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たとえ、人々が耳を傾けてくれなくても・・・。 [2025年01月31日(Fri)]
(1352)
 村の活動者は、自分がどこでどのように日々の職務を果たすべきなのかを村人たちに語るでしょう。そして、清潔がいかに大切か、それがないがしろにされればどれだけ大きな害を引き起こすことになるかを彼らに話すでしょう。
 村人たちが彼の言うことに耳を傾けるかどうかは分かりません。しかし、いずれにしても活動者はその仕事を続けるでしょう。
 
 
   
 村の清潔についてのガンディーの話の続きです。
 「村の活動者は、清潔の大切さを村人たちに説き、さらに自ら率先して村の清掃活動に取り組みなさい」と彼は言っていました。(1351)
 しかし、彼は村人たちに命令すべき立場ではありません。権威ある者として村人たちに対する存在でもありません。あくまでも、彼は村人たちに訴え、自らの行動によって模範を示しながら彼らにも同じような行動をするように勧誘あるいは懇願することしかできません。
 だから、村人たちが彼の言葉に少しも耳を傾けてくれないということも十分に考えられるのです。
 しかし、そういう場合でも、村の活動者は少しも挫けず、嘆かず、恨まず、諦めず、清掃の仕事を続けなさいとガンディーは言います。そうしているうちに、分かってくれる人が現れ、少しずつでも増えてくるかもしれないからです。
  
第250回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(5)持明院統と大覚寺統。 [2025年01月31日(Fri)]
 1月22日の楽しく学ぶ歴史ゼミの報告の続きです。

●後嵯峨天皇の後は、子どもの後深草天皇が皇位に就いた。
●その後は、弟の亀山天皇。
●兄も、弟も、自分の子どもを天皇にしたかった。
●後深草天皇の子孫が持明院統。
●亀山天皇の子孫が大覚寺統。
●この2つが、天皇の位を巡って激しく争った。

 それから ・・・

                       (つづく)

最も顧みられずに放置されている問題。 [2025年01月30日(Thu)]
村の活動の具体的な項目

(1351)
 村の活動者が最初に解決すべきことは、清潔の問題です。
 不潔な環境は身体的な健康を損ない、病気を引き起こします。それは、活動者を悩ませるすべての問題の中で最も顧みられずに放置されていることです。
 もしも活動者が自発的なバンギーになるなら、彼はまず糞尿を集めてそれを堆肥にすることから始めるでしょう。そして、村の通りの掃き掃除をするでしょう。
 ・・・
 
          

 ここから新しい文章に入りますが、これも村の活動についてガンディーが書いたものです。
 清潔の問題に関しては、これまでにも繰り返し強調されていました。(1339)
 バンギーというのは、インドでは差別の対象とされてきた汚物清掃人のことです。(1177)
 また、ガンディーは人間や家畜の糞尿を感染症を引き起こす原因として問題視する一方で、それらを堆肥化して有機農業に活用することも提唱しています。第17章(農業と家畜の福祉(4)肥料)
 そして・・・
ためらわずに、挑戦せよ。 [2025年01月29日(Wed)]
(1350)
 「これは到底実行不可能な計画です。これを実行する力は我々にはありません」
 決してあなたがたはそのようには言わないでしょう。現在の所あなたがたにその資質が備わっていないとしても、それはあなたがたが目標に向かって進んで行くことの妨げにはなりません。
 もしもそれがあなたがたの理性と心に訴えるならば、躊躇してはなりません。あなたがたは挑戦すべきなのです。
 一旦挑戦を始めてみれば、さらなる努力をしようとする気持ちはきっと自然に湧き起こってくるでしょう。

             (「ハリジャン」1934年8月31日)
 


 村の活動に関する文章を、ガンディーはこのように締め括ります。
 村の活動者に対しては今まで相当に厳しい要求が示されてきましたが、「無理だ。そんな仕事は到底自分には務まらない」と思われてしまっては困るのです。
 インドには多くの村があるので、(ガンディーによれば、当時700万の村があったそうです。(1325))だから、村の活動者もたくさん必要になるのです。
 そういうわけで、彼は村の活動者の志願者たちに対して上のように熱く語り掛け、彼らを激励するのです。
1月定例学問会の報告(5)倒幕運動にビジョンはあったか? [2025年01月29日(Wed)]
 1月定例学問会の報告の続きです。

●テレビドラマなどでは、「新しい日本をつくるために!」なんてセリフがよく出て来るけど。
●討幕運動に、果たして明確な国家ビジョンはあったのか?
●薩摩藩や長州藩の考えも、全然まとまってはいなかった。
●殿様や家老は、幕府を倒そうとは思っていなかった。
●下級武士たちが、世の中の状況を利用して権力奪取をしたのが実態と思われる。
●尊王攘夷でも、外国からの援助でも、天皇でも、利用できるものは何でも利用した。
●五か条のご誓文は、単なるスローガン。
●新政府ができてから、欧米に視察に出かけて行った。

