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第42回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告(4) [2019年06月30日(Sun)]
 26日の第42回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告の続きです。
 
●幕藩体制とは?
●江戸時代の農民は年貢をどこに納めていたか?
●武士は、それぞれ自分の支配地を持っていたのか?
●江戸時代の武士は城下町に住んでいた。
●鎌倉時代の武士は?

 そして・・・

          (つづく)
もしもすべての弁護士が自主的に廃業すれば・・・。 [2019年06月30日(Sun)]
(513)
 もしもすべての弁護士が自主的に廃業すれば、そしてそのような仕事は性の商品化と同じくらい人間性に反していると考えるようになれば、イギリス人によるインド統治はもはや一日でさえ維持することはできなくなるでしょう。



 ガンディーの弁護士批判もいよいよ佳境に入って来ました。これまで彼はかなり厳しく弁護士を批判していましたが、決して弁護士たちが憎いのではなく、弁護士という仕事がイギリスのインド支配の中で重要な役割を果たしていて、結果としてその植民地支配への加担につながっていることを問題視しているのです。
 ここで面白いのは、ガンディーが弁護士たちに自主廃業を勧めていることです。つまり、彼は弁護士という仕事がインドの自治にとって有害であると確信を持って述べていましたが、決して弁護士たちを敵だと考えていたわけではないのです。弁護士たちがその職業を放棄すれば、彼らも味方になるという考えです。
 さて、このガンディーの提案は、日本で言うところの「サボタージュ」に近いと思います。サボタージュとは、労働争議の戦術としての怠業、つまり労働者が一致団結して自分たちの仕事を放棄することです。これは、「サボる」という造語の語源でもあるそうです。ただし、もともとのフランス語のサボタージュ(sabotage)は、「怠ける」という意味ではなくて破壊活動・妨害行為のことなのだそうです。
 さて、「弁護士という職業は性の商品化と同じくらい人間性に反する」と表現した部分は、原文でははるかに強烈で、「弁護士という仕事は娼婦・売春婦と同じくらい下劣だ」となっています。これは、(137)」でも使われていた不適切表現です。このような側面がガンディーの感覚の中にあるのは残念ながら事実だと言えるでしょう。
 そして、・・・
しもかわ読書会6月例会の報告(8)四住期。 [2019年06月30日(Sun)]
 「しもかわ読書会」6月例会の報告の続きです。

●インドでは、人生を4つの時期に分けた。
●学生期、家住期(過重期じゃないよ)
●林住期(臨終期じゃないよ)、そして遁生期(遊行期)。
●働いて財産を蓄える家住期は、人生の前半。

 そして・・・
                       (つづく)
弁護士という職業がどのようにして作られたのか? [2019年06月29日(Sat)]
(512)
 そもそも弁護士という職業がどのようにして作られたのか、そしてどういう理由で彼らが尊敬や好意を受けるようになっているのか、これらのことをあなたはよく理解するべきです。そうすれば、きっとあなたも彼らのしている仕事に対して私と同じような嫌悪感を抱くようになるでしょう。


 
 「司法制度はイギリスがインド人民を支配するための道具になっている。そして、その機能を果たすための制度の担い手としてインド人の弁護士が必要になったのだ」というガンディーの主張(509)の続きです。
 さて、これについては次のような反論がありうるでしょう。
 すなわち、「司法制度は国家権力が人民を支配するための手段ではなく、反対に国家権力の濫用から人民の権利を守るためにあるのだ。特に、弁護士はそういう役割なのではないか。だから、弁護士を権力と共に人民を支配する側ととらえるガンディーの見解は誤解ではないか」というものです。
 もちろん、民主的に設立され、民主政治の諸制度が形式だけでなく常に正しく機能している政府の司法制度であれば、そういう目的かもしれません。しかし、彼は当時のインドの政治状況に照らして、「弁護士は何のために作られたのか?」と問うているのです。
 そして、「どうして弁護士は尊敬されるのか?」とも尋ねています。それは、彼の考えに従えば、「法による支配を権威付ける、または神聖化するため。そして権力が定めた法に従うことの正当性を人民に印象付けるため」だということになるでしょう。
 ですから・・・

第42回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告(3) [2019年06月29日(Sat)]
 26日の第42回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告の続きです。

●その田畑を耕作する権利を保障されたということは、それ以外の人から田畑を奪われないことを保障されたってことだろうね。
●でも、現在の「労働の権利」や「職業選択の自由」とは違う。
●結局、農民は年貢を納めなければならなかった。
●ところで、年貢は誰に納めていたのだろう?
●全部、豊臣政権(江戸時代だったら幕府)?

