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村には、衛生設備が整えられなければならない。 [2021年12月26日(Sun)]
理想の村
(230)
 理想的なインドの村が建設されるとすれば、そこにはきっと完全な衛生設備が整えられているでしょう。
 村人たちは、採光や換気が十分に確保された家に住んでいます。それらの設備はすべて半径5マイル以内から調達できる材料で作られます。
 ・・・
 


 ここから、理想的な村についてのガンディーの記述が始まります。最初に言及されるのは、衛生設備についてです。彼はかなり過激な近代文明の批判者ですが、決して原始的な生活を目指そうと言っているわけではないのです。
 とりわけ、人々が健康的に暮らせる環境づくりについては現状を大いに改善する必要があると彼は考えていました。(46)では、「何百万もの人々が日も差さず風通しもまったくないような惨めな掘立小屋で暮らしている」ということを問題視していましたね。
 ただ、そのような衛生設備も「スワデシ(自給)」の原則に基づいて供給されなければなりません。1マイルは、約1.6キロメートルですから、5マイルは約8キロの距離ということになりますね。
 そして・・・
12月定例学問会の報告(3)一体いつから、日本人はクリスマスを祝うようになったのだろう? [2021年12月26日(Sun)]
 12月19日の定例学問会の報告の続きです。
 
●ぼくたちが子どもの頃から、あったよねえ。
●キリスト教が日本に伝わったのは16世紀だけど・・・。
●でも、江戸時代には邪宗門と呼ばれ、禁止されていたのだから・・・。
●寅さんの映画には、クリスマスは出て来るのかな?
●それは分からないけど、「北の国から」には出て来ますよ。

 そして・・・
                (つづく)
一人でごみ拾いや糸紡ぎ、それでも満足。 [2021年12月25日(Sat)]
(229)
 彼は、その村で様々な仕事を同時に開業します。清掃人、紡績工、警備員、医者、学校教師。
 もし、仕事を頼みに来る人が誰もいなければ、彼は一人でごみ拾いや糸紡ぎをします。それでも、彼にとっては十分に満足なのです。

            (「ハリジャン」1942年7月26日) 



 「真の民主政治と村の生活を愛する人であれば、どこか一つの村を選んで、そこを自分にとって世界で唯一の仕事をしなさい(228)」と述べた後、ガンディーはさらに具体的な仕事を列挙します。
 これらは、「理想の村のモデルづくり」という崇高な理念にあまりふさわしくない、地味な仕事に思われるかもません。しかし、このような村に奉仕する仕事を自ら実践することなしに村人たちに影響を与えることはできないと彼は確信しているのです。(191)では、「彼らの支援者としてではなく、召し使いとして働け」と言っていましたね。
 ここで、医者や教師という仕事も含まれているのは、ガンディーが想定している相手が主として知識人だからだと思います。
第209回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(3)後朱雀天皇。 [2021年12月25日(Sat)]
 15日の楽しく学ぶ歴史ゼミの報告の続きです。

●後朱雀天皇も、道長の娘の嬉子と結婚。
●嬉子の産んだ子、後冷泉天皇が後朱雀の後に即位。
●ここまで、ずっと道長の孫、頼通の姉妹の産んだ子が天皇。
●しかし、後朱雀天皇にはほかにも妻がいた。
●三条天皇の娘、禎子内親王。
●母は、やはり道長の娘の妍子。
●つまり、叔母さんと姪が同じ人と結婚した。

 そして・・・

                 (つづく)
この村での仕事は、世界で唯一の仕事。 [2021年12月24日(Fri)]
(228)
 真の民主政治と村の生活を愛する人であれば、誰でも実践できることがあります。
 それは、どこか一つの村を選んで、そこを自分にとって世界で唯一の仕事を行う場所と定めることです。そうすれば、きっと良い結果が得られるでしょう。
 ・・・
 


 村の自治についてのガンディーの意見も、いよいよ大詰めです。
 今まで「村の自治」についてのビジョンを語ってきたガンディーですが、もちろん、理想像を提示しただけで目的が達成されるとは考えていません。(227)で述べられていたように、そのような理想を具現化したモデルとなるような村づくりの実践をしなければならないと言うのです。
 そして、彼自身も率先して行動したように、実際にどこかの村に住んで、そこで具体的な「村の自治」を実践的に創造せよと呼び掛けるのです。要するに、「村づくりこそが国づくりなのだ」ということです。さらに言えば、新しい世界の創造につながることだということでしょう。(193)
 そして、続けてガンディーは・・・
12月定例学問会の報告(2)クリスマスと少数派。 [2021年12月24日(Fri)]
 12月19日の定例学問会の報告の続きです。
 
