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お勉強 (05/11)
「プールナ=スワラージ」は、真実と非暴力という意味を含んでいる。 [2021年05月31日(Mon)]
(24)
 「プールナ=スワラージ(完全な自治)」という言葉は、その言外において真実と非暴力という意味を含んでいます。この2つは、その達成のために我々が必ず用いることのできる手段でもあります。
 プールナ=スワラージは、それを与えられる人と与えられない人の差別があったり、多くを受けられる人とわずかしか得られない人がいたり、そのようなことが起こる余地は絶対にあり得ません。いかなる場合であろうとも、真実と非暴力がその可能性をすべて排除するからです。

       (「ヤングインディア」1931年5月3日)



 「プールナ=スワラージ(完全な自治)」についての話(23)の続きです。日付も同じなので、前の引用個所と恐らく同じ文章に含まれているのではないかと思われます。
 「完全な自治とは、すべての人に同じ価値や意義をもたらす、そしてすべての人に等しく利益を与えるものでなければならない」というのがガンディーの強い信念なのです。そして、「真実と非暴力」は、自治を実現するための手段であるばかりでなく、自治のあり方を規定する根本原理でもあるということだと思います。
 そして、さらに・・・
しもかわ読書会5月例会の報告(1)緊急事態の読書会。 [2021年05月31日(Mon)]
 今日は、西町キャンパスで「しもかわ読書会」5月例会を行いました。
 緊急事態宣言の発令中、しかも、6月20日まで延長決定という状況だったのですが、だからこそ、今、読むべきと思われる本を読みました。
 それはピューリッツァー賞受賞のノンフィクションの名作で、下川町町民会館図書室にもある・・・

                             (つづく)
プールナ=スワラージ、完全な自治。 [2021年05月30日(Sun)]
(23)
 プールナ=スワラージの「プールナ」とは、「完全な」という意味です。
 なぜなら、それは藩王にとっての自治であるのと同様に小作農にとっての自治でもあるからです。ヒンドゥー教徒にとっての自治であるのと同様に、イスラム教徒にとっての自治でもあるからです。パールシー教徒やキリスト教徒にとっての自治であるのと同様に、ジャイナ教徒やユダヤ教徒やシーク教徒にとっての自治でもあるからです。階級や信条の違いに関係なく、またどのような暮らしをしているかにも関わらず、すべての人々にとっての自治であるからです。

         (「ヤングインディア」1931年5月3日)



 ここで、「プールナ=スワラージ」という言葉が出て来ました。これは、1929年12月の国民会議派大会(ラホール大会)で掲げられた新たな運動方針です。
 ガンディーが述べているように、「プールナ」というのは「完全な」という意味ですから、これは完全な自治ということになります。しかし、多くの人はこれをイギリスに対する完全なインドの自治、つまり独立と解釈していたようです。すなわち、植民地支配を受けている人々からの自治要求にも様々な段階があり、各地方における伝統的・慣習的な自治の温存あるいは尊重、植民地統治への部分的な参加、内政面に限定した自治政府の承認、独自の外交なども含めた完全な主権国家としての独立というような各段階が考えられますが、この中で最も高度な最終目標、独立した主権国家の建設という意味での「プールナ=スワラージ」です。
 ところが、ガンディーの解釈の重点はそれとはかなり異なっています。「プールナ=スワラージ」は、すべてのインド人にとっての、無差別平等な「自治」でなければならないと彼は言うのです。
 「藩王(prince)」とは、イギリスによる植民地統治下で一定の支配権を認められていた人たちのことです。
 そして、さらに続けて・・・
第198回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(2)藤原兼家の4人の息子たち。 [2021年05月29日(Sat)]
 26日の楽しく学ぶ歴史ゼミの報告の続きです。

●花山天皇を騙して退位させた時、兼家の4人の息子が活躍した。
●花山天皇と一緒に出家するという約束を破ってまんまとその場を逃げ出したのは、道兼。
●清涼殿から三種の神器を運びしたのは、道隆と道綱。
●つまり、泥棒だけど。
●そして、道長は関白に天皇が行方不明であると報告した。

 ・・・

                 (つづく)
5月定例学問会の報告(6)未来は希望、とは限らない。 [2021年05月29日(Sat)]
 5月9日の定例学問会の報告の続きです。
 
●未来は、現在より必ず良い方向に変化するのか?
●新しいものは、古いものより疑いなく望ましいのか?
●進歩・発展・向上・成長の時代の常識は・・・。
●しかし、いつも人々が未来に目を向けていたわけではない。
●未来を目指すのではなく、過去を目指す。

 そして・・・
                (つづく)
スワラージとは、我々を文明化することである。 [2021年05月28日(Fri)]
(22)
 スワラージとは、我々を文明化することを、そして我々の文明を純粋で揺らぎないものにすることを意味します。そうでないなら、何の意味もありません。
 我々の文明の本質を端的に言えば、公的であろうと私的であろうと我々に関するすべての事柄において道徳が最優先されるということです。

          (「ヤングインディア」1930年1月30日)


