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臆病な兵士は、兵士とは言えない。 [2020年07月24日(Fri)]
(890)
 そして、何物も恐れない心。これを持っていない兵士がいたとすれば、その人は決して戦士であるとは言えないでしょう。



 「受動的抵抗に必要な条件は、兵士になるためにも必要である(888)」という話の続きです。
 受動的抵抗の実践者になるための第一及び第二の要件、すなわち「純潔」と「清貧」については(889)で言及されていましたが、ここでは「何物も恐れない心」もまた、受動的抵抗者のみならず兵士にとっても必須の要件であるとガンディーは述べています。
 それは、もちろんそうでしょう。何と言っても、他人と命のやり取りをするのですからね。けれども、彼の考えによるならば、暴力で他人と戦う勇気は決して受動的抵抗者の勇気に勝るものではないのです。(834)
 しかし、受動的抵抗者になるための要件はもう一つありました。それは、「真実」です。これについては、果たしてどうなのでしょうか?
 ・・・
7月定例学問会の報告(6)どうして「go to」なのか? [2020年07月24日(Fri)]
 5日の定例学問会の報告の続きです。
 
●観光業を支援するにしても、別の方法はないのか?
●例えば、個別補償とか。
●間接的な需要喚起の方がやりやすい面もあるだろう。
●それよりも、利権の問題かな?
●政治とは、利益誘導である。

 そして・・・
                (つづく)
第179回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(1)延喜式と穢れ観念。 [2020年07月24日(Fri)]
 水曜日は、西町キャンパスで第179回「楽しく学ぶ歴史ゼミ」を開催しました。
  
●藤原時平が死んだ後は、弟の忠平が政治の中心人物になった。
●3兄弟の真ん中、仲平は弟に先を越されてしまった。
●忠平は、延喜式を完成させた。
●延喜式には、「穢れ(けがれ)」についての規定も明文化されている。
●日本に古くからあると言われているケガレ観念。

 そして・・・
                  (つづく)
しもかわ読書会7月例会の報告(2)クマを師匠とする。 [2020年07月24日(Fri)]
 「しもかわ読書会」7月例会の報告の続きです。
 
●クマが私の師匠。
●山の歩き方やクマの行動など、すべてをクマから学んだ。
●クマの気持ちになって考える。
●アイヌと和人のハーフ。
●どうして単独で狩りをするようになったのか?

 ・・・            (つづく)
戦士になるためにも、純潔と清貧は不可欠である。 [2020年07月23日(Thu)]
(889)
 戦士というのは、希望すれば誰でもなれるものではありません。戦士になりたいと思う者は、純潔を守らなければなりません。また、食べ物や持ち物も支給される分のみで満足しなければなりません。


 
 「受動的抵抗に必要な条件は、兵士になるためにも必要である(888)」という話の続きです。
 受動的抵抗の実践者になるための第一の要件は「純潔」、そして第二は「清貧」でしたが、それらは兵士になるために求められる要件でもあるとガンディーは言っています。どんな種類の闘争であるとしても、結局は自分自身との戦いに勝たなければなりません。つまり、自らの欲望に支配されてしまうようでは厳しい戦いを最後まで戦い抜き、勝利を収めることなどできはしないのです。だから、暴力を用いる用いないにかかわらず、闘争に勝利するためには自らの欲望をコントロールできなければならないと彼は言うのです。
 そして・・・
第93回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告(1) [2020年07月23日(Thu)]
 昨日は、第93回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」を開催しました。
 R君、今回のテーマは何ですか?
 「はい。差別や偏見が生まれる原因は何でしょうか?」
 ほう。差別ですか。
 「はい。学校の道徳の授業でやったのです」
 では、R君はどう思いますか?
 ・・・

                       (つづく)
受動的抵抗に必要な条件は、兵士になるためにも必要である。 [2020年07月22日(Wed)]
(888)
 これらの性質は、国に奉仕したいと願う人はもちろんですが、そうでない人たちにとっても価値があるものです。
 どうか誤解しないでください。武器を使って戦う兵士になるための訓練を受けたいと思う人々にも、これらの性質は多かれ少なかれ求められるものなのです。
 


 「これらの性質」というのは、受動的抵抗の実践者になるために必要不可欠な要素、すなわち「純潔」「清貧」「真実」「何物も恐れない心」の4つの原則のことです。(871)
 また、ここで述べられている「国のための奉仕」というのは、非暴力の方法によって自治を勝ち取ろうとする運動に参加することを指しています。暴力を用いて民族の独立を勝ち取ろうとすることは、ガンディーの考えによれば少しも国に対する奉仕にはならないのです。
 つまり、「純潔」「清貧」「真実」「何物も恐れない心」の4つの原則は、受動的抵抗を実践するために是非とも必要なことではあるが、ほかのことをする時にもそれらは必要になってくるものだ。特に、武力による闘争を行おうとする場合には、受動的抵抗を行う場合とほぼ同じような条件が必要になるだろうとガンディーは指摘するのです。
 それは一体、どういうことなのかと言いますと・・・
7月定例学問会の報告(5)どうして、探究や検証ができないのか? [2020年07月22日(Wed)]
 5日の定例学問会の報告の続きです。
 
●思考に思考を重ねたり・・・。
●より根本に立ち返って深く考えるのではなくて・・・。
●その時その時の雰囲気で関心事になっていることを追っていくだけ。
●「誰が悪いか」という話ばかりに。
●もはや、考えることができなくなってしまっているのか?

 そして・・・
                (つづく)
第92回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告(3) [2020年07月22日(Wed)]
 15日の第92回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告の最終回です。
 
●話し掛けても返事をしてくれないのは・・・
●相手が自分のことを見下しているから?
●うーん、どうだろう?
●理由はいろいろ考えられる。
●人と人とが分かりあうためには・・・


 第93回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」は、今日、7月22日(水)の18時からです。
人間の精神には、困難に立ち向かう力がもともと備わっている。 [2020年07月21日(Tue)]
(887)
 たとえ確実に予想される困難があったとしても、これらの原則は絶対に守られなければなりません。
 困難や苦しみは、こちらが招かなくてもやって来るかもしれません。しかし、人間の精神にはそれらに立ち向かっていく力がもともと備わっているのです。



 「これらの原則」というのは、受動的抵抗の実践者になるために必要不可欠な原則、「純潔」「清貧」「真実」「何物も恐れない心」のことです。(871)
 もちろん、これらの原則を厳密に遵守することは極めて困難な場合が多いでしょう。しかし、「どんな困難があったとしても、これらの原則は絶対に守らなければならない」とガンディーは言っています。そして、「困難や苦しみというものは、いずれにしてもやって来る時は避けようもなくやって来るものだ。しかし、人間にはそのような困難にも立ち向かっていく力が与えられているのだ」と力強く述べるのです。
 そして、さらに彼はこれに続けて・・・