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4月4日臨時学問会の報告(4) [2020年04月24日(Fri)]
 4月4日の臨時学問会の報告の続きです。
 
●欲望は限りなく肥大化するもの、とは限らない。
●食欲は、お腹がいっぱいになれば収まる。
●自然な欲求、必要から生じる要求には、自然な限度がある。
●「足るを知る」は、自然なこと。
●不自然な欲求に気を付けよう。

 それから・・・
                           (つづく)
第175回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(2)渤海と日本。 [2020年04月23日(Thu)]
 15日の楽しく学ぶ歴史ゼミの報告の続きです。
 
●渤海は、新羅に滅ぼされた高句麗の一族が建てた国ということになっている。
●当然、新羅とは仲が悪い。
●朝鮮半島の北部に進出することもあった。
●新羅と敵対関係にあるということは・・・。
●日本とは、友好的な関係を結ぼうとする。

 そして・・・

                 (つづく)
もしも自分が間違っていたとしても、他人を苦しめることはない。 [2020年04月23日(Thu)]
(800)
 そして、魂の力にはほかにも優れた点があります。それは、もしも正しくない理由でこれが使われたとしても、それによって苦しみを被るのは自分だけであるということです。自分の間違いのために他人を苦しめるという心配は、しなくてもよいのです。


 
 「もしも自分にとって好ましくない法律ができてしまったら、私は暴力を使わない方法でそれに抵抗する。すなわち、その法律に従わず、その結果として自分に課せられる刑罰も敢えて受けるのだ」とガンディーは言います。
 彼にとっては、刑罰を受けて苦しむことは「魂の力」の積極的な行使なのです。そのように自分自身が苦しみを受けることによって、自分の要求を実現しようとするのが「魂の力」だと言うのです。
 自分自身を犠牲にするこの魂の力による抵抗は、他人を犠牲にする暴力による抵抗よりも道徳的に優れていると彼は言います。(799)
 しかし、「魂の力」にはもう1つの利点があるそうです。それは、上で述べられているように、「もしも自分が間違っていたとしても、その場合は自分自身が苦しむだけで、他人に不当な苦しみを与える心配はない」ということです。
 このように、「自分の判断は絶対に間違っていない」という独善に決して陥らない所は流石だと思います。
 そして・・・
4月定例学問会の報告(3)これから、どうなってしまうのか? [2020年04月23日(Thu)]
 12日の定例学問会の報告の続きです。
 
●新型コロナで人類が滅びることはないだろうが・・・。
●文明が滅びることはあるかもしれない。
●今まで有効に機能していたと思われたことが・・・。
●もはや、そうでなくなっている。

 そして・・・
                (つづく)
第80回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告(1) [2020年04月23日(Thu)]
 昨日は、第80回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」を開催しました。
 R君、今回のテーマは何ですか?
 「今日のテーマは・・・ちょっと、くだらないかもしれないけど・・・」
 いやいや、くだらない疑問でもいいですよ。
 「校則は、どうしてあるのか?」です。
 それは、なかなか興味深い問題だと思いますよ。ん、「くだらない校則はどうしてあるのか」、じゃないですよね。
 ・・・

                       (つづく)
他人を犠牲にするよりも自分を犠牲にする方が優れている。 [2020年04月22日(Wed)]
(799)
 魂の力を使った抵抗には、自分自身を犠牲にする行為も含まれます。他人を犠牲にするよりも、自分を犠牲にする方が絶対的に優れています。それは、きっと誰もが認めることでしょう。

 

 「もしも自分にとって好ましくない法律ができてしまったら、私は暴力を使わない方法でそれに抵抗する。すなわち、その法律に従わず、その結果として自分に課せられる刑罰も敢えて受けるのだ。(798)」という話の続きです。
 ガンディーは、これを「魂の力を用いた抵抗」と呼んでいます。
 彼の考えでは、「刑罰を受けること」は決して抵抗の失敗ではないのです。刑罰のために抵抗を続ける気力を失ってしまったら、それは敗北であり、失敗です。その前に、刑罰を恐れて抵抗を断念したり躊躇したりしたら、それ以上に大きな敗北です。
 しかし、刑罰を恐れずに公然と抵抗の意思表示をし、しかも不屈の精神で刑罰を甘受するならば、そして自らの信念のためにその苦しみに耐えるならば、それは魂の力による勇猛果敢な闘いなのです。
 このように、ガンディーは「自身の受ける苦しみ」の中に積極的な意味を見出しています。(794)では、「受動的抵抗とは、自分自身が苦しみを受けることによって権利を獲得しようとする方法です」と言っていましたね。
 そして、さらに・・・
4月4日臨時学問会の報告(3) [2020年04月22日(Wed)]
 4月4日の臨時学問会の報告の続きです。

●もっと欲しくなるのはどうしてか?
●人間の欲望と刺激。
●多くの情報があるほど、欲望は刺激される。
●「存在しないもの(存在を知らないもの)」は、欲しくならない。

 それから・・・
                           (つづく)
法律に従わず、罰を受けたら・・・。 [2020年04月21日(Tue)]
(798)
 ところが、もしも私がその法律に従わなかったとしたら、そしてその法律に違反したという理由で罰を受けたとしたら、どうでしょうか?
 その場合、私が使ったのは魂の力なのです。



 「自分にとって好ましくない法律ができてしまったら(796)という話の続きです。
 暴力による抵抗に対して、もう1つの抵抗の仕方があるとガンディーは言います。それが「受動的抵抗」なのですが、その具体的な内容は、つまり、「法律によって命じられた義務に従わない、あるいは法律によって禁止された行為を行う」ということです。
 当然、罰則規定のある法律に違反すれば、それに相応した刑罰を受けるでしょう。しかし、それでも敢えて、その法律に違反するということです。
 というわけで、自分が刑罰を受けるということを予期した上で、それでも法律に従わないわけです。しかも、その刑罰を受けることは拒否しません。逃れようとさえしません。むしろ、進んで罰を受けるのです。
 ですから、この抵抗は、「自分が良心によって承認できないような法であっても、その法による刑罰を受ける。その刑罰から逃れようともしないし、その執行を阻止しようとして対抗することもしない」という意味で「受動的」と呼ばれるのです。しかし、「積極的な意志を持って、敢えてその罰を受ける」という点をよく考えれば、決してそれは受動的とは言えないでしょう。だから、「この場合は、私は魂の力を使っているのだ」とガンディーは述べているのです。
 そして・・・
第79回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告(5) [2020年04月21日(Tue)]
 15日の第79回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告の最終回です。
 
●どういう相手には、敵意や攻撃心が生じるのか?
●敵意の原因は、敵意の対象にあるのではない。
●敵意が生じるのは自分の心の中。
●問題の原因は、自らのうちにある。


 第80回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」は、明日、4月22日(水)の11時からです。
今週の予定 [2020年04月21日(Tue)]
 今週の予定です。
 「小中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」は、時間を変更して開催します。


【小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ】
 第80回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」
 日時  4月22日(水)
     11時〜11時45分
 場所  下川町公民館2階会議室
 内容  参加者の希望に応じて
  

 すべて、誰でも参加できます。どうぞよろしくお願いします。
 ただし、新型コロナ感染対策のため小人数限定にしたいと思います。(そんなにたくさんは来ないと思いますが)