• もっと見る
« 2024年03月 | Main | 2024年05月»
村の産業を成り立たせるためには・・・。 [2024年04月30日(Tue)]
(1074)
 村で行われる他の産業は、カディに仕える小間使いです。それらはカディなしでは存在することができません。
 そして、カディも、それらの産業がなければ威厳ある存在ではあり続けられないでしょう。
 村人たちの手によって作られる小麦粉、玄米、石けん、マッチ、皮革製品、油・・・これらの生活必需品を生み出す産業がなければ、村の経済は決して成り立たないのです。
 ・・・
 
             (「ハリジャン」1936年5月16日)



 これも、村の産業についてのガンディーの論説です。
 「カディの小間使い」というのは、もちろん比喩です。「村を太陽系だとすれば、カディは太陽であり、ほかの産業は惑星である(1068)」と言っていたのと同じ趣旨でしょう。それだけ、彼はカディ(手紡ぎ・手織りの布)を重視していたのです。
 しかし、カディ以外の村の産業を守る必要性についても彼はこのように強く訴えています。要するに、村単位での自給的な経済が村の自治のために欠かせない条件であるということだと思います。
 そして・・・
 
来週の予定 [2024年04月30日(Tue)]
 来週の予定です。
 

【しもかわ読書会】
 しもかわ読書会5月定例会
 日時 5月6日(日)
    13時〜14時半
 場所 下川町公民館2階会議室
 内容 未定(「何かやりたい」という人がいたら、学長までお知らせください)


 誰でも参加できます。どうぞよろしくお願いします。
しもかわ読書会4月例会の報告(2)複合危機の時代、だからこそ・・・。 [2024年04月30日(Tue)]
 「しもかわ読書会」4月例会の報告の続きです。
 
●戦争、インフレ、気候危機ばど、さまざまな困難が折り重なって、一筋縄では何も解決しない危機の時代に突入している。
●その事実には、誰もが気付いているはずだ。(はい、気付いています)
●多くの要因が絡み合ったこの複雑な危機を、魔法のように一気に解決することはできない。(そうですね)
●それでも、いや、だからこそ・・・
●<コモン>の再生とその共同管理を通して「自治」の力を育てていかねばならない。
●うんうん。分かります。

 そして・・・

                     (つづく)
まずは、自分たちの生活に必要なものを・・・。 [2024年04月29日(Mon)]
(1073)
 私たちは、次のことを理解する必要があります。
 村人は、まず自分たちの必要を満たすようになります。それからさらに余裕があれば、都市住民の生活に必要な物資を供給するのです。
  
            (「ハリジャン」1934年12月7日)

 

 これも、村の産業についてのガンディーの論説です。
 つまり、村の経済は基本的に自給自足(スワデシ)であるべきだということです。それは、彼が繰り返し述べてきた持論です。(485)
 村は、市場に売るための商品ではなく、基本的には村に必要な物資を生産します。そして、もし余剰があれば、都市に対して村の産物を供給しても良いと言うのです。
 確かに、そうすれば村が都市に依存することもなく、搾取されることもないですね。(1070)

 
しもかわ読書会4月例会の報告(1)コモンの「自治」論。 [2024年04月29日(Mon)]
 昨日は、下川町公民館で「しもかわ読書会」4月例会を行いました。
 今回は、パンケヌカナン村の目指す「自治」について考える本をみんなで読みました。
 「コモンの『自治』論」(斎藤幸平+松本卓也=編、集英社)です。下川町町民会館図書室にあります。
 コモンというのは、誰かが独占的に私有するのではない、共有物という意味です。
 ・・・

                             (つづく)
「村に住みなさい」とは言わないが・・・。 [2024年04月28日(Sun)]
(1072)
 都市に住んでいる人たちに対して、私は「村へ行ってください」とも「村に住んでください」とも言うつもりはありません。彼らに求めるのは、「村人たちに返すべきものを返すようにしてください」ということだけです。
 都市に住む人々が得ている様々な物のうち、その素材や原料が農村に由来していないものが一つでもあるでしょうか?
 もしも諸般の事情でそれができないのであれば、村人にこう教えるようにしてください。「村でできることをしてください。かつてはあなたもそうしていたはずです。そして、もしも搾取的な都市の経済が村に侵入して来なければきっと今も変わらずそうしていたはずです」。
  
             (「ハリジャン」1934年12月7日)


 
 これも、村の産業についてのガンディーの論説です。
 彼自身は、「都市で働いてはいけない。村に住み、村で働くべきだ」という信念を持っていました(134)。しかし、決してほかの人にもその考えを強要しようとはしていませんでした。
 ただ、都市に住む人に対しては、「村から搾取するのをやめよ」と言っています。彼らは決して搾取しているつもりはないでしょうが、「都市の繁栄は、村から吸い取った血によって可能になっている」と彼は非常に厳しく糾弾するのです。(150)
 だから、都市に住む人には「村から搾取するのをやめなさい」と説き、村に住む人には「都市からの搾取を受けないよう、村の中で自給的な産業に携わりなさい」と呼び掛けるのです。
 
