴になりうるのです。
 それが生活全般の自助に根差したものでない限り、自由といってもまったく無意味です。もしも自由な人間にとっての義務であると同時に特権でもあると言えるものでなければ、そんなカディーは私にとって何の価値もありません。
 ・・・
 

 
 政府と村の関係について書かれたガンディーの論説を補足する文章の続きです。
 「カディーが意味するのは暗黒と隷属の中世への逆戻りだ」という意見(1465)に対して、「自分の考えはそれとは正反対だ」とガンディーは述べています。
 ただし、それが強制的にやらされるものであるならば、「カディーは隷属の象徴である」というのは確かに真実だと彼も認めています。彼が言っているのは、あくまでも「自発的な意志によって行われるスワデシの実践としての」カディー作りなのです。
 カディーを作るということは、自分自身が身に着ける衣類を自らの手で生み出すということです。つまり、自らの生活を豊かにするための生産的な労働を行うということであって、決して誰かの利益のために使役され搾取されるわけではありません。自分の生活に必要なものを自分自身の手で生み出すことができるということは、何者にも依存しないで生きていけるということです。依存しないということは、隷属もしなくて良いのです。だから、それは自由につながるのです。
 そして・・・
暗黒と隷属の中世への逆戻り。 [2025年05月23日(Fri)]
(1465)
 村人たちが自らの手で作ったカディーを着ることができるように、政府は村人に「ある特定の期日を過ぎたら工場製の布はあなたがたに供給されません」と伝えるべきだと私が書いた背景には、そのような前提があったのです。
 さて、4月28日の私の記事がどんな意味であるにせよ、私が言いたいのは次のことです。
 関係者が自発的に協力するのでなければ、カディーに関してなされるどんな取り組みもスワラージを獲得する手段としてのカディーの死を意味するものでしかないでしょう。そうなれば、「カディーが意味するのは暗黒と隷属の中世への逆戻りだ」という皮肉な意見がまさに本当のことになってしまいます。
 ・・・



 政府と村の関係について書かれたガンディーの論説を補足する文章の続きです。
 4月28日の記事というのは、(1457)で紹介した文章のことです。
 これに対して、「それは国民生活に対する政府の不当な干渉であり、介入であり、労働の強制であり、自由の侵害なのではないか」という批判が寄せられていたようです。しかしガンディーは、「議会制民主主義の政府には国民の同意を得られないような法令を押し付ける力は与えられない」という見解をしめしています。「そのような前提」とは、このことです。(1464)
 いずれにしても、カディーの重要性や村における自給的な手工業の復興を熱心に主張するガンディーですが、それはあくまでも説得によって行われるものであり、決して強制的なものであってはならないのです。
 また、カディーの意味するものが「暗黒と隷属の中世への逆戻り」であってはならないと言っていることから、彼が単純に過去を美化し理想視する復古主義者ではないことが分かりますね。
 そして・・・
国民の同意がなければ、政府が制定する法律に正当性はない。 [2025年05月22日(Thu)]
(1464)
 その中で、「議会制民主主義における政府が、しようと思えばできることは果たして何か」という質問に私はこう答えました。
 申し訳ありませんが、このような政府による通知は決して人民に対する強制と解釈されてはならないと私は思います。
 議会制民主主義国の政府が制定する法律が正当なものであるためには、彼らを代表として選んだ有権者の同意があるということが前提になります。この場合、有権者というのは選挙人名簿に登録されているかどうかに関わらず、全国民を意味します。
 ・・・

               

 政府と村の関係について書かれたガンディーの論説を補足する文章です。
 「『ある期日をもって、村に対する布の供給は停止されます。ですからその時までに、村で必要なカッダルは皆さんが自らの手で作るようにしてください』と政府が村人に伝えるべきだ」という彼の主張に対して、「それは政府による強制という意味なのではないか」という疑問や反論が寄せられたようです。(1463)
 さて、この文章が書かれたのは1946年です。インドがイギリスからの独立を果たしたのは翌年の1947年ですが、第2次世界大戦は前年に終わっていますので、事実上、インドが議会制民主主義国家として独立する見通しになっていたのだと思われます。
 だから、ガンディーが言っている政府というのは決して強権的な専制国家ではなく、あくまでも議会制民主主義における政府というのが前提になっているのです。
 議会制民主主義に関してもいろいろな解釈があるでしょうが、「直接あるいは間接の選挙で一旦選ばれてしまえば、その政府が発した法令には無条件で従わなければならない」のではなく、「有権者が同意しない法令は正当性を持たないので、たとえ選挙で選ばれた政権から発せられたものでも強制力はない」とガンディーは言うのです。法に対するこのような考えは、「ヒンド=スワラージ」の中でも示されていましたね。
 そして・・・
 
政府による強制ということではない。 [2025年05月21日(Wed)]
もしも私が政府の閣僚だったら

(1463)
 先に述べた私の意見は今も変わっていません。それに関して一つの誤解が生じているようです。
 私が書いた文章を読んだ友人の中には、それを政府による強制と受け取った人もいたのです。
 私は自分の考えを明確に伝えられなかったことを遺憾に思います。
 ・・・

 

