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肉体労働以外は一切認めない、というわけではない。 [2022年01月31日(Mon)]
(266)
 人間が自らを犠牲にして神に捧げるべきものとしては、このような労働が最高の形態となります。
 もちろん、言うまでもないことですが、ほかの仕事をする人もいるでしょう。身体を使ってする仕事のほか、知的な働きによって行われる仕事もあるでしょう。
 しかし、すべての仕事は公共の善を求めるための愛の働きでなければなりません。
 それが実現した暁には、金持ちと貧乏人の区別はもう世の中には存在しなくなるでしょう。身分が高いとか低いとかの違いもなるでしょう。特定の人々が不可触民として差別されることもありえなくなるでしょう。

             (「ハリジャン」1929年6月29日) 

         

 ガンディーは、労働を「神に対する捧げ物(sacrifice)」と解釈しています。そして、その中で最高の形態となるのは「日々のパンを得るための労働」だと言うのです。(263)
 しかし、食べる物や着る物などの生活必需品を直接的に生産する仕事以外は一切認めないというわけではありません。知的労働も、上で述べられているように決して否定されているわけではないのです。
 しかし、どんな仕事も愛によってなされる仕事でなければならないと彼は力説します。
 (129)では、「強欲を、すべて愛に代えなさい」と語っていましたね。
 

今週の予定 [2022年01月31日(Mon)]
 「下川わわわ大学」の今週の予定は、今のところ何もありません。
 第211回楽しく学ぶ歴史ゼミは9日、定例学問会は20日の予定です。
 何かリクエストがある方は、学長までお知らせください。
人口爆発の問題も、病気の苦しみも、貧困もなくなる。 [2022年01月30日(Sun)]
(265)
 人口が増え過ぎて悲鳴を上げるようなこともなくなるでしょう。病気もなくなるでしょう。現在私たちの周囲に溢れているような貧困状態も見られなくなるでしょう。
 ・・・


 
 「もしも、すべての人が自らのパンを得るための労働をすれば、それ以上に働く必要はもうなくなるだろう」という話の続きです。
 「そうなれば、すべての人が十分な食べ物を得、しかも十分な余暇を持つことが可能になる(264)」という予測を示した後、ガンディーはさらに上のような展望を語るのです。
 まず、人口爆発についてですが、発展途上国で子どもが多いのは労働力が必要なためだと言われています。実際、経済的に豊かになった国ではほとんど例外なく少子化現象が起こっているのではないでしょうか。だから、都会で贅沢な暮らしを享受する人たちの分まで生産活動に携わらなくてもよくなれば、農村の人たちは適正な人口を保ちながら自給的な暮らしを続けていけるのかもしれません。
 それから、病気については、「医者の力で人間が健康になれるのではない」というのがガンディーの基本的な考えです。(「ヒンド=スワラージ」の(534)などを参照してください)
 そして、自給自足を基本とする社会になれば貧困をなくせるということは、(113)などで述べられていましたね。
 しかし・・・
第210回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(4)科学信仰。 [2022年01月30日(Sun)]
 19日の楽しく学ぶ歴史ゼミの報告の続きです。
 
●宗教の違いは、争いの原因になるのか?
●科学だって、対立や憎悪を生み出しているかもしれない。
●現代の論争は、互いに相手を「非科学的」「似非科学」と言って非難する。
●自分に都合のいい「科学」を正当化の根拠にして、それ以外の科学は否定する。
●本当の科学だったら、そうはならなうはずだけど・・・。
●宗教と科学は案外似ている。

 そして・・・

                 (つづく)
他人が食べるパンのためにまで働かなくてもよくなれば・・・。 [2022年01月29日(Sat)]
(264)
 もしも、すべての人が自らのパンを得るための労働をすれば、それ以上に働く必要はもうなくなるでしょう。そうなれば、すべての人が十分な食べ物を得、しかも十分な余暇を持つことが可能になるでしょう。
 ・・・
    