村と町の間の絆を回復するために。 [2024年04月27日(Sat)]
(1071)
 かつて、それも決して大昔ではない時代、彼らは多くの日用品を自分自身の手で作っていました。けれども、今では村の外の世界に依存して暮らしています。
 町の住人にとっても、多くの日用品が村から供給されています。しかし、最近はそれらを都市から買うようになっています。
 もしも、村人たちが「自分の余暇時間のすべてを有益な仕事のために捧げよう」と決意するならば、そして町の住人が村で作られた品物を使おうという意志を持つならば、村の人々と町の人々との間で失われている絆は直ちに回復されるでしょう。
 
            (「ハリジャン」1934年12月7日)
 


 「村人たちには、昔から村で行われていたような手工業の仕事をしてもらおう」というガンディーの話(1070)の続きです。
 かつて、村の人たちは自分たちの使う生活必需品を自分たちの手で作っていました。だから、生活するのにそれほどのお金はかからなかったのです。
 しかし、貨幣経済がまったくなかったわけではありません。彼らは、自分たちの作った手工芸品や食料品を町の人たちに売っていたのです。
 ところが、町の住人たちは都市で作られた工業製品を買うようになってしまいました。それで、村の人々は現金収入を得ることができなくなってしまったのです。
 このように、村と町の経済的結び付きが失われていくのは国全体にとって憂慮すべき問題だとガンディーは考えています。それで、「村の人たちと町の人たちとの間の絆を回復させよう」と強く訴えているのです。
しもかわ読書会3月例会の報告(13)奇跡は起こる。 [2024年04月27日(Sat)]
 「しもかわ読書会」3月例会の報告の最終回です。
 
 ●誰も真似できないような偉業を成し遂げた中村哲さん。
 ●1919年12月、彼は殺されてしまった。
 ●彼がいなければ、アフガニスタンの事業は途絶えてしまうだろうと思われたが・・・。
 ●現在も、ペシャワール会の活動は続いている。
 ●アフガニスタンの人々も、主体的に活動を継続している。
 ●医療も、治水・農業も・・・。
 ●そして、新たな用水路の建設も進められている。


 
 「しもかわ読書会」4月例会は、明日、28日です。
働かなければ、搾取される。 [2024年04月26日(Fri)]
(1070)
 働きたいと思っているのに働けない場合でも、働きたくないから働かない場合でも、いずれにしても村人たちが働かないということの結果は彼らに不幸をもたらします。このままでは、彼らは永遠に搾取者たちの餌食にされてしまうでしょう。
 それが外国から来た搾取者であろうが、国内の都市から来た搾取者であろうが、本質的な違いはありません。彼らは自治に反するのです。
 だから、私はこう考えました。
 「もしも、彼らがカディに興味を持てないのであれば、何かほかの仕事をしてもらうようにしよう。今は廃れてしまっているが、彼らの先祖がかつては営んでいたような仕事がたくさんある。そのような村の産業を彼らに始めてもらうようにしよう」。
 ・・・
 


 これも、村の産業についてのガンディーの論説です。
 「怠惰こそが、すべての悪の大いなる原因、すなわち悪の根源である」と彼は言っていましたが(979)、それは決して「働いていないこと」を道徳的に非難しているのではなく、「働いていない理由がどうであれ、働いていないという状態が本人にとって好ましくないのだ」ということなのです。
 その理由として、「働いていない人たちは、搾取されることになり、その搾取から逃れることができなくなる」と彼は述べています。これは、奇妙に聞こえるかもしれません。普通、搾取というのは働いている労働者が資本家からされるものだと考えられるからです。
 しかし、「働いていない者は搾取される」とガンディーは言っています。これは、資本家から搾取を受けるような労働者と比べてではなく、自らの労働によって自給自足の生活をしている人と比べての話です。
 自給自足の暮らしをしているのであれば、消費のためにお金を使う必要はありません。だから、「強いられた消費」によってお金を払わなければならない境遇に陥ることもないのです。つまり、「お金がないと生活できない」状態は、否応なく市場から商品を買わざるを得ない立場に立たされることになり、その結果、自律的でないお金の支出を強いられるのです。そして、そのお金は資本家の元に集められるわけですから、搾取されているのと同じことになるのです。
 そして・・・
4月定例学問会の報告(3)条例はゴールではない [2024年04月26日(Fri)]
 4月定例学問会の報告の続きです。
 
●もちろん、条例ができれば町民参加が実現するわけではない。
●条例に基づいて、行政と議会がその責務を果たしていけるように。
●町民として、何ができるか?
●無関心のままでは、決して良くはならない。
●その前にまず、その内容と意義を知らなくては。
●「自治」ということの意味。

 そして・・・

                (つづく)
| 次へ