 政府と村の関係について書かれたガンディーの論説を補足する文章です。
 「それは政府による強制という意味なのではないか」という誤解を招いたのは、恐らく、「『ある期日をもって、村に対する布の供給は停止されます。ですからその時までに、村で必要なカッダルは皆さんが自らの手で作るようにしてください』と政府が村人に伝えるべきだ」と言っていた部分(1457)だと思われます。
 確かに、「政府が強権によってカッダル(布)の生産を村人たちに強制している」と解釈することもできますね。これに対して、「誤解を招いてしまったことは遺憾である」とガンディーはまるで政治家のような釈明をしています。
 さらに、続けて彼は・・・
家畜奉仕団。 [2025年05月20日(Tue)]
(1462)
 さらに、インドには家畜という無限の富があります。ただし、その家畜たちはまさに犯罪的とも言えるほどのひどい扱いに苦しめられています。
 家畜奉仕団の活動はまだ本来の形で実施されているとは言えませんが、それでも価値ある援助を提供することができています。
 また、基礎的な教育訓練を受ける機会を持てないので村人たちは教育に飢えています。インド教育会は、この渇望感を癒してくれるでしょう。

              (「ハリジャン」1946年4月28日)  
    


 政府と村の関係についてのガンディーの話の続きです。
 「村における手工業の復活」(1461)の後は、インドの家畜についても言及されます。
 家畜の問題に関しては、第16章で詳しく述べられていました。
 次に、村人たちに必要な教育の機会が与えられていないことを彼は問題にしています。ただし、近代的な学校制度には否定的な見解を彼は示しています。そして、「ナイ・タリム(新しい教育)」というものを提唱しているのです。
 「ナイ・タリム」については、第13章を参照してください。
 
瀕死の状態に陥っている地域の再生は可能である。 [2025年05月19日(Mon)]
(1461)
 今、インドの村は瀕死の状態にあります。あるいは、既に死んだも同然とさえ言えるかもしれません。
 しかし、もしも十分な配慮と手助けがなされたなら、村人たちの生活はきっと改善されるでしょう。そして彼らの持っている無限の可能性を広げていくことができるでしょう。すなわち、彼らの生活必需品のほとんどを自分たち自身の手で供給し、さらにインドの市や町の人々にも供給していけるようになるでしょう。
 ・・・
 
         

 政府と村の関係についてのガンディーの話の続きです。
 「インドの村は瀕死の状態にある。または、既に死んだも同然だ」と彼は言っています。つまり、村の疲弊や衰退は相当危機的な状態にまで進んでいるという認識を彼は持っていたのです。
 この時代、伝統的なインドの村の自給経済は既に破壊されてしまっていました。(991)
 ですから、「村の手仕事によって自分たちの生活必需品を生産せよ」というガンディーの主張は、決して「進歩を求めずに現状維持に甘んじよ」ということではなく、厳しい現状を乗り越えていくための新しい生活ビジョンを示しているのです。伝統的な村の社会のあり方は、新しいビジョンにとって一つのモデルではありますが、「古い時代にそのまま逆戻りせよ」という単純素朴な復古主義を唱えているわけではないのです。
 それから・・・
村内の手工業によって生産できる品物のリスト。 [2025年05月18日(Sun)]
(1460)
 それぞれの村で、その村で使うために必要とされている、または村外に売るための品物のうち、ほとんどあるいは完全に自力で地域内の手仕事によって生産しうるものは何でしょうか? 調査によって、それに該当する品物のリストが準備されるべきです。例えば、カラシ菜の種を搾って採った油、油かす、カラシ菜を原料とした燃料油、手作業で精米した米、糖蜜、はちみつ、玩具、敷物、手すき紙、村の石けん、その他です。
 ・・・
  

 
 政府と村の関係についてのガンディーの話の続きです。
 衣服の材料となる布の自給を促すための政府の役割について彼は力説していましたが(1456)、布のほかにも村の手工業によって生産される品物はたくさんあるのです。
 油を採るためのカラシ菜については、(1449)でも出て来ました。手仕事で精米した米については、(1276)などで言及されていました。また、糖蜜(グド)は(1051)、ハチミツは(1118)、手すき紙は(1133)、村の石けんは(1131)を参照してください。
 それから・・・
           
5月定例学問会の報告(1)チューリップ。 [2025年05月18日(Sun)]
 今日は、モレーナで5月定例学問会を開催しました。
 参加者は3人でした。
 
●チューリップは、球根以外でも増えるのかな?
●チューリップは、種からも増える。
●花の中にはおしべもめしべもある。
●チューリップの花は咲き終わったらボトリと落ちるけど・・・。
●その時に、種もばら撒かれるんでしょうね。
●だから、知らないうちにいろんな場所でチューリップが増えていくのかな?

 そして・・・

                     (つづく)
技術指導と在庫品の買い取り。 [2025年05月17日(Sat)]
(1459)
 政府は、必要としている村があればどこにでも技術指導者を派遣します。また、もしもある村がその需要を村人たちの手仕事によってすべて賄うことができたならば、余剰となった在庫のカッダルは政府が買い取ります。
 こうすれば、別に大騒ぎなどしなくても国の布不足は解消されます。しかも、経費もほとんど掛かりません。
 ・・・



 衣服の材料となる布の自給を促す政府の役割についてのガンディーの話の続きです。
 「ある期日をもって村に対する布の供給は停止されるので、その時までに村で必要なカッダルは皆さんが自らの手で作るようにしてください」と政府は村人たちに伝えるそうですが、「政府は何もしないので、自助努力だけで何とかしなさい」と突き放すわけではありません。政府は、村人たちが自らの手でカッダルを作ることができるように必要な支援を行うのです。
 まず、材料となる綿花を供給したり、あるいは綿花を栽培できるように綿花の種を供給したり、布づくりに必要な道具を供給したりするという役割が(1458)では示されいました。
 それに続いて、ここでは「技術指導者の派遣」と「余剰となった在庫品の買い取り」も政府の役割とされています。恐らく、買い取ったカッダルは不足している地域に供給されるのでしょうね。
 それから・・・