肉体労働以外は一切認めない、というわけではない。 [2022年01月31日(Mon)]
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人間が自らを犠牲にして神に捧げるべきものとしては、このような労働が最高の形態となります。 もちろん、言うまでもないことですが、ほかの仕事をする人もいるでしょう。身体を使ってする仕事のほか、知的な働きによって行われる仕事もあるでしょう。 しかし、すべての仕事は公共の善を求めるための愛の働きでなければなりません。 それが実現した暁には、金持ちと貧乏人の区別はもう世の中には存在しなくなるでしょう。身分が高いとか低いとかの違いもなるでしょう。特定の人々が不可触民として差別されることもありえなくなるでしょう。 (「ハリジャン」1929年6月29日) ガンディーは、労働を「神に対する捧げ物(sacrifice)」と解釈しています。そして、その中で最高の形態となるのは「日々のパンを得るための労働」だと言うのです。(263) しかし、食べる物や着る物などの生活必需品を直接的に生産する仕事以外は一切認めないというわけではありません。知的労働も、上で述べられているように決して否定されているわけではないのです。 しかし、どんな仕事も愛によってなされる仕事でなければならないと彼は力説します。 (129)では、「強欲を、すべて愛に代えなさい」と語っていましたね。 |