●クリスマスは、イエス⁼キリストが誕生したとされる日。
●救い主や救い主を遣わした神に深く感謝する日。
●つまり、極めて高度に宗教的なイベント。
●日本のクリスチャンは総人口の1%程度と言われる。
●どうして、信じていないのにクリスマスを祝うのか?
●どうして、少数派の宗教行事が国民的な大祝祭になったのか?
●少数派でも、社会に大きな影響を与えることはできる可能性がある。

 そして・・・
                (つづく)
理想的な村のモデルを作ることは・・・。 [2021年12月23日(Thu)]
(227)
 ここで私が述べているのは、もちろん理想像です。
 しかし、本質的に絶対不可能なものは一つもありません。
 このような村のモデルを作ることは、きっと生涯をかけた大仕事になるでしょう。
 ・・・



 村の自治についてのガンディーの意見の続きです。民主政治、自治、教育や文化、経済などについていろいろ述べられてきましたが、もちろん彼もそれがすぐに実現できるとは考えていません。しかし、絶対に不可能なこともないと言うのです。
 そこで、問題は、「いかにして、理想の村のモデルを構築し、目に見える形で人々に示すことができるか?」ということになるでしょう。つまり、抽象的な理論よりも具体的な実践だということです。
 当然のことながら、理想の村のモデルは中央から提示されるものではありません。村の自治は、村でこそ創造されるものであるはずなのです。
 ・・・
しもかわ読書会12月例会の報告(5)みんなが、甘やかされて育ったお坊ちゃま。 [2021年12月23日(Thu)]
 「しもかわ読書会」12月例会の報告の続きです。
 
●「みんなと同じである」ことを喜ぶ平均人。
●平均人は、他人の意見を聞くという習慣を失ってしまった。
●風潮の時代、押し流される時代。
●自分のしたいことをする、慢心した坊ちゃん。

 そして・・・

                     (つづく)
死を恐れなければ、いかなる権力も否定することができる。 [2021年12月22日(Wed)]
(226)
 彼、及び彼の村は、この世にあるいかなる権力からも自由になれます。
 なぜなら、非暴力の法はすべての村人たちに対してこう命じているからです。「自らの名誉と村の名誉を守るためならば、死の苦しみさえも甘んじて受けよ」。
 死を恐れなければ、どんな権力にも屈服せず、それを否定することができるのです。
 ・・・

         

 「いかなる政府からの支配も受けない完全な個人の自由(225)」について語った後、ガンディーは上のように言います。
 いかなる政府からの支配も受けないということは、決して不当な権力による介入や強要・強制を受けることはないだろうという非現実的な想定の上に立っての主張ではありません。そうではなく、権力からの圧迫や攻撃も当然ありうることとして想定しているのです。
 では、そういう時には一体どうするのか? もちろん、闘うのです。
 闘うと言っても、強大な国家権力に打ち勝つのは到底不可能なのではないか?
 暴力によって闘うなら、そうです。しかし、非暴力の闘いは必ず勝利するのです。
 暴力を使わないで、どうやって闘うのか?
 それは、ガンディーによれば、つまり自分自身の身を犠牲にして闘うということなのです。
 そして・・・
いかなる政府からの支配も受けない完全な個人の自由。 [2021年12月21日(Tue)]
(225)
 ここにあるのは、個人の自由に基づく完全な民主政治です。
 各個人は、自分自身の自治政府を樹立します。しかし、その政府は決して彼を支配するわけではありません。
 個人の自治政府は、彼自身と同様に非暴力の法に従うのです。
 ・・・


 
 村の自治についてのガンディーの意見の続きです。国家権力からもほとんど自立した、非常に高度な村の自治を主張していた(223)ガンディーですが、ここではさらに進んで、「個人の自治」とさえ言っています。
 つまり、「各個人が、自分自身の自治政府を持つ」というのです。個人の政府ということは、統治者も自分一人、そして被統治者も自分一人ですね。つまり、支配する者も支配される者もいないということになります。確かに、究極の「自治」、完全無欠な民主政治と言えるでしょうね。
 しかし、個人の数と同じ数だけ自治政府が存在することになると、果たしてその間の相互関係は一体どのように調整されるのでしょうか?
 しかし、このことについてのガンディーの基本的な考えは、既に(12)において表明されていました。そしてまた、「すべての人は人間の権力によって与えられた規範や命令に従うのではなく、真理の法・神の法に従わなければならないのだ(10)」という見解も示されていましたね。
 そして・・・