 
 スワラージ(自治)についてのガンディーの意見です。「スワラージとは、我々を文明化することである」と彼は言います。「ヒンド=スワラージ(インドの自治)」の中で、ガンディーは西洋文明を非常に厳しく批判していました。ところが、ここでは「文明」という言葉を肯定的な意味で使っているようです。
 つまり、ガンディーは西洋文明を絶対的に悪しきものと確信していますが、決して文明そのものを否定しているわけではないのです。本当の文明というものは、ヨーロッパ人が作り出した近代文明ではない。そうではなくて、精神性を重んじるインドの文明こそが真の文明なのだ。これが、彼の主張なのです。
 彼が考える文明とは、科学の発達、大量生産、効率の追求、利便性の拡大、経済成長・・・などにつながる社会現象ではないのです。そうではなくて、「文明とは、人が進むべき道を指し示すような行動様式のこと」だとガンディーは言うのです。
 そして・・・
しもかわ読書会4月例会の報告(10)田島征三さんの訴え。 [2021年05月28日(Fri)]
 「しもかわ読書会」4月例会の報告の最終回です。
 
 ●広告の仕事はギャラが良い。
 ●ある会社が金儲けのために水を汚し、他の会社がその水をきれいにすることで儲ける。
 ●自らの手で自然破壊に励んでいる会社に限って、それと反対の側に身を置いているぼくの絵を使いたがる。
 ●彼らは結局、環境問題を形骸化させる役目をしている。
 ●「緩さ入れるウソの範囲だったら構わない」というのが、広告業界の意見。
 ●こんな広告を作っていたら、「公害を生み出す企業」を「環境問題を考える会社」にすりかえる広告を作るのはお茶の子さいさい。


 「しもかわ読書会」5月例会は、明後日、30日(日)の予定です。
民主政治は、多数派のためでなく、すべての人のためでなくてはならない。 [2021年05月27日(Thu)]
(21)
 なぜなら、私にとっての「ヒンド=スワラージ(インドの自治)」とは、すべての人々による、すべての人々のための政治であり、正義に基づいてなされる社会の統治でなければならないからです。
 
          (「ヤングインディア」1931年4月16日)



 インドの自治(スワラージ)は、インドの多数派による政治である。つまり、ヒンドゥー教徒がインドの多数派なのだから、ヒンドゥー教徒の意志が、インド国民の総意となる。そして、ヒンドゥー教の教義や慣習が、インドの国策上の基本的な指針となる。そのような考えを、ガンディーははっきりと否定・拒絶します。(20)
 なぜなら、彼の考える自治(スワラージ)とは、「多数による統治・支配」ではなくて、「万民による統治」だからです。何が正義で何が正当であるかは、選挙における得票数で決まるのではありません。選挙民ひとりひとりが、公正な判断をし、適切に選挙権を行使した場合のみ、民主主義はその本来の機能を果たすことができるのです。
 (17)では、「利己的な多数者による統治は、無政府状態と変わらない」とさえ言っていましたね。
 そして・・・
しもかわ読書会4月例会の報告(9)子どもに空き缶集めをさせるべきではない。 [2021年05月27日(Thu)]
 「しもかわ読書会」4月例会の報告の続きです。
 
●どうしても空き缶拾いなどをやりたいのならば、・・・。
●子どもにやらせるのではなく、大人がやればよい。
●集めた空き缶は、自治体が税金を使ってリサイクルするのではなく・・・。
●飲料会社の重役室に投げ込んで来ればいい。
●自然は循環している、だから、正解は○なのだ。
●「ゴミは清掃工場で燃やして山間の水源地に埋める」。この大×の答えが、今は○。

 それから・・・
                       (つづく)
多数派による統治が正しいのではない。 [2021年05月26日(Wed)]
(20)
 インドの自治(スワラージ)は、この国において多数派を占めている集団によって行われる政治になるだろう。インドにおける多数派とは、すなわちヒンドゥー教徒である。
 そのように今まで言われてきましたが、これほど大きな間違いはありません。
 もしもその解釈が正しいということになったとしても、私は決してそれをスワラージとは呼びません。そして、全力を尽くしてそれと闘おうと思います。
 ・・・
 


 「スワラージは、人種によっても宗教によっても分け隔てをしない(18)」と言っていたガンディーですが、ここでは具体的に、政治と宗教について論じています。
 もし、「民主主義とは多数決のことだ」と考えるならば、インドの多数派がヒンドゥー教徒であれば、ヒンドゥー教徒が主導する政治は民主主義の原理によって正当化されることになるでしょう。つまり、多数派である彼らがヒンドゥー教の教えに基づく、あるいはヒンドゥー教徒に有利な政治を支持すれば、それがインド全体の政治のあり方を決定することになる。そして、それ以外の宗教(イスラム教、パールシー教、ジャイナ教、シーク教、キリスト教など)を信じる人たちは、多数派による決定に従わなければならないという理屈になるわけです。
 しかし、ガンディーはこれを明確に否定します。「ヒンド=スワラージ(インドの自治)」の中でも、「多数派の行動が正しいとは限らない(821)」と述べられていましたね。
 さて、彼がこのように主張する根拠とは・・・
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