(510)
もし、イギリス人の裁判官、イギリス人の弁護士、イギリス人の警察官しかいなかったらとしたら、一体どうなるだろうと想像してみてください。
彼らがその法の下に支配できるのは、イギリス人だけだったはずです。
イギリスの法によるインド支配についての話
(509)の続きです。
力(戦争などの物理的暴力、軍事力を背景とした間接的な圧力も含む)は、植民地的な支配従属関係を生み出すきっかけになることは確かです。しかし、暴力によって始まった支配は、常に別の暴力によってくつがえされる可能性があります。
ですから、非常に矛盾していますが、暴力によって権力を握った支配者は、自らの統治下にあるすべての人に対して暴力による反逆・抵抗・闘争を禁じます。そして、人民間の暴力も、暴力に対する報復行為も、さらにはあらゆる私的な制裁や支配従属関係も国家権力の統制下に置こうとします。つまり、国内の秩序の維持、紛争解決に関する役割を国家が独占的に果たすようになるのです。
さて、ここで大きな意味を持つのが法律・法令です。これによって国家権力はすべての人々を自らの管理下・統制下に置くのです。ただ、その目的は単に法を定めるだけでは達成されません。もしも国民がその法を無視したり従わなかったりすれば、法はその効力を発揮できないからです。
それで、国家は法に違反した人に(より正確に言えば、法に違反したと国家が認定した人に)刑罰を与えるのです。
だからガンディーは、ここで「裁判所がなければ、国家権力は人民を支配することができない」と言っているのです。そして、「仮に裁判所があったとしても、その機能を担う人たちがすべてイギリス人であれば、イギリス人を支配下に置くことしかできないのだ」と指摘するのです。
そして・・・