 それから・・・

          (つづく)
第155回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(4)不二一元論。 [2019年06月29日(Sat)]
 19日の楽しく学ぶ歴史ゼミの報告の続きです。
 
●物質原理と精神原理の二元論では・・・。
●世界が2つに分けられてしまう。
●梵我一如と矛盾する。
●そこで、「2つじゃなくて1つだ」という「不二一元論」が登場した。
●これを確立したのがシャンカラ。

 そして・・・

                             (つづく)
インド人の裁判官やインド人の弁護士がいなければ・・・。 [2019年06月28日(Fri)]
(511)
 インド人の裁判官やインド人の弁護士がいなければ、イギリス人は彼らの法にインド人を服従させ、彼らの法によってインド人を支配することができないのです。


 
 「もし、イギリス人の裁判官、イギリス人の弁護士、イギリス人の警察官しかいなかったらとしたら、イギリス帝国がその法の下に支配できるのはイギリス人だけだったはず(510)」という発言の続きです。
 これはどういうことかと言うと、まず第一に言葉が通じないことが多いので、イギリスの法制度をインド人に理解させることができないということが考えられます。また、イギリス人の数はインド人に比べて非常に少ないので、全インド人を対象とする規模で司法制度を運営することは無理だったのかもしれません。
 だから、「インド人の弁護士や裁判官がいなければ、イギリスによるインド支配は不可能だった」とガンディーは述べるのです。このことは((502)で既に述べられていましたが、それはこういうことだったのです。
 そういうわけで・・・
第42回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告(2) [2019年06月28日(Fri)]
 26日の第42回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告の続きです。
 
●農民が耕作の権利を得たって、どういうことかな?
●権利があるということは、「その田畑を耕作していい」ってことだよね。
●「耕作しなくちゃいけない」ではない。
●じゃあ、その権利を放棄するのは自由だったか?
●土地に縛り付けられたとも書いてある。
●権利なのか、義務なのか?

 それから・・・

          (つづく)
しもかわ読書会6月例会の報告(7)人生50年の時代でも・・・ [2019年06月28日(Fri)]
 「しもかわ読書会」6月例会の報告の続きです。

●昔の人は平均寿命が短かったが・・・。
●それでも、長生きする人はいた。
●長生きした人は、生活資金のことで悩んだだろうか?
●昔の高齢者は、社会の中で尊ばれ、大事にされたのではないか?
●長寿に恵まれた人は、どのように生きるべきと考えられていたか?

 それから・・・
                       (つづく)
法の下に支配できるのは・・・。 [2019年06月27日(Thu)]
(510)
 もし、イギリス人の裁判官、イギリス人の弁護士、イギリス人の警察官しかいなかったらとしたら、一体どうなるだろうと想像してみてください。
 彼らがその法の下に支配できるのは、イギリス人だけだったはずです。
 


 イギリスの法によるインド支配についての話(509)の続きです。
 力(戦争などの物理的暴力、軍事力を背景とした間接的な圧力も含む)は、植民地的な支配従属関係を生み出すきっかけになることは確かです。しかし、暴力によって始まった支配は、常に別の暴力によってくつがえされる可能性があります。
 ですから、非常に矛盾していますが、暴力によって権力を握った支配者は、自らの統治下にあるすべての人に対して暴力による反逆・抵抗・闘争を禁じます。そして、人民間の暴力も、暴力に対する報復行為も、さらにはあらゆる私的な制裁や支配従属関係も国家権力の統制下に置こうとします。つまり、国内の秩序の維持、紛争解決に関する役割を国家が独占的に果たすようになるのです。
 さて、ここで大きな意味を持つのが法律・法令です。これによって国家権力はすべての人々を自らの管理下・統制下に置くのです。ただ、その目的は単に法を定めるだけでは達成されません。もしも国民がその法を無視したり従わなかったりすれば、法はその効力を発揮できないからです。
 それで、国家は法に違反した人に(より正確に言えば、法に違反したと国家が認定した人に)刑罰を与えるのです。
 だからガンディーは、ここで「裁判所がなければ、国家権力は人民を支配することができない」と言っているのです。そして、「仮に裁判所があったとしても、その機能を担う人たちがすべてイギリス人であれば、イギリス人を支配下に置くことしかできないのだ」と指摘するのです。
 そして・・・
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