 「額に汗して、パンを得よ」という聖書の言葉を引用した(262)後、ガンディーはこのように話を展開しています。
 つまり、「勤勉に、そして従順に、働け」というような、多分に搾取する側の下心が疑われる「労働の勧め」ではなくて、まさにその反対に、「搾取をなくすための」労働の勧めなのです。
 それはどういうことかと言いますと、「すべての人が自分の生活に必要なものを生産するための労働に自ら従事すれば」、すなわち、「自らに必要なものをすべて自らの労働によって生産するようになれば」、もちろん、他人のために働く必要はありません。他人から搾取される恐れもありません。
 自分が働く以上のものを得たいと思うのは自らの幸いを願うからでしょうが、実際には反対の結果になってしまうことが多いのです。これについては、「森の生活」の第1章でソローが力説していましたね。
 もちろん、あらゆる分業を完全に否定するのは現実的でも合理的でもないでしょう。また、世の中には働きたくても働けない人もいます。教育を受けるべき期間など、労働を免除される必要のある場合もあります。そういう人たちの分の労働を社会の中で分担し合うのは当然のことでしょう。しかし、と言うか、なおさら、資本家や経営者、それに準じる人たちの分まで働かなくてもよい社会にすべきだということだと思います。
 そして・・・
しもかわ読書会1月例会の報告(1)「おいしいハンバーガーのこわい話」 [2022年01月29日(Sat)]
 昨日は、西町キャンパスで「しもかわ読書会」1月例会を行いました。
 今回取り上げた本は、「おいしいハンバーガーのこわい話」(エリック・シュローサー チャールズ・ウィルソン 宇丹貴代美(訳))でした。
 下川町町民会館図書室にあります。
 怖い話の前に、まずはハンバーガーの歴史から・・・

                             (つづく)
神に捧げる日々の労働。 [2022年01月28日(Fri)]
(263)
 あなたは神に対して何を捧げますか。いろいろな形の捧げ物があると思いますが、日々のパンを得るための労働というのもその1つになりうるでしょう。
 ・・・



 肉体労働についてのガンディーの見解の続きです。
 「額に汗して、パンを得よ」という聖書の言葉を引用した(262)後、と彼はこのように続けます。つまり、ガンディーの解釈では、労働というのは神から与えられた罰ではなくて、人間が神に差し出すべき捧げ物なのです。
 もちろん、すべての人が、例外なく、労働をもって神への捧げ物にしなければならないとは言っていません。しかし、労働とは神への感謝・神への賛美・神への愛を表すものなのです。
 さて、ここで彼は、「パンを得るための労働(原文では"Bread Labour"、ずばり、『パンの労働』です)」という言葉を使っています。「パン(生活に必要な様々な物を象徴的に表していると思われます)を得るために直接行われる労働」であって、決してそれらを買うお金を得るための労働ではないという点が重要だと思います。
 そして、彼は続けて・・・
1月定例学問会の報告(2)労働とは何か? [2022年01月28日(Fri)]
 1月22日の定例学問会の報告の続きです。
 
●労働とは、価値を生み出すこと。
●価格は本来は価値を反映したものであるが、実際は違うこともある。
●たくさん収入を得ていても、少ししか価値を生み出していないこともある。
●第1次及び第2次産業では、労働と生み出された価値の関係は分かりやすいが。
●労働の価値をお金で測ることは難しい。

 そして・・・
                (つづく)
額に汗して、パンを得よ。 [2022年01月27日(Thu)]
(262)
 「パンを得るために働け。自らの額に汗して」。
 このように聖書には書いてあります。
 ・・・


 
 これも、肉体労働をすべての人間の務めと考えるガンディーの意見です。
 聖書というのは、ユダヤ教の聖書、キリスト教では旧約聖書と呼ばれる聖典のことです。その冒頭にある「創世記」の第3章に、「あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る」と書いてあります。これは、アダムとイブがエデンの園から追放される時に神がアダムに対して宣告した言葉ということになっています。
 この創世記では、労働の義務が神の命令に従わなかった罰として人間に与えられたものと解釈されているように思われます。しかし、ガンディーにとってはそうではありません。働くということは、決して刑罰でも苦役でもなく、生活するための単なる手段でもなく、人間が人間としての幸福を実現するために不可欠のものなのです。(109)
 そして、ガンディーはさらに続けて・・・
第210回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(3)宗教的寛容。 [2022年01月27日(Thu)]
 19日の楽しく学ぶ歴史ゼミの報告の続きです。

●ムハンマドがイスラム教の教団を作った時・・・。
●キリスト教徒を敵視もしなかったし、戦おうともしていなかった。
●彼が許せないと思ったのは、多神教と偶像崇拝。
●いろいろな宗教の中で、イスラム教とキリスト教はかなり近い宗教。
●宗教の違いは、殺し合う理由にはならない。
●ただ、利用される危険はある。

 そして・・・

                 (つづく)
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