 それから・・・

                (つづく)
我々の武器は・・・。 [2025年01月28日(Tue)]
(1349)
 精神性こそが我々の武器であるということを忘れないようにしてください。それは目には見えないものですが、誰にも逆らうことのできない無敵の力です。
 その前進の仕方は算術級数的というよりもむしろ幾何級数的です。その背後に推進力がある限り、それは決して止まることなく進み続けるでしょう。
 ですから、あなたがたのすべての活動は精神的なものを背景にしていなければなりません。すなわち、あなたがたの行動と人格には最も厳格な純粋さが要求されるのです。
 ・・・



 村の活動についてのガンディーの文章の最後は、非暴力についてです。
 非暴力とは、決して闘わないということではありません。それどころか、闘うべき場面では決死の覚悟で闘うのです。ただし、通常考えられるような武器を使って闘うのではありません。自らの肉体を武器にして闘うのでもありません。そうではなくて、精神性を武器として闘うのです。このことは、「ヒンド₌スワラージ」などでも語られていましたね。
 なお、算術級数とは等差級数(同じ数を加えていく等差数列の和)のことであり、幾何級数とは等比級数(同じ数を掛けていく等比数列の和)のことです。恐らく、時間の経過と共にその影響力が急激に増大していくことを表現しているのではないかと思います。
 それから・・・
第250回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(4)永仁の徳政令 [2025年01月28日(Tue)]
 1月22日の楽しく学ぶ歴史ゼミの報告の続きです。

●鎌倉時代の後期、生活に困窮した武士たちの中には・・・。
●多額の借金を背負ったり、土地を失ったりする者も出て来た。
●そこで幕府はどうしたかと言うと・・・。
●なんと、御家人たちの借金を帳消しにした。(永仁の徳政令)
●また、御家人が売り渡した土地を強制的に返還させたりした。
●しかし、その後は金融業者が武士にお金を貸さなくなってしまったので・・・。
●御家人の困窮は余計にひどくなった。

 それから・・・

                 (つづく)
差別される者のために尽くしなさい。 [2025年01月27日(Mon)]
(1348)
 いくつかの村では、ハリジャンに対する好意的な言動のために彼は村人たちから排斥されるかもしれません。そのような場合、彼はハリジャンたちの方へ行き、彼らに頼んで食べ物を与えてもらうようにすべきです。
 実直に働いてくれる労働者は、雇い主にとって常に価値ある存在です。だから、もしも彼がいつも与えられる以上の働きをしているならば、ハリジャンから食べ物を受け取ることをためらわなくても良いのです。
 もちろん、ごく初期の段階では、可能であれば中央の基金から村の活動者にわずかな手当てが支給されることになるでしょう。
 ・・・
1月定例学問会の報告(4)鎌倉幕府と世襲制。 [2025年01月27日(Mon)]
 1月定例学問会の報告の続きです。
 
●1192と1185。
●歴史学も、研究が進むにつれて書き換えられている。
●鎌倉時代の御家人たちは、頼朝個人と主従関係を結んだ。
●「鎌倉幕府」に従属しているという意識はあまりなかったかも。
●頼朝の子、頼家には従わなかった。
●現代でも世襲政治家は多いが・・・。
●鎌倉時代の武士たちの方が、リーダーの個人の力量を重視していたのかも。
●間違ったリーダーに従えば、恐ろしいことになる。

 そして・・・

                (つづく)
自分の生活に必要なものは、自らの労働によって得よ。 [2025年01月26日(Sun)]
(1347)
 彼はいつでも自分のパンのための労働は自らなすべきだという信念を表明するでしょう。
 神は、すべての人に、その人が日々必要とする以上のものを生産する能力を与えています。だから、自分に与えられた資質や才能を活用しようとしさえすれば、その人の能力にふさわしい仕事が得られないということはないはずです。たとえ裕福にはなれなくても、暮らしていくことはできるでしょう。
 村の人々が喜んで彼を養ってくれるということも、大いにあり得るでしょう。しかし、彼のことを冷たくあしらう村も中にはないこともないでしょう。そういう場合も、彼はとぼとぼと歩みを続けていかなければなりません。
 ・・・



 村の活動についてのガンディーの話の続きです。
 村の活動者は、糸車や手織り機や手斧などの道具を持って働けと彼は言っていました。(1346)つまり、村人たちと同じような肉体労働によって自給自足的な暮らしをせよということだと思います。
 この理念は、第7章(パンを得るための労働)で詳しく説明されていましたね。
 それでも、自らの労働によって生活を成り立たせていくことが難しい場合、村人たちからの施しによって暮らすということもガンディーは考えていたようです。これは恐らく、村の活動者を現代で言えば公務員のような存在と見なしていたのではないかと思います。ただし、それはあくまでも村人たちが自発的に彼を養おうとした場合に限られるのです。
 それから・・・
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